「でも殿井だって、俺のこと好きだって言ったことないだろ」
「じゃあ、言ったら言ってくれるの?」
殿井の家のテーブルで追い込まれた俺は、いつもの雰囲気と違う殿井を負けじとにらみ返した。
「だから七瀬、そういうの煽ってるだけってわからない?」
そのまま殿井が俺に顔を近づけて来て、思わず俺はまぶたをぎゅっと閉じた。
なんでこんなことに──!?
”俺の付き合いたいは、ずっと一緒にいたい、だから。俺が一番、七瀬のそばにいたい。あと手も繋ぎたいし、ハグしたいし、キスもしたいから”
そう言われてから、ずっと殿井のことを考えている。
(あとは俺が返事するだけ、なんだよな……)
購買から教室に戻る途中、窓から入る柔らかな陽光が殿井を照らす。
他の誰よりも、殿井が一番輝いて見えるなんて、十分重症な自覚はある。
(でも、智のときも恋愛的な好きだと思ってたし──)
智への好きと、殿井への好きは種類が違う、と思う。でもこれは俺の中の感覚的なもので、証明しようもないし、取り出して見てみることもできない。
一度間違えてるから、自問自答を繰り返しても自分気持ちに自信が持てない。“ほんとうにそうなのか“って悪い方に考えてしまう。
ちらりと殿井を見上げると、俺の視線に気づいた殿井がふっと微笑んできた。
(こういうの恥ずかしいんだよ!)
自分から見たのに、すぐに殿井と逆を向いた俺は、明らかにラッピングした菓子を持った女子5人組と目が合ってしまった。
(あー……、あれって)
赤くなった気持ちがサーッと青くなっていく間に、俺と目が合ったのが合図のように女子たちが駆け寄って来た。
「あの、殿下。これ、もらってください!」
渡してきた女子は他の4人に囲まれながら両手に包まれたクッキーが差し出した。
俺は殿井から一歩後ろに控えたが、それでも後ろの女子たちの”もちろん受け取ってくれますよね”の圧がすごい。
「ごめん、甘い物苦手で。ほんとごめんね」
「これ、塩バタークッキーで、甘くないようにしました。もらっていただけないですか?」
殿井が甘いものが苦手なのも、だいぶ知れ渡っているのだろう。
今までの女子と違い、後ろで応援してくれてる子たちもいるからか、粘ってくる。
見てるだけで、せめて受け取ってほしいという切実さが俺にも伝わってくる。
「ごめんね、受け取れない。でもありがとう」
申し訳なさそうな笑顔で殿井が断ると、渡そうとしていた子は明らかに傷心した顔をされた。
「こちらこそ、突然すみません……」
そのまま他の4人に慰められるようにしながら、その子達は階段の方へ向かった。
(あ……)
階段に降りる直前、渡そうとしていた子が泣いているように見えた。
(お菓子渡すだけでも、すごい勇気を出して持ってきてたんだろうな……)
ちらりと殿井を見上げると、殿井も気づいていたんだろう。
断ることにも泣かれることにも疲れたような、自分を責めるような顔をして、短い息を吐いた。
「……大丈夫かよ?」
「ん?うん。まぁ、大丈夫」
殿井が弱ったような、口元だけの笑みをするから、ぽろりと口からこぼれた。
「別に、殿井が悪いわけじゃないから、そんなに落ち込まなくていいと思う。食べれないなら食材ももったいないし」
「……ありがとう」
普段絶対にこんなこと言わない。むしろ言えない。
けど殿井がふわりとした笑みを見せたから、少しは気持ちを和らげられただろうか。
(まぁ、それならよかったんだけど、うん。……でも、)
そわそわしすぎて持っていたビニール袋がカサカサ言っている。
殿井と付き合ったら、こうしてプレゼントされそうになったり、多分俺の知らない間に告られたりしているだろうし、そういうのにやきもきしたりするようになるんだろうか。
今度は俺の方がため息を吐いた。
だからだろう。
「七瀬、そんなに落ち込まなくても俺は七瀬一筋だからね」
「なっ……!?」
何の前触れもなく殿井が耳にコショコショ言ってくるから、俺はモヤモヤで黒くなりそうな気持がまた赤くなった。
殿井はなぜかうれしそうに笑っている。
もう少し、落ち込んでもらっててもよかったのかもしれない。
「おけーりー。パン買えた?」
「ただいま。たまごサンド売り切れてた」
「人気だからなー。なにか買ったん?」
「焼きそばパンとクロワッサン」
「組合せ微妙……」
先に弁当を食べていた柳と鉄のとこに、椅子を持っていき、俺はフィルムを取っていちごサンドを食べ始めた。
殿井はもう、普段通りだった。けどどこか影が見えるのは俺の思い過ごしだろうか。
「普通コロッケサンドから食べない?」
「食べたい方から食べる」
殿井がいちごサンドを頬張る俺にそういうのもわかるが、糖分とりたくなるくらい頭がパンパンなんだ。
「七瀬かわい~、ハムスターみたい」
「うるさい」
そんなことを殿井が言ってくるから安心して食べることもできないと思いつつ、もそもそと食べているといちごが落ちそうになり、それだけつまんで口に入れようとした俺の手が止まった。
(そういえばケーキのいちご、俺が食べちゃったんだよな)
コンビニケーキの上に乗っていたいちごは、ぷりぷりした俺が奪って食べてしまった。だからといってこのいちごをやるわけではないが──
(あれ?甘い物、苦手なんだよな)
でも俺があげたショートケーキは食べていた。
(もしかして、無理して食べさせたんじゃ……)
ぎこちなく殿井を見上げたけれど、殿井は柳と購買の好きなパンランキングで盛り上がっていた。
(あのとき、俺、なに渡せばいいかわからなくて焦ってて、誕生日といえばケーキだって思ったけど──嫌いなもの渡してどうするんだよ!?)
