(――誰?)
 現れたのはとてもかわいい子だった。少しスカートを折って短くしているし、髪型もばっちり決まった一軍女子というかんじの子。制服が違うため、すぐに他校の生徒だということは分かった。
「夜野くん知り合い? ……夜野くん?」
 夜野くんは俺に伸ばしていた手を下ろし、少しだけ首を下に傾けていた。
「やっぱり、夜野くんだよね。久しぶり、覚えてる? ほら、小学校一緒だった、明石柚子」
「……覚えてねえ」
「いや、その反応覚えてるわよね」
 その女子高校生はグイグイと彼に距離を詰め、あっという間に夜野くんの前まで来てしまった。
 夜野くんは終始嫌そうに視線を合わそうとせず、不機嫌というよりも、身体を震わせていた気がした。
 何かある、と直感的に感じたもののどういう関係かイマイチわからず踏み込もうにも踏み込めない。
 そもそも彼に、女子の知り合いがいたなんて言うのが意外だった。夜野くんはいつも女子のことを鬱陶しがっていたし、俺を女子に絡まれないための虫よけにしていたほどだったから。
(あ、お似合いかも……)
 並んでいる感じは美男美女だ。そんなことを思い始めたら、胸の奥がズキンと痛む。
 先ほどまであれだけさんざん夜野くんの口から『恋人』と言ってもらえていたのに、これしきの事で揺らいでしまうなんて俺もまだまだだ。
(こんなとこで一歩引いちゃダメだろ)
 お似合いとか、まず関係もよくわからないのにそういう目で見るのはダメだ。
 俺は俺が思っている以上に夜野くんの恋人に固執しているのだと知った。彼にすり込まれ続けてきたからか、それとも俺が責任をとって恋人になると決めたからか。それとも、あの日キスをしてしまったからか。
 これという明確な理由はなかったが、とにかく今は女子に絡まれていやがっている夜野くんを助けなければと思った。彼の目が助けてと言っているから。
(あの日もそうだったじゃん)
 「あの」というために口を開けば、それよりも先に女子が俺の存在に気づく。
「あ、もしかして、今の夜野くんの友だち?」
「え、あ、えっと」
「私、夜野くんと小学校でずっと同じクラスだったの。中学高校は違うんだけど、住んでいた地域は近かったし。けど、ここで会えるなんて運命みたい」
 恋人です、と言いたかったのにいう暇さえ与えられなかった。
 その子は、聞いてもいないのにぺらぺらとしゃべり、知り合いですとアピールしている。当の本人はずっと黙ったままだった。
「夜野くん、やっぱり今の高校でもモテてる感じなの?」
 ねえってば、とその子は期待のまなざしを向ける。俺が夜野くんの友だちだと思っているのかグイグイきて少し怖い。
 俺のクラスにも彼女のような女子はいるが、初対面でここまで距離を詰めてこれるのかと驚きのほうが大きかった。
「ああ、ごめんごめん。久しぶりに同級生と再会できたからいろいろしゃべっちゃって。私、いつもこうなんだ」
「は、はあ」
「でも、盛り上がる気持ちも分かるでしょ? だって、小学生ぶりの再会だよ?」
 そう言われても、俺はまったくこの子のことを知らない。
 夜野くんのほうを見れば、先ほどよりも小刻みに震えており、立っているのもやっとに見えた。
 目の前の子はそんな夜野くんの変化にすら気付いていないようだった。小学生の頃の同級生で、いかにも夜野くんと仲が良かったように言う割には、彼のことを見ていない。まるで自分の思い出に浸っているようなそんな気が感じられ、"この子は夜野くんと仲が良かったわけじゃない"と感じてしまった。
(嫌がってるの、なんでわかんないかな)
 ふつふつとわいてきた黒い気持ちに必死に蓋をする。でも、この子に合せるのもなんか違うと思ってしまった。
「それにしても、なんで夜野くん黙ってるのよ。久しぶりすぎて、びっくりしてる感じ?」
 ポンと、彼女の小さな手が夜野くんに触れそうだったので、俺は彼の腕を引っ張って後ろに下げさせた。彼女の手は宙を切り「ん?」というような感じでこちらを見る。
「あの、今俺が夜野くんの恋人なんで。二人の時間邪魔しないでもらっていいですか」
「え、恋人って、男……」
「夜野くん行こ」
