「それでお前ら、付き合ったのかよ?」
向かいに座る(てつ)にあまりにナチュラルに聞かれて、俺の落としたペンがコロコロと殿井(とのい)の方へと転がった。
「それがぁ、七瀬(ななせ)が意地張って拗ねちゃってぇ、返事くれないんですぅ」
悪ノリの殿井がギャルみたいな話し方をするが、全然かわいくない。
「お前早く返事してやれよ。こんないい男もう捕まえらんねぇぞ」
鉄が隣に座る殿井を親指で指すと、「よろしくお願いしまーす」と殿井が俺のペンをうやうやしく渡してきた。
ペンはもらう、俺のだし。
この茶番を見ていた俺の隣に座る(やなぎ)は爆笑しているので、俺は肘で柳をついた。それでも笑いは止まらないらしい。
「あのさぁ…、テスト勉強飽きたからって人で遊ばないでくれる!?勉強教えてんの誰だと思ってんの!?」
「それは本当に感謝している」
怒った俺が声を抑えながらテーブルを叩くと、鉄は俺を拝んだ。
「とりあえず続きおねがいします、殿井先生」
「うん、問2間違ってるからとりあえず解きなおそうか」
数学を解いていた鉄は、軽やかに殿井にリテイクをくらってショックを受けているようだ。
「菅谷先生、俺も~」
俺の隣では柳が英語のテキストを寄せて来た。
「どれ?」
「これ」
「いや、単語は自分で覚えて」
「菅谷先生、つめたぁーい」
放課後、ファミレスに来た俺達は理系を殿井、文系を俺が二人に教えている。
鉄と柳はカードゲームの予選大会に夢中になりすぎたあまり、テスト範囲のほとんどがわからないと言い出した(大会は順調に勝ち続けているらしい)。
「今年は勝ちあがったら最後会場が広島なんだよ~!夏休みに補講行ってる場合じゃないんだよ~!」
そう言って柳がしがみついてきた。鉄にもしがみつかれた時は、絞め技食らっているかと思った。
「ちょっ、俺の七瀬に抱きつかないで!」
そんな柳と鉄を剥がそうと殿井が走って来るわ、まだお前のものになった覚えはないと殿井に言うと「えへ~」とふわふわ笑顔に誤魔化されそうになって、めっちゃ面倒くさかった。
(でも、面白かったな──)
こういう友達付き合いって初めてだ。
思い出してくすくす笑っていると、
「菅谷が俺らのできなさ具合に笑ってる。柳、相当ヤバいぞ」
「俺、今日から寝ない」
二人が真剣な表情でそんなこと言うから、また笑えてきてしまった。
「いや、ごめん。なんでもないから気にしないで」
口元を手で隠しながら笑っていると、殿井が優しい目をして、いや、デレッとした顔をして俺を見ていた。
「……なに?」
「え?かわいいなって」
「あっそ」
こういうのは、とりあえず聞き流すのが一番だ。
殿井からのかわいい攻撃にもだいぶ慣れて来た俺は、もう動揺したりはしない。
「お前ら、いちゃつくなら帰ってからにしろ」
「あと菅谷、俺のカーディガン伸びるからやめて」
柳に言われてみると、柳のカーディガンの裾を思いっきり引き延ばしていた。
「ごめん」
パッと手を離した俺は、またちらりと殿井に目をやった。さっきよりもデレデレ具合が上がっている。
(そんな顔してこっち見てくんな)
しばらくの間、顔を上げられなかった。だって恥ずかしすぎる。
殿井の顔見るだけで”好き”って言われてる気がするから。

「二人とも大丈夫かな?」
「今からやれば、大丈夫だと思う。3週間前から勉強してるとか、計画性あるよな」
「絶対に補講に行きたくないんだろうね」
また前と同じように、殿井と登下校を一緒にするようになった。けど、前とは全然違う。
俺はちらりと見上げた殿井の、唇ばかり見てしまう。
(あの唇と、キスしたのか……)
ふとしたときにそう思ってしまい、自爆してしまう。
「ん~っ……」
「なにしてるの?」
のんきな殿井の声が降って来ると、なんでこいつはこんな普通にできるのかと思う。
「なんでもない」
絶対に顔を上げられない。両手で隠した顔は熱いし、目も潤んできたし、なんかにやける。”お前のこと意識してる”が前面に出てる顔なんて見られたくない。
「七瀬はテスト大丈夫?」
顔はさらせないので、どうしようもなくて俺は両手をずらして片目だけ出した。
「まぁ、数学がヤバいけど、あと3週間あるから大丈夫だと──」
「じゃあうち来なよ!俺が教えたげる!」
「え?」
「そうと決まったら行くよ」
「えぅ、おい!」
そのまま殿井が俺の手を引っ張って坂を駆け上っていく。いくら殿井の足が速くないと言っても、俺はもっと遅い。
マンションの前に走りついた時には、俺の肺はえらいことになっていた。でも殿井も膝に手をついて息切れしてた。
「やっぱ、坂は、きついね」
「……っ」
殿井があごをつたう汗をさわやかに拭く中、俺は息切れしすぎて、ひゅーひゅーと細い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
(お前が、走り出したんだろうがっ……!!)