俺はもう、コロッケパンを食べる元気はなかった。
「どうしよう……」
俺のつぶやきに、鉄が「持って帰ったらいいだろ?」と言った。
「七瀬、もう帰れる?」
「ごみ捨ててくるから、待ってて……」
昼に気づいてから、俺は落ち込んでいる。
「一緒に行こうか?」
「大丈夫。すぐ戻るから……」
よたよたしながら俺はゴミ箱を持って、ゴミ置き場に向かった。
「はぁ~……」
ゴミ捨てたのと一緒に、俺の落ち込みも捨ててしまいたい。
(やっぱり俺、殿井のこと好きじゃないのかな。嫌いなものあげるレベルだし……)
俺ってなんてダメなんだろうの連鎖に入りそうなときだった。
「あ、七瀬……」
呼ばれて振り向くと、同じくゴミ箱を持った智が立っていた。
「……そっちも当番?」
「うん」
お互いに少しの気まずさを抱いているような、微妙な空気感が漂った。
「なんかあった?」
「……なんでもない」
智に相談することじゃないことくらいは、俺にもわかる。
「なんでもないなら、そんな顔してないと思うよ」
そう言われて見上げると、智は明らかに気を使っている強張った笑みをしていた。昔から、俺は智にこの顔をよくさせていた。
でも、少し今は違って見える。前よりも、少しだけ柔らかさがある。
「……ちょっと、友達の誕生日に甘い物苦手なのにあげちゃって……。俺、苦手って知ってたはずなのに」
ぼそぼそと、俺はカーディガンの袖をいじいじと触った。
すると、智がくすっと笑った。
「焦ってたんでしょ?七瀬ってそういうところあるよね。視野狭くなるって言うか」
「うるさい……」
むぅっと智を見上げると、そうだなぁと智は腕を組んだ。
「七瀬はどうしたい?」
「ちゃんと、謝ろうかと」
「うん、じゃあそれでいいんじゃない」
そう言われて拍子抜けしてしまった。
「それだけでいいの?」
「いいんじゃない?きっと殿井君なら笑って許してくれるよ。知らないけど」
「なんだよ、責任持ってよ」
「いや~、殿井君ほとんどしゃべったことないし」
てへへと智が笑うから、少しだけ昔に戻れたような気がした。
「じゃ、俺行くね」
「うん……、なぁ」
背を向けた智に声をかけると、不思議そうに智は振り返った。
「俺、ずっと、自分勝手でごめんな」
口に出すだけで緊張でいっぱいで、でもそれだけは言っておきたかった。今更だって自分でもわかっているけど。
「──うん。でもお互い様だから。七瀬から逃げたのは変わらない」
智は目を伏せて、複雑な感情が混ざったような表情をした。
「……彼女のことは、好き?」
智はびっくりしたように目を見開いてから、優しい顔をした。
「好きじゃなかったら、もう別れてるよ」
「そっか」
「うん。じゃあ俺行くから」
「うん」
俺が少しだけ手を振ると、智も手を振り返してくれた。
「さよなら、智」
全然もう友達じゃないし、前みたいに気軽にしゃべれないけど、今日は話せてよかった。
「はぁ~……」
さっきとは違って、胸のつかえが取れたような息を吐いた。
(殿井も待ってるし、戻るか)
少しだけスッキリした気持ちで、ゴミ箱を持って教室に戻った。
俺を待っていた殿井が教室の窓から、俺と智が話していたのを見ていただなんて思わずに。
(なんか、めっちゃ静かなんだけど……)
いつも殿井がいろいろ話しかけてくるのに、ただただ静かに隣を歩いてる。
しかもいつものふんわりした雰囲気じゃなくて、どんよりしている。
「なぁ、殿井」
「なぁに?」
しかも話しかけるとやたらとキラキラした張り付けた笑顔を見せてくる。
(こわい、なんか怒らせたんかな……)
「なんでも、ない」
俺はどうしたらいいかわからなくて、黙るしかなかった。
「あ、じゃあ、また明日……」
結局、全然話すこともなく家についてしまい、殿井はぼーっとしたまま先に家に入っていった。
(俺、なんかしたのかな──いや、むしろ仕出かしてしかないのかも)
また襲い掛かって来た暗い気持ちを抱きつつ、俺は鞄から鍵を取り出し、ドアに鍵を挿そうとした。すると、手に影が落ちて来た。
「七瀬、やっぱりちょっとだけいい?」
見上げると拗ねたような顔をした殿井が、隣に立っていた。
殿井の家に上がり、テーブルに横並びに座った。
殿井はムスッとしたままなにも言わないし、俺もそんな殿井にどうしたらいいのかわからない。
「あのさ、七瀬」
「はい」
もはやこの状況は恐怖でしかない。
「なんか、俺に言うことない?」
テーブルに肘ついてそう言う殿井は、じーっと俺を見て来た。
(なんだ?なにかって……俺から殿井に言うこと……)
焦る頭の中で思いつくのは、ひとつしかなかった。
「あの、殿井、ごめん。俺、殿井が甘いの苦手って忘れてケーキ渡したんだ」
「ケーキ……?」
殿井は想定外のことを言われ、頭が付いて行ってないような感じだった。
「だから、誕生日の……」
そう言ってようやく、殿井は合点が行ったようだ。
「俺、わざと渡したわけじゃなくて、急いでなにか買わないとと思ってたら、うっかりしちゃって。ほんと、わざとじゃなくて」
「あー、いいよそれは。わかってたし」
しどろもどろになっていると、殿井がぽんっと俺の頭に手を置いた。
「でも、苦手なのに我慢して食べてくれたんだろ?」
申し訳なさいっぱいで殿井を見ると、「本当はさ」と殿井が話し始めた。
「食べれないわけじゃないんだ、甘い物。たまに苦いチョコとか甘さ控えめのプリン食べることもあるし。でもあんま好きだとは思わないから、苦手って言ってるだけ」
「……なんで?」
「だって、食べれるってなったら渡してくる子たちの断れないだろ?相手に好意もないのに受け取れないよ。そういうの期待されても困るから、断れるように苦手って言ってる」
「そう、なんだ」
「うん、そう」
殿井は、ずるずると椅子にもたれかかった。
「もらってあげる方が優しいのかもしれない。けど、俺はみんなに優しくできないから」
なにが優しいのかは、ひとによって違うんだろう。
でも俺は、殿井の”優しくない”は”優しい”だと思う。期待させて相手を傷つけないように、殿井なりの思いやりだと思う。
「だから、好きな子には思い切り優しくしたいし、その分嫉妬もするわけよ」
「……?」
遠くを眺めていたような殿井が、体ごと俺の方を向いた。
「さっき、ゴミ置き場のとこでしゃべってたでしょ?あの眼鏡君と」
にっこりとした殿井は、笑っているけど目が笑っていなかった。
「しゃべっては、いたけど……え?」
じりじりと殿井は俺の方へと迫って来た。
「もうあいつとしゃべるの、やめてくれる?めっちゃ腹立つ」
「……いや、お前に止められることじゃないし」
怯え切った俺は、智と話す予定なんて全然ないのに、そんなこと言ってしまった。
「確かに」
