※天音の同級生の男子視点。明紗の兄・天音が中学に入学した頃のお話。明紗は小5(本編の前)※
「天音くん! 久保木道場の弓木天音くんだよね?」
――区立青柳中学校に入学して約1週間。
ぶかぶかの学ランを着るのに照れが消えつつある代わりに、慣れが出始めてきた頃。
つい最近、北関東から東京に引っ越してきたばかりだから、青中には知り合いが一人も居なくて不安だったけど、同じクラスを中心に友人も増えてきていた。
新1年生は部活動見学期間が始まり、仮入部届を担任の先生へと締切日までに提出しなければいけない。
僕は小4から習いごととしてやっていた剣道部か、絵を描くのが好きだから美術部にするかで悩んでいる。
引っ越したのと小学校卒業を機に剣道教室を辞めてしまったから、剣道部へと気持ちが傾いていた。
けれど、美術部の見学に行ったら、上級生が男女ともに穏やかそうな好印象な人たちばかりで雰囲気が良くて揺らいでしまっている。
だから今日は剣道部のほうへと見学に行く。
渡り廊下で見覚えのある顔を見つけて、思わず僕は声をかけていた。
「――そうだけど……」
彼の端整な顔立ちは本人の性格を現しているかのように凛々しく、中学校1年生になったばかりにしては大人びている。
去年の夏休みに道場対抗の全国大会があり、師範が向学のためと東京の会場へ見学に連れて行ってくれた。
その時に東京の久保木道場の弓木天音くんの試合を観戦した。
大会は団体戦の三人制。
久保木道場は準決勝で負けてしまっていたけど、天音くんだけは勝利をおさめていた。
軸がぶれず、足さばきが上手で、構えが正確かつ、打突が素早く美しい。
僕は大会に出場していた猛者揃いの選手の中で弓木天音くんが一番印象に残っていた。
「僕も剣道やっていて、去年の夏の大会で天音くんを見たことがあったんだ」
天音くんも同じ中学校だったのか!
女子が騒ぎまくっている、かっこよすぎる新入生の男子って天音くんのことかな。
どうやら、同学年の中にとびきりのイケメンが二人いるって噂で聞いているけれど、男には全く興味を持てなくて、あまり気にしてなかった。
「――そう。よろしく」
天音くんはクールな雰囲気で口数も少なそうだけど、武道に触れてきているだけあって礼儀はきちんとしていた。
しゃんと背筋が伸びて姿勢が良く、天音くんの恵まれたポテンシャルを最大限に活かしているように見える。
――同性から見ても、見惚れるほどかっこいい……。
すでに洗練されてるシティボーイって感じだ。
さすが東京。
「天音くん。剣道部に入部するの?」
「――そのつもり。道場は通いながら、部活でもやろうかと思ってる。青中めずらしく、公立でも剣道部と武道場があるから」
じゃあ僕も剣道部にしようかなと現金に気持ちが傾く。
渡り廊下を歩き、体育館を更に過ぎると、学校施設の中では校舎から一番離れている平屋の武道場がある。
天音くんと並んで武道場に向かっていた。
「おっ、久保木道場の弓木天音ってマジで青中に居るじゃん」
渡り廊下を歩いている途中で後ろから男の声がかかる。
天音くんと足を停止させて振り返ると、ジャージ姿の3人の男の先輩が居た。
上履きの色から3年だとわかる。
「久保木道場の師範が外部コーチとして、たまにだけど部活を見にきてくれてるの。天音くんは小学生の時から活躍していて一級受有してるんでしょ」
「俺たち部員は中学から剣道始めてるから、経験者の天音くんが入部してくれるの楽しみにしてたんだよね。あ、僕は天音くんと同じ小学校だったよ」
天音くんって一級の審査合格してるんだ。
さすがというか、納得というか……。
次の初段は満13歳以上が条件だから、まだ天音くんに受審する資格はない。