俺が目を見開いて無言の圧をかけると、「ほんとごめんね」と両手を顔の横に合わせて謝られた。
 殿井の家のテーブルに、今日も二人並んで座った。
先に問題を解き終わった殿井は鼻歌交じりでお茶とせんべいを出してくれた。
「じいちゃんかよ」
「いや、うまいんだって」
そう言われて食べてみると確かに。甘じょっぱくて美味しかった。
バリバリとせんべいを食べ終わり、俺は再び問題に向き合った。
(集中、集中……)
心の中で呪文のように何度も唱えながら、わき目もふらずに問題に向き合った。
けど、数学はやっぱ苦手だ。
「なぁ殿井、ここなんだけど──」
問題で分からないところが出てきて、隣の殿井を見上げると
「なに?」
殿井はじーっと俺を、まるで観察しているようだ。穴が開きそうなくらい見てくる。
「ん?なんでもないよ」
そう言って殿井はゆっくりと俺の前髪に手を伸ばし、ゆるく髪をかきわけてきた。
「……っ」
殿井の目が、その指先が優しくて、
(無理無理無理、この雰囲気ほんと無理!!)
こないだキスしたときと同じ並びってだけで、こっちは心の中で叫びまくってるっていうのに、なんでこんなに余裕なんだと一周まわって腹立ってくる。
「かわいい」
「ひぇっ……」
テーブルに手をついて、殿井は俺に顔を近づけた。
「チューしていい?」
「……そういうの、聞くなよ」
なんでもないの皮を被ったが、もう恥ずかしいし照れるし頭の中がハチャメチャだ。
(なんで断らないんだ俺!?聞くなよってなに!?今だってこんなに精いっぱいなのに意地張るな!今すぐ断るんだ!)
もう一人の俺からの声が耳に響いてきたが、遅かった。
「とのい、やっぱ、ちょっとま──」
そう言ってる間に、すっかり顔を近づけられてしまって、殿井から顔を背けて、顔の前を両手で防御した。
「なーなーせ、目開けて?」
殿井がしゃべると手にその感触が伝わってきて、声も甘く優しく言ってくるから、飛び出しそうな心臓を、どこか期待してしまう気持ちに押しつぶされそうになりながら、俺はそっと目を開けた。
「ドキドキしてる?」
俺の両手の隙間から、殿井の真っ直ぐな目が俺に突き刺さる。
「……してる」
「なんで?」
「それは──」
たった一言、でもそのたった一言はすごく大きくて、口から出すのにとても勇気がいる言葉。
「七瀬は真面目で、不器用で、こわがりな分慎重で、律儀で、相手のことをしっかり考えてくる。それはすごくいいところ。でも今は、俺を好きって感情に任せて」
「殿井──」
「七瀬、これが好きじゃないと思う?」
殿井は俺の手を殿井の心臓に当て、殿井の手を俺の心臓に当てた。
「こんなに心臓うるさいのに、好きじゃないって思う?」
殿井の切ないまでの声に、その目に、痛いほど感情が伝わってくる。
「七瀬、俺は七瀬が好きだよ。七瀬は?」
殿井に取られてない方の腕で、俺は目隠しした。
「……俺も」
「七瀬、こっち見て?」
無理にじゃなく、でもゆっくりと殿井は顔を隠していた俺の腕を下げた。
「七瀬、ちゃんと言って?」
「……今日は、勇気がない」
「じゃあ今すぐ生成して」
「……っ」
「なーなーせ、ね?お願い」
あやすように言われてるってわかる。
殿井がずっと待っててくれてるってわかってる。
受け入れてもらえるってわかってる。
でもずっと自分の気持ちに自信がなくて、こわがってばかりいたから、伝えたくても伝えられないままでいた。
でも俺だって本当はもうこわがりたくない。自分の気持ちを伝えたい。ただこの気持ちを俺自身が認めたい。だってこの気持ちが嘘なわけがないから。
俺はまっすぐに殿井の目を見た。
「……………殿井が、好きだ」
声が震えた。

「もうほんと俺いつ言ってくれるのかと思ってさぁ」
さっきの緊張感からは解放され、新たな緊張感に包まれた。
(これ以上くっつかないでくれ~)
俺はドキドキしすぎて全身が脈打つようだ。
殿井は俺のつむじにあごを乗せたかと思うと、そのまま頬ずりしてきた。