それはそうだと殿井も納得がいったのか、自分の椅子にちゃんと座った。と、思ったけれど俺の方へと椅子ごと近づいてきた。
「じゃあ、いつになったら止めてもいい関係になれるの?」
「それは……」
これは返事をくれと言われているんだろうか。
心の準備なんて全然できてなくて、俺は袖を口元に当てた。
「七瀬、俺もう──」
殿井が俺の苦手な雰囲気を出して顔を近づけてくるから、俺はぎゅっと目をつぶって体を縮こませた。
「………無理」
それしか言えなかった。
「そっ……、か」
殿井の気配が遠くなった気がして、俺はうっすらと目を開けると、殿井は浮かせていた腰を椅子におろし、頭を垂れていた。
なんだか落ち込んでいるような雰囲気だ。
「ごめん、七瀬。今日は帰って」
こっちを見ようともしない殿井に言われて、俺はどうしたらいいかわからないまま家に帰った。
「お前らどうしたよ」
「なんでもない……」
お昼を食べていると鉄に聞かれ、俺はげっそりしたまま答えた。
殿井が、俺を避けるようになった。
翌朝『しばらく先に行くね』とメッセージが入っていて、あの日以来殿井と話せていない。
休み時間はどこかに行ってしまうし、帰りも気づいたときには帰っている。
久々の快晴だったから、柳と鉄と俺の3人で屋上飯をしている。柳が殿井も誘ったが、「ちょっと用事があるから」と断られたらしい。
多分、俺があの時返事しなかったせいだと、思う。
「お前らまだ付き合ってはないんだよな?」
「な──っ、ゴホッゴホッ!」
鉄がいきなりそんなことを言ってくるから、臓器がリバースするんじゃないかってくらいに俺はむせた。
「はっ!?なに言って──」
「いや、普通に駄々洩れだし。な?」
鉄の問いかけに隣に座っていた柳が頷いた。
「俺らも気ぃ使うから、今日中に何とかしろよ」
「……そんだけ?」
「なんだよ?」
予想外過ぎて頭が真っ白になりそうな中、もう一度俺は口を開いた。
「殿井と俺がって、驚かないの?」
普通に驚かれるだろうし、なんなら引かれて距離置かれることだってあるかもしれないって思ってた。
だって智とのことを言われたときの周りの反応を見ていたら──
「いや、あんないちゃついてて俺らにバレてないって思ってた方が驚くわ」
「菅谷はまだまだお子ちゃまだからな」
やれやれと前髪をかきあげた柳は、恋愛マスター風吹かせてきた。
「ま、なんかあったら俺に聞いてくれていいぜ?」
俺の知る限り、柳に恋人がいたことはないはずだ。
その自信はどこからくるんだろうと思いながら、ガシガシと箸をかじった。
でも──
「ありがと」
二人が殿井と俺のこと、応援してくれてて、すごくうれしい。
(すっごい照れるけど)
二人と友達でよかっただなんて、俺は素直に言えやしない。
(前にもあったな。こういうこと)
駅まで坂を走っておりていく塾帰りの小学生、家路を急ぐ社会人。いつもと同じ帰り道だけど、俺だけ違って見える。
前は体育祭の練習してるからってすぐわかった。だから急に一人で帰ることになった不安感も、すぐ解消された。
今回は、俺が返事を先延ばししすぎたのが原因なんだろう。
(だったら、殿井と一緒にいたいってこの気持ちは本当だから──今日、伝えよう)
坂から見える夕陽が、今日は寂しいとは思わなかった。
殿井の家の前で、深呼吸を繰り返してから呼び鈴を鳴らした。けれど、しばらくしても誰も出てこなくて、もう一度鳴らした。
(あれ?まだ帰ってないのかな……?帰ってくるまで家で待つか……)
いつもならそうしただろう。拒絶されるのがこわいから、自分に言い訳できるように。
でも、どうしても殿井と話かった。だから殿井の家の前で待つことにした。
1分1秒が長く感じる。待つって決めたのは自分だけど、今日話せなくて、明日もこのままだったらどうしようと思うと不安だ。
玄関横に座り込んでから、30分ほど経っただろうか。中からカチャリと小さな音がして、小さくドアが開かれた。
「───殿井」
中から、普段の輝きはどこに行ったのかと思うくらい、ぼろぼろのスエットを着たボサボサの殿井が出て来た。
「……いつまで待ってんの?」
「殿井、俺、話したいことある」
「俺はないから、帰って」
俺を見ようともせず殿井がドアを閉めようとするから
(待って──)
思わず、俺はその隙間に足を挟み込んだ。
「いっ──!?」
「七瀬!?」
痛みでしゃがみ込むと、殿井がドアを開いた。
「…………上がるからな」
「はい……」
しゃがんで足をおさえ、ドスの効いた声(俺にしては)に殿井に鋭い眼光を向けると、殿井も大人しく家に入れてくれた。
こないだと同じように、テーブルに二人並んで座るも、殿井は俺からわざと離れるように奥側の端っこに座った。
「あのさ、殿井……俺、殿井に話したいことがあって」
家の中は電気もついてなくて薄暗い。窓に近い方に座る俺から見ても、殿井はわざと薄暗い方にいようとしている気がする。
俺が話しかけても無反応で、片膝立てて背を丸めて座っている。
「ずっと考えてたんだ、俺は殿井のことどう思ってるんだろうって。一度、間違えてるから不安でさ」
話し始めると、俺も殿井を見れなかった。
夕方の、町のスピーカーから流れる音楽が聞こえるほど静かで、それが一層緊張感を増した。
(声が、震えそうだ)
俺はテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめた。
「最初はグイグイ来られて、ほんとなんで俺なんかと仲良くしようとしてくるんだろうって思ってたけど、でも殿井はいつも俺に思ってること話してくれて、俺はそれがすごくうれしくて、すごく安心した」
ぐちゃぐちゃで全然まとまらないけど、精一杯伝えたい。
「何気ない話するのも楽しくて、しゃべらないでただ一緒にいるだけでも殿井とだったら俺、すごく落ち着くけど、他のやつとは違うなって思った。殿井といる時間が俺は好きで、だから俺も殿井と一緒なんだなって思って──」
”ずっと一緒にいたい”
殿井がそう言ってくれたように、俺もそう思う。
同じ思いを抱いているなら、これが恋じゃなくてなんだというんだ。
「だから、俺は、その、殿井が──」
「待って、七瀬」
一番大事なことを言おうとしたら、殿井と被った。
「な、なに……?」
怖々と聞くと、端っこでうずくまるように座っていた殿井が、ずいずい俺に近づいてきた。
「俺、振られたんじゃないの?」
「……へ?」
予想外過ぎる言葉に、俺はポカンとしてしまった。
「だって、俺のこと無理って言ったでしょ?」
「そんなこと──」
なんでだ、いつ俺はそんなことを言ったんだ。
焦りながら俺は自分の記憶を遡った。
”じゃあ、いつになったら止めてもいい関係になれるの?”
