十月三十一日、ハロウィン。
「千桜」
「お兄ちゃん」
「……ぅん?」
 いつもより早く叩き起こされ、寝ぼけ眼を擦って体を起こせば、何故か俺の部屋に姉の美桜(みお)と、妹の莉桜(りお)がいた。見間違いかと思って二度寝しようとすれば容赦なく布団を引っぺがされて、枕を奪われその枕で体中を叩きつけられるという始末。
「ちょ、ちょ、ちょ、朝から何!?」
 俺がようやくリアクションを示したのを確認し、二人はふんすとは腰に手を当て俺を見下ろす。
「今日、十月三十一日」
「……ハロウィンです。はい」
「お兄ちゃんの学校って、ハロウィン限定でコスプレしていってもいい日なんだよね」
「コスプレ登校はダメだけど、一応学内の空き教室に更衣室設けてあって……それ、二人に関係ある?」
 どうやら二人は俺の学校の伝統……とまではいかないがちょっとした行事であるハロウィンについて何やら聞きたい様子。
 俺はコスプレや仮装に興味がないので、朝から理不尽にたたき起こされて機嫌が悪かった。だが、この二人を前にしてはベッドを下りて床で正座するしかない。
 姉は俺の学校出身で、今は服飾デザイナーを目指して専門学校へ通っている。コスプレも趣味でよく妹とあわせをしているのを、嫌でも流れてくるSNSで見ている。妹も姉の影響でコスプレにハマっており、よく姉と衣装の話をしているのを見かける。
「ありまくりよ」
「いや、ないでしょ。俺、仮装とかコスプレしないし」
「でも、お兄ちゃん。恋人いるんでしょ? コスプレイチャイチャしないの?」
「莉桜はどこからそんな知識を……しないよ」
 俺が答えると、はあ……と大きなため息が返ってくる。
 去年もハロウィンを経験したが、先生がお化けのついたカチューシャをしているぐらいだし、本気でコスプレしている人もいたが大半が普段通りだった。いつもと違う点と言えば、授業で飴を貰えるくらいで、さほど興味がない。
「とにかく、千桜なんかしなさいよ」
「しないよ。姉ちゃんや、莉桜に関係ないし……」
「いーや、こういうときこそ、いつもと違うお兄ちゃんを見せて、恋人さんの心を、こう、ぐわしっと!!」
 莉桜はそう言いながら枕を脇に挟んで、ボスボスボスと殴っていた。
(そもそも、夜野くんそういうの興味ないでしょ)
 行事ごととかもツンとしているし、文化祭中はやる気のない接客に、終わりの打ち上げだって疲れたといく様子もなかった。
 第一に、仮装をして目立つとか絶対に嫌だ。
「はあ、莉桜。千桜は全然ダメだわ。諦めましょ」
「ええ、お姉ちゃんいいの?」
 姉の美桜は、珍しく引き下がる様子を見せ、それに莉桜がぶーぶーと口を尖らせる。
 俺も早く出て行ってくれないかなあ、と見ていると「隙あり!」と俺のリュックに何かは分からないが突っ込んだ。
「な、何入れたの!?」
「千桜。それ、ちゃんと学校に持ってくのよ。ほら、莉桜、退散」
「退散!!」
 ドタバタと俺の部屋を出ていき、ようやく部屋に静寂が戻ってくる――が、そのタイミングでスマホのアラームが鳴り、二度寝は叶うことなく、二人が散らかしていった毛布と枕を回収しベッドに乗せる。
「てか、姉ちゃん何入れたの……えぇ」
 二人は返ってくる様子がなかったので、とりあえずリュックに何を入れられたか確認しようと思った。
 だが、リュックに入っていたものを確認し、俺は頬を引きつらせる。そこに入っていたのはなんと、黒い猫耳カチューシャだった。
(いや、誰が着けるの)
 しばらく呆然と猫耳カチューシャと睨み合っていたが、バカバカしくなり、一旦は顔を洗いに行くためリュックを隅へと避けた。

◇◇◇

 おはよーと、挨拶が飛び交う教室は、いつも通り賑やかだった。