「こないだいい感じだったから、すぐにでも続き言ってくれるかと思ってたけど、待てど暮らせど言ってくれないから」
拗ねてる、もしくは駄々をこねているのか甘えられているのか。急な恋人モードの殿井に俺はついていけない。
殿井に後ろから抱っこされている俺は、殿井の脚の間に座らされ、身動きが取れない。
がちがちに緊張している。
「気持ち的に言うと、ちょっとだけ味見させてもらったおやつを前に、ずっとしっぽ振りながら待てさせられてる感じ?もー、さすがに待てなくて。ずっと待ってるって言ったのに、ごめんね」
殿井は俺の肩にぐりぐりと頭をすりつけてきた。
(かわいい!!やばい!!心臓痛い!!苦しい!!)
殿井の一挙一動に胸がきゅ~っとして、俺はこれをどうしたらいいのかわからない。
「それは、申し訳ない……」
それに気持ちを伝えるって、本当に体力も気力もエネルギーも奪われる。
殿井はかわいすぎてしんどいし、さっき告ったから俺はもうへとへとだ。
「七瀬、こっち向いて?」
殿井はあれのあごと人差し指でこしょこしょとした。
絶対に、絶対に殿井はあざとい。甘えた口調で、想いを宿した目を向けられて、俺が逆らえないってわかってる。
ギギギ、と音が立ちそうなほどぎこちなく、俺は首だけ後ろに傾けた。
「ん」
そうすると殿井に軽く触れるキスされた。
顔を離したとき殿井が幸せそうな笑顔で、それだけで俺はうれしくなる。
「七瀬、真っ赤。か~わい~」
「うるさい……」
暴言吐いても、殿井はうれしそうに俺をぎゅっと包んでくれる。
「俺思ったことは言うから、好きもかわいいもめっちゃ伝えていくからね」
「え……、今まで以上に?」
顔を俺の肩に乗せてそういう殿井は、ふにゃりと笑った。
「えー、俺今まで結構言うの我慢してたんだよ?」
そう言いながらも殿井は俺の頬に、耳に、額にキスを落としていく。
そのたびに俺はビクッとしつつ、殿井の腕の中から逃げ出そうとするも中々抜け出せない。
「でも七瀬がどんなに俺が好きか聞けてうれしかったな。うわべだけじゃない俺を見てくれてるってわかってたけど、七瀬の口から聞けて、ほんとに。毎日思い出すよ」
さらに殿井が俺を強く抱きしめてながらそんなこと言ってくるから
「もうわかったからっ!」
俺は足に反動をつけて思い切り立ち上がった。
「もう無理!帰る!」
「あ、七瀬……」
床に置いていた鞄をひっつかんで、俺はダッシュで自分の家まで帰った。
(毎日あんなんされたら無理……)
自分の部屋に入って、扉にもたれながらずるずるとしゃがみこんだ俺は、しばらく動けなかった。

その夜の風呂上がり、家族も寝静まってからリビングの電気を消して、窓を開けてベランダに出た。
少し涼しくて、でもゆるく柔らかなあたたさかもあって、すぐそばに夏が迫っているのを感じられた。
俺はその空気を少しだけ吸って、ゆっくりと大きく息を吐いた。
(ようやく、落ち着けた気がする)
今日は気持ちが忙しすぎて、今もまだ自分の中のどこかが高鳴っていて、それがくすぐったくてたまらない。
「……好き」
手で口元を抑えながらそうつぶやくだけで、もう一人のことしか思い浮かばないなんて、俺の頭はどうなってしまったんだろう。
手すりに乗せた腕に、俺は軽く伏せた。
”七瀬”
殿井にそう呼ばれるだけで、少しだけ、いや、だいぶ気持ちが浮かれる。
(明日から大丈夫かな、焦ってきついこと言わないかな……)
”七瀬”
こんな気持ち初めてで、どうしたらいいか教えて欲しいような、自分だけで大事にしていたいような変な感じだ。
「七瀬、聞いてる?」
その声に俺はハッとして、顔を上げた。
「もー、さっきから呼んでるのに──って、なににやけてるの?」
ベランダの仕切り板越しに、殿井と目が合った。
まさかお前のこと考えてて顔が緩んでたなんて言えない。でもこの顔をまた見られたらいけないから、両手で口元を隠した。
