土日はゆっくりすることができなかった。
文化祭明けの月曜日、俺は魂が抜けたように登校した。
教室につくと、俺の席で友だちと話し込んでいた夕田が俺に気づき目を輝かせる。
「朝比奈! ちょうどお前の話してたんだよ」
「お、おはよう……いや、だいたいわかるけど、その目、やめてよ」
「何でだよ」と夕田に背中を叩かれ、俺は机の横にリュックを下ろす。他のクラスメイトも俺のことを興味津々に見つめてきた。この視線からは逃れられないだろうな、と半場諦めの気持ちもあったが、今は一人にしてほしかった。
俺は文化祭のあの日、夜野くんに『君に事故チューした責任取るよ』と言ってしまったことをきっかけに、何故か彼の恋人になってしまった。
もはや、クラスには周知の事実として広まり、多分この様子だと他クラスにも噂は広まっている。
夜野くんはあれだけ注目されるのを嫌がっていたはずなのに、どうしてあんなことをしたのかいまだに分からない。
俺の中で想像していた夜野像と乖離していって、この土日もずっと考えていたが、情報が整理しきれなかった。
(連絡先も交換したけど、こっちから問い詰めるのもあれだしな)
あの日、帰りのHRが終わり、俺は夜野くんと連絡先を交換してから帰路についた。本当は打ち上げに行く予定だったが、あの状況で行けるはずもなく、みんなに問い詰められる未来を避けて家に帰ったのだ。
そして、夜野くんに連絡を入れられないまま月曜日を迎えてしまった。
「何でだよ。やっぱり、ジンクス? ジンクスなんだよな」
「ジンクス、ジンクスうるさいって」
夕田はしつこく俺に話しかけてきたが、いつものようにサラッと流すことも、冗談を返すこともできずにいた。もう、ただただ鬱陶しい。
そんなふうに、夕田に絡まれていると「邪魔」と低い声が頭の上に振ってきた。
「わっ、夜野くん」
「おはよ、朝比奈」
いつもは挨拶をしても無視する夜野くんから俺に「おはよ」なんて声をかけてきた。聞き間違えかと思ったがどうやら本当らしい。
しかも、俺の頭を撫でてながら挨拶してきたので、朝一番に背っとした髪の毛がぐちゃぐちゃになる。
そんな俺とは違い、夕田は夜野くんに睨まれたのかビクッと身体を震わせ「こ、恋人様の登場だな~」と言って教室を出て行ってしまった。そういえば、夜野くんは、夕田には挨拶をしていないような気がする。
「お、おはよう。夜野、くん。文化祭ぶり」
「絡まれてたみたいだな」
「いや、君のせいでしょ」
「すがすがしいほど責任転嫁。朝比奈が責任取るって言ったんだろ」
「言ったけど」
「まあ、前々から女子に絡まれて大変だったし、恋人いたら絡まれないだろうなって」
「む、虫よけ的な」
「まあ、あと、あの言葉……本気で言ったのか試したくなった」
「俺は嘘が嫌い」と付け加えて俺を見下ろす。
その目はあの日と同じく少し怖く、同時に彼が瞳の奥で怯えているようにも見えた。俺にはそれが何なのかわからず、ただ見上げることしかできない。
「つーわけで、ちゃんと恋人しろよ」
「恋人しろよってどういう言葉……そ、それ、いつまでさ」
「俺たちが大学に行くまで」
「え、そんなに!?」
「責任取ってくれるんだろ?」
夜野は「じゃあ、そう言うことだから」と表情一つ変えず、手をひらひらと振って自分の席に戻ってしまった。
大学に行くまでなんて、あと一年半もある。
第一、来年同じクラスになれるかもわからないのに、恋人を続けろってかなりの無茶だ。
(けど、俺が責任取るって言っちゃったし!!)
「あー何であんなこと言っちゃったんだろ……」
夜野くんがこんな性格だなんて知らなかった。いつも不機嫌そうで愛想が悪いだけかと思っていたが、かなり無茶苦茶なことを言う男だったなんて。
しかも、人払いのために利用される羽目になってしまったし。クラスの女子からものすごい批判と嫉妬の目を向けられそうで今から気が遠い。
それもこれも、俺が夜野に事故チューしたせいだけど。
(はあ……うん。責任取るよ。俺)
男に二言はない。それがたとえ、テンパって口走っちゃった言葉だったとしても。
ほどなくして朝のHRを告げるチャイムが鳴る。教室の外に行っていた夕田たちも戻ってき、前扉から先生が入ってきた。
そして、開口一番に「今日は席替えするぞー」とクジの入った箱をドンと教卓の上に置いた。
俺たちのクラスでは先生の気分で席替えが行われる。文化祭終わりだし、気分転換にちょうどよかった。
HRを進めながら、クジの箱が前から順に回ってくる。俺たちは箱の中から一つつまんで後ろの人に箱を回す。そうして、全員にクジがいきわたったところで、紙を開く。先生はホワイトボードに順に番号を書き、その番号の人が声をあげる。
俺は一番後ろの端っこだった。ラッキー席だ。だが、次に俺の隣の人の番号が呼ばれそのラッキーもアンラッキーに変わる。
「十二番、おい、誰だー」
「俺です。十二番、夜野四葉」
「嘘……」
そんなまさか運命みたいなことがあるだろうか。俺は思わず夜野くんのほうを見てしまった。
夜野くんはまた先ほどとのようにひらひらと手を振って、口の端をちょっとあげて憎たらしい顔でこっちを見ていた。小細工でもしたんじゃないかと思ったが、いきなり席替えが行われることになったのでそれは不可能だ。
(ますます、ジンクス発動みたいじゃん!!)
そんな効果まであるかは知らないが、仕組まれた運命のようだ。
全員の番号が埋まったタイミングで「じゃあ移動しろー」と先生の声がかける。
俺たちはのそのそと自分のリュックや教科書を持って席を移動する。
せっかく窓側の席になれたというのに、よりにもよって夜野くんと隣同士になるなんて。
(いや、嫌じゃないんだけどさ)
一応、恋人だし。
「はあ……」
「今、隣嫌って言ったか?」
「……っ、び、びっくりした。い、言ってないよ」
(口に出てないよね?)