3人の3年生のうち真ん中の一番ガタイのいいリーダー格の先輩は一番最初に話しかけた後は何も話さずに、じっと天音くんを観察していた。
「――なあ、弓木くん」
リーダー格の先輩は口を開く。
「あ、こっちが青中の今の部長ね」
隣の先輩が補足した。
リーダー格だと思ったら、やっぱり部長だったんだ。
よくよく見るとあとの2人は友だちというより部長の取り巻きに見えると言えば見える。
「弓木くんってさ、妹いるでしょ?」
部長に声をかけられると、さっきから先輩に対しても平然と接していた天音くんの表情が僅かに歪んだ。
「レベチでかわいいじゃん。俺に紹介してよ」
部長はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、弓木くんの反応を確認するように見つめていた。
「――昨日、駅前で偶然見たんだよね。かわいいし、スタイル良すぎて目立ってたから。俺と同じ年くらいかと思ったら、青中に入学した弓木くんの小学生の妹だって、こいつに教えてもらってさ」
部長は隣の3年生を指さしながら言葉を続けた。
さっき天音くんと小学校が同じだったと伝えていた上級生のほうだ。
「――紹介って、明紗はまだ小5ですよ」
さっき僕と話していた声よりも天音くんは低音で返す。
天音くんの妹って”あさ”なんだ。
天音くんの妹だから、さぞかわいい子なんだろうとは予測がつくけど、まだ小5って……。
部長は中3なのに犯罪じゃないのか?
いや、犯罪になるのは大人が未成年に手を出した時だけか?
「あれだけ綺麗で大人びてれば、小5に見えないからいいだろ。それにあの子だったら、もう男を知っていても不思議じゃないし。ああ、でも俺がいろいろ教えてあげたいかも」
聞いている僕のほうが、”下衆”だと不快感が先にきた。
僕にも4つ年上の姉がいて、僕がいうのも何だけど男受けする可愛らしいタイプで、
『姉ちゃん。ガチかわいいじゃん。家、遊び行っていい?』
『彼氏とやってるところとか遭遇したことある?』
などと、友だちにいろいろ言われるのは余り良い気分がしなかった。
家族にそういう性的な目線を向けられるのって、何となく知らずにいたいというか、弟目線で真っ向から向き合いたくないというか……。
高校生の姉相手でも不快に思ったのに、小5の妹だったら、なおさら天音くんは心穏やかじゃいられないだろう。
「――断ります」
「そう固いこと言うなって。悪いようにはしないからさ」
「こういうのよく言われるんですけど、全て断っていますので」
「弓木くんさ。中学に入学したんだから、上下関係ってやつを学んだほうがいいんじゃない?」
部長は先輩の立場を利用した圧力を天音くんにかけた。
理不尽だと思うけど、逆らったらどうなるかわからない男の狭い縦社会の恐怖。
僕はハラハラしながら、部長と天音くんの様子を見守っていた。
「――いいですよ」
先輩相手でも毅然とした態度を崩さない天音くんの意外な返答に僕は驚いた。
やっぱり天音くんでも上級生には屈するのか……そう思っていたけれど。
「――俺に剣道で勝てたら、の話ですけど」
天音くんは部長を見据えて言い放った。
「いいぜ。しょせん弓木くんは経験者とはいえ小学生レベルだろ」
受けて立った部長は自信がありそうだった。
部長を務めているだけあって、ハリボテの実力ではないのだろう。
「――一本勝負で構いませんよね」
「おー。オッケーオッケー」
剣道場では天音くんと部長が帯刀して、向かい合っている。
剣道着にまでは着替えず、二人ともジャージに武具を身に着けていた。
天音くんは武具一式や竹刀を借りている。
平屋の武道場は建物自体は古いけれど、中に入ると掃除が行き届いているのか清潔感があった。