そのまま動くに動けないままでいると、ふっと殿井が微笑んだ。
「こんばんは、七瀬」
「……ぉぅ」
今日また会えるなんて、うれしい。けど、困る。
夜風に殿井の髪が揺れ、殿井がそれをおさえた。
なんのことはないのに、それだけでも俺はドキドキしてしまう。知らず知らずのうちに、じっと見てしまう。
「ん?なに?」
「……なんでもない」
俺がそう言うと、顔に手をあてた殿井が悩むようなポーズをした。
「七瀬に宿題です」
「なんだよ急に」
ピンと殿井は人差し指を立てた。
「俺に対して、”なんでもない”を使わないこと」
なんだそりゃ、と俺は目が点になった。
そんな俺の反応に、殿井はふぅっと息を吐いた。
「なんでもないって、よく言ってる自覚は?」
「……ない」
そんなに言ってるだろうか。全く心当たりがない。
「だろうと思ったよ。俺にはちゃんと七瀬の思ってること教えて欲しいんだ。だから、無理ない範囲でいいから。ね?」
俺の表情を確かめるように、殿井は俺の頬に手をあてた。
殿井の手は温かく優しくて、ずっと触れられていたくて、月明かりを宿したような穏やかな瞳は俺だけを見つめる。
「……わかった」
言ってる自覚は、ないけれど。
そう俺が思っているのもわかったのだろう、殿井は俺の頬を親指で撫でながら静かに微笑んだ。
そんな殿井が愛しくて、一度言ったから言うハードルが俺の中で下がったのかもしれない。
殿井の手に自分の手を重ねた俺は
「……好き」
小さくて小さくて、殿井にも聞こえないくらいの声でつぶやいていた。
聞こえなかったかもしれないと思いながら、おそるおそる殿井を見た。
びっくりしたような、でもうれしくて仕方ない顔をしていたから、絶対に聞こえていただろう。
らしくもないことをして、俺は自分が自分でいたたまれなくて、あごが首につくくらいに顔を伏せた。
「なーなーせ、そんなに恥ずかしがらないで。俺はこんなにうれしいのに」
「……うるさい」
そんなのわかっているけど、このゆるふわな雰囲気に慣れない。
「そうやってすぐ照れる七瀬も、照れ隠しする七瀬もかわいいし、俺も大好きだよ」
恥ずかしげもなくよく言えるなとムスッとしそうになった。
けど、殿井がへにゃりと笑うから、殿井も照れてるってわかった。
「お前だって照れてるだろ?」
「そりゃ照れるよ。好きな子に好きって言われるって、毎回心臓撃ち抜かれてる気分だからね」
「あっそ……」
「引っ越してきたのも、運命だったのかも」
「はいはい」
「ちゃんと聞いてよ~」
無理だ。甘いトークなんて繰り広げられた日には、俺は倒れてしまうに違いない。
今だってもう一回風呂に入ろうかと思うくらいに全身火照っている。
「引っ越してきたときはこんな風になるなんて思ってなかったな。また顔だけって言われて、俺も顔だけな自分にイライラしながら表面上の仲良しをやっていくんだろうなって思ってたから」
「すさんでんな」
「ほんとにね。でもそれが俺の普通だったから。顔がいいって人が寄ってくる。ただ見てくるだけの奴もいれば、好意をぶつける者も、悪意もそれなりにぶつけられてきたし。だからいつもへらへら笑って適当に”俺って顔だけですよね”って傷つかないように、上辺だけの社交性でやってきてたから」
そう言う殿井は、いつもと違ってどこか切ない。
「引っ越してきた日も、片付けが終わって風にあたろうとベランダに出たんだけど、すごいうんざりしてたんだ。転校することは今までもあったけど、引っ越すたびにまたしばらくじろじろと見られるのは、全然慣れないって言うか……。だからベランダから満月と明かりの灯る街が見えて、きっと綺麗だと思ってみる人もいるだろうけど、俺にはなんにも響かないなぁなんて思ってたら、七瀬に会えた」
殿井はこっちがドキッとするような視線を向けた。
「声を押し殺すこともできずに泣いててさ、あんなに素直に泣けるなんてうらやましてくて、まぶしかった。だから、つい話しかけたんだ」
”ね、なんで泣いてるの?”