 彼女は信じられないものを見たというような目を俺たちに向けてきた。先ほどまで、夜野くんにあれだけデレデレだったのに、俺が恋人ですといった瞬間目の色を変えたのだ。そう思う人が世の中に入るということは知っていたが、少しだけ胸がつらかった。
 けど、ちゃんと夜野くんの恋人だと主張できたのはすっきりした。
 さっき、彼に「俺たちは恋人だろ……そう思ってんの俺だけ?」と不安げに言わせてしまったのがすごく申し訳なかったから。
(俺、ちゃんと夜野くんのこと恋人だとは思ってるよ。君がそんなに真剣に俺のこと考えてるなんて知らなかっただけで)
 夜野くんの手を引いて、なるべく彼女から離れようと俺の家の方向へ走り出した。

◇◇◇

 はあ、はあ……と、俺と夜野くんの乱れた息が誰もいない静かな公園にこだまする。
(さっきのコンビニに自転車置いてきちゃったな)
 つないでいた手をゆっくりと離し、自分の手のひらがべたべたになっていることに気づいてから彼のほうを見る。
 つい俺の家の方角に走ってしまったが、家に姉ちゃんと莉桜がいるかもしれないと思って引き返し、近くにあった公園に逃げ込んだ。家に帰ったらどうせ弄られるし、それこそ夜野くんに嫌な思いをさせるかもしれない。
(ついてきてない、か)
 さっきの彼女が追いかけてくる様子はなく、ホッと胸をなでおろす。
「夜野くん、ごめん。いきなり手引っ張って」
「別に……つか、ありがと。朝比奈」
「え? どういたしまして」
 彼の口から出てきたのはそんな感謝の言葉。感謝されるようなことをした覚えはなかったが、その言葉をありがたく受け取って夜野くんのほうを見る。
 彼はかなり落ち着いたのか、息を切らしていたものの先ほどより柔らかな表情になっていた。
「……理由、なんも聞かないんだな」
「聞いちゃいけないかと思って……聞いてもいいの?」
「そりゃ、恋人だし」
「何かと恋人ってつけたがるんだね。うん、じゃあ、恋人だから聞くね」
 そう口にすれば、何故か驚いたように俺の顔を二度見する。
「朝比奈がそういうの珍しい」
「俺だって言うよ。君がよく言ってくれるから……もっと、恋人の自覚持とうかなって」
「おせぇけど、嬉しい」
 夜野くんはすごく嬉しそうに笑っていた。俺が強引に引っ張ったから、その顔は汗がにじんでいて光っていたが、とても嬉しそうだ。
(夜野くんの元カノとか……? いやいや、でも小学生ぶりの再会と言ってたから違うかも)
 聞きたいけど、聞いてもいいのかとぐるぐると頭を回っていく。
 何せ俺も、夜野くんを好きだと自覚したばかりで彼のことが気になって仕方がない。でも同時に、いろいろと聞いて傷つく可能性もあった。
 俺が悶々と悩んでいると、夜野くんは風でかすかに揺れるブランコのほうへと歩いていく。そんな背中を見ながら、すぐに追いかければ、彼はブランコに座って漕ぎ始めた。
「夜野くん」
「俺が女子嫌いなのは知ってると思うけど。まあ、その原因があいつなんだよ」
「さっきの子?」
 俺も彼の隣のブランコに座って聞く。じゃらんと鎖が揺れ、掌に鉄の冷たさが伝わってくる。
 夜野くんは立ちこぎをはじめ「そう」という。あくまでこっちを見て喋ってくれないんだというのが伝わってきた。
(ずっと夜野くんは女子に囲まれてるとき嫌そうな顔をしてたもんね)
 夕田のような男子に絡まれたときはそこまでそんな顔をしないのだが、他の女子にはまるで恐怖するようなこわばった表情をしていたのだ。
 もちろん、注目されるのも苦手なことも知っている。
「原因ってか、俺が勝手に傷ついて。女子のこと怖くなって……注目されるっていうのが嫌になった」
「夜野くんが怖がってるの俺、知ってるよ」
「だって朝比奈、人のことよく見るもんな。それでいち早く気付いて声をかけてくれる。俺は、お前のそういうところが好き」
「す、好きって」
 夜野くんの話を聞くはずだったのに、何故か褒められてしまい、どんな顔をすればいいか分からなくなる。
「……小学生のとき、あいつに『放課後校舎裏に来てほしい』って言われたんだよ」
「それって告白?」
「多分な。あの時の俺は無知で、下校時間ぎりぎりまで待ったけどあいつは来なかった。あと、雨も降ってきたしなんだか騙された気分になったんだよ」
 夜野くんの声色が暗くなる。
(だから、嘘が嫌い、とか?)