慌てて口を塞いだが、彼は「ならため息つくな」と言って雑に教科書を机の中に突っ込んでいた。
もともとこういう性格なのか、俺の態度が気に食わなかったのか。俺は夜野くんのことをよく知らないから、今の態度をどう受け取っていいのか分からない。
(ぜ、前途多難……)
はたして、本当に恋人として上手くやっていけるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺もリュックを下ろし、少し遠いホワイトボードを眺めたのだった。
◇◇◇
「すっげぇじゃん。隣の席! 恋人効果じゃね!?」
「恋人効果って何」
六限目が終わり、HRが終わったタイミングで夕田が話しかけてきた。
俺は、今日一日夜野くんとべったりだったので夕田と話すタイミングがなかったのだ。夜野くんはトイレに行っているのか今は席を外している。リュックサックがあるところを見ると、まだ帰ってはいないようだ。
夕田は何がそんなに面白いのか「なあなあ」といつもより饒舌に質問攻めしてくる。人の恋バナを聞くのは面白いかもしれないが、いざ自分が迫られるとあまりいい気がしない。そもそも、これは"恋"ではないわけで――
「え、何? 朝比奈、無理やり恋人させられている感じ?」
その飛んできた質問に、心臓がドクンと脈打つ。
夕田は、俺が責任取ると言ったから付き合うことになったという経緯を知らないはずだ。もちろん、夜野くんはそれを誰にも話したくないだろうし、二人だけの暗黙の了解……秘密である。
(無理やり恋人されているってそもそも何!!)
恋人に無理やりもくそもない。
しかし、ここで不仲なのがバレるのは後々面倒だと、パッと顔を明るくする。
「そんなことないって。もう、俺らラブラブ!!」
「ほーん」
「土日もめっちゃ電話したし、メッセージのやり取りだって」
「朝比奈って、恋人出来たらそういうことしちゃうタイプなんだ」
「……まあ、うん」
少しやり過ぎただろうか。
夕田は最初こそ俺に押され気味だったが、最後のほうは興味なさそうに「へえ」と言っていた。自分から聞いたくせにと思ったが、どうにか笑顔でやり過ごす。
「そういや今日、みんなでカラオケ行こうって話になってたんだけどさあ。朝比奈も来る?」
「みんなって――」
友だちが多いため、誰と行くか皆目見当がつかなかった。俺も夕田をはじめとするいろんな友だちと遊びに行くが、決まったグループには所属していない。しいて言えば、夕田がいつも誘ってくれるからそこにいる感じだ。
すると、教室に帰ってきたらしい夜野くんが女子たちに「一緒にカラオケ行かない?」と同じようなことを言われ詰め寄られているのが見えた。
一応みんな、俺たちが恋人になったということは知っているはずなのだが……とみていると、夜野くんがこっちを振り返る。
(あ、目が合って)
バチっと目が合ったかと思うと、リュックを背負ってこちらに来て後ろから抱きしめられてしまった。流れるようなバックハグだ。
「はっ、ちょっ!?」
「ダメ。俺、今日、朝比奈と二人カラオケの予定だから」
(んんんんん!? 初耳なんですけど!?)
だが、見上げれば「合せろ」と言わんばかりに目で圧をかけてくる。拒否権はないようだ。
「朝比奈、めっちゃラブラブじゃん。そういうことならそー言えよ」
「あ、いや……夕田、ごめん。また今度誘って」
夕田も夜野くんの圧に押されたのか潔く身を引いた。
それはそうと問題は彼だ。
夜野くんは、俺のリュックを持ち上げたかと思うと、もう片方の手で俺の手を引っ張り歩き出した。
「夜野くん、どこに行くの?」
また強引で言葉足らずな行動に俺は苦言を呈したくなる。しかし、そんな暇もなく彼に連れられ下駄箱まで移動することとなってしまった。
◇◇◇
「――夜野くん、夜野くんってば」
「何だよ」
「いや、何? なのは俺のほう。カラオケって、そんな予定」
「責任」
「はい……」
「とにかく、怪しまれたらあれだから」
「じゃあ、途中まで一緒に帰って解散?」
「いや? カラオケは行く」
ますます頭の上に疑問符が浮かぶ。
あれだけでも十分俺たちの仲はみんなに伝わったと思う。
でも、それだけじゃ不十分なのか「カラオケ」と強調するように言うのだ。
(まあいいけど。俺もカラオケ行きたかったし)
今回は利害の一致だ、と彼の強引すぎる行動に目を瞑ることにした。
「いいよ、カラオケ。二人カラオケとか久しぶりかも」
「俺は中学生以来」
「え、そんなに? そんな久しぶりカラオケ俺とでいいの?」
「別に」
また突っぱねられてしまい、俺はどんな顔をすればいいか分からなくなる。
笑顔、笑顔と頬の肉をあげるが、さすがの俺でもキレそうだ。
それから、会話もなく駐輪場まで歩き各々自転車に荷物を詰め込むことにした――のだが。
「わああああああっ!!」
「朝比奈、今度は……っ!?」
「蜂、蜂!! 夜野くん、蜂だってば!」
ブゥーンと大きな羽音を立てて迫ってくる大きな蜂。多分スズメバチだ。
俺は思わず、自転車のカギをガチャガチャとやっていた夜野くんに飛びついてしまった。それからさらに、恐怖から無意識に身体を密着させ、彼の服をぎゅっとつかんでしまう。
夜野くんはというと、そんな俺にも、蜂が周りを飛んでいても微動だにせず、無表情で突っ立ったままだった。
それからしばらく、彼に引っ付いてガタガタと震えていれば、いつの間にか蜂はどこかへ飛んで行ってしまった。
「よ、よっかった」
胸をなでおろしていると、隣から「ぷっ……」という笑い声が漏れる。そんなの一人しかいなくて、バッと顔を向ければ、先ほどの無表情男子とは思えない笑みを浮かべた彼がいた。
「朝比奈、いつまでくっついてんだよ」
「くっつい……っ!?」
そういえば彼に抱き着いていることを思い出し、先ほどよりも大袈裟に離れる。
夜野くんはそんな俺の行動を見て、口元に手を当て、我慢できないというように肩を震わせ笑っていた。
「朝比奈、お前蜂が怖いって」
「笑わないでよ。蜂、怖いでしょ……刺されたら痛いし」
「意外とビビりなんだな。てか、蜂って大人しくしてたらだいたいどっか行くだろ」
夜野くんはそう言って俺のほうを見ながら、片手で自転車のカギを回していた。
(あ、普通に笑えるんだ)
いつも不機嫌そうだから笑えないと思っていた。でも、こんなに笑うと自然で少し幼く見えるのは、いつも笑わない人だからそう見えるのだろうか。
こんなことで笑われるのは癪だったが、その笑顔にドキッとしてしまう自分がいた。
(いや、ドキッて)
俺のこと笑った相手なのに、その笑顔にドキッとするなんて普通はない。けれど、彼の何気ないその笑みに目を奪われてしまっていた。
◇◇◇
「ブラックコーヒーとか大人だね」
「……」
(無視すんなよ~~!!)