”それは……”
”七瀬、俺もう──”
”………無理”
(あのときか!?)
まさかそんな風に取られているだなんて、夢にも思わなかった。
そしてそれを弁明しなくてはいけないのも、恥ずかしすぎる。
「あれは、その、近いのが無理だっていう意味で、殿井がどうとかじゃなくて……」
俺が手をもじもじさせながらそう言うと、殿井は大きく目を見開いて固まった。
「……なにそれ~」
そのまま気が抜けたように、殿井はテーブルに突っ伏した。
「てっきり俺振られたんだと思って、めっっっちゃへこんでた」
「ご、ごめん……」
しばらく経っても殿井が全然起き上がってこないから、おずおずと俺は殿井の頭を撫でた。
「ごめんな、勘違いさせて。それでこんなに殿井がぼさぼさになるなんて……」
そこまで言ってから、気づいた。俺に振られたと思っていたせいで、殿井がこんなくたびれた感じになっているのだと。
そう思うと、急に心臓がうるさくなってきた。
(え……、あれ?)
ゆっくりと殿井の頭から手を離すと、殿井にその手をぎゅっと握られた。
「そうだよ、七瀬に振られたと思ったら俺、こんなんになっちゃったんだから」
顔を上げた殿井は、拗ねたような、でも”絶対に離してなるものか”の気迫を感じた。
「七瀬、さっき言おうとしてくれたこと言って?」
「……え?なにも、ないです」
少し気が抜けてしまった俺は、もう今日は告白する勇気も覚悟もない。
「でも俺のこと、好きって言おうとしてくれてたでしょ?言って欲しいなぁ」
意地悪してんのかと思うくらい、殿井は俺の手を自分の頬に当て、反対の手で俺の顔を殿井の方へと向けられてしまったから、殿井に顔が赤くなってるのがバレてしまった。
「でも殿井だって、俺のこと好きだって言ったことないだろ」
殿井は俺に”好きな子”だって言ってきたことはあるけど、好きだと面と向かって言ってきたことはない。
「じゃあ、言ったら言ってくれるの?」
いつものふんわりはどこに行ったのかと思うクールな殿井を負けじとにらみ返した。
「だから七瀬、そういうの煽ってるだけってわからない?」
そのまま殿井が俺に顔を近づけて来て、思わず俺はまぶたをぎゅっと閉じた。
「七瀬、目開けないとキスするよ?」
殿井がそんなことを言ってくるから、確かめるようにゆっくりと片目だけ薄く開いた。
この状況だけでキャパオーバーなのに、キスなんてされたらたまったもんじゃない。
けど殿井はそのまま顔を遠ざけてくれるわけもなく、こつりと額をくっつけて来たから、ビビった俺はまた目をぎゅっとつぶった。
「ほんと、七瀬って煽り上手だね」
耳元で殿井にそうささやかれ、目を開けられないままでいると俺の唇に柔らかいのがあたった。
(わ~~~~~~~~~~っ!?!?うそうそうそうそ!?)
確かめたいけど確かめるのがこわいと思いながら薄く目を開くと、目の前に殿井の顔があって、ゆっくりと離れていった。
「………………」
「七瀬、俺の気が長くてよかったね。返事、今後ね」
いつものふんわりした雰囲気のままキラキラした笑顔をたたえた殿井に、俺は目が点だった。
「とのっ……、目、開けたら、キ、ス、しな、って──」
「そんなこと言ってないよ?」
わざとらしく顔を両手で包んだぶりっ子ポーズの殿井の腕に、俺はグーパンした。
「いったいよ、七瀬」
「────っうるしゃい!もう帰るっ!」
痛みに眉をひそめる殿井をそのまま置いて、涙目の俺は急いで家に逃げ込んだ。
自分の部屋に籠って、枕に顔をうずめ、ベットの上でゴロゴロと暴れた。
(俺の、ファーストキスだったのに──!!)
もう居ても立っても居られない。思い出すだけで、恥ずかしさと体の奥から湧き上がる熱でどうにかなってしまいそうだ。
「なぁ~~~~~っ!!」
「お兄、うるさい!」
どうしようもなくて枕に叫んでバタバタしていると、俺の部屋にノックもせず入って来た瀬里香に怒られてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「暴れるなら殿井さんの家行って。どうせあの人が原因なんだから」
瀬里香はドスの効かせた声でそう言うと、バタン!と扉を閉めた。
暴れると瀬里香に怒られる。どうしようもなくて、俺は声にならない叫びをあげた。
誰か俺に優しくしてほしい。
「じゃあ、言ったら言ってくれるの?」
殿井の家のテーブルで追い込まれた俺は、いつもの雰囲気と違う殿井を負けじとにらみ返した。
「だから七瀬、そういうの煽ってるだけってわからない?」
そのまま殿井が俺に顔を近づけて来て、思わず俺はまぶたをぎゅっと閉じた。
なんでこんなことに──!?
