「七瀬、身長いくつ?」
「……158、くらい」
俺は朝からたじろいでいる。
「俺180あるから、20cmくらい違うんだぁ」
「……自慢、されてる?」
グサッと刺された俺は、下からねめつけるように殿井を見上げた。
他の男子より身長が低いのは、コンプレックスのひとつだ。
「そうじゃないよ!そうじゃなくって、かわいいなって」
最初は隠そうとしてたのに、殿井は堂々と真正面から”かわいい”と言ってくるようになった。
(なに?なんでそんなこと言ってくるの?意味が分からない)
俺の頭は宇宙規模での混乱しかない。
そんな俺とは反対に、殿井はゆるふわの笑顔で「あれなに~?」と坂の下のオレンジの建物を指した。
「……ドッグカフェ」
子どものように澄んだ目で聞いてくる。俺じゃなくてもその愛らしさに、解答しないことを選択できないだろう。
「へー。七瀬、犬派?猫派?」
「犬」
そうして殿井に尋問される日々が続いている。
「俺も犬派なんだ。今度一緒に行こうよ、ドッグカフェ」
「行かない」
「せめてもう少し悩んでよ」
毎日こんな感じだから、片頬を膨らませている殿井に少しは慣れてきたところがある、と思う。
(でも毎日、俺といてつまんなくないんだろうか)
そんなこと考えながら殿井を見つめていると、殿井がふんわりと笑った。
「なに?やっぱり一緒に行ってくれる?」
「行かない」
くすくすと笑う殿井は目立つ。一緒に登校していると、道行く人の視線を集める。
長身で、柔らかなオーラに、人懐っこい笑顔。
(なんで俺と一緒にいるんだろう)
初日に学校に行く時間を教えたからだろう。次の日、朝からピンポーンと呼び鈴が鳴らされた。
「あら、誰かしら。こんな朝から」
はいはいとタオルで手を拭きながら母さんが玄関を見に行くと、そのまま楽しそうなしゃべり声が聞こえて来た。
回覧板持ってきたご近所さんとでも盛り上がってるんだろうかと思っていると
「七瀬、殿井君が迎えに来たわよ!」
その声に、俺は食べかけのトーストを床に落としてしまった。
「……は?え、なに?」
なんで朝からお越しくださったんでしょか。
戸惑いながらも玄関に行くと、後ろから射す太陽よりも眩しくて目を細めるほどの笑顔を浮かべた殿井が母さんと喋っていた。
「ごめんな。やっぱり学校まで不安だから一緒に行ってくれる?」
策士だ。絶対に一緒に行こうと思っていたに違いない。
困り顔の前で両手を合わせた殿井にポーッとしていた母さんが、俺の肩を思いっきり叩いた。
「七瀬、一緒に行ってあげな。早く準備して」
「……わかった」
殿井に陥落した母さんの圧に、俺は痛む肩をさすりながら鞄を取りに行き、そのまま殿井と学校に向かった。
そんなこんなで、殿井が転校してきた翌日から俺と殿井は登校を共にしている。
ひとりで通学してた時より早く出るようになったから、時々「あれなに?」と殿井が足を止めても問題ないけど、俺としては早く学校に着いてしまいたい。
「髪は?染めたことある?」
「ない」
なるべく会話が続かないように、俺は一言二言で切るようにしてるのに殿井は構わず話しかけてくる。
「綺麗な黒髪だもんなぁ」
そうして殿井が俺の髪を撫でるから、俺はすくみあがった。
「あ、ごめん、つい。触られんの嫌い?」
「ひ、人に寄るんじゃないかな」
声が上ずってしまった俺は、柔らかい手で撫でてくる殿井に全身がこわばってしまった。
そんな俺を見て面白がっているのか、くすくすと殿井は笑い始めた。
「なんか七瀬って、黒猫っぽいね」
「は?」
俺が猫なら、すでに全速力で逃げて殿井の手の届かないところに引きこもっている。
「だってマイペースっぽいけど警戒心強いし、目大きくてつり目だし、顔小さいし、かわいいし」
そう言いながら殿井が前髪をかきわけてくるから、いつもより視界が開けて思わず俺は後ろに下がった。
「ほら、警戒心強い。俺こわくないから、早く懐いて、ね?」
小さい子に話すように、俺の目線の位置までしゃがみこんできた殿井に、普通なら頬を染める場面かもしれない。
けど俺はこいつの真意がわかりかねて、怯えることしかできない。
「ぜ、善処します……」
「なにその政治家みたいな解答」
そうして殿井は、またくすくす楽しそうに笑った。
(やっと着いた……)
校門を過ぎて、校舎に入っても、下駄箱で靴を履き替えているときも殿井は話しかけ続けてくる。
「で、七瀬。明日の帰りは?」
「まっすぐ家に帰る」
「たまには俺とどこか行ってよ。何回誘ってもさぁ──」
そのまま殿井は話し続けて来たけど、俺の耳には入って来なかった。
向かいから、彼女と手を繋いで教室に向かう智が見えたから。
(俺といた時、あんなに安心した笑顔、してたかな)
もちろん俺なんかに気づくことはなく、二人は教室に入っていった。