 ただ一点違うのは、意外と仮装をしている人が多かったことだ。仮装といっても、それこそカチューシャをつけるとか、百均で買ったようなマントや帽子をつけているとかそういうもので、中には着ただけコスプレの人もいたが、去年よりも盛り上がっている感じはした。
 女子は教室の至る所で写真をパシャパシャと撮っている。
「おっす、朝比奈。ハッピーハロウィン」
「おはよう。夕田もそういうの好きだね」
「そりゃ、いつもと違う女子が見えるかな」
「下心隠しなよ」
 夕田は、頭に包帯を巻いており「マミー」と手を前に出し、お化けのポーズをしてきた。相変わらず、調子のいいやつだなと思いながら自分の席にリュックを置く。
「そういう、朝比奈はなんかしねーの?」
「しないよ。ハロウィンって言っても通常授業だし」
「こういうのは楽しんだもの勝ちだぞ? まだ、包帯余ってるから朝比奈も巻いてやるって」
「いや、いいよ……あーもー」
 夕田はポケットから包帯を取り出し、俺の腕にぐるぐると巻き付けてくる。皆がはしゃいでいるからいいかと思ったが、包帯を巻いてマミーの仮装ですなんて、どれくらいの人が分かるのだろうか。
 夕田の悪乗りに抵抗していると「おはよ」と肩をポンと夜野くんが叩いた。
「あ、夜野くん。おはよう」
「……で、何してんだよ」
「えーと、ハッピーハロウィン」
 何をしているかと聞かれても困る。
 夜野くんはいつも通り制服を着ており、仮装や体のどこかにシールなどを貼っている感じもなかった。
(夜野くんらしいけど)
 これで、何か仮装をしてきたらひっくり返っていたかもしれない。
 夜野くんは自分の席に着き、頬杖をつきながら俺のほうを見てきた。助けてくれるのかと思ったらまさかの傍観で、ちょっと、と苦言を呈したくなる。
「つーか、夜野は仮装しねえの? 朝比奈とお揃いにしてやろっか?」
「それだと、お前と一緒になるだろ」
 はあ、と夜野くんはため息をついたかと思うと、自分のリュックを漁り紙パックのジュースを取り出す。そのジュースにはでかでかとトマトが印刷されている。
「はい、吸血鬼」
「きゅうけつき……」
「ぶっはー!! 夜野ボケられんの!? 雑コス過ぎんだろ」
 まさか、夜野くんがそんなことをしてくるとは思わず、唖然としていれば隣にいた夕田に刺さったようで腹を抱えて笑い出す。しかし、夜野くんは夕田に笑われたからと言って表情一つ変えなかった。
 夕田はずっと笑ったままで、手に握っていた包帯がコロコロと床に落ちてびよーんと伸びる。俺はそれを回収するために屈むと、夜野くんが開けっぱなしにしていた俺のリュックに手を突っ込んだ。
「朝比奈。何、これ」
「これって? ……ああああ!!」
 夜野くんが俺のリュックから取り出したのはあの猫耳カチューシャだった。
 朝顔を洗った後、すっかり忘れてそのまま持ってきてしまっていたのだ。結局あの二人の思うつぼになってしまったのではないかと、あたふたしていると、夜野くんが「ふーん」と意味深げに猫耳カチューシャを見つめる。
 今すぐにそれを返してほしい。だが、夕田もその猫耳カチューシャに気づいたようで「何だ、朝比奈。持ってきてんじゃん」と肘でつついてきた。
 そんなふうに言い訳ができずにいると「ん」と夜野くんが俺にカチューシャを差し出す。
「えーっと……」
「つけてよ、朝比奈。俺、朝比奈がこれつけてるとこ見たい」
「似合わないって!!」
 ぶんぶんと首を横に振るが、夕田が「そーだぞ、つけろー」とヤジを飛ばすので、つけなきゃいけない雰囲気になる。
 夜野くんは夕田のことが苦手だと思っていたが、こういう時は男子らしく乗っかるみたいだ。彼の顔を見れば無表情ながらも、期待のまなざしを俺に向けているのがよくわかる。
 俺はこういうのが断れないタイプだ。
「もう、つければいいんでしょ!!」
 夜野くんから奪い取るような形でカチューシャを強奪し、朝のようにカチューシャと睨みあう。
(ここは、度胸。つけるのは一瞬!!)