あのとき、殿井は俺にそう言った。
「大粒の涙を流す七瀬が頭から離れなくてさ。だから、転校初日にクラスに入ってすぐに七瀬がいるってわかった。ほんと、色がついてるみたいに七瀬だけキラキラして見えた。だから教室に入ってからしばらくは顔上げらんなかった。俺すごいうれしくなって、にやけてたから」
”……あ、隣の人だ”
目が合ってすぐに俺の席まで来たから、まさかそんなことになってたなんて思わなくて、俺はびっくりしすぎて頭が真っ白になった。
「俺が笑いかけたら男でもポーッとされることもあるのに、七瀬は全然違って俺におびえて、なんなら若干引いていたでしょ?」
グイッと顔を近づけて来た殿井から俺は顔を遠ざけて、目をそらした。
「引いてはなかった、と、思うけど……ビビってはいたな」
「素直だね」
そう言いながら殿井はふっと笑った。
全然不快に思ってる感じじゃなく、まるで大事な思い出を語るような柔らかな笑みだった。
「最初は、好奇心だったと思う。前の日にあんなに純粋に泣いてて、次の日あったら俺にすごいおびえてるのが面白い──っていうか、感情が素直ですごく気になるなって」
「ひねくれてるけどな」
へっ、と俺は自嘲気味に言った。
「俺には照れ隠しに見えるかな。基本的に七瀬は素直だと思うよ」
「……どうも」
本当に俺は照れてしまって顔を伏せると、殿井がハハハと笑った。
「そんな七瀬のさ、猫みたいに警戒心いっぱいで、でも言いたいことは言って、柳や鉄みたいに懐いた人には違う一面も見せてさ。俺にもその顔を見せて欲しいなって思ってた。七瀬と仲良くなりたくて、少し強引にでもそばにいようとした。朝、迎えに行ったりしてさ。もうこんな自分、自分でも初めてで、驚いた。段々、誰よりも七瀬と仲良くなりたくて、誰よりも七瀬にも俺のことを見てもらいたくなって」
遠くの月を見ながら語っていたような殿井が、まっすぐに俺を見つめた。
「七瀬が悲しくしてたら、俺も悲しかった。俺を頼りにしてほしかったし、俺なら絶対に七瀬をもっと大事にするのにって思ってた。七瀬を笑顔にしたくて、そんな七瀬が俺のそばにいてくれたら俺はどんなに幸せだろうって思った。七瀬の一番になりたかった。だから、これは恋なんだろうって思った」
「……殿井」
殿井の真剣な視線が、俺を離さない。
「自分のこと、ずっと好きだって思えなかった。自分のこと好きとか嫌いとか考えるのも嫌だった。でも七瀬を好きな自分は、好きなとこもだめなところも弱いところも丸ごと肯定できるよ。七瀬を好きな自分を、俺は自分で全肯定できる。七瀬のそばにいたいから、苦手なこと、自分の意見を言うことも、気持ちを伝えることも、運動も全部、努力しようって思える。だから七瀬は、俺にはとってもとってもスペシャルな人なんだ」
俺への気持ちを全部あらわにしたような殿井に、俺は泣きそうで、でも今は泣きたくなくて──
「……口説きに来てるだろ?」
そんなことを言ってしまった。可愛げというものは俺にはないのかもしれない。
手すりにもたれかかったまま殿井を見上げると、少しだけ目をまん丸くした殿井はいたずらっ子の笑みを浮かべた。
「バレたか」
その笑みがかわいくて仕方がない。
「いや、バレるわ」
「俺もここに行きつくとは思わず」
うんうんと頷く殿井に、俺は無言で手を伸ばした。
視界の端で殿井がこっちを向いてるのが見えるが、気づかないふりして殿井が手を重ねてくるのを待った。
「……ありがと」
言葉足らずで、なんて言ったらいいかわからない俺がきゅっと手を握ると、殿井はなにも言わずに握り返してくれた。
 しばらく二人で静かに手を繋いだまま、ベランダからの景色を眺めていた。今日は一段と月が綺麗で、静まり返った街を照らす。絵本に出てきてもおかしくないほどの景色に見える気がしているのは、きっと隣に殿井がいるからなんだろう。