ただそれだけなのに、目の前が曇っていくようだ。気持ちも重くなる。
「どしたの?」
暗い気持ちに締め付けられそうになっていると、ひょこっと殿井が顔を寄せて来た。
「……なんでもない」
「ふーん」
何でもないふりをして、教室に向かっていると殿井がまた頭を撫でて来た。
「なに?」
「ん?なんでもないよ」
殿井のこういうところ、謎に思う。
けど、今はその手の温かさに少しだけ安心した。
「あ、殿井―!」
教室に入るとすぐ、殿井に小走りしてきて深町にぶつかられ、鞄を思わず落としてしまった。
けど、深町はぶつかったことも気づいてないようだ。
「今日の帰りはカラオケ行こっぜー」
「行かない」
陽気に誘いに来た深町を殿井は煙たそうにしている。
(なんか、不機嫌そう……)
さっきまでの朗らかな殿井と同一人物かと思うほど、今は冷たい態度だ。
「えー、なんでだよ。S女の子達と遊びに行くからお前も来いよ。いいだろ、な?」
「そういうの、興味ないから」
肩に回されそうになった深町の腕からサッと逃れると、殿井は「大丈夫?」と俺の鞄を拾ってくれた。
「あ、ありがと」
鞄を受け取ると殿井は口角だけあげた笑みを俺に向けてから、「ジュース買いに行ってくる」と鞄も置かずに出て行ってしまった。
「なんだよあいつ、めっちゃ態度悪くね?ちょっと顔がいいからって」
「調子乗ってんよな」
殿井が出て行くと深町達は殿井のことを悪く言うのが聞こえた。
さっきまでの友好的態度はなんだったのかと思う。
(自分の思い通りにならないからって、殿井が悪く言われる理由はないのに)
殿井が誘われてたのは、合コン、なんだろう。
カッコいいやつ連れて行くから、とか言って勝手にセッティングされたりするのも嫌だろう。そんなのまるで見世物だ。
殿井が不快になるのもわからんでもない。
(殿井は、見た目のせいで困ることも多いのかな)
俺は鞄を机にかけてから、殿井が出て行った方を見つめた。
「でも俺には無理だよー」
体育の授業中、木陰で休みながら俺は隣に座る鉄にもたれかかった。
「殿井と仲良くなんてできない。距離感おかしい、バグってる」
「そうかもな」
俺と鉄は前半グループで先に終え、後半グループの殿井と柳は校庭をランニング中だ。
「菅谷、最近元気ないな」
「……そうかな、なんでもないよ」
へらへら笑っていたけど、鉄には通じなかった。
「あー、俺、こないだショックなことがあったんだ」
「そうか」
こういう鉄の、深掘りしてくることも励ましもしてこない、ただ受け止めてくれるだけなの、俺は優しいと思う。
「でもなにがあったとか、あんまり人に言いたくなくて黙ってた。まだ全然悲しいし、吹っ切れてない。そんなときに殿井が来て、こう、ずかずか来られると、まだメンタル整ってないから無駄に警戒しちゃって……」
まぁ泣いてたところ見られたからっていうのが大きいんだけど、そこは言いたくなかった。
「そうか」
「うん」
周りではクラスメイト達が走っているやつを応援したり、適当に喋ったりしてる。
けど俺は鉄とこうして黙ったままでいるのが、今は心地いい。
「お前はお前のペースで慣れたらいいと思う。殿井は多分、待つだろうし」
鉄はそれだけ言うと「水飲んでくるわ」と校舎裏に行ってしまった。
(俺も、いいやつだろうとは思うけど──)
校庭の殿井は、もうヘロヘロになっている柳を励ましながら楽し気に走っている。
(多分、いいやつなんだろう)
それなのに、どうしてこんなに警戒してしまうんだろう。
「殿井の隣だとさ、マジ不細工味が増すよな」
「柳ヤベー」
あはは、となにも気にせずに笑う深町達の声が聞こえてきて、俺は不快感でいっぱいになった。
柳はイケメンではないけど、だからって必死に走ってるのを笑っていいわけじゃない。
そっと柳に目をやると、聞こえてないふりをしているような、しょげた顔をしている気がした。けど俺も、柳も、深町達には何も言えない。目に見えない序列に、俺達は絡みとられている。
(智とも──)
俺は鬱々とまた考え始めてしまったから、そのとき柳の隣の殿井が険しい顔をしていたのを、全く見えていなかった。
「殿、なに出るんだっけ?」
「俺は借り人競争と、玉入れと、徒競走」
体育祭が段々と近づき、そういう話題が多くなっていく。
「でも俺あんまり運動得意じゃないんだよね」
「殿、文科系だよな」
「え?俺、理系だよ」
「いや、そうじゃなくって」
移動教室から戻る中、ワイワイと喋っている殿井と柳の後ろで俺は少し笑いそうになり、手で口元を抑えた。
(会話ズレてて面白い)
でも我慢できずにくすくすと笑っていると、殿井が首だけ後ろに傾けて来た。
目が合ったかと思った。けど、すぐに目を逸らされた。
(なんだ……?)