 恥ずかしいと思うから恥ずかしいのだ。俺は、ええいままよ、とカチューシャを装着する。
 すると次の瞬間、パシャパシャとものすごいシャッター音が聞こえた。
「ちょ、夜野くん」
 夕田かと思えば、夜野くんが無言でカメラを向けて連射ボタンを押しているようだった。
 さすがの周りも、なり続けるシャッター音に驚いて俺たちのほうを見ている。
 恥ずかしさのあまり、カチューシャをとろうとすれば「そのまま」と夜野くんの眼に射抜かれ手が止まる。
「うん、すげえ似合ってる」
 スマホを下ろした夜野くんは、どこか満足げに笑い口角をくいっと上にあげていた。
(嬉しそうな顔しちゃってさ。何がいいのさ……)
 夜野くんがそんな顔をするなら、いいかな? と思ってしまうが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
 彼が目を離した隙にカチューシャをとろうと見計らったが、スマホを机の上に置いてぐんぐんと近づいてくる。
「前々から朝比奈って猫みたいだなって思ってたし、似合うって思ってた」
 夜野くんは耳元でこそりと呟いたが、何を思ったのかすぐに離れていってしまった。口元を覆い、ふいっと目を逸らしている彼の顔はほんのりと赤く染まってる。
(な、何その顔!?)
 今までに見たことのない照れ顔に、ぞくっとしてしまう。
 彼もそんな余裕のない顔ができるんだと衝撃的だった。
(え、俺の猫耳カチューシャで?)
 さすがにそんな……と思ったが、原因はそれしかない。俺まで恥かしくなってきて、カチューシャを手で押さえ、耳の部分をペションと折りたたむ。
「猫みたいって」
「いつもついてる寝癖が猫耳っぽい、あと髪の質感」
 夜野くんはそう言いながら俺の耳の上にかかっている髪の毛をくすぐる。それから、チョンと外へ跳ねている髪の毛を指ではじき、カチューシャを押さえている俺の手に触れる。
「あと、ちょっと爪が長いとこ」
「き、切るよ……」
「前も切ってたよな。でも、切っても下手で、ちょっとギザギザしてるとこ猫っぽい」
 夜野くんの指の腹が俺の手の甲をなぞる。ゆっくりとしたその動きに、翻弄され目が回る。
「なあ、朝比奈。にゃんって言って」
「な、何で……さすがに……う、俺がそんなこと言わなきゃいけないの」
 夕田だって見てるのに。
 夜野くんはすっかり俺しか見ていなくて、周りの雑音なんて耳に入っていないようだった。
 にゃん、と言えば本当に解放してくれるのだろか。
 俺は、今すぐにこの恥ずかしさから解放されたくて夜野くんのほうをちらりと見る。彼は言ってくれるまで解放しないぞ、と目で圧をかけてきた。
(意味わかんないよ。夜野くん)
 高校生男子の"にゃん"に需要なんてないだろう。でも、恋人のオーダーに答えたい気持ちもほんのちょっとだけあった。夜野くん限定ならいい気がしてきた。
「……にゃ、にゃん」
 恥を忍んで声を出す。声は震えていたし、まるで子猫のようだ。
 いうタイミングで目を瞑ってしまい、夜野くんの反応を見ることができない。だが、すぐにも咳払いするような声が降ってくる。
「んんっ」
「ど、どうしたの、夜野くん!?」
「いや、想像以上……クるなぁって」
「何が!?」
 夜野くんは俺から手を離し、口元を手で覆って視線を逸らした。
 その様子から何やら照れていることが分かったが、さすがに俺の「にゃん」でそんなわけ――
(そんなわけある!?)
 夜野くんをじっと見れいれば、なんだかそんな気がしてきたのだが自意識過剰だろうか。いや、やっぱり高校二年生の猫耳カチューシャで"にゃん"ってきついにもほどがある。
 夜野くんを観察していたが今の彼は隙だらけなことに気が付き、カチューシャをとってそのまま彼の頭にずぼっと被せた。
 夕田はそれを見てまた爆笑する。猫耳カチューシャは黒色で、夜野くんの髪色のほうが実際に生えているように見える。
「おい、朝比奈ぁ?」
「夜野くんも似合ってるから!!」
「フォローになってねえし……」
「お、お返し。トリックオアトリート」
 それっぽく視線を向ければ、夜野くんは耳の部分を左手で触って、それからまたジトッとした目を俺に向けてくる。その目は鋭くて、目つきの悪い猫のようだ。
 やっぱり、怒ったよなあ……と、死を覚悟していると夜野くんの手がスッと俺の頬を撫で、耳の裏をくすぐった。
「にゃん」
「……っ!?」
「これで、おあいこ」
 夜野くんはそう言うとパッと手を離し、猫耳カチューシャを俺の机に置くと教室から出て行ってしまった。
 あの夜野くんが"にゃん"と言った。
 俺は、ふらっと後ろの机に手をつく。頭の中で、夜野くん猫耳カチューシャ着用姿がぐるぐると回り、あの低い声で"にゃん"、"にゃん"と言っている。我ながら気持ちの悪い妄想だったが、それほどまでに衝撃的すぎたのだ。
「朝比奈ーどーした?」
「や、何でもない」
 夕田はいつもの調子で話しかけてくる。
 俺は、夜野くんの一撃にやられたことを悟られないように首を横に振る。なんだか、鼻がツンと熱い。
(――は、破壊力がえぐすぎる!!)