俺たちは、無事にカラオケにつき、二時間コースを選択した。
ドリンクバーは値段に込みでついていて、各々渡されたコップに飲料を入れてから部屋に入る。部屋は二人だからか小部屋を選択され、長椅子もLの字になっていた。
そんな小さな部屋に腰を下ろし、持っていたリュックを横に置く。
夜野は椅子の柔らかさをチェックしているのか、なかなかタブレットに手をつけなかった。
(そうえいば、夜野くん久しぶりに来るって言ってたよな。俺から入れたほうがいいのかな?)
カラオケで一番初めに歌うのは勇気がいる。
俺はタブレットでとりあえずポテトを頼んでから、ランキングから曲を探す。
「夜野くん採点とかどうする?」
「朝比奈に任せる」
「……じゃあ、俺から歌っていい?」
俺がそう聞くころにはすでに、夜野くんはスマホを弄り始めていた。
カラオケに何しに来たんだろう、と思いながら今流行りの曲をセレクトする。なるべく夜野くんも知っているものを入れたが、まあ聞いてくれていなくてもいい。
曲のイントロが流れ、Aメロ、すぐにサビに入って……完走。得点は八十点だった。
そして、歌い終えるころに「注文のポテトです」と店員が部屋に入ってきて、山盛りのポテトを置いていく。
俺は、店員に頭を下げ、ジュースを一口飲んでからポテトに手を付ける。もう片手で、タブレットをササっと彼のほうへと寄せ、夜野の顔を見た。
「次、夜野くんどーぞ」
「慣れてるんだな」
「そりゃ、よく来るから」
俺はそう言いながらポテトを頬張る。しかし、その様子を何故か夜野くんはじっと見つめていた。
「何?」
「いや、めっちゃ食うなって」
「そぉ? だって、少人数で来ないとポテト頬張れないじゃん」
は? といった感じに夜野くんは口を開く。俺は、ごくんとポテトを飲み込み、口の周りについた塩を舐めとってから、もう一本つまむ。
「俺、みんなとカラオケよく来るけどさ。一人カラオケも結構来るんだよ。やっぱり、みんなと楽しむときと、一人で楽しむときってわけたいし」
「じゃあ、朝比奈は無理に人に合せてるってことか?」
「ううん。無理じゃないよ。んー何だろ。そもそも、俺の家、姉ちゃんと妹がいて、お母さん含めて女子が強くてさ。レディーファースト叩き込まれて生きてきたからなんというか……みんなといるときは自分より人を優先っていうか。それが染みついてる。けど、時々その燃料きれて一人になりたいってときもある。まあ、言っちゃえばオンオフ切り替えてるって感じかな?」
そこまで喋って、山盛りのポテトから細長いポテトを口に咥える。
代々俺の家系は女性が強いらしく、今でも二つ上で今大学の姉ちゃんにも、三つ下の妹にもよくこき使われる。
お風呂だって俺とお父さんが最後だ。
そんな家庭で育ったから、空気を読むとか、先回りして色々済ませておくとかいう技術は身についた。これは、人間関係でも非常に役に立つなと最近気づいてしまった。
そもそも、俺は、別にみんなと遊ぶのが嫌いなわけじゃない。みんなでパーッとはしゃぎたいときとか、そういう盛り上がってみんなが楽しそうにしているのを見るのが好きだ。
でも、あわせすぎたり、周りを優先しすぎたりしていると、時々一人になりたい時がある。エネルギーが切れて今日はもう頑張れないなーっていう日が必ず来る。
そういう時は無理せず、お誘いも断るし、一人カラオケとか、バッティングセンターに行く。ストレス管理は徹底している。
俺は、パクパクと食べていた手を止め、夜野くんのほうを見る。彼もポテト食べたいだろうか。
「夜野くん、欲しかったらあげるよ? あと、曲も……」
「もしかして、気ぃ使ってる? そういうの疲れるだろ」
「でも、嫌じゃない?」
「何が嫌なんだよ。逆に、気をつかわれるほうが申し訳なくなってくる」
夜野くんはそう言って、一本だけポテトを持って行く。
「で? 一人カラオケの何が楽しいんだよ」
「え? えっと、一人カラオケのいいところはマイクを独り占めできること。曲も好きなだけ入れられるし。あと、ポテトも独り占めできる」
「食い意地ヤバいな。それ、パーティー用に頼む山盛りポテトじゃん」
「た、食べたかったら食べてね。俺、気にしないから」
「ふっ……朝比奈って面白いな。いい、次も曲入れろよ。その間に俺、歌えそうなもの探すし……あと、俺に気をつかうの禁止な?」
夜野くんは、スッとスマホでプレイリストを開いていた。
(気、つかわなくていいんだ)
そんなこと初めていわれた。
俺は目の前のタブレットを見つめ、ごくりとつばを飲み込む。
「マ、マイナーなものいれてもいい?」
「ぷっ、ははっ……何、それもいつも無理してんの?」
「無理じゃないって。みんなで行くのに、盛り上がらない曲入れてもなんか、申し訳ないじゃん」
「それ思うの朝比奈だけだろ」
夜野くんはそう言ったが、別にバカにする感じはなく、俺の性格に共感を示している様子だ。
その将校に、スマホを弄りながらも、靴や体はこっちに向いている。俺に少しだけ興味がある証拠だろう。
いつもみんなで行くときは、なるべく場が凍らないようにと流行の曲を入れるようにしている。けど、実際俺が好きなのは、ちょっと昔の戦隊もののOPだったり、マイナーな深夜アニメの曲だったりする。友だちにそういうのに興味がある人は少ないみたいだから、セレクトできない。
「夜野くんは何が好きとかある?」
「洋楽」
「うわっ、おしゃれだ」
「別におしゃれじゃないだろ。俺もマイナーなものが好きってだけ」
「じゃあ、一緒だ」
俺がそう言うと、夜野くんはまたプッと小さく笑って「一緒な」と言う。それから、スマホをテーブルに置いて俺のポテトをもう一本つまむ。
「それと朝比奈。俺と一緒にいるときは無理すんな、気をつかうなよ。一応恋人なんだし」
「一応って」
「じゃあ、恋人なんだし」
何で言い直したのだろうか。
そんな小さいことに引っかかってしまうなんて、性格が悪いかもしれない。そんなことを思いながら、夜野くんを見る。
(無理しなくていいって、自然体でいろってこと?)
それも初めていわれた気がする。そもそも、誰も俺が気をつかっていることなんて気づいていないだろう。
夜野くんって意外といいやつ? なんて思いながら、彼がブラックコーヒーを飲む様子を眺めていた。
血管が浮き出た男らしい腕にコップについた水滴が流れていく。ゴク、ゴクと大きな喉ぼとけが上下する。コップを握るその手も、言い飲みっぷりも、横顔も……やっぱり全部が絵になる。
(――って、俺、何見てんの!!)