殿井は”見てしまった!”の表情だった、目も大きく見開いていた。
なんだろうかと後ろを向いても、廊下には普段と変わらず生徒が行き交っているだけ。
不思議に思っていると、隣にいた鉄が俺の頭に手のひらを乗せた。
「なに?」
鉄は殿井よりも背もガタイも大きい”THE 体育会系"だから、俺はいつも見上げてばかり(柳は数cm高いだけ)。
「にぶい」
そのまま鉄は手を離したが、いったいなんだったんだ。
じーっと鉄を見上げていると「前向いて歩かないと殿井にぶつかるぞ」と言われて前を向くと、殿井が眉にしわ寄せた顔をこっちに向けていた。
(なんなんだ?)
俺が頭をはてないっぱいにしていると、「殿下!」と前から女子二人組が殿井に声をかけて来た。
「殿下、これよかったら受け取ってください」
「あ~、ごめん。俺甘いの苦手で」
「えー!?そうなんですかぁ」
「ごめんね、でもありがとう」
「いいえ!こちらこそありがとうございます!」
申し訳なさそうにしていた殿井が爽やか笑顔を向けると、手作りの菓子を渡しに来た女子二人組はきゃーと騒ぎながら廊下を走っていった。
転校して数週間、殿井はすでに学校の王子様だ。殿下なんて呼ばれているし、廊下を歩けば視線を集めるなんて当たり前。たまに教室まで殿井を見に来る奴だっている。
殿井もそういうのに慣れているのか、去っていく女子達に手を振っている。
(でも、なんとなく、違和感あるけど)
ちらりと見ると、殿井に柳がタックルをした。
「殿~、お前だけずるい!」
「え、ごめん」
「謝ってんじゃねー!余計に虚しくなるわ!」
柳が殿井にプロレス技をかけるも、殿井の方がデカいからびくともしてない。全然余裕でへにゃへにゃ笑っている。
「俺、購買行ってくる」
鞄から財布を取り出し、教室を出ようとした。けど、俺は立ち止まることになった。
「今度お菓子買ってくるから」
「そういうことじゃねぇよ」
柳にじゃれつかれている殿井の手が、俺のカーディガンの裾をつかんでいる。
(なんだ?)
買うものあるから待ってってことだろうか。
俺が首をかしげていると、隣の席に座っていた鉄が笑った。
「なに?」
「いや、慣れてきてるなって思って」
ニヤニヤしてる鉄がなんとなくムカつくが、これ以上突っ込むとドツボにはまる気がして俺は殿井の手を「フンっ!」と振り払った。
「七瀬、嫌だった?ごめんね」
振り払うと今度は俺の手首をつかんだ殿井が上から見下ろして来た。
(その顔面近づけないでくれ~!)
俺がキラキラにあてられそうになり殿井から一歩下がると、「殿井!」と深町達がやって来た。
「……なに?」
すると、ゆるふわオーラ漂う殿井じゃなくなった。
なんというか纏う空気も冷たくて、涼し気と言うか、冷淡というか、クールになった。
殿井が俺に言うところの、警戒心だろうか。
(こいつも人見知り?でも俺らには懐っこいし……)
そろりと殿井の後ろから様子を窺った。
「今日こそは帰り、付き合えよ。もうお前連れてくって言ってあるから」
「なに勝手に──」
「いいじゃん別に。そいつらなんかつるんでるよりずっと有意義で楽しいとこ連れてってやるから」
な、とヒエラルキー上位者の、他人を見下す笑顔で殿井の首に腕をまわした深町は、そのまま殿井を己のグループの方へと連れて行こうとした。
「あのさぁ、勝手なこと言ってんなよ」
聞いたことのない殿井の低い声が響くと同時、殿井は深町の腕をつかみ、乱暴に払った。
「はぁ?お前何して──」
「悪いけど俺、お前らのために見世物になるつもりないから」
「あ”?なに言って──」
「見世物だろ?俺の隠し撮り写真でも送って、メンバー募りでもした?」
そう言った殿井はいつもの柔和な雰囲気はなくて、その鋭い視線にみんなの前だから笑ってるふりをしているけど、深町達も完全にビビっているのがわかる。顔が引きつってる。
シーンとクラスが無音に包まれ、誰もが成り行きを傍観していた。
けれどクラスの雰囲気を察したんだろう。教室を見回してふぅっと一息吐いてから、くるりと殿井は俺の方を向いた。と思ったら、深町達に向き直った。
「じゃあそういうことで。七瀬、俺も購買行くー」
そう言った殿井は、もういつも通りの殿井だった。
「う、うん……」
先を歩く殿井に続いて、俺も教室を出た。
「おい、まだ話は終わってねぇよ!」
みんなの前で恥かかされたのを取り戻すように、深町が殿井の肩に手をかけようとした。
「ストップ」
俺が殿井の前に出ようとする前に、深町の拳を鉄が手のひらで受けていた。
「……、どけよ設楽」
力いっぱい踏み込んでいるのか、深町の声は震えていた。
「お前、もうしょうもないからやめたら?あと、写真は消しとけ」
「は?なに言って──」