剣道場の床はワックスがかけられたばかりのように水面のように光を反射している。
「先生来たらヤバくない」
「部長に勝負挑むって、あの新入生は何者なの?」
「めちゃくちゃイケメンな子だったよね」
剣道部の部員が男女ともに集まってきて、これから始まろうとしている部長と天音くんの非公式勝負の様子を壁に沿って、ざわつきながら見つめている。
部員自体は10名にも満たなそうだ。
「――俺が勝ったら約束通り、明紗のことは諦めてください」
「もちろん。その代わり俺が勝てば、あの子に何をしようと”お兄ちゃん”は引っ込んでろよ」
向かい合い、互いに立ち礼をして、三歩前へ出て、蹲踞の姿勢をとる。
剣道場が静まり返った。
審判役をしている3年生男子の「始め」の声がかかる。
――勝負はあっという間に決まってしまった。
「――天音くん!」
僕は渡り廊下を進んでいく天音くんの背中に声をかけた。
「まさか、あんな瞬く間に面で一本とるとは思ってなかったよ」
勝者は天音くんだった。
まさに電光石火の鮮やかな面打ちが決まる。
一瞬で負けた部長は試合後の所作さえ忘れるほど、茫然としていた。
天音くんは終了後の所作をきちんとこなした後、
「――絶対に約束は守ってくださいね」
と、部長に伝えて防具と竹刀を返して武道場を後にする。
僕も何が起きたのかわからなくて何秒か立ちすくんだ後に、天音くんの姿を追いかけた。
「絶対に面で一本とってやろうと思ってた」
有言実行……いや、無言実行した天音くんの表情は爽快感のあるもので。
清涼飲料水のCMでも出来そうだ。
僕も何だかスカッとした気分。
終始、天音くんは冷静な様子で対応していたけど、内心では相当に怒りを滾らせていたのだろう。
天音くんは妹さんのことを大事にしていると想像できた。
「天音くんは剣道部、入らない?」
「いや、入部する。剣道場も立派で、掃除が行き届いてるってことは部活動自体はしっかりしてるってことだとわかったから」
天音くんが入部したら部長は面目ないだろう。
けど、そのしっかりした部活の部長を任せられるくらいだから、本来はそこまで嫌な奴でもないのかもしれない。
部長をおかしくさせてしまうくらい天音くんの妹が魅力的なのかも。
「じゃあ僕も仮入部届は剣道部で出そうかな」
自分が剣道を極めたいというよりは、天音くんのいろいろな剣道をもっと近くで見てみたいと思った。
「うん。改めて、これからよろしく」
天音くんの口角が上がり、僕の胸が跳ねる。
――天音くんって普段クールだから笑うと、破壊力えぐい。
棒つきアイスで当たった時みたいな喜び?
いや、宝くじが当選するくらいレアに思えた。
ちょうど体育館の辺りまで渡り廊下を進んできた頃、
「榊くんがバレー部入るなら、私、マネージャーやりたい!」
「私もー」
「先輩たち3年なんで、もう少しでバスケ部引退ですよね」
新入生の男子生徒に2人の女生徒が群がるようにくっついている。
たぶん新入生の”とびきりのイケメンが二人”って天音くんと、あの男子なんじゃないだろうか。
「でも、先輩たちがマネージャーやってくれるなら、俺もっとバレーはりきれそうです」
陽光に反射する色素の薄い髪にアイドルみたいな甘いルックスで長躯。
入学早々、3年生の美人女子たちを侍らせてるって何なんだろう。
綺麗どころの女子たちは頬を桃色に染めてはしゃいでるし……。
「――絶対に俺とは仲良くなれなさそうなタイプ……」
天音くんが小さく呟く。
確かに二人とも極上にかっこいいけどタイプは真逆だよな。
天音くんを硬派と呼ぶなら、彼は軟派。
天音くんがブラックだとしたら、彼は甘いラテタイプ。
――彼の名が榊流星くんだと知るのは、もう少し先の話。