 新しい扉を開いてしまったかもしれない。夜野くんはいつもかっこいいのに、あんなかわいい一面があるなんて。
 この間の「拗ねてんだよ」もなかなかだったが、実は夜野くんはかわいいんじゃないかと思う。
 彼の新たな一面を知っていくうちに、段々と沼にハマっていっている気がする。もう隙間がないくらい夜野くんでいっぱいだ。
(夜野くんは俺をどうしたいの……)
 これがギャップ萌えというやつだろうか。夜野くんを知るたび欲張りになって、もっと知りたくなる。その繰り返しだ。
 そんなことを考えていると、クラスの女子が一人一人にお菓子を配っている姿が見えた。もれなく俺も個包装のキャンディーがもらえ、それを開けて口にする。
(甘い……)
 けど、甘いのはこの関係のほうだ。だって恋人。
 俺はコロコロと飴を口の中で転がしながら、いつ夜野くんが戻ってくるのかなとそわそわしながら教室の後ろ扉を見つめていた。

◇◇◇

「夜野くん、自転車に乗っているときにつけるもの知ってる?」
「ヘルメット」
「……じゃあ、これは違うって」
 帰り道、今日も一列になって下校をする俺たち。いつもと違うのは夜野くんが俺の前を歩いているということ。
 俺は、駐輪場でまんまと夜野くんにまたカチューシャをつけられてしまい、そのまま自転車を押すことになってしまった。とることだってできたが、監視されていると思うとなかなか思うように動けないでいた。
「似合ってんだからいいだろ」
「そういう問題じゃないよ。絶対変な人に見られるって」
 通りすがる人が二度見する。反対車線から来た車のドライバーも速度を緩めてこっちを見る。こんなの完全に不審者だ。
 心を無にすれば何も感じないと、極力下を向いて自転車を押していく。そもそも、今どこへ向かっているのだろうか。
「それで今どこに向かってるの?」
「コンビニ。ハロウィンだからお菓子買う」
 夜野くんの言うコンビニは多分、俺たちがいつも分かれる場所だ。
 俺たちの家は案外近い距離にあったものの、そのコンビニで返る道が分かれる。一度俺の家に送ってもらったこともあったし、夜野くんの家まで自転車を走らせたことだってある。もうお互いの家は認識している関係だ。
「意外と、夜野くんって行事ごと好きだったりする?」
 文化祭や、これまでの行事を振り返ってみるが、彼が楽しんでいる姿や記憶は俺の中にはなかった。
「朝比奈と一緒だから」
「俺と?」
「恋人じゃん、俺たち」
「うん……いてっ」
 俺が下を向いていたこともあり、いきなり止まった夜野くんに気づかなかった。ドンと彼の自転車の後輪に突っ込んで口の中を緩く噛む。
 前を向けば、こちらを振り返っていた夜野くんと目が合う。
「普通、恋人とそういう行事すごせんの楽しいだろ」
「そうなのかな?」
 俺がそう言うと、夜野くんは少しだけむすっとしたような顔をして唇を尖らせた。
「なあ、朝比奈。俺たちは恋人だろ……そう思ってんの俺だけ?」
「え、と。俺も、恋人、だと思ってます」
「何で敬語なんだよ」
 夜野くんは、カンと自転車のスタンドを下げその場に止める。白線ギリギリ内側に入った自転車は夜野くんの方向に頭を向けていた。
「でも『期限付き』なんでしょ」
「それでも、恋人であることには変わりないだろ。朝比奈、『期限付き』っていうの盾にして、俺から逃げるのやめろよ」
「逃げてないよ」
「責任――」
 まともに彼の顔が見えない。最近ずっとドキドキしっぱなしで、どうにか彼から逃げる方法を考えてしまっていた。
 こんな気持ち初めてだったから。
 彼が近づいてくるので、思わず後退する。しかし、あっという間に距離を詰められてしまい、俺の自転車のカゴをグッと掴んで引き留める。
