※前の話[Ⅳ]の続き 蓮の友人、志恩(しおん)の視点※

 「珍しくない? 蓮が後輩相手にしてあげてるの」

 幼すぎて自分の記憶には残っていなくても、写真や動画などの記録にはきちんと残されている一歳から互いを知っている久瀬(くぜ)(れん)に話しかけた。
 友人と呼ぶには双方を知り過ぎていて、親友と呼ぶには照れくささが残る。
 幼なじみか腐れ縁か、蓮とは保育園から高校2年の今まで学校が一緒だった。
 お互い小学校2年から始めたスポ少のバレーボールから始まり、中高の部活動も男子バレー部で同じ。
 呼吸をするのと同じくらい自然に、いつも蓮は俺の身近に居た。
 久瀬蓮を俺より知っている人間は蓮の家族以外にいないと思う。
 それもそう遠くない未来には、蓮に出来た初めての彼女に抜かされるかもしれないけれど。
 全体の練習が終わっても、今日も下校時刻ギリギリまで自主練を欠かさない蓮に付き合うと帰宅するのは部内で最後になることも多い。
 最近は蓮の自主練に付き合わずに、練習を見学しにきた俺の彼女の柚乃と全体練習が終わったら先に帰ってしまう日が増えた。
 部内で一番実力のある蓮が一番練習していて、常に上を目指している。
 春高出場が決まったからか、勝利を渇望する蓮に触発されてか、練習後の自主練組のメンバーは格段に増えた。
 蓮みたいなやつは良くも悪くも周りに影響を与えやすい。
 部室のロッカーの前で蓮と並んで制服に着替えながら、俺は冒頭の質問を蓮にぶつけた。
 今、部室内に居るのは蓮と二人だけだ。

 「わざわざ俺に話しかけてくるなんて、よほど切羽(せっぱ)詰まってたんだろ。最近、北川が練習に身が入ってないのは伝わってきてた」

 ――よく見てるんだな。
 失礼かもしれないけど、部長でもないのにベンチ入りすら出来ていない一年にまで目を配る余裕なんて俺にはない。
 ましてや蓮は押しも押されもしない三高のエース。
 春高で全国の強豪校相手に勝ち上がることしか考えていないのかと思っていた。

 「ずいぶん北川に細かくアドバイスしてあげてたじゃん」
 「いや、思っていたことを伝えただけ。今のスタメン俺とリベロの遠野(とおの)以外、全員3年だろ。春高に出場して、それで終わりってわけじゃないからな」

 何てことないように、さらっと言う蓮。
 蓮にアドバイスをもらってから練習での北川の士気が明らかに変わったのは俺からも見てとれた。

 「――それに俺もバレーを嫌いになりそうな時に救い上げてもらったことがあったから」

 蓮の声に憂いが混じる。
 中学2年の時、蓮は中学時代も実力が他の部員を凌駕(りょうが)していて1年からスタメンで起用されていた。
 蓮は先輩だろうとはっきり自分の意見を言うところがあって、それを疎ましく思う3年生たちと対立したことがあった。
 蓮も蓮で先輩だろうと3年に迎合(げいごう)しようとは一切しなかったし、間違いなく当時の部内の空気は悪かった。
 俺も先輩に逆らうなんて出来なかったし、蓮が間違っているとは思わなかったものの蓮にかける言葉は見つからずにいた。
 後から聞いたけど蓮はこの時、部活を辞めるか本気で考えていたらしい。
 そんな蓮を救ったのは練習試合でも顔を合わせていた他校の一つ上の先輩。
 青柳(あおやぎ)中の(さかき)流星(りゅうせい)さん。
 圧倒的なビジュアルの良さに真っ先に目が行くけど、サウスポーで打ち分け自在なテクニカルなスパイクに守備も堅いエースでありながらオールラウンダー。
 ジャンプサーブは決まれば確実にレシーブを崩す威力を誇りながらミスも少ない。
 大会でも目立っていたから、俺たちの世代で東京でバレーボールをしていたら自ずと榊さんを知ることになったと思う。
 プレーに似たものを感じたのか、互いにシンクロするものがあったのか、大会や練習試合で顔を合わせれば榊さんと蓮は二人で話すようになった。
 榊さんと話してから蓮は言い方や伝え方に意識が向くようになって3年との仲は改善された。
 3年も3年で蓮の言っていることは正しく、おまけにバレーの技量が随一なのもわかっているから歩み寄ったのだろう。
 蓮を救済した榊さんはバレー選手としての未来も有望視されていたけれど、大会前に交通事故で亡くなったと聞いている。
 俺も詳しくはわからない。
 ただ中体連の大会で青柳中に榊さんの姿がなく、蓮がその事実を知った時には大きなショックを受けていた。
 言葉には出さなかったけれど、鬼気迫る勢いで蓮がコートに立っていたことを思い出す。
 自分が榊さんにしてもらったことを今度は自分が他の後輩にしてあげているってことか。