 夜野くんが口酸っぱく言う「嘘が嫌い」というのは、あの子に嘘をつかれたことからきているのだろうか。
「それで、雨にふられたせいで二日くらい学校休んで、久しぶりに登校したとき腹立ってあいつに問い詰めた。校舎裏に呼び出しておいて何であの時来なかったんだって。ちょうど中休みで、あいつの友だちも周りにたくさんいる状況で……俺もデリカシーなかったなって、今になって思う。けど――」
 夜野くんは一旦ブランコを止め、さらに険しい顔になった。ギュッとブランコの鎖を強く握り視線を下に落とす。

『明石ちゃん、何であの日来なかったんだよ。俺、ずっと待ってたのに』
『夜野くん?』
『俺、雨にも降られたし、風邪ひいたし。約束守ってちゃんといたのに嘘ついたのかよ』
『……う、ひぐっ、うわああああんっ』
『はあ……?』
『夜野くんが、柚子ちゃん泣かせた』
『夜野くんサイテー』
『何だよ、夜野。柚子ちゃん泣かせたのかよ』
『なんかよくわかんねーけど、お前が謝れよ。夜野』
『……なんで、何で俺が』

「――俺が問い詰めたらあいつ、泣いたんだよ。そりゃ、俺に十分非があったし、悪かったって思ってる。でも、あいつが泣いたから俺は一瞬にして悪者になった。事情を知らない外野も、あいつを庇う女子たちも、一方的に俺が悪いって指をさした。俺も頭が真っ白になった」
 俺が悪いんだ――と、夜野くんは吐き捨てるように言う。
 ブランコがキシィと音を立てる。
「結局後日、日尾からあいつが泣いた理由は皆の前で俺に問い詰められたから。それで、あいつは俺に案の定告白しようとしてたらしくて。でも、直前になって怖くてその場を逃げたんだってさ。だからって、あの場で泣かれたら俺が悪いんだってなるだろ」
「それは……」
 確かに理不尽だ。
 いくら小学生とはいえ、約束の場所でずっと待っていた夜野くんのことをほったらかして、その後何も理由を言わないで。待たされた彼のこととか、結局何が言いたかったのとかそれも全部なかったことにして。
 一言くらいごめんと言えばそれで済んだ話なのかもしれない。
「それから周りに、ありもしない噂を流された。俺があいつにストーカーしていたのだとか、フッた腹いせに暴力振るおうとしたとか。信じるのもばかばかしいことばっかり言われて孤立していった。唯一、親戚だった日尾は味方してくれたが、六年生までずっとそんな感じ。中学はあいつと地域が違ったから同じじゃなかったけど……俺はそれ以降怖くて、人のこと信じられなくなった」
 周りの目が怖い――そう夜野くんは言って、大きな手を震わせていた。
 日尾くんとだけ仲がいいのはやはりそういう理由だったのかと納得する。彼にとって唯一支えになってくれた存在だが、夜野くんの心を癒すまでには至らなかったと。それほどまでに、彼が心に負った傷は大きい。
「ま、所詮は子どもの頃の話。それを引きずってる俺はだせぇけど。どこ行っても俺の容姿にしか目のない女子に囲われるのも、変に注目されるのもずっと苦手なまま。俺をちゃんと知ろうとしてくれるやつはこれまでいなかったんだよ」
 そして、夜野くんはあの子から謝罪がもらえなかったことも教えてくれた。
(なのに、全部忘れて夜野くんにあんなふうにはなしかけたなんて……) 
 さすがにデリカシーがないと思う。でもやったほうは忘れるというのはよくある話だ。
(けど、夜野くんはそれがずっとトラウマで、今日まで苦しんできたんだよね)
 夜野くんの話を聞き、俺はブランコに座りながら、ずっとぶらーんと宙に浮いていた足を地面につけた。
 彼が何故注目されるのが嫌なのか、女子が嫌いなのかがよくわかった。
 夜野くんの言うように子どもの頃のことと言ってしまえばそれまでだ。告白が怖くなってあの子は逃げた。そして、風邪が治った夜野くんに問い詰められてまた大勢の前で泣いてしまった。そのせいで、夜野くんが悪者と誤解されてしまったというのだ。