「おい深町、やめろって」
深町といつもつるんでる奴らが慌てて二人を取り囲んだ。
「お前らまでなんだってんだよ!?」
「いいから、とりあえず設楽から離れろって」
「はぁ!?なにビビって──」
「だから、……設楽は、柔道の全国大会で優勝してんだよ!ぶん投げられてもしらねーぞ!」
それを聞いた深町はゆっくりと鉄を見上げ、鉄はそんな深町をじっと見下ろす。
「……っ今回は大目に見てやるよ」
そのまま深町達は慌ててどこかに行ってしまった。多分、よくたまり場にしている校舎裏にでも行ったんだろう。
「鉄、大丈夫か?」
「おう」
柳に聞かれた鉄は、手をグーパーした。
「鉄、ごめん。ありがと」
「おう」
殿井が申し訳なさいっぱいに謝っても、鉄は普段と変わらない。
「気にすんなよ」
「うん、ありがとう。……ほんとに優勝したの?」
「まぁな」
「知らなかった。部活とか入ってないよね?」
「小さいときから通ってる道場あるからそっち行ってる。今は、カードゲームの大会で忙しい」
「カード……?」
殿井は目を点にしていると、ぐっと胸の前で拳を握り、闘志に燃えている鉄の隣で柳がうんうんと頷いている。二人は夏の大会に向け、対策を考えているそうだ。
「それよりお前ら、購買行かなくていいのか?」
「あ、そうだった」
「先に柳と食ってるから適当に」
「わかった。行こ、七瀬」
「うん……」
笑い合う声や遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる中、俺は黙ったまま殿井の後ろに付いて歩く。そうしていると、足をとめた殿井が振り返った。
「七瀬、今日ふたりでお昼食べてくれない?」
殿井は頬を指でかきながら不安そうな顔を見せた。
そんなつもりなかったのに、そんな顔されたらどうしようもなくて、俺は小さく頷いた。
「俺さっき、怖かったよな。ごめんな」
「……別に俺に謝ることじゃないし。それに、深町達が悪い」
誰もいない屋上で黙々と焼きそばパンを食べていると、殿井はほっとした顔をした。
「よかったぁ、七瀬に怖がられてたらどうしようかと思って」
はぁーっと深いため息をついた殿井はそのまま崩れ落ちて上半身を長い足の上に乗っけた。
(今日に限らずいつも俺は殿井にビビってました。一軍男子感半端ない、けど──)
そういうことじゃないって、俺は反省している。
少し復活した殿井は、足に肘ついて話し出した。
「俺、見た目がいいらしいんだよね。自分ではあんまりわからないんだけど、人に好かれやすいって言うか。だから今までもこの見た目のせいでいいこともあったよ。でもその分顔だけって言われたり、期待に応えられなかったり、悪く言われることもあって……。初めてじゃないんだ、合コンで見世物みたいに連れていかれて、女子の興味が俺に集中したら帰れって言われたりとか。投げやりなときはそれでもいっかって思ってたけど、今は違うから」
殿井はぎゅっと強く拳を握った。
淡々と話しているけど、でもいい思い出じゃないことくらいわかる。
「俺全然派手な性格じゃないし、見た目のせいであぁだこうだ言われるのはめっちゃ腹立つ」
「そう、なんだ」
「うん」
両手で口元を隠した殿井は、少し恥ずかしそうにしているように見えた。
「だから、今みたいに七瀬達と仲良くできるの、すごく嬉しいんだ」
「うん」
こういうとき、もっとなにか声をかけて上げられたらいいのかもしれない。
けど俺はなにも言えなくて、ただ殿井の隣にいることしかできなかった。
「そろそろ教室戻ろっか」
食べ終わると殿井が自分のごみ袋に「ごみ入れて」と俺の分も入れさせてくれた。
特になにを話すわけなく、でも少しずつ殿井を知れて、なんだか胸がぽかぽかした。
(けど、俺は殿井に謝らないといけない)
そう思いながら階段を下りていると、「あのさ」と殿井が俺のカーディガンの裾をつかんだ。
「な、なに?」
急につかまれてびっくりした俺は、上の段にいる殿井を見上げた。
その顔はいつもと違って、緊張しているように固くて、赤くなっていく。
「さっきの、ちょっと訂正する」
「さっき?」
どれのことだろうと俺が頭をはてないっぱいにしていると
「七瀬達と仲良くしたいと思ってる。でも、七瀬とは他のやつより俺が一番仲良くなりたいって思ってるから。……それだけ」
そう言うと「ごみ捨ててくるから」と殿井はバタバタと階段を下りて行った。
「……は?」
取り残された俺は殿井の言葉の意味が分からず、しばらくその場に突っ立っていた。
誰か俺に解答を教えて欲しい。
「……あつ」
変に汗が出てきて、俺はカーディガンを脱いだ。
「……158、くらい」
俺は朝からたじろいでいる。