見すぎと怒られるかもしれないと、慌ててポテトを口に突っ込んだ。そのせいで、むせてしまい、口の中にポテトの油が染みていく。
「何やってんだよ」
「ポテト口に何本詰められるかやってた」
「はは、くっだんね」
そっけない言葉だけど、彼は俺が落ち着くまで背中をさすってくれた。大きな手の平が俺の背なかをなぞる。くすぐったくて、背が丸まってしまうのはしかたがないことだ。
カラオケの画面には、声優やVチューバ―のCMがかわるがわる流れていた。
◇◇◇
カラカラと自転車のタイヤが回る。
「もう一時間ぐらい歌えたかも」
「だな」
黒いアスファルトに二つの自転車を押す影が伸びる。夕日は半分ほど沈んでおり、近くの街灯が俺たちの行く手を照らす。
俺は、はじめこそマイナーな曲を入れるのを戸惑ったが、歌っていくうちに羞恥心もなくなりストレスが発散できた。
夜野くんは終始、俺の入れる曲に首をかしげていたが、マイナーな曲を入れてもその間席を立たずにいてくれたし「何の曲?」と毎回聞いてくれた。
夜野くんが入れた曲も海外のものばかりで何一つ知らなかった。でも、にわかの俺が聞いても発音のいい英語で歌って、九十点を出していた。隣で聞いていたが、夜野くんの声はすごくよかった。
それから、カラオケで俺たちが恋人としてやっていくためのいくつかの条件を決めた。
1.校内ではなるべく一緒にいること
2.恋人営業ではなくて、恋人だと自覚すること
3.嘘をつかないこと
4.互いの意見が一致した場合、恋人期間を延長すること
5.本気で惚れてもいいこと
とくに、夜野くは四番目の「嘘をつかないこと」を最も強く押し出した。
それから、期限付きの恋人という認識で偽装恋人ではないとも言ってきた。
だから、今日みたいに周りを欺くためにカラオケに行くんじゃなくて、恋人としてカラオケに行くみたいな……そんな感覚とも、定義が少し曖昧なことも付け加えた。
(つまり、夜野くんは俺が惚れても嫌じゃないってこと……だよね)
条件は一応お互いが納得するようにと話し合った。そのため、俺も異議なしだ。後は「お互いが困っているときに助けること」くらい軽い条件を提示してくらいだ。
(なんか、ますます夜野くんって謎だな)
注目されたくないのに、逆に注目されるようなことを要求する。
口は悪いけど、俺のことちゃんと見てくれるし、意外と優しいところがあるのかもしれない。
(うーん、とりあえず期限付きの恋人になったって感じ、だよな。うん)
一列になり、悶々と自転車を押しながら歩いていると、自動販売機が見えてきた。もってきた水筒も空になったし、家に帰るまでもう少しあるので水分補給をしようと自転車を止める。
「朝比奈、急に止まってどうしたんだよ」
「喉乾いたなーって思って。夜野くんの分も俺が驕るよ」
「……いいって」
「今日、楽しかったからそのお礼」
誰かと二人きりで遊びに行くなんてめったにない。いつも三人以上がデフォルトだ。
しかも、まだ会話が成立するようになって間もない、恋人になっちゃったけど仲がいいとは言えないクラスメイトと二人きりなんて。俺史上初めてのことかもしれない。
それでも、夜野くんと二人きりの空間は嫌じゃなかったし、むしろ楽しかった。
気をつかわなくていいって言ってくれたからか、自然体でいられたし、そんな俺に引かないでくれた。
後ろで夜野くんが自転車を止めたのを気配で確認し、自動販売機のラインナップを見る。この中だったらやはりサイダーだろうか。
「夜野くんは……」
「じゃあ、俺これ」
サイダーを指さしているところに重ねるようにして、夜野くんが同じものを指さした。「一緒」と耳元でささやかれ、ポポポポと顔に熱が集まるのを感じる。
「い、一緒」
「恋人だし、回し飲みでもいいけど」
「よよよよっよ、良くない。間接キスになっちゃうだろ!!」
「恋人なのに。変なところ気にするんだな」
「夜野くんは、俺と間接キスとか嫌でしょ」
そう、夜野くんのほうを見れば、どことなくしょぼんとした顔をしていた。それがどんな感情なのかわからず首を傾げれば「じゃあ、おごって」という。
(い、意識しすぎてるだろ。俺……)
いつもは、男子同士で回し飲みはするが、このときだけは意識してしまってダメだった。
いや、もう事故チューしてしまっているから今更と言えば今更だが。
「じゃあサイダーね」
五百円玉を入れ、サイダーのサンプルの下のボタンを押す。
ガコン、と取り出し口からサイダーが出てくると同時に、この自動販売機は当たるともう一本選べるやつなのか、数字がパタパタと動き出す。それから電光掲示板に「7777」と表示され見事当たる。再度、ボタンが点灯した。
「当たった」
「よかったな。一本お得」
後ろでカシュっとサイダーの音がする。俺もサイダーを選び、取り出し口に手を突っ込んでサイダーを取り出す。
それから後ろを振り返るが、夜野くんは何故かまだサイダーを飲んでいないようだった。
「待っててくれたの?」
「恋人待ってただけ。悪いか?」
語気を強めてそう言うので、全力で首を横に振る。
「じゃ、じゃあ、乾杯とかしない?」
「乾杯? 何に対して?」
「えーっと、付き合って初めてカラオケ行った記念?」
「何だそれ」
やはりそっけなかったが、夜野くんの表情はやわらかかった。
いつもは自分の席でむすっと不愛想な顔をしているのに、次々に見れる夜野くんの新鮮な表情に目を奪われる。
(まだまだ、夜野くんのこと知らないことばかりだけど。恋人でいるうちにもっとわかっていくのかな)
そんな期待が胸に生まれる。だって、大学生になるまでこの恋人期間は続くのだから。
俺はサイダーの入ったペットボトルを握る。水滴が手のひらを濡らしていく。
(楽しいし、心がちょっとフワフワする)
夕田たちと遊びに行くときはこんな感覚しないのに、何故か夜野くんといるといつもより楽しかった。
そんなことを思っていると、「乾杯しないのかよ」と言われてしまい、慌ててふたを開ける。
「じゃあ、俺たちが付き合って初めてカラオケ行った記念に乾杯」