 夜野くんとあの子の事情はよくわかる。でも、それを周りが曲解して夜野くんを悪者にしたのがいけないと思った。集団で責められるほど恐ろしいものはない。その頃の夜野くんも小さかっただろうし、糾弾されて怖かっただろう。誰も信じてくれないし、ときに「容姿がいいから」という嫉妬も交えて叩きだす。
「夜野くん、苦しかったよね……すごく寂しかったんだよね」
「どーだろうな。それがきっかけって言うのもあれだけど、案外一人のほうが楽っていうのも気付いた。お気楽でいい」
「そんなことないよ。だって、夜野くんは俺と一緒にいるとき楽しそうだもん」
「朝比奈?」
 彼がこちらを見たときハッとした。俺はなんてうぬぼれたことを言ってしまったのだろうかと。
 訂正しようかと考えたが、彼が嘘を嫌っていることを知っていたため言い直す気にもなれなかった。そんなの不誠実だから。
「……夜野くんは本当は皆と仲良くしたいんじゃないかって、そんな顔してる。でも、また同じ目にあうのが怖くて、一人でいようってそんな顔をしてるのもなんとなくわかる」
「やっぱり、よく見てんな」
「クラスメイトだもん。よ、よくプリントとか渡すときに舌打ちされたけど。それでも、君もクラスの一員だし」
「……なんか、初めはすげえ笑顔で話しかけてくんじゃんってびっくりして」
「け、警戒心あったんだ。ごめん」
「でも、お前のその笑顔が周りに気をつかってのものって……目で追ううちになんとなくわかるようになった」
 立漕ぎをやめてブランコに座った夜野くんは俺の顔を覗き見る。先ほどの寂しそうな表情ではなく一気に優しい表情に戻ったので、キュンとしてしまう。
 重要な話を聞いて、夜野くんがどれだけ苦労してきたか聞いているのに何をときめいているのだろうと、自分を叩きたくなった。
 でも、それほどまでに彼の優しい表情は俺の心を射止めて放さない。
「夜野くんも、俺のことよく見てるじゃん」
「だって気になってたから」
「それって、その……ずっと?」
「ずっと、な?」
 そう冗談か本当か分からない表情で、くつくつと喉を鳴らす。
「責任取るって言いだしたときもちょっと怖かったけど。そんなこと言うやつ初めてであったし」
「あ、あれは。本当に君が嫌そうにしてたから。とにかく謝ろうと思って。でも、多分、ファーストキスを奪ってごめんなさいっていうのもなんかおかしくて」
「だから責任? もっとおかしいだろ」
「笑わないでよ。あのときはそれが一番だと思ったの」
「俺のファーストキス奪ったので責任取りますって? 何それ、プロポーズじゃん」
 ギコギコとブランコをこいで笑う夜野くんの顔からは、すっかりと苦しみの感情が抜けていた気がした。
 夕日に照らされる彼の顔は半分くらい陰で黒くなっていたが、笑っている顔はよくわかる。
(その顔、好きだな)
 出会った当初はいつも不機嫌そうに眉間にしわを寄せていたけど、今の夜野くんは俺の前だけよく笑ってくれる。
「さっきも、すげえ嬉しかった。手ぇ引いてくれて、助けてくれて……情けないとこ見せて悪かったな、朝比奈。ありがと」
「いいよ。だって、俺、あの時も夜野くんの恋人だから助けなきゃ!! って思ったから。その、恋人としての責務というか、役割というか……果たさなきゃって必死になって」
 俺にできることが何かって考えたとき、彼の苦しそうな顔を見て反射的に身体が動いてしまったのだ。恋人なのに、苦しそうな彼を助けないでどうすると。それは、彼に責任をとるといったときと同じような感覚だった。直感的に、反射的に動いてしまう。それは空気を読む読まない以前の問題だ。
 俺がそうしたいからした。夜野くんが大切だから。
(てか、ありがとって初めていわれたかも)
 これまで俺は無償の労働をしてきた。もちろん、俺がやりたくてやっただけで、読みたくて読んだ空気の結果がそうだった。でも、誰も俺が何かをやってくれるのが当たり前みたいな空気になっていたし、それこそお礼を言ってくれる人はいなかった。
 だから、夜野くんから『ありがとう』と言われて心がほんのちょっと温かくなった気がした。
「朝比奈って変だな」
「へ、変って、悪口?」
「違う違う。朝比奈みたいないい変なやつって、そこら辺探してもきっと見つからないだろうなって」
