次に目を覚ましたのは病院のベッドの上で、僕を救ってくれた人の葬儀はすっかり終わっていた。

 葬儀の日は大雨にも関わらず、多くの人が参列したそうだ。昏睡状態の僕の代わりに参列してくれた母さんが教えてくれた。

 僕も、お礼をいいに行かなければいけないのに、まだ、墓参りにすらいかないまま、僕は彼の死を自分に都合の良いように乗り越えようとした。

 だから、罰が当たったんだ。

 奏さんは、僕を助けてくれた水無瀬さんの妹さんだった。僕が、彼女のたった一人の肉親の命を、奪ってしまった。それなのに、のうのうと生きて奏さんを好きになったりして。
 
 僕は、最低だ。

 奏さんに死ねばいいと思われて、当然だ。僕は生きていてはいけない。

 雨の音が苦手なのは、葬儀の日に雨が降ったと聞いたからだ。雨の音は、僕の心に何かを訴えかけてくるから。

 息が、苦しくなる。

 波の音がする。いや、違う、これは、雨の音。

 はっと目を覚ますと、僕は研究室の中にいた。仮眠をとる用のソファで眠っていたらしい。さっきまで、奏さんと一緒に鎌倉にいたというのに、これはいったいどういうことだ。
 あれは、夢だったのだろうか……。だとしたらひどい悪夢だ。

「目が覚めたか馬鹿野郎、心配させやがって」
「先生……」
「亜弓にいわれて鎌倉まですっ飛んでいったんだよ。感謝しろ」
「すみません……」

 やはり夢ではなかったらしい。僕は鎌倉ですべてを知った。

 奏さんが水無瀬さんの妹だと知った僕は、その場で気を失ったのだろう。情けない。情けないけど、こればかりは仕方がない。
 僕は、水無瀬さんが助けた少年、鈴木悠朔(すすきゆうさく)に他ならない。

「奏が、血相を変えて亜弓に電話かけて来た。たまたま一緒にいたからすぐに来られたけどな、重いったらありゃしない。腰が悪くなりそうだ。こんなデカいガキのお守は二度とごめんだからな」

 ため息を吐く先生に、なにもいえなかった。起き上がってソファに腰かけなおすと、先生が背を向けたまま声をかけてくる。

「おまえ、奏のことが好きなんだろう?」
「……はい。でも、そんな資格がないことがわかりました。僕は……」

 奏さんに、出会ってはいけなかった。奏さんにとって、僕は憎んで止まない相手だ。

 僕がそうつぶやくと、先生は突然立ち上がって僕の胸倉をつかんだ。

「おまえな、そういう中途半端な覚悟で奏のことを好きになったのか」
「先生……でも僕は……。僕たちは……先生たちみたいには、なれない」

 亜弓さんと二階堂先生みたいに、想い合うことはできない。僕の存在は、奏さんを悲しませる。

「でもじゃねぇよ。おまえ、自分ばっかりが傷ついてると思うなよ。おまえにしか、救ってやれないやつだっているんだ」

 僕にしか、救えない。そんな人がいるわけない。

「そんな人、いるわけない」

 そう呟くと、二階堂先生がものすごい形相で睨んでくる。

「おまえ、いつまで自分だけが可哀そうでいるつもりだ。どうせ生き残って悪かったなんてどうしようもないこと考えてんだろ」
「……」

 先生の言葉は僕の心の中をそのまま露呈している。何も言い返せない。

「自分だけが辛いと思ってんだよ。おまえと同じ様に、それ以上に、辛いやつがいることを忘れんなよ」

 外で、雨が降っている。誰かの、声がする。

「奏が好きなら、おまえは誰よりも、奏のことを考えてやらなきゃいけないだろ。あいつの兄貴が死んだ分も、おまえが奏を守ってやんなきゃ、誰があいつの心を守るんだよ」

 僕が、奏さんを、守る。何を馬鹿なことを言っているのだ。駄目だ。奏さんは、僕を見るたびに悲しい気持ちになる。怒りを思い出してしまう。奏さんは、僕に消えて欲しいと思っている。