”俺の付き合いたいは、ずっと一緒にいたい、だから。俺が一番、七瀬のそばにいたい。あと手も繋ぎたいし、ハグしたいし、キスもしたいから”
そう言われてから、ずっと殿井のことを考えている。
(あとは俺が返事するだけ、なんだよな……)
購買から教室に戻る途中、窓から入る柔らかな陽光が殿井を照らす。
他の誰よりも、殿井が一番輝いて見えるなんて、十分重症な自覚はある。
(でも、智のときも恋愛的な好きだと思ってたし──)
智への好きと、殿井への好きは種類が違う、と思う。でもこれは俺の中の感覚的なもので、証明しようもないし、取り出して見てみることもできない。
一度間違えてるから、自問自答を繰り返しても自分気持ちに自信が持てない。“ほんとうにそうなのか“って悪い方に考えてしまう。
ちらりと殿井を見上げると、俺の視線に気づいた殿井がふっと微笑んできた。
(こういうの恥ずかしいんだよ!)
自分から見たのに、すぐに殿井と逆を向いた俺は、明らかにラッピングした菓子を持った女子5人組と目が合ってしまった。
(あー……、あれって)
赤くなった気持ちがサーッと青くなっていく間に、俺と目が合ったのが合図のように女子たちが駆け寄って来た。
「あの、殿下。これ、もらってください!」
渡してきた女子は他の4人に囲まれながら両手に包まれたクッキーが差し出した。
俺は殿井から一歩後ろに控えたが、それでも後ろの女子たちの”もちろん受け取ってくれますよね”の圧がすごい。
「ごめん、甘い物苦手で。ほんとごめんね」
「これ、塩バタークッキーで、甘くないようにしました。もらっていただけないですか?」
殿井が甘いものが苦手なのも、だいぶ知れ渡っているのだろう。
今までの女子と違い、後ろで応援してくれてる子たちもいるからか、粘ってくる。
見てるだけで、せめて受け取ってほしいという切実さが俺にも伝わってくる。
「ごめんね、受け取れない。でもありがとう」
申し訳なさそうな笑顔で殿井が断ると、渡そうとしていた子は明らかに傷心した顔をされた。
「こちらこそ、突然すみません……」
そのまま他の4人に慰められるようにしながら、その子達は階段の方へ向かった。
(あ……)
階段に降りる直前、渡そうとしていた子が泣いているように見えた。
(お菓子渡すだけでも、すごい勇気を出して持ってきてたんだろうな……)
ちらりと殿井を見上げると、殿井も気づいていたんだろう。
断ることにも泣かれることにも疲れたような、自分を責めるような顔をして、短い息を吐いた。
「……大丈夫かよ?」
「ん?うん。まぁ、大丈夫」
殿井が弱ったような、口元だけの笑みをするから、ぽろりと口からこぼれた。
「別に、殿井が悪いわけじゃないから、そんなに落ち込まなくていいと思う。食べれないなら食材ももったいないし」
「……ありがとう」
普段絶対にこんなこと言わない。むしろ言えない。
けど殿井がふわりとした笑みを見せたから、少しは気持ちを和らげられただろうか。
(まぁ、それならよかったんだけど、うん。……でも、)
そわそわしすぎて持っていたビニール袋がカサカサ言っている。
殿井と付き合ったら、こうしてプレゼントされそうになったり、多分俺の知らない間に告られたりしているだろうし、そういうのにやきもきしたりするようになるんだろうか。
今度は俺の方がため息を吐いた。
だからだろう。
「七瀬、そんなに落ち込まなくても俺は七瀬一筋だからね」
「なっ……!?」
何の前触れもなく殿井が耳にコショコショ言ってくるから、俺はモヤモヤで黒くなりそうな気持がまた赤くなった。
殿井はなぜかうれしそうに笑っている。
もう少し、落ち込んでもらっててもよかったのかもしれない。
「おけーりー。パン買えた?」
「ただいま。たまごサンド売り切れてた」
「人気だからなー。なにか買ったん?」
「焼きそばパンとクロワッサン」
「組合せ微妙……」
先に弁当を食べていた柳と鉄のとこに、椅子を持っていき、俺はフィルムを取っていちごサンドを食べ始めた。
殿井はもう、普段通りだった。けどどこか影が見えるのは俺の思い過ごしだろうか。
「普通コロッケサンドから食べない?」
「食べたい方から食べる」
殿井がいちごサンドを頬張る俺にそういうのもわかるが、糖分とりたくなるくらい頭がパンパンなんだ。
「七瀬かわい~、ハムスターみたい」
「うるさい」
そんなことを殿井が言ってくるから安心して食べることもできないと思いつつ、もそもそと食べているといちごが落ちそうになり、それだけつまんで口に入れようとした俺の手が止まった。
(そういえばケーキのいちご、俺が食べちゃったんだよな)
コンビニケーキの上に乗っていたいちごは、ぷりぷりした俺が奪って食べてしまった。だからといってこのいちごをやるわけではないが──
(あれ?甘い物、苦手なんだよな)
でも俺があげたショートケーキは食べていた。
(もしかして、無理して食べさせたんじゃ……)
ぎこちなく殿井を見上げたけれど、殿井は柳と購買の好きなパンランキングで盛り上がっていた。
(あのとき、俺、なに渡せばいいかわからなくて焦ってて、誕生日といえばケーキだって思ったけど──嫌いなもの渡してどうするんだよ!?)