【end】
20260111
「天音くん! 久保木道場の弓木天音くんだよね?」
――区立青柳中学校に入学して約1週間。
ぶかぶかの学ランを着るのに照れが消えつつある代わりに、慣れが出始めてきた頃。
つい最近、北関東から東京に引っ越してきたばかりだから、青中には知り合いが一人も居なくて不安だったけど、同じクラスを中心に友人も増えてきていた。
新1年生は部活動見学期間が始まり、仮入部届を担任の先生へと締切日までに提出しなければいけない。
僕は小4から習いごととしてやっていた剣道部か、絵を描くのが好きだから美術部にするかで悩んでいる。
引っ越したのと小学校卒業を機に剣道教室を辞めてしまったから、剣道部へと気持ちが傾いていた。
けれど、美術部の見学に行ったら、上級生が男女ともに穏やかそうな好印象な人たちばかりで雰囲気が良くて揺らいでしまっている。
だから今日は剣道部のほうへと見学に行く。
渡り廊下で見覚えのある顔を見つけて、思わず僕は声をかけていた。
「――そうだけど……」
彼の端整な顔立ちは本人の性格を現しているかのように凛々しく、中学校1年生になったばかりにしては大人びている。
去年の夏休みに道場対抗の全国大会があり、師範が向学のためと東京の会場へ見学に連れて行ってくれた。
その時に東京の久保木道場の弓木天音くんの試合を観戦した。
大会は団体戦の三人制。
久保木道場は準決勝で負けてしまっていたけど、天音くんだけは勝利をおさめていた。
軸がぶれず、足さばきが上手で、構えが正確かつ、打突が素早く美しい。
僕は大会に出場していた猛者揃いの選手の中で弓木天音くんが一番印象に残っていた。
「僕も剣道やっていて、去年の夏の大会で天音くんを見たことがあったんだ」
天音くんも同じ中学校だったのか!
女子が騒ぎまくっている、かっこよすぎる新入生の男子って天音くんのことかな。
どうやら、同学年の中にとびきりのイケメンが二人いるって噂で聞いているけれど、男には全く興味を持てなくて、あまり気にしてなかった。
「――そう。よろしく」
天音くんはクールな雰囲気で口数も少なそうだけど、武道に触れてきているだけあって礼儀はきちんとしていた。
しゃんと背筋が伸びて姿勢が良く、天音くんの恵まれたポテンシャルを最大限に活かしているように見える。
――同性から見ても、見惚れるほどかっこいい……。
すでに洗練されてるシティボーイって感じだ。
さすが東京。
「天音くん。剣道部に入部するの?」
「――そのつもり。道場は通いながら、部活でもやろうかと思ってる。青中めずらしく、公立でも剣道部と武道場があるから」
じゃあ僕も剣道部にしようかなと現金に気持ちが傾く。
渡り廊下を歩き、体育館を更に過ぎると、学校施設の中では校舎から一番離れている平屋の武道場がある。
天音くんと並んで武道場に向かっていた。
「おっ、久保木道場の弓木天音ってマジで青中に居るじゃん」
渡り廊下を歩いている途中で後ろから男の声がかかる。
天音くんと足を停止させて振り返ると、ジャージ姿の3人の男の先輩が居た。
上履きの色から3年だとわかる。
「久保木道場の師範が外部コーチとして、たまにだけど部活を見にきてくれてるの。天音くんは小学生の時から活躍していて一級受有してるんでしょ」
「俺たち部員は中学から剣道始めてるから、経験者の天音くんが入部してくれるの楽しみにしてたんだよね。あ、僕は天音くんと同じ小学校だったよ」
天音くんって一級の審査合格してるんだ。
さすがというか、納得というか……。
次の初段は満13歳以上が条件だから、まだ天音くんに受審する資格はない。