「乾杯」
グラスみたいにカチンと音はならないけど、ぶつけたペットボトルはペコっと音が鳴る。
透明なサイダーは夕日を反射してオレンジ色に染まっていて、いつもとは少し違った味がした気がした。
文化祭明けの月曜日、俺は魂が抜けたように登校した。
教室につくと、俺の席で友だちと話し込んでいた夕田が俺に気づき目を輝かせる。
「朝比奈! ちょうどお前の話してたんだよ」
「お、おはよう……いや、だいたいわかるけど、その目、やめてよ」
「何でだよ」と夕田に背中を叩かれ、俺は机の横にリュックを下ろす。他のクラスメイトも俺のことを興味津々に見つめてきた。この視線からは逃れられないだろうな、と半場諦めの気持ちもあったが、今は一人にしてほしかった。
俺は文化祭のあの日、夜野くんに『君に事故チューした責任取るよ』と言ってしまったことをきっかけに、何故か彼の恋人になってしまった。
もはや、クラスには周知の事実として広まり、多分この様子だと他クラスにも噂は広まっている。
夜野くんはあれだけ注目されるのを嫌がっていたはずなのに、どうしてあんなことをしたのかいまだに分からない。
俺の中で想像していた夜野像と乖離していって、この土日もずっと考えていたが、情報が整理しきれなかった。
(連絡先も交換したけど、こっちから問い詰めるのもあれだしな)
あの日、帰りのHRが終わり、俺は夜野くんと連絡先を交換してから帰路についた。本当は打ち上げに行く予定だったが、あの状況で行けるはずもなく、みんなに問い詰められる未来を避けて家に帰ったのだ。
そして、夜野くんに連絡を入れられないまま月曜日を迎えてしまった。
「何でだよ。やっぱり、ジンクス? ジンクスなんだよな」
「ジンクス、ジンクスうるさいって」
夕田はしつこく俺に話しかけてきたが、いつものようにサラッと流すことも、冗談を返すこともできずにいた。もう、ただただ鬱陶しい。
そんなふうに、夕田に絡まれていると「邪魔」と低い声が頭の上に振ってきた。
「わっ、夜野くん」
「おはよ、朝比奈」
いつもは挨拶をしても無視する夜野くんから俺に「おはよ」なんて声をかけてきた。聞き間違えかと思ったがどうやら本当らしい。
しかも、俺の頭を撫でてながら挨拶してきたので、朝一番に背っとした髪の毛がぐちゃぐちゃになる。
そんな俺とは違い、夕田は夜野くんに睨まれたのかビクッと身体を震わせ「こ、恋人様の登場だな~」と言って教室を出て行ってしまった。そういえば、夜野くんは、夕田には挨拶をしていないような気がする。
「お、おはよう。夜野、くん。文化祭ぶり」
「絡まれてたみたいだな」
「いや、君のせいでしょ」
「すがすがしいほど責任転嫁。朝比奈が責任取るって言ったんだろ」
「言ったけど」
「まあ、前々から女子に絡まれて大変だったし、恋人いたら絡まれないだろうなって」
「む、虫よけ的な」
「まあ、あと、あの言葉……本気で言ったのか試したくなった」
「俺は嘘が嫌い」と付け加えて俺を見下ろす。
その目はあの日と同じく少し怖く、同時に彼が瞳の奥で怯えているようにも見えた。俺にはそれが何なのかわからず、ただ見上げることしかできない。
「つーわけで、ちゃんと恋人しろよ」
「恋人しろよってどういう言葉……そ、それ、いつまでさ」
「俺たちが大学に行くまで」
「え、そんなに!?」
「責任取ってくれるんだろ?」
夜野は「じゃあ、そう言うことだから」と表情一つ変えず、手をひらひらと振って自分の席に戻ってしまった。
大学に行くまでなんて、あと一年半もある。
第一、来年同じクラスになれるかもわからないのに、恋人を続けろってかなりの無茶だ。
(けど、俺が責任取るって言っちゃったし!!)
「あー何であんなこと言っちゃったんだろ……」
夜野くんがこんな性格だなんて知らなかった。いつも不機嫌そうで愛想が悪いだけかと思っていたが、かなり無茶苦茶なことを言う男だったなんて。
しかも、人払いのために利用される羽目になってしまったし。クラスの女子からものすごい批判と嫉妬の目を向けられそうで今から気が遠い。
それもこれも、俺が夜野に事故チューしたせいだけど。
(はあ……うん。責任取るよ。俺)
男に二言はない。それがたとえ、テンパって口走っちゃった言葉だったとしても。
ほどなくして朝のHRを告げるチャイムが鳴る。教室の外に行っていた夕田たちも戻ってき、前扉から先生が入ってきた。
そして、開口一番に「今日は席替えするぞー」とクジの入った箱をドンと教卓の上に置いた。
俺たちのクラスでは先生の気分で席替えが行われる。文化祭終わりだし、気分転換にちょうどよかった。
HRを進めながら、クジの箱が前から順に回ってくる。俺たちは箱の中から一つつまんで後ろの人に箱を回す。そうして、全員にクジがいきわたったところで、紙を開く。先生はホワイトボードに順に番号を書き、その番号の人が声をあげる。
俺は一番後ろの端っこだった。ラッキー席だ。だが、次に俺の隣の人の番号が呼ばれそのラッキーもアンラッキーに変わる。
「十二番、おい、誰だー」
「俺です。十二番、夜野四葉」
「嘘……」
そんなまさか運命みたいなことがあるだろうか。俺は思わず夜野くんのほうを見てしまった。
夜野くんはまた先ほどとのようにひらひらと手を振って、口の端をちょっとあげて憎たらしい顔でこっちを見ていた。小細工でもしたんじゃないかと思ったが、いきなり席替えが行われることになったのでそれは不可能だ。
(ますます、ジンクス発動みたいじゃん!!)
そんな効果まであるかは知らないが、仕組まれた運命のようだ。
全員の番号が埋まったタイミングで「じゃあ移動しろー」と先生の声がかける。
俺たちはのそのそと自分のリュックや教科書を持って席を移動する。
せっかく窓側の席になれたというのに、よりにもよって夜野くんと隣同士になるなんて。
(いや、嫌じゃないんだけどさ)
一応、恋人だし。
「はあ……」
「今、隣嫌って言ったか?」
「……っ、び、びっくりした。い、言ってないよ」
(口に出てないよね?)