蒼佑(・・)がおまえを助けたんだろ。あいつの命、無駄にすんなよ」
「先生……どうして、その人のことを、知ってるんですか?」

 『ソウスケ』といって思い出すのは一人しかいない。僕を助けてくれた人だ。水無瀬蒼佑さん。ただ一人、あの事故で亡くなった。僕のせいで亡くなった。僕は人殺しだ。

 先生は大きなため息を吐くと、掴んでいた僕の胸倉を放した。
 
「俺はむこうの出身だ。蒼佑、奏の兄貴とは物事心ついたときから高校まで一緒だった。奏とは年が離れてるからそんなに接点なかったし。俺のことなんかきれいさっぱり忘れちまってたけど。あいつがこっちに来てからもそれなりに気にかけててな、俺が大学に戻ってきたのは奏がうちの学校に進学したからっていうのもある。奏は、俺のことをすっかり忘れてたみたいだけどな」

 知らなかった、知るはずもない。僕はずっと、自分のことしか考えてこなかった。誰が何を感じて、苦しんで、必死で悲しみを嚙み潰してのかなんて、気が付く余裕がなかったのだから。

「僕のことは……」
「おまえのことなんか知らなかったよ。だけど、ちょっと気にかかることもあって亜弓に聞いたんだ。そしたらおまえはあの時のガキだっていうじゃないか。苗字が違うから気が付かななかった。神様も粋なことしやがるって思ったのによ、当のおまえがそんなにポンコツでどうするんだよ」
「でも先生、僕のせいで、奏さんのお兄さんは帰ってこなかったんじゃないかって……」

 少なからずそういう声があった。僕を助けたことで、水無瀬さんは逃げ遅れたんじゃないかって。僕も、そうだと思っていた。僕がいなければ、水無瀬さんは生きていたかもしれない。奏さんは死にたいと思うほどの悲しい思いをしなかったかもしれない。

「おまえのせいじゃない。蒼佑はおまえを助けたんだ、それはおまえに罪の意識を背負わせるためじゃねぇ。生きて欲しいからだろ」
「先生、でも、僕がいなければって思ってる人だって、いるんです。奏さんは、僕が」

 死んでいたら良かったって……。

「おまえの苦しい気持ちもわかる。辛いと思う。だけどおまえも考えてみろ、想像してみろ。自分が好きなやつに死ねばいいなんていっちまったやつの気持ちを、好きなやつを、傷つけたほうの気持ちをさ」
「え……」
「わかんねぇなら想像してみろ、奏に死ねっていってみろ、頭ん中で」
「そんなこと、できるわけない。いったら奏さんがなんて思うか。本当に死んだりしたら、僕は……」

 はっとした。

 奏さんは今、どんな気持ちでいるんだろう。お兄さんが助けた相手が僕だって知らなかったら吐露してしまったんだ。
 兄の代わりにあの子が死ねば良かった、そう思う自分が嫌になると。あんなに訴えていた奏さんが、今、平気でいるはずがない。

「おまえにしか奏は支えてやれねぇんだよ。奏が兄貴を亡くした悲しみを乗り越えるために、兄貴が救ったおまえが奏を救ってやれ。 おまえにしか癒やせない傷がある。おまえの生きる理由はそれでいいだろうが」

 僕にしかできないこと。
 僕にしか癒やせない傷。

「船は事故だろ、おまえのせいじゃない。助かったおまえが思い悩む必要なんかない。ただ、生きていることを喜べばいいんだよ。それが、蒼佑へ餞だ。蒼佑の分まで一生懸命生きるとかぬかすんじゃないぞ、ただただ、おまえはおまえのために幸せになればいい。あの日、もしもおまえが死んだりしてたら、蒼佑は一生苦しんだはずだ。あいつはそういうやつだから」

 外で、雨が降り注いでいる。雨の音がする。声が、聞こえる。

『 い き て 』

 水無瀬さん、僕は生きていてもいいですか? 奏さんを好きになってもいいですか?

 違う、その答えを誰かにゆだねるのは間違っている。僕は逃げて来ただけだ、ずっと、自分の命を背負うことから逃げてきた。
 
「先生、奏さんが今どこにいるか知っていますか?」

 奏さんが、泣いているような気がした。今すぐに行かなくてはいけない。僕は雨に急き立てられるように駆けだした。