「それ褒めてるのか、けなしてるのかよくわかんないよ」
 夜野くんなりの誉め言葉なのだろうが、素直に喜んでいいのかわからなかった。
 俺はギコギコとブランコを小刻みに揺らしながら地面を見つめる。昨日雨が降ったからか少し湿っているような気もした。
「そういや、朝比奈もあれがファーストキスだった?」
「あれって?」
「事故チュー」
「……うっ、そうだけど」
「俺も初めて」
「そ、そうだよね!! よかった!! あ、よくない!!」
「どっちだよ」
 呆れたような顔も、ちょっと嬉しそうに見えたりする。
「恋人ができたのも、初めてなんだよね」
「そ、朝比奈が全部初めて」
「俺が全部初めて……」
 俺たちは恋人初心者というわけだ。
 その中で、寝落ち電話が嬉しいとか、手をつなぐとドキドキするとか、コスプレしてかわいいって言ってもらえるのが恥ずかしくも嬉しいとか、いろいろ知っていった。
 そうしていくうちに、ちゃんと恋人になっていっている気がする。
「俺が夜野くんの初めての恋人でいいのかな……あと、ファーストキスの相手で」
「今更そこ考えるのかよ」
「だって、夜野くんには未来ありそうだし」
「何だそれ。あと、俺、普通に嫌だったら、最初から責任取ってもらおうなんて思ってないし」
「夜野くんのことがちょっとわかんないよ。俺のどこがいいの」
「知れば知るほど全部」
 ブランコを止めて夜野くんがこっちを見る。前にも見た渦巻く黒い瞳に俺は吸い寄せられる。欲望を孕んだ目、熱っぽい目。
 俺のどこがいいんだろうか。全部なんて漠然としすぎてる。
「全部なんて」
「じゃあ、順にいう?」
「恥ずかしいよ」
「どっちだよ。てか、寝落ち電話でもお前の好きなとこ言った。まあ、言い足りなかったけど」
 片手でブランコの鎖をつかみながらもう片方の手を俺に伸ばしてくる。彼の手が近づいてくると、強く鎖を握っていたのかツンと鉄の匂いがした。そんな彼の手が、指先が前髪をかすり、それから耳に降りていく。
「優しいところがまず好き、変なところで男気あって、嘘つかなくて誠実で、人のこと考えられて」
「そんなに、いいの?」
 俺にとっては普通のこと。アイデンティティにもならないような普通のことだ。
「言っとくけど、朝比奈のそれは普通じゃないからな」
「普通じゃない?」
「普通じゃない。でも、俺にだけ優しくしてほしい。恋人の俺をもっと特別扱いしてほしい」
「そ、そんな」
「平等に優しい朝比奈も嫌いじゃないけど。恋人でいるうちに欲って膨らんでくるもんなんだな。今はそれがちょっと嫌」
 大学見学の時――と、夜野くんは小さく言ってまた俺のほうを見る。
(俺の中の普通を、そんなふうに言ってくれるのは夜野くんだけだよ)
 実は少し自分に自信がなかったりした。夜野くんっていうハイスペックな恋人を持ってから、よりいっそ自分の中の自己肯定感やアイデンティティが見いだせずにいた。
 でも彼が、俺の不通を肯定してくれたことで、ちょっとだけ自信がついたし、そんな俺が少し好きになった。
 やっぱり、周りに合せすぎていたなとも同時に思う。
 気づかせてくれてありがとうって言いたい。
「てか、ファーストキスがやだったんなら、もう一回すればいい。セカンドキスってやつ」
「嫌って言ってないよ、夜野くんが嫌だったかなと思って」
「嫌じゃない。それ、証明する」
「夜野く――っ」
 ブランコから飛び降りた彼はその勢いのまま俺の唇にぶつかってきた。
 彼の唇は少しカサついていたが強く押し付けられれば、ふにっとした柔らかさを感じる。
「ほらできた」
「……っ、やの、やのく」
「そういや、コンビニに自転車置き忘れたんだったな。取りに行こうぜ、朝比奈。それで、今日はお前の家まで送る」
 夜野くんはそう言って公園の入り口まで歩いて行ってしまう。さっきまで震えていた人とは別人のようだ。
(キス……二回目の、キス)
 俺は彼が触れたところに指をあてる。少し湿っていて、まだそこに夜野くんの存在が残っているようだった。