慌てて口を塞いだが、彼は「ならため息つくな」と言って雑に教科書を机の中に突っ込んでいた。
もともとこういう性格なのか、俺の態度が気に食わなかったのか。俺は夜野くんのことをよく知らないから、今の態度をどう受け取っていいのか分からない。
(ぜ、前途多難……)
はたして、本当に恋人として上手くやっていけるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺もリュックを下ろし、少し遠いホワイトボードを眺めたのだった。
◇◇◇
「すっげぇじゃん。隣の席! 恋人効果じゃね!?」
「恋人効果って何」
六限目が終わり、HRが終わったタイミングで夕田が話しかけてきた。
俺は、今日一日夜野くんとべったりだったので夕田と話すタイミングがなかったのだ。夜野くんはトイレに行っているのか今は席を外している。リュックサックがあるところを見ると、まだ帰ってはいないようだ。
夕田は何がそんなに面白いのか「なあなあ」といつもより饒舌に質問攻めしてくる。人の恋バナを聞くのは面白いかもしれないが、いざ自分が迫られるとあまりいい気がしない。そもそも、これは"恋"ではないわけで――
「え、何? 朝比奈、無理やり恋人させられている感じ?」
その飛んできた質問に、心臓がドクンと脈打つ。
夕田は、俺が責任取ると言ったから付き合うことになったという経緯を知らないはずだ。もちろん、夜野くんはそれを誰にも話したくないだろうし、二人だけの暗黙の了解……秘密である。
(無理やり恋人されているってそもそも何!!)
恋人に無理やりもくそもない。
しかし、ここで不仲なのがバレるのは後々面倒だと、パッと顔を明るくする。
「そんなことないって。もう、俺らラブラブ!!」
「ほーん」
「土日もめっちゃ電話したし、メッセージのやり取りだって」
「朝比奈って、恋人出来たらそういうことしちゃうタイプなんだ」
「……まあ、うん」
少しやり過ぎただろうか。
夕田は最初こそ俺に押され気味だったが、最後のほうは興味なさそうに「へえ」と言っていた。自分から聞いたくせにと思ったが、どうにか笑顔でやり過ごす。
「そういや今日、みんなでカラオケ行こうって話になってたんだけどさあ。朝比奈も来る?」
「みんなって――」
友だちが多いため、誰と行くか皆目見当がつかなかった。俺も夕田をはじめとするいろんな友だちと遊びに行くが、決まったグループには所属していない。しいて言えば、夕田がいつも誘ってくれるからそこにいる感じだ。
すると、教室に帰ってきたらしい夜野くんが女子たちに「一緒にカラオケ行かない?」と同じようなことを言われ詰め寄られているのが見えた。
一応みんな、俺たちが恋人になったということは知っているはずなのだが……とみていると、夜野くんがこっちを振り返る。
(あ、目が合って)
バチっと目が合ったかと思うと、リュックを背負ってこちらに来て後ろから抱きしめられてしまった。流れるようなバックハグだ。
「はっ、ちょっ!?」
「ダメ。俺、今日、朝比奈と二人カラオケの予定だから」
(んんんんん!? 初耳なんですけど!?)
だが、見上げれば「合せろ」と言わんばかりに目で圧をかけてくる。拒否権はないようだ。
「朝比奈、めっちゃラブラブじゃん。そういうことならそー言えよ」
「あ、いや……夕田、ごめん。また今度誘って」
夕田も夜野くんの圧に押されたのか潔く身を引いた。
それはそうと問題は彼だ。
夜野くんは、俺のリュックを持ち上げたかと思うと、もう片方の手で俺の手を引っ張り歩き出した。
「夜野くん、どこに行くの?」
また強引で言葉足らずな行動に俺は苦言を呈したくなる。しかし、そんな暇もなく彼に連れられ下駄箱まで移動することとなってしまった。
◇◇◇
「――夜野くん、夜野くんってば」
「何だよ」
「いや、何? なのは俺のほう。カラオケって、そんな予定」
「責任」
「はい……」
「とにかく、怪しまれたらあれだから」
「じゃあ、途中まで一緒に帰って解散?」
「いや? カラオケは行く」
ますます頭の上に疑問符が浮かぶ。
あれだけでも十分俺たちの仲はみんなに伝わったと思う。
でも、それだけじゃ不十分なのか「カラオケ」と強調するように言うのだ。
(まあいいけど。俺もカラオケ行きたかったし)
今回は利害の一致だ、と彼の強引すぎる行動に目を瞑ることにした。
「いいよ、カラオケ。二人カラオケとか久しぶりかも」
「俺は中学生以来」
「え、そんなに? そんな久しぶりカラオケ俺とでいいの?」
「別に」
また突っぱねられてしまい、俺はどんな顔をすればいいか分からなくなる。
笑顔、笑顔と頬の肉をあげるが、さすがの俺でもキレそうだ。
それから、会話もなく駐輪場まで歩き各々自転車に荷物を詰め込むことにした――のだが。
「わああああああっ!!」
「朝比奈、今度は……っ!?」
「蜂、蜂!! 夜野くん、蜂だってば!」
ブゥーンと大きな羽音を立てて迫ってくる大きな蜂。多分スズメバチだ。
俺は思わず、自転車のカギをガチャガチャとやっていた夜野くんに飛びついてしまった。それからさらに、恐怖から無意識に身体を密着させ、彼の服をぎゅっとつかんでしまう。
夜野くんはというと、そんな俺にも、蜂が周りを飛んでいても微動だにせず、無表情で突っ立ったままだった。
それからしばらく、彼に引っ付いてガタガタと震えていれば、いつの間にか蜂はどこかへ飛んで行ってしまった。
「よ、よっかった」
胸をなでおろしていると、隣から「ぷっ……」という笑い声が漏れる。そんなの一人しかいなくて、バッと顔を向ければ、先ほどの無表情男子とは思えない笑みを浮かべた彼がいた。
「朝比奈、いつまでくっついてんだよ」
「くっつい……っ!?」
そういえば彼に抱き着いていることを思い出し、先ほどよりも大袈裟に離れる。
夜野くんはそんな俺の行動を見て、口元に手を当て、我慢できないというように肩を震わせ笑っていた。
「朝比奈、お前蜂が怖いって」
「笑わないでよ。蜂、怖いでしょ……刺されたら痛いし」
「意外とビビりなんだな。てか、蜂って大人しくしてたらだいたいどっか行くだろ」
夜野くんはそう言って俺のほうを見ながら、片手で自転車のカギを回していた。
(あ、普通に笑えるんだ)
いつも不機嫌そうだから笑えないと思っていた。でも、こんなに笑うと自然で少し幼く見えるのは、いつも笑わない人だからそう見えるのだろうか。
こんなことで笑われるのは癪だったが、その笑顔にドキッとしてしまう自分がいた。
(いや、ドキッて)
俺のこと笑った相手なのに、その笑顔にドキッとするなんて普通はない。けれど、彼の何気ないその笑みに目を奪われてしまっていた。
◇◇◇
「ブラックコーヒーとか大人だね」
「……」
(無視すんなよ~~!!)