「俺180あるから、20cmくらい違うんだぁ」
「……自慢、されてる?」
グサッと刺された俺は、下からねめつけるように殿井を見上げた。
他の男子より身長が低いのは、コンプレックスのひとつだ。
「そうじゃないよ!そうじゃなくって、かわいいなって」
最初は隠そうとしてたのに、殿井は堂々と真正面から”かわいい”と言ってくるようになった。
(なに?なんでそんなこと言ってくるの?意味が分からない)
俺の頭は宇宙規模での混乱しかない。
そんな俺とは反対に、殿井はゆるふわの笑顔で「あれなに~?」と坂の下のオレンジの建物を指した。
「……ドッグカフェ」
子どものように澄んだ目で聞いてくる。俺じゃなくてもその愛らしさに、解答しないことを選択できないだろう。
「へー。七瀬、犬派?猫派?」
「犬」
そうして殿井に尋問される日々が続いている。
「俺も犬派なんだ。今度一緒に行こうよ、ドッグカフェ」
「行かない」
「せめてもう少し悩んでよ」
毎日こんな感じだから、片頬を膨らませている殿井に少しは慣れてきたところがある、と思う。
(でも毎日、俺といてつまんなくないんだろうか)
そんなこと考えながら殿井を見つめていると、殿井がふんわりと笑った。
「なに?やっぱり一緒に行ってくれる?」
「行かない」
くすくすと笑う殿井は目立つ。一緒に登校していると、道行く人の視線を集める。
長身で、柔らかなオーラに、人懐っこい笑顔。
(なんで俺と一緒にいるんだろう)
初日に学校に行く時間を教えたからだろう。次の日、朝からピンポーンと呼び鈴が鳴らされた。
「あら、誰かしら。こんな朝から」
はいはいとタオルで手を拭きながら母さんが玄関を見に行くと、そのまま楽しそうなしゃべり声が聞こえて来た。
回覧板持ってきたご近所さんとでも盛り上がってるんだろうかと思っていると
「七瀬、殿井君が迎えに来たわよ!」
その声に、俺は食べかけのトーストを床に落としてしまった。
「……は?え、なに?」
なんで朝からお越しくださったんでしょか。
戸惑いながらも玄関に行くと、後ろから射す太陽よりも眩しくて目を細めるほどの笑顔を浮かべた殿井が母さんと喋っていた。
「ごめんな。やっぱり学校まで不安だから一緒に行ってくれる?」
策士だ。絶対に一緒に行こうと思っていたに違いない。
困り顔の前で両手を合わせた殿井にポーッとしていた母さんが、俺の肩を思いっきり叩いた。
「七瀬、一緒に行ってあげな。早く準備して」
「……わかった」
殿井に陥落した母さんの圧に、俺は痛む肩をさすりながら鞄を取りに行き、そのまま殿井と学校に向かった。
そんなこんなで、殿井が転校してきた翌日から俺と殿井は登校を共にしている。
ひとりで通学してた時より早く出るようになったから、時々「あれなに?」と殿井が足を止めても問題ないけど、俺としては早く学校に着いてしまいたい。
「髪は?染めたことある?」
「ない」
なるべく会話が続かないように、俺は一言二言で切るようにしてるのに殿井は構わず話しかけてくる。
「綺麗な黒髪だもんなぁ」
そうして殿井が俺の髪を撫でるから、俺はすくみあがった。
「あ、ごめん、つい。触られんの嫌い?」
「ひ、人に寄るんじゃないかな」
声が上ずってしまった俺は、柔らかい手で撫でてくる殿井に全身がこわばってしまった。
そんな俺を見て面白がっているのか、くすくすと殿井は笑い始めた。
「なんか七瀬って、黒猫っぽいね」
「は?」
俺が猫なら、すでに全速力で逃げて殿井の手の届かないところに引きこもっている。
「だってマイペースっぽいけど警戒心強いし、目大きくてつり目だし、顔小さいし、かわいいし」
そう言いながら殿井が前髪をかきわけてくるから、いつもより視界が開けて思わず俺は後ろに下がった。
「ほら、警戒心強い。俺こわくないから、早く懐いて、ね?」
小さい子に話すように、俺の目線の位置までしゃがみこんできた殿井に、普通なら頬を染める場面かもしれない。
けど俺はこいつの真意がわかりかねて、怯えることしかできない。
「ぜ、善処します……」
「なにその政治家みたいな解答」
そうして殿井は、またくすくす楽しそうに笑った。
(やっと着いた……)
校門を過ぎて、校舎に入っても、下駄箱で靴を履き替えているときも殿井は話しかけ続けてくる。
「で、七瀬。明日の帰りは?」
「まっすぐ家に帰る」
「たまには俺とどこか行ってよ。何回誘ってもさぁ──」
そのまま殿井は話し続けて来たけど、俺の耳には入って来なかった。
向かいから、彼女と手を繋いで教室に向かう智が見えたから。
(俺といた時、あんなに安心した笑顔、してたかな)
もちろん俺なんかに気づくことはなく、二人は教室に入っていった。
