翌月曜日、授業を終えてバイト先に行くと、奏さんがカウンター席に座って亜弓さんと談笑していた。
「朔さん! お邪魔しています」
秋の足音が聞こえてきたからだろう。奏さんは夏の間結い上げていた髪の毛を下ろしていた。長い髪が小さな背中を包んでいる。着ている服も生地の厚いものにかわっていた。奏さんはオシャレだ。会うたびに服装も髪型も違う。
「朔さん、知ってましたか? このヒイラギ、亜弓さんが園芸部の時に温室で育てていたんですって」
仕事着に着替え、髪を整えてから表に戻ると、奏さんが嬉しそうに話しかけてきた。奏さんは僕の知らない情報を次々と亜弓さんから引き出してくる。
「知らなかった」
「朔ちゃん、植物に興味なかったもんね。奏ちゃんに会ってからだよ、植物に興味を持ち始めたの」
亜弓さんがとんでもないことをいいだすので、僕は顔が熱くなるのを感じながら、慌てて否定しようと口を開こうとした。すると、「違いますよ」と奏さんが笑いながら首を横に振る。
「朔さんは東洋医学研究部に入ったから植物に興味を持ち始めたんですよね」
「うん」と頷きながらも、僕は少しがっかりしていた。奏さんが否定してくれてありがたいと思う気持ちもあるが、このやりきれなさはなんだろう。
「朔さん、顧問の先生と馬合うみたいなんです」
「へぇ、東洋医学研究部って私の時もあったけど、面倒な准教授の先生が顧問じゃなかったっけ? 朔ちゃん馬が合うの?」
亜弓さんが驚いたような顔をする。とんでもない、一度だけ何かの折に見たことああるけれど、あの先生とは天地がひっくり返ってもそりが合わないだろう。
「あの先生、他の大学に引き抜かれて急遽退職したんだよ。代わりに二階堂先生っていう助教の先生が来た」
僕がそういった途端、亜弓さんは持っていたコーヒー豆の缶を落した。床に豆の粒が広がる。
「ごめん、箒持ってくる」
僕と奏さんは亜弓さんが箒を持って戻ってくる間に豆を拾い集める。なかなかもどってこない亜弓さんを待っているうちに、豆を拾い終えてしまった。終わったころ慌てた様子で亜弓さんが戻ってくる。
なんだろう、零れ落ちたコーヒーの一粒一粒が、亜弓さんの気持ちのように見えた。バラバラになった気持ちみたいだなんて、考えすぎかな。
「ごめんなさい、なかなか見つからなくて……。片づけてくれてありがとう。あぁ、勿体ないことしちゃたわ」
拾い集めた豆を泣きそうな顔で捨ててから、亜弓さんは苦笑いを浮かべた。今、亜弓さんはコーヒー豆と一緒に、何を捨てたんだろう。
僕は奏さんと顔を見合わせる。奏さんは何か思い当たるところがあるのか、複雑そうな顔をしていた。何かいいたそうに僕を見るけれど、亜弓さんのいる場所では話せない。そんなもどかしそうな表情だった。
「ごめんね二人とも。あ、いらっしゃいませ!」
カランと入り口の鐘が鳴ったので、亜弓さんはいつもどおり笑顔に戻った。
恒例の土曜日、温室に行くと、奏さんが噛みつくような勢いで僕に話しかけてきた。
「朔さん! やっとお話しできますね! 私、朔さんと話したくて話したくて、この四日間何も手付かずでした! 何度か連絡しようって思ったんですけれど、やっぱり直接お話したくて!」
あまりの剣幕に、僕は思わず仰け反る。こんな風に誰かに歓迎されるのは初めてだ。まぁ、内容は亜弓さんのことに決まっているだろうけど。
「月曜日の亜弓さん、変でしたよね。あれから変わりありませんか?」
問われて僕はそういえば……と火曜日から四日間のことを思い出す。亜弓さんはいつもどおりに見えても、どこか心ここに有らずだったような気がする。四日間でマグカップを五つ割った。もともとそそっかしいところがあるが、僕が知る限り過去最多の頻度である。
「なんだか心ここに在らずな感じがする」
僕の報告に、奏さんは深くうなずいた。
「ですよね。あの、私、この前朔さんにネクタイピンをあげたじゃないですか」
突然話題が変わって僕は少し戸惑う。奏さんと話していると時々こういうことがあるから慣れてきたといえば慣れてきたのだけれど。
「ありがとう、学会の日に付けて行ったよ」
「本当ですか! 嬉しいです」
奏さんは両手を叩いて喜んでから、「それでですね」と話をつづけた。
「私、亜弓さんと一緒にネクタイピンを作っていたんですけれど、亜弓さんがそれを見て懐かしいなっていったんです」