俺はもう、コロッケパンを食べる元気はなかった。
「どうしよう……」
俺のつぶやきに、鉄が「持って帰ったらいいだろ?」と言った。
「七瀬、もう帰れる?」
「ごみ捨ててくるから、待ってて……」
昼に気づいてから、俺は落ち込んでいる。
「一緒に行こうか?」
「大丈夫。すぐ戻るから……」
よたよたしながら俺はゴミ箱を持って、ゴミ置き場に向かった。
「はぁ~……」
ゴミ捨てたのと一緒に、俺の落ち込みも捨ててしまいたい。
(やっぱり俺、殿井のこと好きじゃないのかな。嫌いなものあげるレベルだし……)
俺ってなんてダメなんだろうの連鎖に入りそうなときだった。
「あ、七瀬……」
呼ばれて振り向くと、同じくゴミ箱を持った智が立っていた。
「……そっちも当番?」
「うん」
お互いに少しの気まずさを抱いているような、微妙な空気感が漂った。
「なんかあった?」
「……なんでもない」
智に相談することじゃないことくらいは、俺にもわかる。
「なんでもないなら、そんな顔してないと思うよ」
そう言われて見上げると、智は明らかに気を使っている強張った笑みをしていた。昔から、俺は智にこの顔をよくさせていた。
でも、少し今は違って見える。前よりも、少しだけ柔らかさがある。
「……ちょっと、友達の誕生日に甘い物苦手なのにあげちゃって……。俺、苦手って知ってたはずなのに」
ぼそぼそと、俺はカーディガンの袖をいじいじと触った。
すると、智がくすっと笑った。
「焦ってたんでしょ?七瀬ってそういうところあるよね。視野狭くなるって言うか」
「うるさい……」
むぅっと智を見上げると、そうだなぁと智は腕を組んだ。
「七瀬はどうしたい?」
「ちゃんと、謝ろうかと」
「うん、じゃあそれでいいんじゃない」
そう言われて拍子抜けしてしまった。
「それだけでいいの?」
「いいんじゃない?きっと殿井君なら笑って許してくれるよ。知らないけど」
「なんだよ、責任持ってよ」
「いや~、殿井君ほとんどしゃべったことないし」
てへへと智が笑うから、少しだけ昔に戻れたような気がした。
「じゃ、俺行くね」
「うん……、なぁ」
背を向けた智に声をかけると、不思議そうに智は振り返った。
「俺、ずっと、自分勝手でごめんな」
口に出すだけで緊張でいっぱいで、でもそれだけは言っておきたかった。今更だって自分でもわかっているけど。
「──うん。でもお互い様だから。七瀬から逃げたのは変わらない」
智は目を伏せて、複雑な感情が混ざったような表情をした。
「……彼女のことは、好き?」
智はびっくりしたように目を見開いてから、優しい顔をした。
「好きじゃなかったら、もう別れてるよ」
「そっか」
「うん。じゃあ俺行くから」
「うん」
俺が少しだけ手を振ると、智も手を振り返してくれた。
「さよなら、智」
全然もう友達じゃないし、前みたいに気軽にしゃべれないけど、今日は話せてよかった。
「はぁ~……」
さっきとは違って、胸のつかえが取れたような息を吐いた。
(殿井も待ってるし、戻るか)
少しだけスッキリした気持ちで、ゴミ箱を持って教室に戻った。
俺を待っていた殿井が教室の窓から、俺と智が話していたのを見ていただなんて思わずに。
(なんか、めっちゃ静かなんだけど……)
いつも殿井がいろいろ話しかけてくるのに、ただただ静かに隣を歩いてる。
しかもいつものふんわりした雰囲気じゃなくて、どんよりしている。
「なぁ、殿井」
「なぁに?」
しかも話しかけるとやたらとキラキラした張り付けた笑顔を見せてくる。
(こわい、なんか怒らせたんかな……)
「なんでも、ない」
俺はどうしたらいいかわからなくて、黙るしかなかった。
「あ、じゃあ、また明日……」
結局、全然話すこともなく家についてしまい、殿井はぼーっとしたまま先に家に入っていった。
(俺、なんかしたのかな──いや、むしろ仕出かしてしかないのかも)
また襲い掛かって来た暗い気持ちを抱きつつ、俺は鞄から鍵を取り出し、ドアに鍵を挿そうとした。すると、手に影が落ちて来た。
「七瀬、やっぱりちょっとだけいい?」
見上げると拗ねたような顔をした殿井が、隣に立っていた。
殿井の家に上がり、テーブルに横並びに座った。
殿井はムスッとしたままなにも言わないし、俺もそんな殿井にどうしたらいいのかわからない。
「あのさ、七瀬」
「はい」
もはやこの状況は恐怖でしかない。
「なんか、俺に言うことない?」
テーブルに肘ついてそう言う殿井は、じーっと俺を見て来た。
(なんだ?なにかって……俺から殿井に言うこと……)
焦る頭の中で思いつくのは、ひとつしかなかった。
「あの、殿井、ごめん。俺、殿井が甘いの苦手って忘れてケーキ渡したんだ」
「ケーキ……?」
殿井は想定外のことを言われ、頭が付いて行ってないような感じだった。
「だから、誕生日の……」
そう言ってようやく、殿井は合点が行ったようだ。
「俺、わざと渡したわけじゃなくて、急いでなにか買わないとと思ってたら、うっかりしちゃって。ほんと、わざとじゃなくて」
「あー、いいよそれは。わかってたし」
しどろもどろになっていると、殿井がぽんっと俺の頭に手を置いた。
「でも、苦手なのに我慢して食べてくれたんだろ?」
申し訳なさいっぱいで殿井を見ると、「本当はさ」と殿井が話し始めた。
「食べれないわけじゃないんだ、甘い物。たまに苦いチョコとか甘さ控えめのプリン食べることもあるし。でもあんま好きだとは思わないから、苦手って言ってるだけ」
「……なんで?」
「だって、食べれるってなったら渡してくる子たちの断れないだろ?相手に好意もないのに受け取れないよ。そういうの期待されても困るから、断れるように苦手って言ってる」
「そう、なんだ」
「うん、そう」
殿井は、ずるずると椅子にもたれかかった。
「もらってあげる方が優しいのかもしれない。けど、俺はみんなに優しくできないから」
なにが優しいのかは、ひとによって違うんだろう。
でも俺は、殿井の”優しくない”は”優しい”だと思う。期待させて相手を傷つけないように、殿井なりの思いやりだと思う。
「だから、好きな子には思い切り優しくしたいし、その分嫉妬もするわけよ」
「……?」
遠くを眺めていたような殿井が、体ごと俺の方を向いた。
「さっき、ゴミ置き場のとこでしゃべってたでしょ?あの眼鏡君と」
にっこりとした殿井は、笑っているけど目が笑っていなかった。
「しゃべっては、いたけど……え?」
じりじりと殿井は俺の方へと迫って来た。
「もうあいつとしゃべるの、やめてくれる?めっちゃ腹立つ」
「……いや、お前に止められることじゃないし」
怯え切った俺は、智と話す予定なんて全然ないのに、そんなこと言ってしまった。
「確かに」