俺たちは、無事にカラオケにつき、二時間コースを選択した。
ドリンクバーは値段に込みでついていて、各々渡されたコップに飲料を入れてから部屋に入る。部屋は二人だからか小部屋を選択され、長椅子もLの字になっていた。
そんな小さな部屋に腰を下ろし、持っていたリュックを横に置く。
夜野は椅子の柔らかさをチェックしているのか、なかなかタブレットに手をつけなかった。
(そうえいば、夜野くん久しぶりに来るって言ってたよな。俺から入れたほうがいいのかな?)
カラオケで一番初めに歌うのは勇気がいる。
俺はタブレットでとりあえずポテトを頼んでから、ランキングから曲を探す。
「夜野くん採点とかどうする?」
「朝比奈に任せる」
「……じゃあ、俺から歌っていい?」
俺がそう聞くころにはすでに、夜野くんはスマホを弄り始めていた。
カラオケに何しに来たんだろう、と思いながら今流行りの曲をセレクトする。なるべく夜野くんも知っているものを入れたが、まあ聞いてくれていなくてもいい。
曲のイントロが流れ、Aメロ、すぐにサビに入って……完走。得点は八十点だった。
そして、歌い終えるころに「注文のポテトです」と店員が部屋に入ってきて、山盛りのポテトを置いていく。
俺は、店員に頭を下げ、ジュースを一口飲んでからポテトに手を付ける。もう片手で、タブレットをササっと彼のほうへと寄せ、夜野の顔を見た。
「次、夜野くんどーぞ」
「慣れてるんだな」
「そりゃ、よく来るから」
俺はそう言いながらポテトを頬張る。しかし、その様子を何故か夜野くんはじっと見つめていた。
「何?」
「いや、めっちゃ食うなって」
「そぉ? だって、少人数で来ないとポテト頬張れないじゃん」
は? といった感じに夜野くんは口を開く。俺は、ごくんとポテトを飲み込み、口の周りについた塩を舐めとってから、もう一本つまむ。
「俺、みんなとカラオケよく来るけどさ。一人カラオケも結構来るんだよ。やっぱり、みんなと楽しむときと、一人で楽しむときってわけたいし」
「じゃあ、朝比奈は無理に人に合せてるってことか?」
「ううん。無理じゃないよ。んー何だろ。そもそも、俺の家、姉ちゃんと妹がいて、お母さん含めて女子が強くてさ。レディーファースト叩き込まれて生きてきたからなんというか……みんなといるときは自分より人を優先っていうか。それが染みついてる。けど、時々その燃料きれて一人になりたいってときもある。まあ、言っちゃえばオンオフ切り替えてるって感じかな?」
そこまで喋って、山盛りのポテトから細長いポテトを口に咥える。
代々俺の家系は女性が強いらしく、今でも二つ上で今大学の姉ちゃんにも、三つ下の妹にもよくこき使われる。
お風呂だって俺とお父さんが最後だ。
そんな家庭で育ったから、空気を読むとか、先回りして色々済ませておくとかいう技術は身についた。これは、人間関係でも非常に役に立つなと最近気づいてしまった。
そもそも、俺は、別にみんなと遊ぶのが嫌いなわけじゃない。みんなでパーッとはしゃぎたいときとか、そういう盛り上がってみんなが楽しそうにしているのを見るのが好きだ。
でも、あわせすぎたり、周りを優先しすぎたりしていると、時々一人になりたい時がある。エネルギーが切れて今日はもう頑張れないなーっていう日が必ず来る。
そういう時は無理せず、お誘いも断るし、一人カラオケとか、バッティングセンターに行く。ストレス管理は徹底している。
俺は、パクパクと食べていた手を止め、夜野くんのほうを見る。彼もポテト食べたいだろうか。
「夜野くん、欲しかったらあげるよ? あと、曲も……」
「もしかして、気ぃ使ってる? そういうの疲れるだろ」
「でも、嫌じゃない?」
「何が嫌なんだよ。逆に、気をつかわれるほうが申し訳なくなってくる」
夜野くんはそう言って、一本だけポテトを持って行く。
「で? 一人カラオケの何が楽しいんだよ」
「え? えっと、一人カラオケのいいところはマイクを独り占めできること。曲も好きなだけ入れられるし。あと、ポテトも独り占めできる」
「食い意地ヤバいな。それ、パーティー用に頼む山盛りポテトじゃん」
「た、食べたかったら食べてね。俺、気にしないから」
「ふっ……朝比奈って面白いな。いい、次も曲入れろよ。その間に俺、歌えそうなもの探すし……あと、俺に気をつかうの禁止な?」
夜野くんは、スッとスマホでプレイリストを開いていた。
(気、つかわなくていいんだ)
そんなこと初めていわれた。
俺は目の前のタブレットを見つめ、ごくりとつばを飲み込む。
「マ、マイナーなものいれてもいい?」
「ぷっ、ははっ……何、それもいつも無理してんの?」
「無理じゃないって。みんなで行くのに、盛り上がらない曲入れてもなんか、申し訳ないじゃん」
「それ思うの朝比奈だけだろ」
夜野くんはそう言ったが、別にバカにする感じはなく、俺の性格に共感を示している様子だ。
その将校に、スマホを弄りながらも、靴や体はこっちに向いている。俺に少しだけ興味がある証拠だろう。
いつもみんなで行くときは、なるべく場が凍らないようにと流行の曲を入れるようにしている。けど、実際俺が好きなのは、ちょっと昔の戦隊もののOPだったり、マイナーな深夜アニメの曲だったりする。友だちにそういうのに興味がある人は少ないみたいだから、セレクトできない。
「夜野くんは何が好きとかある?」
「洋楽」
「うわっ、おしゃれだ」
「別におしゃれじゃないだろ。俺もマイナーなものが好きってだけ」
「じゃあ、一緒だ」
俺がそう言うと、夜野くんはまたプッと小さく笑って「一緒な」と言う。それから、スマホをテーブルに置いて俺のポテトをもう一本つまむ。
「それと朝比奈。俺と一緒にいるときは無理すんな、気をつかうなよ。一応恋人なんだし」
「一応って」
「じゃあ、恋人なんだし」
何で言い直したのだろうか。
そんな小さいことに引っかかってしまうなんて、性格が悪いかもしれない。そんなことを思いながら、夜野くんを見る。
(無理しなくていいって、自然体でいろってこと?)
それも初めていわれた気がする。そもそも、誰も俺が気をつかっていることなんて気づいていないだろう。
夜野くんって意外といいやつ? なんて思いながら、彼がブラックコーヒーを飲む様子を眺めていた。
血管が浮き出た男らしい腕にコップについた水滴が流れていく。ゴク、ゴクと大きな喉ぼとけが上下する。コップを握るその手も、言い飲みっぷりも、横顔も……やっぱり全部が絵になる。
(――って、俺、何見てんの!!)