なるほど、話は亜弓さんのことに戻ってくるのか。なんだかブーメランみたいだなと思ってちょっと可笑しくなる。
奏さんの話によると、どうやら、以前亜弓さんも誰かにネクタイピンをプレゼントしたことがあるらしい。
「この前も奏さんと一緒に作っていただろう?」
「あれは友達から頼まれたっていってましたから違いますよ。もっと前のことだと思います。きっとその好きな人にあげたんじゃないかって思うんです」
「早計だよ」
「いいえ、私、こういう勘は当たる方なんです」
女の勘というやつか。確かに侮らない方がいいのだろう。少なくとも僕はそう思うので奏さんの考えを強く否定しなくなかった。
「二階堂先生、怪しくないですか?」
唐突にそんなことをいうものだから、僕はむせった。器官に異物が入り込んで咳が止まらない。ゴホゴホと咳込んだ僕は、まともに息ができるようになるまで、かなりの時間を要した。
「すみません、大丈夫ですか」
背中をさすってくれる奏さんの手が優しい。羽のように柔らかい手だと感じた。
「ごめん、あまりにも突飛なことをいうから」
「突飛じゃありませんよ。あの日の亜弓さんを思い出してください、普通に考えたら二階堂先生と何か関係があるに決まっています」
亜弓さんが二階堂先生の名前を聞いた途端にコーヒー豆を取り落としたことから考えだしたのだろう。確かに不自然な行動だけど、二階堂先生と亜弓さんの接点が全く見つけられない。いや、そういえばふたりは同じ大学の卒業生だけど。
「とにかく、調査しましょう朔さん! 私は亜弓さんから聞き出しますから、朔さんは二階堂先生に当たってください」
「えぇ……」
僕は乗り気ではない。はっきりいうと嫌だ。だけど、この使命感に燃える奏さんの火を消す術がわからない。
「亜弓さんに迷惑だよ。二階堂先生にも」
僕はいくらにもならない水を差してみる。
「違ったら違ったでいいんです。ほら、研究みたいなものですよ。仮説を立て、実験をし、考察して結果を出すんです」
「でも」と渋ったが、これ以上奏さんを止める術がわからなかった。僕はつむじ風に巻き取られるように、奏さんと一緒に二階堂先生と亜弓さんの接点探しを始めることになったのである。
「朔さん! お邪魔しています」
秋の足音が聞こえてきたからだろう。奏さんは夏の間結い上げていた髪の毛を下ろしていた。長い髪が小さな背中を包んでいる。着ている服も生地の厚いものにかわっていた。奏さんはオシャレだ。会うたびに服装も髪型も違う。
「朔さん、知ってましたか? このヒイラギ、亜弓さんが園芸部の時に温室で育てていたんですって」
仕事着に着替え、髪を整えてから表に戻ると、奏さんが嬉しそうに話しかけてきた。奏さんは僕の知らない情報を次々と亜弓さんから引き出してくる。
「知らなかった」
「朔ちゃん、植物に興味なかったもんね。奏ちゃんに会ってからだよ、植物に興味を持ち始めたの」
亜弓さんがとんでもないことをいいだすので、僕は顔が熱くなるのを感じながら、慌てて否定しようと口を開こうとした。すると、「違いますよ」と奏さんが笑いながら首を横に振る。
「朔さんは東洋医学研究部に入ったから植物に興味を持ち始めたんですよね」
「うん」と頷きながらも、僕は少しがっかりしていた。奏さんが否定してくれてありがたいと思う気持ちもあるが、このやりきれなさはなんだろう。
「朔さん、顧問の先生と馬合うみたいなんです」
「へぇ、東洋医学研究部って私の時もあったけど、面倒な准教授の先生が顧問じゃなかったっけ? 朔ちゃん馬が合うの?」
亜弓さんが驚いたような顔をする。とんでもない、一度だけ何かの折に見たことああるけれど、あの先生とは天地がひっくり返ってもそりが合わないだろう。
「あの先生、他の大学に引き抜かれて急遽退職したんだよ。代わりに二階堂先生っていう助教の先生が来た」
僕がそういった途端、亜弓さんは持っていたコーヒー豆の缶を落した。床に豆の粒が広がる。
「ごめん、箒持ってくる」
僕と奏さんは亜弓さんが箒を持って戻ってくる間に豆を拾い集める。なかなかもどってこない亜弓さんを待っているうちに、豆を拾い終えてしまった。終わったころ慌てた様子で亜弓さんが戻ってくる。
なんだろう、零れ落ちたコーヒーの一粒一粒が、亜弓さんの気持ちのように見えた。バラバラになった気持ちみたいだなんて、考えすぎかな。