ただそれだけなのに、目の前が曇っていくようだ。気持ちも重くなる。
「どしたの?」
暗い気持ちに締め付けられそうになっていると、ひょこっと殿井が顔を寄せて来た。
「……なんでもない」
「ふーん」
何でもないふりをして、教室に向かっていると殿井がまた頭を撫でて来た。
「なに?」
「ん?なんでもないよ」
殿井のこういうところ、謎に思う。
けど、今はその手の温かさに少しだけ安心した。
「あ、殿井―!」
教室に入るとすぐ、殿井に小走りしてきて深町にぶつかられ、鞄を思わず落としてしまった。
けど、深町はぶつかったことも気づいてないようだ。
「今日の帰りはカラオケ行こっぜー」
「行かない」
陽気に誘いに来た深町を殿井は煙たそうにしている。
(なんか、不機嫌そう……)
さっきまでの朗らかな殿井と同一人物かと思うほど、今は冷たい態度だ。
「えー、なんでだよ。S女の子達と遊びに行くからお前も来いよ。いいだろ、な?」
「そういうの、興味ないから」
肩に回されそうになった深町の腕からサッと逃れると、殿井は「大丈夫?」と俺の鞄を拾ってくれた。
「あ、ありがと」
鞄を受け取ると殿井は口角だけあげた笑みを俺に向けてから、「ジュース買いに行ってくる」と鞄も置かずに出て行ってしまった。
「なんだよあいつ、めっちゃ態度悪くね?ちょっと顔がいいからって」
「調子乗ってんよな」
殿井が出て行くと深町達は殿井のことを悪く言うのが聞こえた。
さっきまでの友好的態度はなんだったのかと思う。
(自分の思い通りにならないからって、殿井が悪く言われる理由はないのに)
殿井が誘われてたのは、合コン、なんだろう。
カッコいいやつ連れて行くから、とか言って勝手にセッティングされたりするのも嫌だろう。そんなのまるで見世物だ。
殿井が不快になるのもわからんでもない。
(殿井は、見た目のせいで困ることも多いのかな)
俺は鞄を机にかけてから、殿井が出て行った方を見つめた。
「でも俺には無理だよー」
体育の授業中、木陰で休みながら俺は隣に座る鉄にもたれかかった。
「殿井と仲良くなんてできない。距離感おかしい、バグってる」
「そうかもな」
俺と鉄は前半グループで先に終え、後半グループの殿井と柳は校庭をランニング中だ。
「菅谷、最近元気ないな」
「……そうかな、なんでもないよ」
へらへら笑っていたけど、鉄には通じなかった。
「あー、俺、こないだショックなことがあったんだ」
「そうか」
こういう鉄の、深掘りしてくることも励ましもしてこない、ただ受け止めてくれるだけなの、俺は優しいと思う。
「でもなにがあったとか、あんまり人に言いたくなくて黙ってた。まだ全然悲しいし、吹っ切れてない。そんなときに殿井が来て、こう、ずかずか来られると、まだメンタル整ってないから無駄に警戒しちゃって……」
まぁ泣いてたところ見られたからっていうのが大きいんだけど、そこは言いたくなかった。
「そうか」
「うん」
周りではクラスメイト達が走っているやつを応援したり、適当に喋ったりしてる。
けど俺は鉄とこうして黙ったままでいるのが、今は心地いい。
「お前はお前のペースで慣れたらいいと思う。殿井は多分、待つだろうし」
鉄はそれだけ言うと「水飲んでくるわ」と校舎裏に行ってしまった。
(俺も、いいやつだろうとは思うけど──)
校庭の殿井は、もうヘロヘロになっている柳を励ましながら楽し気に走っている。
(多分、いいやつなんだろう)
それなのに、どうしてこんなに警戒してしまうんだろう。
「殿井の隣だとさ、マジ不細工味が増すよな」
「柳ヤベー」
あはは、となにも気にせずに笑う深町達の声が聞こえてきて、俺は不快感でいっぱいになった。
柳はイケメンではないけど、だからって必死に走ってるのを笑っていいわけじゃない。
そっと柳に目をやると、聞こえてないふりをしているような、しょげた顔をしている気がした。けど俺も、柳も、深町達には何も言えない。目に見えない序列に、俺達は絡みとられている。
(智とも──)
俺は鬱々とまた考え始めてしまったから、そのとき柳の隣の殿井が険しい顔をしていたのを、全く見えていなかった。
「殿、なに出るんだっけ?」
「俺は借り人競争と、玉入れと、徒競走」
体育祭が段々と近づき、そういう話題が多くなっていく。
「でも俺あんまり運動得意じゃないんだよね」
「殿、文科系だよな」
「え?俺、理系だよ」
「いや、そうじゃなくって」
移動教室から戻る中、ワイワイと喋っている殿井と柳の後ろで俺は少し笑いそうになり、手で口元を抑えた。
(会話ズレてて面白い)
でも我慢できずにくすくすと笑っていると、殿井が首だけ後ろに傾けて来た。
目が合ったかと思った。けど、すぐに目を逸らされた。
(なんだ……?)
