ラッテを家に連れて帰ると、すでに帰宅していた母は満更でもない様子で迎えてくれる。

「へぇ、結構器量良しじゃない」
「可愛いだろう?」
「可愛いのは認めるけど、ちゃんと飼い主探しなさいよ」

 どうやらここはラッテの永住の地にはならないらしい。ふと二階堂先生の言葉が頭をよぎる。

「可愛がりすぎるなとか無理だよな」

 先生の難題に苦笑した。

 九月最後の土曜日は雨だった。どうしたことか最近、雨の音が今までよりも大きく聞こえるような気がする。

 しとしと、ザアザア――

 それ以外に雨の音を表現する言葉など、今までの僕は持ち合わせていなかった。だけど今では、雨の音が音楽や歌声のようにすら聞こえてくる。
 時に叫ぶように、時に囁くように、まるで一つ一つの雨粒が使命を持って世界に降りてくるように、僕に何かを訴えかけてくる。ざわざわと心をかきむしられるような気がした。
 今までの死にたくなる衝動とは少し違う、なんだか落ち着かない気持ちになる。
 
 外は雨だというのに、温室の中は雨が降らない。奏さんは天井のガラスに当たって流れ落ちる雫を見上げていた。

「私、雨の音が苦手だったんです」

 出会った日のことを思い出す。あれも雨の日のことだった。雨の音が聞きたいといって空を見上げていた。思えば、僕はあのときすでに奏さんのことが気になったいたのだ。僕と似ているような気がしたのだ。

「出会ったときもそんなことをいっていたね、でもあの時は雨の音を聞きたいって」

 奏さんは天井を見上げたまま雨の音に耳を澄ましているように見えた。

「なぜか、朔さんと出会ってから、雨の音が嫌なものではなくなったんです。今は優しい音に聞こえます。それに、時々何か訴えてくるような気がして……おかしいですよね、ただの雨なのに」

 奏さんは少しだけ表情を陰らせる。僕はぐっと胸を掴まれるような気がした。雨の日の奏さんは、どこか儚い。吹けば消えてしまうような、そんな心もとなさがあった。
 僕と似ている。雨の日の奏さんは、なんとなく生きることを放棄したがっているように見えた。

「僕も、雨の音――というか水自体がが苦手なんだけど。僕にも雨の音が、何かを訴えかけてくるように聞こえる」
「朔さんも?」

 奏さんは目を丸くして僕を見た。そして、三日月のように細める。

「やっぱり似てますね、私たち」
「似てるかもね」

 つられて僕も笑う。穏やかな時間だと思った。ひっくり返したばかりの砂時計の砂が、ゆっくりと落ちていくように、静かな時間が流れている。僕たちを包むのは、囁くような雨の音だけだ。

 死にたがりの僕たちなら、互いを理解できるかもしれない。

「ラッテも水は苦手ですか? 猫だから」

 奏さんに問われて、僕は家で丸くなっているであろうラッテのことを思い出す。
 シャワーを浴びることが怖くなくなった僕は、時々ラッテを洗ってやろうとするのだが、いつも嫌がって逃げ出すのでなかなか風呂に入れることが出来ない。

「猫だからね」

 僕と奏さんは顔を見合わせて笑った。

「そうだ、今日はこれを渡そうと思っていたんです」

 奏さんは肩から掛けている鞄の中から小さな袋を取り出した。金色の細長い物が入っている。奏さんはその袋を僕の掌に乗せた。見ると、小さな羽のような装飾が付いている。ちょうと、今日奏さんがつけているイヤリングと同じ形の羽だった。落ち着いたセンスの良いネクタイピンだ。

「これは、タイピン? 君が作ってくれたの?」
「はい! 朔さん、今度スーツを着られるといわれていたので。ネクタイピンを作りました」
「ありがとう、付けていくよ」

 素直に嬉しかった。こんなふうに贈り物をもらったのは初めてだったかもしれない。何かお返しをしたいと思うが、とっさには思いつかなかった。

「大事にしてくださいね」
「もちろん」

 僕は受け取ったネクタイピンをポケットの中にしまう。家に帰ったら失くさないように机の中に入れておこうと思った。雨が止む気配はない。

「雨が降っているのに水を遣るなんて、なんだかおかしいですよね」

 奏さんはプランターに水を撒きながらそんなことをいった。奏さんが植えたひまわりはすっかり枯れてしまって、今は違う植物が植えられている。何が咲くのか、聞かずに楽しみにしていようと思っていた。

「温室の中には雨が降らないからね」

 まるで大きなテラリウムだ。美しい箱庭は、人の管理がなければきっと簡単に壊れてしまう。