恋っておそろしい。見える景色も、自分の中の感情も、なにもかもを色鮮やかに変えてしまう。
でも、悪くない。
「離れがたいけど、もうそろそろ寝よっか」
「……ん」
愛おしそうに俺を見つめる殿井に、俺は気持ちをちゃんと伝えていけるだろうか。
「じゃあね七瀬、おやすみ」
「おやすみ」
でも、この気持ちを自分の中にだけおさえておける気もしなくない。
もしかしたらそのうち、さっきみたいに気持ちがあふれ出てくることも多くなるかも。
そう思いながら部屋に入ろうとすると、
「ひっ」
「七瀬?どうしたの?」
俺が息を飲んだからだろう、仕切り板越しに殿井の心配そうな声がした。
「なんか……室外機の後ろに黒いのが入ってって……」
殿井もなんのことかわかったんだろう。
「サッと中入れる?」
「でも、もし家の中に入ったら──」
俺も苦手だし、なにより瀬里香に怒られる!
「俺、そっち行こうか?」
「窓開けたくないから……俺、しばらくしてから入る」
俺が窓から離れると、
「じゃあ俺も」
そう言った殿井が、また顔をのぞかせた。
「いーよ、殿井は寝て」
「やだ」
「やだって……」
「いいでしょ、もうちょっと一緒にいたかったし」
そう言われると、もう俺は何も言えなかった。
そうしてもうしばらく一緒にいたが、俺は室外機を凝視していたから気が気じゃなかった。
けど結局、室外機の後ろにいたのはカナブンだった。
ブーンと何事もなかったようにカナブンは飛んでいき
「ごめん……」
さすがに申し訳なかった。
「いーよ、七瀬と一緒に入れてうれしかった」
朗らかにそう言う殿井が本当に気にしてない様子で、よかった。
それからおやすみを言い合って、長くて短い一日が終わった。
きっと、ずっと、忘れられない一日になるだろう。
(でも最後にカナブンで騒ぐなんて──!!)
ロマンチックなまま終わりたかった。

「ということで、付き合いましたー」
昼休み、殿井は俺とつないだ手を見せびらかすようにしながら、柳と鉄に報告した。
俺はムズムズしすぎて、そっぽ向いていた。
「おめでとう。それで問3なんだけど──」
「あぁ〜、間違ってるね。てかもうちょっと祝ってよ」
「時間の問題だと思ってたし。なぁ?」
鉄が柳に同意を求めると、鉄と同じく険しい顔をした柳が頷いた。
「わかりやすすぎる、殿も菅谷も」
「そう、お前らみたいに現代文もわかりやすくあってくれたら……」
「鉄、人のことはよく気づけるのに現代文苦手だよね」
「A子がB男のこと恨もうが、俺にはなんの問題もない」
「身の回り限定で気づくのかな……」
片手にテキストを持った二人に質問されながら、昼休みは過ぎていった。
「つーかお前ら、テスト勉強は?」
教室に戻る途中で鉄に聞かれた。
「んー、なんか二人の勉強に付き合ってるから、自然に勉強できてると言うか」
俺も同じだったから、コクリと頷いた。
「俺等のおかげで二人の成績も上がるかもな」
「七瀬は上がりようがないだろ」
「あー、そっか」
「どういうこと?」
柳が納得の声をあげたのに反応した殿井が階段で俺を見上げたけど、答えたのは鉄だった。
「七瀬、入学以来学年トップだぞ」
「えっ!?」
殿井は驚愕の顔で俺を見た。
「あー、殿中間終わってから来たもんな」
「でも、数学は苦手だって」
「えっと、」
俺が口を挟む前に、またしても鉄が言った。
「苦手って言っても普通に80,90とか取るぞ」
廊下で足を止めた殿井を置いて、二人は先に教室へと歩いていった。
そんな殿井の後ろにいた俺は、振り返った殿井に言われた。
「勉強も、頑張ります……」
緊張顔の殿井に、俺は吹き出してしまった。
「勉強は自分のためだから、無理しなくていい」