「俺、もう朝比奈が他人に戻るとか考えられないところまで来てんだけど。この責任も取ってくれるんだよな?」
「それって……」
 コツン、と俺の額に自分の額をぶつけてくる。夜野くんのおでこはとても熱かった。
(それってつまり、そういうことで……)
 顔が沸騰してくる。
 彼の真剣なまなざしから逃げ出すためにぎゅっと目を瞑る。だが、五感のうち一つが遮られたことでさらに夜野くんの存在を近くに感じてしまってダメだった。
「……いつから」
「ん?」
「いつから、俺のこと、そんな」
 目を開けて、夜野くんを見る。彼の目は鋭くて、熱を孕んでいて、俺だけを見ている。
 いつから、そんな目で見ていたのだろうか。
 覚悟を決めて聞けば、彼は驚いたように目を丸くした。
 でも、すぐにフッと笑って「ちょっと前から」と意外な答えを出す。しかし、それ以上は何も言わずにカゴから手を離し、自分の自転車のほうへと戻っていく。ガコンとスタンドがあげられて「コンビニ行くぞ」と声をかける。俺はそこではじかれたように我に返る。
 すでに先を歩いて行ってしまった夜野くんを追いかけるべく、自転車を押す。秋の少し涼しい風がそよそよと吹き付ける。
 けれども、俺の頬の熱はまったく冷めてくれなかった。
(夜野くん、俺のこと好きすぎない? 何で?)
 俺はどこにでもいる普通の男子高校生だろう。
 もしやジンクスでそうなっている? と思ったが、出会った当初はかなりツンツンしていた気がする。それが今では、俺にだけ甘えたり、小さいいい声でデレたりするのだ。
 カラカラと回る自転車の車輪。うっすら黒いアスファルトに俺の影ができる。
(俺は夜野くんのこと――)
 俺だって、意識している。夜野くんと一緒にいると楽しいし、気が楽で、ドキドキする。他の人じゃ絶対に感じないことだ。
 始まりがどうであれ、俺も意識しずにはいられないところまで来ている。夜野くんの言葉で気付かされてしまい、無意識に散らばらせていた夜野くんへの思いが色づき始める。
(俺もそうだよな、そういうことだよな……夜野くんのこと)
 胸の鼓動は、つまりそういうことだ。"恋"――
 前を見れば、さらに彼と距離ができていた。夜野くんは歩くのが早い。
 俺は彼に追いつくのに必死で、いつの間にか息を切らしていたが、きっと息切れはそれだけが理由じゃなかったのだろう。

◇◇◇

 コンビニの中ではさんざん無視してしまった。
 夜野くんを意識していて、好きだと自覚してしまってからまともに顔が見えなかった。そのせいで、さっきのかっこよくてちょっとかわいい夜野くんの姿はどこかへ行ってしまい、いっきに不機嫌モードへと突入してしまった。機嫌を取るのは二人の間の約束にはないのでしないが、ずっと睨まれていて身が縮まってしまう。
 そそくさとお会計をして外に出て、駐輪場へ向かって走れば「おい」と夜野くんに止められる。
「何帰ろうとしてんだよ」
「だって、いつもここでバイバイじゃん」
「……もうちょっと、一緒にいたいって言ったら」
「いる、けど」
 素直に言わないでほしい。
 夜野くんは俺を引き留める方法をよく知っている。いや、今のは無意識だったかもしれない。
 腕に下げたビニール袋が風に吹かれかさかさと揺れる。
 俺たちの間には静寂が流れ、一歩、また一歩とにじり寄ってくる。
「朝比奈、逃げんなよ。逃げられると俺――」
「夜野くん?」
 そんな俺たちの間に響いたのは女の子の声だった。
 俺たちは二人して振り返り、その声の主を見る。その子は他校と思しき制服を着ており、きれいな黒髪は先がちょっとまかれていた。そして、彼を見るなり驚きと、喜びが混ざったような表情を浮かべる。
「やっぱり、夜野くんだよね」