殿井は”見てしまった!”の表情だった、目も大きく見開いていた。
なんだろうかと後ろを向いても、廊下には普段と変わらず生徒が行き交っているだけ。
不思議に思っていると、隣にいた鉄が俺の頭に手のひらを乗せた。
「なに?」
鉄は殿井よりも背もガタイも大きい”THE 体育会系"だから、俺はいつも見上げてばかり(柳は数cm高いだけ)。
「にぶい」
そのまま鉄は手を離したが、いったいなんだったんだ。
じーっと鉄を見上げていると「前向いて歩かないと殿井にぶつかるぞ」と言われて前を向くと、殿井が眉にしわ寄せた顔をこっちに向けていた。
(なんなんだ?)
俺が頭をはてないっぱいにしていると、「殿下!」と前から女子二人組が殿井に声をかけて来た。
「殿下、これよかったら受け取ってください」
「あ~、ごめん。俺甘いの苦手で」
「えー!?そうなんですかぁ」
「ごめんね、でもありがとう」
「いいえ!こちらこそありがとうございます!」
申し訳なさそうにしていた殿井が爽やか笑顔を向けると、手作りの菓子を渡しに来た女子二人組はきゃーと騒ぎながら廊下を走っていった。
転校して数週間、殿井はすでに学校の王子様だ。殿下なんて呼ばれているし、廊下を歩けば視線を集めるなんて当たり前。たまに教室まで殿井を見に来る奴だっている。
殿井もそういうのに慣れているのか、去っていく女子達に手を振っている。
(でも、なんとなく、違和感あるけど)
ちらりと見ると、殿井に柳がタックルをした。
「殿~、お前だけずるい!」
「え、ごめん」
「謝ってんじゃねー!余計に虚しくなるわ!」
柳が殿井にプロレス技をかけるも、殿井の方がデカいからびくともしてない。全然余裕でへにゃへにゃ笑っている。
「俺、購買行ってくる」
鞄から財布を取り出し、教室を出ようとした。けど、俺は立ち止まることになった。
「今度お菓子買ってくるから」
「そういうことじゃねぇよ」
柳にじゃれつかれている殿井の手が、俺のカーディガンの裾をつかんでいる。
(なんだ?)
買うものあるから待ってってことだろうか。
俺が首をかしげていると、隣の席に座っていた鉄が笑った。
「なに?」
「いや、慣れてきてるなって思って」
ニヤニヤしてる鉄がなんとなくムカつくが、これ以上突っ込むとドツボにはまる気がして俺は殿井の手を「フンっ!」と振り払った。
「七瀬、嫌だった?ごめんね」
振り払うと今度は俺の手首をつかんだ殿井が上から見下ろして来た。
(その顔面近づけないでくれ~!)
俺がキラキラにあてられそうになり殿井から一歩下がると、「殿井!」と深町達がやって来た。
「……なに?」
すると、ゆるふわオーラ漂う殿井じゃなくなった。
なんというか纏う空気も冷たくて、涼し気と言うか、冷淡というか、クールになった。
殿井が俺に言うところの、警戒心だろうか。
(こいつも人見知り?でも俺らには懐っこいし……)
そろりと殿井の後ろから様子を窺った。
「今日こそは帰り、付き合えよ。もうお前連れてくって言ってあるから」
「なに勝手に──」
「いいじゃん別に。そいつらなんかつるんでるよりずっと有意義で楽しいとこ連れてってやるから」
な、とヒエラルキー上位者の、他人を見下す笑顔で殿井の首に腕をまわした深町は、そのまま殿井を己のグループの方へと連れて行こうとした。
「あのさぁ、勝手なこと言ってんなよ」
聞いたことのない殿井の低い声が響くと同時、殿井は深町の腕をつかみ、乱暴に払った。
「はぁ?お前何して──」
「悪いけど俺、お前らのために見世物になるつもりないから」
「あ”?なに言って──」
「見世物だろ?俺の隠し撮り写真でも送って、メンバー募りでもした?」
そう言った殿井はいつもの柔和な雰囲気はなくて、その鋭い視線にみんなの前だから笑ってるふりをしているけど、深町達も完全にビビっているのがわかる。顔が引きつってる。
シーンとクラスが無音に包まれ、誰もが成り行きを傍観していた。
けれどクラスの雰囲気を察したんだろう。教室を見回してふぅっと一息吐いてから、くるりと殿井は俺の方を向いた。と思ったら、深町達に向き直った。
「じゃあそういうことで。七瀬、俺も購買行くー」
そう言った殿井は、もういつも通りの殿井だった。
「う、うん……」
先を歩く殿井に続いて、俺も教室を出た。
「おい、まだ話は終わってねぇよ!」
みんなの前で恥かかされたのを取り戻すように、深町が殿井の肩に手をかけようとした。
「ストップ」
俺が殿井の前に出ようとする前に、深町の拳を鉄が手のひらで受けていた。
「……、どけよ設楽」
力いっぱい踏み込んでいるのか、深町の声は震えていた。
「お前、もうしょうもないからやめたら?あと、写真は消しとけ」