俺は自分に自信がなさ過ぎて、結果が目に見える勉強にすがっていたところがあった。”こんな自分”でも、自分で認められるところが欲しかったのかもしれない。
でも、今は少しだけ違う。それは、きっと、絶対に、殿井が俺のことを好きだと言ってくれたから。
そんな俺の気も知らないだろう殿井に、俺は自然と笑いかけていた。
「えー、七瀬かっこいー」
恋する乙女の顔をした殿井は、胸の前で指を組んで俺にポーッとした。
勉強で得意気になることはなかったけど、ちょっといい気分かも。
(頑張ってきて、よかった)

「七瀬先生、ここ教えてください」
部屋に戻ると、手を挙げた殿井がそう言った。
七瀬の部屋を見てみたいと言われ、初めて殿井を部屋に入れた。小学校から使ってる勉強机とベットに本棚と、わりかし簡素な俺の部屋でも殿井はしばらくキラキラした目でキョロキョロしたいた。壁に数学の公式や間違いやすい英単語を書いた紙が貼ってあるのを見たときは、スッと目をそらしていたけど。
「どれ?」
「ここ」
折りたたみテーブルの上にお茶を置いた俺は、殿井が指した問題を見ようと顔を近づけた。
「えいっ」
近づけると、殿井が俺にキスしてきたから、驚いた俺の肩が跳ねた。
「びっくりした?」
ふふっと笑う殿井は、満足気だ。
「お前──」
一気に顔が赤くなるのが自分でもわかる。
「付き合ってるっぽいでしょ?」
「……ぽいじゃなく、実際そうだろ」
ボソリと俺がそう言うと、殿井も照れたように耳が赤くなった。
(このほわんとした空気、慣れない!!)
俺が小さく慌てていたからだろう、殿井が俺を引き寄せた。
「ゆっくりと、俺達のペースで進んでいこうね」
「……ん」
そうして優しく殿井が抱きしめてくれるから、俺は殿井にもたれかかった。そうするときつくないくらいにキュッと包んでくれるから、俺は殿井の肩のあたりに顔をうずめた。
(もし俺が猫だったら、きっとゴロゴロ喉鳴らしてるだろうな)
そんなこと思いながら、ただただこの温もりに浸っていた。
「七瀬」
「ん?」
「好きだよ」
「……知ってる」
まだまだこんなやり取りなんて慣れない。
でも殿井がくすくす笑うから、俺はたまらなく愛しくなる。
「殿井」
「なに?」
「…·なんでもない」
今なら言えるかと思ったけど、俺の意気地なし。
「あ、なんでもないって言った〜」
「うっ」
殿井は全然いじり口調で、責められてるわけじゃないとわかっているけど、俺は自分で残念な気持ちになった。
「いいよ、なんでもなくても」
そんな気遣い、もうされなくない。
ふーっと息を吐いてから、俺は殿井を見上げた。覚悟して見上げたから、多分目が吊り上がっている。
「殿井」
「なに?」
でもまだやっぱり難しくて、すぐに言葉が出てこない。
「……俺も、好き」
ぶっきらぼうに言うと、殿井はびっくりした顔をしてから、俺の好きなふにゃりとした笑みを浮かべた。
「ありがと」
そうして殿井がまた抱きしめてくれたから、俺も同じくらいの強さで殿井を抱きしめ返した。と思ってた。
「七瀬、ちょっと、苦しいかも……」
「……っごめん」
俺は急いで殿井から離れようとしたけど、殿井は離してくれなかった。
「んーん、七瀬の好きって気持ちが伝わってきて、うれしいよ」
そう言いながら、殿井は俺の頭を撫でてくれた。
結局のところ、殿井はどんな俺でも受け入れてくれる気がしてきた。
俺もきっとそうだけど、これが”好き”の力なんだろうか。おそろしすぎる。自分が自分じゃないみたいだ。
「七瀬、こっち向いて」
そうしてまた殿井が顔を近づけてきたから、俺はゆっくりと目を閉じた。
殿井の言ってたこと、今ではよくわかる。
どうか君の一番近くにいるのが、いつも俺でありますように。