 「蓮がバレーを嫌いになることなんてないだろ」

 蓮はまぶしいほどに真っ直ぐだ。

 「弓木さんが現れるまで、蓮はバレーボールと結婚する気なのかと思ってた」

 俺の一言に制服のブレザーの前ボタンをとめていた蓮の動きが停止する。
 もう自分の彼女なんだから”弓木さん”って響きにそこまで反応を示してくれなくてもいいのに……。

 「バレーボールと結婚は出来ないだろ」
 「真面目に返すなよ。でも、あれだけ告白されても全部断ってたら、そう考えるだろ。河津中で一番美人だった先輩とか、大会の時に告白してきた色気ダダ漏れなお姉さんとか。とりあえず付き合っておいても良かったじゃん」

 保育園時代から蓮はモテた。
 蓮の見た目が並外れて良いのはもちろんだったが、バレー以外でも運動神経は抜群。
 モテる要素を全て所持しているにも関わらず、愛想というものが蓮にはなく、告白された人数だけを数えたら俺とそんなに変わらないと思う。
 ただ、ひそやかに蓮を想っていた人数まで全員足したら、俺は全く敵わないはずだ。
 基本的に誰に対しても友好的に接する俺のほうが女の子にとって告白するハードルは低いのだろう。
 そんな蓮に彼女と呼べる存在が初めて出来たのは、つい最近のことだ。

 「とりあえずって相手に対して失礼だろ」
 「蓮は今まで女の子に告白された時、ぐらっと来たことはない?」
 「ない」

 随分はっきり言い切る蓮。
 いくら幼なじみとは言え、蓮は大半バレーのことばかりで女の影なんて一切見つけられなかった。
 それが変わったのは今年に入ってからだった。

 『悪い。俺、好きな()いるから、付き合えない』

 蓮が告白を断るときの台詞が変わったと噂で聞いた。
 蓮は真っ直ぐすぎるほどのやつだ。
 本当に好きな女が出来たのだろう。
 過去どれだけの美女に告白されても(なび)かなかった蓮の好きな人。
 気にならないわけがなかった。
 俺は蓮に聞いた。
 それは誰なのかと。
 最初は教えてくれなかったけれど、GWの前くらいだろうか。

 『――1年の弓木明紗さん……』

 蓮が照れくさそうに伝えてくれた時は、その相手が王道すぎて逆に驚いた。
 1学年下の彼女は三高に入学したばかりだというのに、その名前は学校中に浸透していた。
 ”三高の姫君”や”三高の女神”と呼ばれ、圧倒的なまでの美貌だけに留まらず、頭良し、運動神経良し、性格良しの花も実もある異次元ともいえるその存在感。
 なのに、主張が強い感じではなく、本人は物静かで楚々(そそ)としていて思春期特有の浮ついた感じもない。
 こういう人を透明感があるっていうんだろうと思わされた。
 最初は接点がなかったからたまに弓木さんを遠目で見かけるくらいだったけど。

 『いくら蓮でも、あの弓木明紗は無理じゃない?』
 『――わかってる』

 入学早々、告白されまくっているらしい弓木さんは難攻不落の誰のものにもならない正真正銘の姫君だった。
 一般人には付き合えない雲の上に居るような存在。
 弓木さんの彼氏が現在人気絶頂のアイドルや年商何百億のIT企業の社長と言われても、すんなり信じられそうなほど。
 そんな弓木さんの名前すら知らない入学前、彼女の推薦入試の日に蓮は弓木さんに恋に落とされたという。