「は?なに言って──」
「おい深町、やめろって」
深町といつもつるんでる奴らが慌てて二人を取り囲んだ。
「お前らまでなんだってんだよ!?」
「いいから、とりあえず設楽から離れろって」
「はぁ!?なにビビって──」
「だから、……設楽は、柔道の全国大会で優勝してんだよ!ぶん投げられてもしらねーぞ!」
それを聞いた深町はゆっくりと鉄を見上げ、鉄はそんな深町をじっと見下ろす。
「……っ今回は大目に見てやるよ」
そのまま深町達は慌ててどこかに行ってしまった。多分、よくたまり場にしている校舎裏にでも行ったんだろう。
「鉄、大丈夫か?」
「おう」
柳に聞かれた鉄は、手をグーパーした。
「鉄、ごめん。ありがと」
「おう」
殿井が申し訳なさいっぱいに謝っても、鉄は普段と変わらない。
「気にすんなよ」
「うん、ありがとう。……ほんとに優勝したの?」
「まぁな」
「知らなかった。部活とか入ってないよね?」
「小さいときから通ってる道場あるからそっち行ってる。今は、カードゲームの大会で忙しい」
「カード……?」
殿井は目を点にしていると、ぐっと胸の前で拳を握り、闘志に燃えている鉄の隣で柳がうんうんと頷いている。二人は夏の大会に向け、対策を考えているそうだ。
「それよりお前ら、購買行かなくていいのか?」
「あ、そうだった」
「先に柳と食ってるから適当に」
「わかった。行こ、七瀬」
「うん……」
笑い合う声や遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる中、俺は黙ったまま殿井の後ろに付いて歩く。そうしていると、足をとめた殿井が振り返った。
「七瀬、今日ふたりでお昼食べてくれない?」
殿井は頬を指でかきながら不安そうな顔を見せた。
そんなつもりなかったのに、そんな顔されたらどうしようもなくて、俺は小さく頷いた。
「俺さっき、怖かったよな。ごめんな」
「……別に俺に謝ることじゃないし。それに、深町達が悪い」
誰もいない屋上で黙々と焼きそばパンを食べていると、殿井はほっとした顔をした。
「よかったぁ、七瀬に怖がられてたらどうしようかと思って」
はぁーっと深いため息をついた殿井はそのまま崩れ落ちて上半身を長い足の上に乗っけた。
(今日に限らずいつも俺は殿井にビビってました。一軍男子感半端ない、けど──)
そういうことじゃないって、俺は反省している。
少し復活した殿井は、足に肘ついて話し出した。
「俺、見た目がいいらしいんだよね。自分ではあんまりわからないんだけど、人に好かれやすいって言うか。だから今までもこの見た目のせいでいいこともあったよ。でもその分顔だけって言われたり、期待に応えられなかったり、悪く言われることもあって……。初めてじゃないんだ、合コンで見世物みたいに連れていかれて、女子の興味が俺に集中したら帰れって言われたりとか。投げやりなときはそれでもいっかって思ってたけど、今は違うから」
殿井はぎゅっと強く拳を握った。
淡々と話しているけど、でもいい思い出じゃないことくらいわかる。
「俺全然派手な性格じゃないし、見た目のせいであぁだこうだ言われるのはめっちゃ腹立つ」
「そう、なんだ」
「うん」
両手で口元を隠した殿井は、少し恥ずかしそうにしているように見えた。
「だから、今みたいに七瀬達と仲良くできるの、すごく嬉しいんだ」
「うん」
こういうとき、もっとなにか声をかけて上げられたらいいのかもしれない。
けど俺はなにも言えなくて、ただ殿井の隣にいることしかできなかった。
「そろそろ教室戻ろっか」
食べ終わると殿井が自分のごみ袋に「ごみ入れて」と俺の分も入れさせてくれた。
特になにを話すわけなく、でも少しずつ殿井を知れて、なんだか胸がぽかぽかした。
(けど、俺は殿井に謝らないといけない)
そう思いながら階段を下りていると、「あのさ」と殿井が俺のカーディガンの裾をつかんだ。
「な、なに?」
急につかまれてびっくりした俺は、上の段にいる殿井を見上げた。
その顔はいつもと違って、緊張しているように固くて、赤くなっていく。
「さっきの、ちょっと訂正する」
「さっき?」
どれのことだろうと俺が頭をはてないっぱいにしていると
「七瀬達と仲良くしたいと思ってる。でも、七瀬とは他のやつより俺が一番仲良くなりたいって思ってるから。……それだけ」
そう言うと「ごみ捨ててくるから」と殿井はバタバタと階段を下りて行った。
「……は?」
取り残された俺は殿井の言葉の意味が分からず、しばらくその場に突っ立っていた。
誰か俺に解答を教えて欲しい。
「……あつ」
変に汗が出てきて、俺はカーディガンを脱いだ。