それはそうだと殿井も納得がいったのか、自分の椅子にちゃんと座った。と、思ったけれど俺の方へと椅子ごと近づいてきた。
「じゃあ、いつになったら止めてもいい関係になれるの?」
「それは……」
これは返事をくれと言われているんだろうか。
心の準備なんて全然できてなくて、俺は袖を口元に当てた。
「七瀬、俺もう──」
殿井が俺の苦手な雰囲気を出して顔を近づけてくるから、俺はぎゅっと目をつぶって体を縮こませた。
「………無理」
それしか言えなかった。
「そっ……、か」
殿井の気配が遠くなった気がして、俺はうっすらと目を開けると、殿井は浮かせていた腰を椅子におろし、頭を垂れていた。
なんだか落ち込んでいるような雰囲気だ。
「ごめん、七瀬。今日は帰って」
こっちを見ようともしない殿井に言われて、俺はどうしたらいいかわからないまま家に帰った。
「お前らどうしたよ」
「なんでもない……」
お昼を食べていると鉄に聞かれ、俺はげっそりしたまま答えた。
殿井が、俺を避けるようになった。
翌朝『しばらく先に行くね』とメッセージが入っていて、あの日以来殿井と話せていない。
休み時間はどこかに行ってしまうし、帰りも気づいたときには帰っている。
久々の快晴だったから、柳と鉄と俺の3人で屋上飯をしている。柳が殿井も誘ったが、「ちょっと用事があるから」と断られたらしい。
多分、俺があの時返事しなかったせいだと、思う。
「お前らまだ付き合ってはないんだよな?」
「な──っ、ゴホッゴホッ!」
鉄がいきなりそんなことを言ってくるから、臓器がリバースするんじゃないかってくらいに俺はむせた。
「はっ!?なに言って──」
「いや、普通に駄々洩れだし。な?」
鉄の問いかけに隣に座っていた柳が頷いた。
「俺らも気ぃ使うから、今日中に何とかしろよ」
「……そんだけ?」
「なんだよ?」
予想外過ぎて頭が真っ白になりそうな中、もう一度俺は口を開いた。
「殿井と俺がって、驚かないの?」
普通に驚かれるだろうし、なんなら引かれて距離置かれることだってあるかもしれないって思ってた。
だって智とのことを言われたときの周りの反応を見ていたら──
「いや、あんないちゃついてて俺らにバレてないって思ってた方が驚くわ」
「菅谷はまだまだお子ちゃまだからな」
やれやれと前髪をかきあげた柳は、恋愛マスター風吹かせてきた。
「ま、なんかあったら俺に聞いてくれていいぜ?」
俺の知る限り、柳に恋人がいたことはないはずだ。
その自信はどこからくるんだろうと思いながら、ガシガシと箸をかじった。
でも──
「ありがと」
二人が殿井と俺のこと、応援してくれてて、すごくうれしい。
(すっごい照れるけど)
二人と友達でよかっただなんて、俺は素直に言えやしない。
(前にもあったな。こういうこと)
駅まで坂を走っておりていく塾帰りの小学生、家路を急ぐ社会人。いつもと同じ帰り道だけど、俺だけ違って見える。
前は体育祭の練習してるからってすぐわかった。だから急に一人で帰ることになった不安感も、すぐ解消された。
今回は、俺が返事を先延ばししすぎたのが原因なんだろう。
(だったら、殿井と一緒にいたいってこの気持ちは本当だから──今日、伝えよう)
坂から見える夕陽が、今日は寂しいとは思わなかった。
殿井の家の前で、深呼吸を繰り返してから呼び鈴を鳴らした。けれど、しばらくしても誰も出てこなくて、もう一度鳴らした。
(あれ?まだ帰ってないのかな……?帰ってくるまで家で待つか……)
いつもならそうしただろう。拒絶されるのがこわいから、自分に言い訳できるように。
でも、どうしても殿井と話かった。だから殿井の家の前で待つことにした。
1分1秒が長く感じる。待つって決めたのは自分だけど、今日話せなくて、明日もこのままだったらどうしようと思うと不安だ。
玄関横に座り込んでから、30分ほど経っただろうか。中からカチャリと小さな音がして、小さくドアが開かれた。
「───殿井」
中から、普段の輝きはどこに行ったのかと思うくらい、ぼろぼろのスエットを着たボサボサの殿井が出て来た。
「……いつまで待ってんの?」
「殿井、俺、話したいことある」
「俺はないから、帰って」
俺を見ようともせず殿井がドアを閉めようとするから
(待って──)
思わず、俺はその隙間に足を挟み込んだ。
「いっ──!?」
「七瀬!?」
痛みでしゃがみ込むと、殿井がドアを開いた。
「…………上がるからな」
「はい……」
しゃがんで足をおさえ、ドスの効いた声(俺にしては)に殿井に鋭い眼光を向けると、殿井も大人しく家に入れてくれた。
こないだと同じように、テーブルに二人並んで座るも、殿井は俺からわざと離れるように奥側の端っこに座った。
「あのさ、殿井……俺、殿井に話したいことがあって」
家の中は電気もついてなくて薄暗い。窓に近い方に座る俺から見ても、殿井はわざと薄暗い方にいようとしている気がする。
俺が話しかけても無反応で、片膝立てて背を丸めて座っている。
「ずっと考えてたんだ、俺は殿井のことどう思ってるんだろうって。一度、間違えてるから不安でさ」
話し始めると、俺も殿井を見れなかった。
夕方の、町のスピーカーから流れる音楽が聞こえるほど静かで、それが一層緊張感を増した。
(声が、震えそうだ)
俺はテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめた。
「最初はグイグイ来られて、ほんとなんで俺なんかと仲良くしようとしてくるんだろうって思ってたけど、でも殿井はいつも俺に思ってること話してくれて、俺はそれがすごくうれしくて、すごく安心した」
ぐちゃぐちゃで全然まとまらないけど、精一杯伝えたい。
「何気ない話するのも楽しくて、しゃべらないでただ一緒にいるだけでも殿井とだったら俺、すごく落ち着くけど、他のやつとは違うなって思った。殿井といる時間が俺は好きで、だから俺も殿井と一緒なんだなって思って──」
”ずっと一緒にいたい”
殿井がそう言ってくれたように、俺もそう思う。
同じ思いを抱いているなら、これが恋じゃなくてなんだというんだ。
「だから、俺は、その、殿井が──」
「待って、七瀬」
一番大事なことを言おうとしたら、殿井と被った。
「な、なに……?」
怖々と聞くと、端っこでうずくまるように座っていた殿井が、ずいずい俺に近づいてきた。
「俺、振られたんじゃないの?」
「……へ?」
予想外過ぎる言葉に、俺はポカンとしてしまった。
「だって、俺のこと無理って言ったでしょ?」
「そんなこと──」
なんでだ、いつ俺はそんなことを言ったんだ。
焦りながら俺は自分の記憶を遡った。
”じゃあ、いつになったら止めてもいい関係になれるの?”