3人の3年生のうち真ん中の一番ガタイのいいリーダー格の先輩は一番最初に話しかけた後は何も話さずに、じっと天音くんを観察していた。
「――なあ、弓木くん」
リーダー格の先輩は口を開く。
「あ、こっちが青中の今の部長ね」
隣の先輩が補足した。
リーダー格だと思ったら、やっぱり部長だったんだ。
よくよく見るとあとの2人は友だちというより部長の取り巻きに見えると言えば見える。
「弓木くんってさ、妹いるでしょ?」
部長に声をかけられると、さっきから先輩に対しても平然と接していた天音くんの表情が僅かに歪んだ。
「レベチでかわいいじゃん。俺に紹介してよ」
部長はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、弓木くんの反応を確認するように見つめていた。
「――昨日、駅前で偶然見たんだよね。かわいいし、スタイル良すぎて目立ってたから。俺と同じ年くらいかと思ったら、青中に入学した弓木くんの小学生の妹だって、こいつに教えてもらってさ」
部長は隣の3年生を指さしながら言葉を続けた。
さっき天音くんと小学校が同じだったと伝えていた上級生のほうだ。
「――紹介って、明紗はまだ小5ですよ」
さっき僕と話していた声よりも天音くんは低音で返す。
天音くんの妹って”あさ”なんだ。
天音くんの妹だから、さぞかわいい子なんだろうとは予測がつくけど、まだ小5って……。
部長は中3なのに犯罪じゃないのか?
いや、犯罪になるのは大人が未成年に手を出した時だけか?
「あれだけ綺麗で大人びてれば、小5に見えないからいいだろ。それにあの子だったら、もう男を知っていても不思議じゃないし。ああ、でも俺がいろいろ教えてあげたいかも」
聞いている僕のほうが、”下衆”だと不快感が先にきた。
僕にも4つ年上の姉がいて、僕がいうのも何だけど男受けする可愛らしいタイプで、
『姉ちゃん。ガチかわいいじゃん。家、遊び行っていい?』
『彼氏とやってるところとか遭遇したことある?』
などと、友だちにいろいろ言われるのは余り良い気分がしなかった。
家族にそういう性的な目線を向けられるのって、何となく知らずにいたいというか、弟目線で真っ向から向き合いたくないというか……。
高校生の姉相手でも不快に思ったのに、小5の妹だったら、なおさら天音くんは心穏やかじゃいられないだろう。
「――断ります」
「そう固いこと言うなって。悪いようにはしないからさ」
「こういうのよく言われるんですけど、全て断っていますので」
「弓木くんさ。中学に入学したんだから、上下関係ってやつを学んだほうがいいんじゃない?」
部長は先輩の立場を利用した圧力を天音くんにかけた。
理不尽だと思うけど、逆らったらどうなるかわからない男の狭い縦社会の恐怖。
僕はハラハラしながら、部長と天音くんの様子を見守っていた。
「――いいですよ」
先輩相手でも毅然とした態度を崩さない天音くんの意外な返答に僕は驚いた。
やっぱり天音くんでも上級生には屈するのか……そう思っていたけれど。
「――俺に剣道で勝てたら、の話ですけど」
天音くんは部長を見据えて言い放った。
「いいぜ。しょせん弓木くんは経験者とはいえ小学生レベルだろ」
受けて立った部長は自信がありそうだった。
部長を務めているだけあって、ハリボテの実力ではないのだろう。
「――一本勝負で構いませんよね」
「おー。オッケーオッケー」
剣道場では天音くんと部長が帯刀して、向かい合っている。
剣道着にまでは着替えず、二人ともジャージに武具を身に着けていた。
天音くんは武具一式や竹刀を借りている。
平屋の武道場は建物自体は古いけれど、中に入ると掃除が行き届いているのか清潔感があった。