 「――違った」
 「?」
 「明紗からの告白だけは、やばいほどグッと来た」

 ああ、あの春高出場が決まった東京都代表決定戦の日のことか。
 元々は俺の彼女になった柚乃がたまたま弓木さんの友人で、バレー部の見学に誘ったら弓木さんを連れてきて……。

 『弓木さん。蓮の彼女ってことにしておいたらいいんじゃない?』

 俺からの提案を弓木さんに強制するつもりはなかった。
 柚乃から弓木さんがモテすぎて困るという話は聞いていたし、少しでも蓮と弓木さんの距離が縮まる足がかりになればとは思った。
 弓木さんが受け入れてくれて足がかりには確かになったものの表向きだけの恋人同士になって、蓮は距離が縮まるたびに弓木さんを遠く感じたと言っていた。
 知れば知るほど、好きになったとも。
 律儀なほどに表向きの恋人同士の間は弓木さんに手を出さなかったらしい蓮。
 何があったのか蓮と弓木さんは完全に離れていた期間を経て、ついに二人は本物の恋人同士になった。
 蓮にとって、あの弓木さんからの告白は至高の歓びだっただろう。
 近くにいるのに手に入らなくて、遠回りして一筋縄(ひとすじなわ)では行かなかった分だけ。

 部室の戸締りをして、鍵を本校舎の受付へと預けに行く。
 蓮と並んで昇降口から外に出たら、すでに外は真っ暗で冴えわたるほどの冷気が体中を包み込んだ。

 「さっむ……」

 首に巻いたマフラーで口元を隠す。
 蓮とは家が近いから、帰路もほぼ一緒。
 地下鉄の入り口に向かうため、寒々とした夜道を蓮と並んで歩いた。

 「――蓮はクリスマスの予定どうなってる?」
 「イブは俺の家のクリスマスパーティーに明紗が来ることになってる」
 「家族ぐるみ? 相変わらず蓮の家族は弓木さんのこと好きだねー」
 「……その日、明紗と付き合って1ヶ月なんだよな」
 「え?」
 「いや、何でもない」
 「ま、クリスマスっていっても普通にその日も冬休み中の平日で部活だし、高校生は出来ることも限られるよな」

 限られていても彼女の柚乃と季節限定のイベントを過ごせるということは気持ちを弾ませた。

 「――昨日、日曜日。(すい)が明紗と原宿に行った」
 「え? 二人で? 蓮は……って部活か」
 「翠が余りにもしつこく誘うから明紗は付き合ってくれたんだと思う」
 「へえ、弓木さん優しいね。最初は柚乃の男子バレー部の見学にも付き合ってくれていたよな」
 「原宿に行くのを明紗は渋っていたけど、翠が押し切ったって」
 「翠は押しが強いから」
 「原宿駅で降りて、竹下通りにさしかかかる前に翠は何で明紗が原宿を避けたかったのか理解できたらしい」

 その先を蓮が説明する前に俺にも理由がわかった。

 「弓木さん、芸能事務所のスカウトされまくるんだろ」
 「そう。次から次へと、あっという間に名刺の山になったって言ってた」
 「想像できるわ。弓木さんならそうなるよな」
 「気が休まらないから原宿からすぐに移動して、明紗は翠に謝っていたらしいんだけど」
 「弓木さんが謝る必要ないのにね」
 「翠は明紗の家に行って、明紗に手作りのご飯とお菓子をふるまってもらって、原宿に行くより楽しかったって言ってた」
 「――蓮。妹に嫉妬するなよ」
 「……」

 図星なんだろう。
 横を向けば、クールだと言われる蓮の整った顔が若干険しくなっていた。

 「――もっと明紗と二人で居られたらいいのに」

 底冷えするような夜の寒気に蓮の声が低く響く。

 「それ、蓮だけじゃなくて弓木さんも同じことを思ってるかもよ」

 【end】
 20250907