”それは……”
”七瀬、俺もう──”
”………無理”
(あのときか!?)
まさかそんな風に取られているだなんて、夢にも思わなかった。
そしてそれを弁明しなくてはいけないのも、恥ずかしすぎる。
「あれは、その、近いのが無理だっていう意味で、殿井がどうとかじゃなくて……」
俺が手をもじもじさせながらそう言うと、殿井は大きく目を見開いて固まった。
「……なにそれ~」
そのまま気が抜けたように、殿井はテーブルに突っ伏した。
「てっきり俺振られたんだと思って、めっっっちゃへこんでた」
「ご、ごめん……」
しばらく経っても殿井が全然起き上がってこないから、おずおずと俺は殿井の頭を撫でた。
「ごめんな、勘違いさせて。それでこんなに殿井がぼさぼさになるなんて……」
そこまで言ってから、気づいた。俺に振られたと思っていたせいで、殿井がこんなくたびれた感じになっているのだと。
そう思うと、急に心臓がうるさくなってきた。
(え……、あれ?)
ゆっくりと殿井の頭から手を離すと、殿井にその手をぎゅっと握られた。
「そうだよ、七瀬に振られたと思ったら俺、こんなんになっちゃったんだから」
顔を上げた殿井は、拗ねたような、でも”絶対に離してなるものか”の気迫を感じた。
「七瀬、さっき言おうとしてくれたこと言って?」
「……え?なにも、ないです」
少し気が抜けてしまった俺は、もう今日は告白する勇気も覚悟もない。
「でも俺のこと、好きって言おうとしてくれてたでしょ?言って欲しいなぁ」
意地悪してんのかと思うくらい、殿井は俺の手を自分の頬に当て、反対の手で俺の顔を殿井の方へと向けられてしまったから、殿井に顔が赤くなってるのがバレてしまった。
「でも殿井だって、俺のこと好きだって言ったことないだろ」
殿井は俺に”好きな子”だって言ってきたことはあるけど、好きだと面と向かって言ってきたことはない。
「じゃあ、言ったら言ってくれるの?」
いつものふんわりはどこに行ったのかと思うクールな殿井を負けじとにらみ返した。
「だから七瀬、そういうの煽ってるだけってわからない?」
そのまま殿井が俺に顔を近づけて来て、思わず俺はまぶたをぎゅっと閉じた。
「七瀬、目開けないとキスするよ?」
殿井がそんなことを言ってくるから、確かめるようにゆっくりと片目だけ薄く開いた。
この状況だけでキャパオーバーなのに、キスなんてされたらたまったもんじゃない。
けど殿井はそのまま顔を遠ざけてくれるわけもなく、こつりと額をくっつけて来たから、ビビった俺はまた目をぎゅっとつぶった。
「ほんと、七瀬って煽り上手だね」
耳元で殿井にそうささやかれ、目を開けられないままでいると俺の唇に柔らかいのがあたった。
(わ~~~~~~~~~~っ!?!?うそうそうそうそ!?)
確かめたいけど確かめるのがこわいと思いながら薄く目を開くと、目の前に殿井の顔があって、ゆっくりと離れていった。
「………………」
「七瀬、俺の気が長くてよかったね。返事、今後ね」
いつものふんわりした雰囲気のままキラキラした笑顔をたたえた殿井に、俺は目が点だった。
「とのっ……、目、開けたら、キ、ス、しな、って──」
「そんなこと言ってないよ?」
わざとらしく顔を両手で包んだぶりっ子ポーズの殿井の腕に、俺はグーパンした。
「いったいよ、七瀬」
「────っうるしゃい!もう帰るっ!」
痛みに眉をひそめる殿井をそのまま置いて、涙目の俺は急いで家に逃げ込んだ。
自分の部屋に籠って、枕に顔をうずめ、ベットの上でゴロゴロと暴れた。
(俺の、ファーストキスだったのに──!!)
もう居ても立っても居られない。思い出すだけで、恥ずかしさと体の奥から湧き上がる熱でどうにかなってしまいそうだ。
「なぁ~~~~~っ!!」
「お兄、うるさい!」
どうしようもなくて枕に叫んでバタバタしていると、俺の部屋にノックもせず入って来た瀬里香に怒られてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「暴れるなら殿井さんの家行って。どうせあの人が原因なんだから」
瀬里香はドスの効かせた声でそう言うと、バタン!と扉を閉めた。
暴れると瀬里香に怒られる。どうしようもなくて、俺は声にならない叫びをあげた。
誰か俺に優しくしてほしい。