剣道場の床はワックスがかけられたばかりのように水面のように光を反射している。
「先生来たらヤバくない」
「部長に勝負挑むって、あの新入生は何者なの?」
「めちゃくちゃイケメンな子だったよね」
剣道部の部員が男女ともに集まってきて、これから始まろうとしている部長と天音くんの非公式勝負の様子を壁に沿って、ざわつきながら見つめている。
部員自体は10名にも満たなそうだ。
「――俺が勝ったら約束通り、明紗のことは諦めてください」
「もちろん。その代わり俺が勝てば、あの子に何をしようと”お兄ちゃん”は引っ込んでろよ」
向かい合い、互いに立ち礼をして、三歩前へ出て、蹲踞の姿勢をとる。
剣道場が静まり返った。
審判役をしている3年生男子の「始め」の声がかかる。
――勝負はあっという間に決まってしまった。
「――天音くん!」
僕は渡り廊下を進んでいく天音くんの背中に声をかけた。
「まさか、あんな瞬く間に面で一本とるとは思ってなかったよ」
勝者は天音くんだった。
まさに電光石火の鮮やかな面打ちが決まる。
一瞬で負けた部長は試合後の所作さえ忘れるほど、茫然としていた。
天音くんは終了後の所作をきちんとこなした後、
「――絶対に約束は守ってくださいね」
と、部長に伝えて防具と竹刀を返して武道場を後にする。
僕も何が起きたのかわからなくて何秒か立ちすくんだ後に、天音くんの姿を追いかけた。
「絶対に面で一本とってやろうと思ってた」
有言実行……いや、無言実行した天音くんの表情は爽快感のあるもので。
清涼飲料水のCMでも出来そうだ。
僕も何だかスカッとした気分。
終始、天音くんは冷静な様子で対応していたけど、内心では相当に怒りを滾らせていたのだろう。
天音くんは妹さんのことを大事にしていると想像できた。
「天音くんは剣道部、入らない?」
「いや、入部する。剣道場も立派で、掃除が行き届いてるってことは部活動自体はしっかりしてるってことだとわかったから」
天音くんが入部したら部長は面目ないだろう。
けど、そのしっかりした部活の部長を任せられるくらいだから、本来はそこまで嫌な奴でもないのかもしれない。
部長をおかしくさせてしまうくらい天音くんの妹が魅力的なのかも。
「じゃあ僕も仮入部届は剣道部で出そうかな」
自分が剣道を極めたいというよりは、天音くんのいろいろな剣道をもっと近くで見てみたいと思った。
「うん。改めて、これからよろしく」
天音くんの口角が上がり、僕の胸が跳ねる。
――天音くんって普段クールだから笑うと、破壊力えぐい。
棒つきアイスで当たった時みたいな喜び?
いや、宝くじが当選するくらいレアに思えた。
ちょうど体育館の辺りまで渡り廊下を進んできた頃、
「榊くんがバレー部入るなら、私、マネージャーやりたい!」
「私もー」
「先輩たち3年なんで、もう少しでバスケ部引退ですよね」
新入生の男子生徒に2人の女生徒が群がるようにくっついている。
たぶん新入生の”とびきりのイケメンが二人”って天音くんと、あの男子なんじゃないだろうか。
「でも、先輩たちがマネージャーやってくれるなら、俺もっとバレーはりきれそうです」
陽光に反射する色素の薄い髪にアイドルみたいな甘いルックスで長躯。
入学早々、3年生の美人女子たちを侍らせてるって何なんだろう。
綺麗どころの女子たちは頬を桃色に染めてはしゃいでるし……。
「――絶対に俺とは仲良くなれなさそうなタイプ……」
天音くんが小さく呟く。
確かに二人とも極上にかっこいいけどタイプは真逆だよな。
天音くんを硬派と呼ぶなら、彼は軟派。
天音くんがブラックだとしたら、彼は甘いラテタイプ。
――彼の名が榊流星くんだと知るのは、もう少し先の話。
【end】
20260111