見すぎと怒られるかもしれないと、慌ててポテトを口に突っ込んだ。そのせいで、むせてしまい、口の中にポテトの油が染みていく。
「何やってんだよ」
「ポテト口に何本詰められるかやってた」
「はは、くっだんね」
そっけない言葉だけど、彼は俺が落ち着くまで背中をさすってくれた。大きな手の平が俺の背なかをなぞる。くすぐったくて、背が丸まってしまうのはしかたがないことだ。
カラオケの画面には、声優やVチューバ―のCMがかわるがわる流れていた。
◇◇◇
カラカラと自転車のタイヤが回る。
「もう一時間ぐらい歌えたかも」
「だな」
黒いアスファルトに二つの自転車を押す影が伸びる。夕日は半分ほど沈んでおり、近くの街灯が俺たちの行く手を照らす。
俺は、はじめこそマイナーな曲を入れるのを戸惑ったが、歌っていくうちに羞恥心もなくなりストレスが発散できた。
夜野くんは終始、俺の入れる曲に首をかしげていたが、マイナーな曲を入れてもその間席を立たずにいてくれたし「何の曲?」と毎回聞いてくれた。
夜野くんが入れた曲も海外のものばかりで何一つ知らなかった。でも、にわかの俺が聞いても発音のいい英語で歌って、九十点を出していた。隣で聞いていたが、夜野くんの声はすごくよかった。
それから、カラオケで俺たちが恋人としてやっていくためのいくつかの条件を決めた。
1.校内ではなるべく一緒にいること
2.恋人営業ではなくて、恋人だと自覚すること
3.嘘をつかないこと
4.互いの意見が一致した場合、恋人期間を延長すること
5.本気で惚れてもいいこと
とくに、夜野くは四番目の「嘘をつかないこと」を最も強く押し出した。
それから、期限付きの恋人という認識で偽装恋人ではないとも言ってきた。
だから、今日みたいに周りを欺くためにカラオケに行くんじゃなくて、恋人としてカラオケに行くみたいな……そんな感覚とも、定義が少し曖昧なことも付け加えた。
(つまり、夜野くんは俺が惚れても嫌じゃないってこと……だよね)
条件は一応お互いが納得するようにと話し合った。そのため、俺も異議なしだ。後は「お互いが困っているときに助けること」くらい軽い条件を提示してくらいだ。
(なんか、ますます夜野くんって謎だな)
注目されたくないのに、逆に注目されるようなことを要求する。
口は悪いけど、俺のことちゃんと見てくれるし、意外と優しいところがあるのかもしれない。
(うーん、とりあえず期限付きの恋人になったって感じ、だよな。うん)
一列になり、悶々と自転車を押しながら歩いていると、自動販売機が見えてきた。もってきた水筒も空になったし、家に帰るまでもう少しあるので水分補給をしようと自転車を止める。
「朝比奈、急に止まってどうしたんだよ」
「喉乾いたなーって思って。夜野くんの分も俺が驕るよ」
「……いいって」
「今日、楽しかったからそのお礼」
誰かと二人きりで遊びに行くなんてめったにない。いつも三人以上がデフォルトだ。
しかも、まだ会話が成立するようになって間もない、恋人になっちゃったけど仲がいいとは言えないクラスメイトと二人きりなんて。俺史上初めてのことかもしれない。
それでも、夜野くんと二人きりの空間は嫌じゃなかったし、むしろ楽しかった。
気をつかわなくていいって言ってくれたからか、自然体でいられたし、そんな俺に引かないでくれた。
後ろで夜野くんが自転車を止めたのを気配で確認し、自動販売機のラインナップを見る。この中だったらやはりサイダーだろうか。
「夜野くんは……」
「じゃあ、俺これ」
サイダーを指さしているところに重ねるようにして、夜野くんが同じものを指さした。「一緒」と耳元でささやかれ、ポポポポと顔に熱が集まるのを感じる。
「い、一緒」
「恋人だし、回し飲みでもいいけど」
「よよよよっよ、良くない。間接キスになっちゃうだろ!!」
「恋人なのに。変なところ気にするんだな」
「夜野くんは、俺と間接キスとか嫌でしょ」
そう、夜野くんのほうを見れば、どことなくしょぼんとした顔をしていた。それがどんな感情なのかわからず首を傾げれば「じゃあ、おごって」という。
(い、意識しすぎてるだろ。俺……)
いつもは、男子同士で回し飲みはするが、このときだけは意識してしまってダメだった。
いや、もう事故チューしてしまっているから今更と言えば今更だが。
「じゃあサイダーね」
五百円玉を入れ、サイダーのサンプルの下のボタンを押す。
ガコン、と取り出し口からサイダーが出てくると同時に、この自動販売機は当たるともう一本選べるやつなのか、数字がパタパタと動き出す。それから電光掲示板に「7777」と表示され見事当たる。再度、ボタンが点灯した。
「当たった」
「よかったな。一本お得」
後ろでカシュっとサイダーの音がする。俺もサイダーを選び、取り出し口に手を突っ込んでサイダーを取り出す。
それから後ろを振り返るが、夜野くんは何故かまだサイダーを飲んでいないようだった。
「待っててくれたの?」
「恋人待ってただけ。悪いか?」
語気を強めてそう言うので、全力で首を横に振る。
「じゃ、じゃあ、乾杯とかしない?」
「乾杯? 何に対して?」
「えーっと、付き合って初めてカラオケ行った記念?」
「何だそれ」
やはりそっけなかったが、夜野くんの表情はやわらかかった。
いつもは自分の席でむすっと不愛想な顔をしているのに、次々に見れる夜野くんの新鮮な表情に目を奪われる。
(まだまだ、夜野くんのこと知らないことばかりだけど。恋人でいるうちにもっとわかっていくのかな)
そんな期待が胸に生まれる。だって、大学生になるまでこの恋人期間は続くのだから。
俺はサイダーの入ったペットボトルを握る。水滴が手のひらを濡らしていく。
(楽しいし、心がちょっとフワフワする)
夕田たちと遊びに行くときはこんな感覚しないのに、何故か夜野くんといるといつもより楽しかった。
そんなことを思っていると、「乾杯しないのかよ」と言われてしまい、慌ててふたを開ける。
「じゃあ、俺たちが付き合って初めてカラオケ行った記念に乾杯」
「乾杯」
グラスみたいにカチンと音はならないけど、ぶつけたペットボトルはペコっと音が鳴る。
透明なサイダーは夕日を反射してオレンジ色に染まっていて、いつもとは少し違った味がした気がした。