「ごめんなさい、なかなか見つからなくて……。片づけてくれてありがとう。あぁ、勿体ないことしちゃたわ」
拾い集めた豆を泣きそうな顔で捨ててから、亜弓さんは苦笑いを浮かべた。今、亜弓さんはコーヒー豆と一緒に、何を捨てたんだろう。
僕は奏さんと顔を見合わせる。奏さんは何か思い当たるところがあるのか、複雑そうな顔をしていた。何かいいたそうに僕を見るけれど、亜弓さんのいる場所では話せない。そんなもどかしそうな表情だった。
「ごめんね二人とも。あ、いらっしゃいませ!」
カランと入り口の鐘が鳴ったので、亜弓さんはいつもどおり笑顔に戻った。
恒例の土曜日、温室に行くと、奏さんが噛みつくような勢いで僕に話しかけてきた。
「朔さん! やっとお話しできますね! 私、朔さんと話したくて話したくて、この四日間何も手付かずでした! 何度か連絡しようって思ったんですけれど、やっぱり直接お話したくて!」
あまりの剣幕に、僕は思わず仰け反る。こんな風に誰かに歓迎されるのは初めてだ。まぁ、内容は亜弓さんのことに決まっているだろうけど。
「月曜日の亜弓さん、変でしたよね。あれから変わりありませんか?」
問われて僕はそういえば……と火曜日から四日間のことを思い出す。亜弓さんはいつもどおりに見えても、どこか心ここに有らずだったような気がする。四日間でマグカップを五つ割った。もともとそそっかしいところがあるが、僕が知る限り過去最多の頻度である。
「なんだか心ここに在らずな感じがする」
僕の報告に、奏さんは深くうなずいた。
「ですよね。あの、私、この前朔さんにネクタイピンをあげたじゃないですか」
突然話題が変わって僕は少し戸惑う。奏さんと話していると時々こういうことがあるから慣れてきたといえば慣れてきたのだけれど。
「ありがとう、学会の日に付けて行ったよ」
「本当ですか! 嬉しいです」
奏さんは両手を叩いて喜んでから、「それでですね」と話をつづけた。
「私、亜弓さんと一緒にネクタイピンを作っていたんですけれど、亜弓さんがそれを見て懐かしいなっていったんです」
なるほど、話は亜弓さんのことに戻ってくるのか。なんだかブーメランみたいだなと思ってちょっと可笑しくなる。
奏さんの話によると、どうやら、以前亜弓さんも誰かにネクタイピンをプレゼントしたことがあるらしい。
「この前も奏さんと一緒に作っていただろう?」
「あれは友達から頼まれたっていってましたから違いますよ。もっと前のことだと思います。きっとその好きな人にあげたんじゃないかって思うんです」
「早計だよ」
「いいえ、私、こういう勘は当たる方なんです」
女の勘というやつか。確かに侮らない方がいいのだろう。少なくとも僕はそう思うので奏さんの考えを強く否定しなくなかった。
「二階堂先生、怪しくないですか?」
唐突にそんなことをいうものだから、僕はむせった。器官に異物が入り込んで咳が止まらない。ゴホゴホと咳込んだ僕は、まともに息ができるようになるまで、かなりの時間を要した。
「すみません、大丈夫ですか」
背中をさすってくれる奏さんの手が優しい。羽のように柔らかい手だと感じた。
「ごめん、あまりにも突飛なことをいうから」
「突飛じゃありませんよ。あの日の亜弓さんを思い出してください、普通に考えたら二階堂先生と何か関係があるに決まっています」
亜弓さんが二階堂先生の名前を聞いた途端にコーヒー豆を取り落としたことから考えだしたのだろう。確かに不自然な行動だけど、二階堂先生と亜弓さんの接点が全く見つけられない。いや、そういえばふたりは同じ大学の卒業生だけど。
「とにかく、調査しましょう朔さん! 私は亜弓さんから聞き出しますから、朔さんは二階堂先生に当たってください」
「えぇ……」
僕は乗り気ではない。はっきりいうと嫌だ。だけど、この使命感に燃える奏さんの火を消す術がわからない。
「亜弓さんに迷惑だよ。二階堂先生にも」
僕はいくらにもならない水を差してみる。
「違ったら違ったでいいんです。ほら、研究みたいなものですよ。仮説を立て、実験をし、考察して結果を出すんです」
「でも」と渋ったが、これ以上奏さんを止める術がわからなかった。僕はつむじ風に巻き取られるように、奏さんと一緒に二階堂先生と亜弓さんの接点探しを始めることになったのである。



