翌日、私は児南島行きの飛行機に搭乗した。窓側の席で外の景色がよく見えそうだ。隣の席には祖母が付き添ってくれている。私は急なお願いを聞き入れてくれたことに感謝しつつ、我儘に付き合わせる祖母に改めて謝罪をする。
「おばあ、ちゃま……無理言ってごめんなさい」
「うふふ。おばあちゃま、って懐かしくて嬉しいけれど、ちょっと恥ずかしいわね?」
祖母は私に肩を寄せて口元を隠し耳打ちする感じに言った。内緒話みたいにコソコソと思い出を楽しく回顧するように。私はクスッとして本心を告げる。
「私も実はちょっと恥ずかしい、あは」
「確か……最初に湊がおばあちゃまって呼んだのよね?」
「そうそう。ママのママがおばあちゃんだよって教えてあげたら、おばあちゃまって言ったの。可愛かったな……」
「本当に、懐かしいわね……月日が経つのは早いものね……」
私と祖母は窮屈な座席で遠くを見るように昔を思い出す。思わずしんみりとして、また私は祖母に謝りたくなった。何回そうしても気が済むことはないのだけれど……。
「おばあ、ちゃま……ごめんね」
「いいのよ、いつも通り、おばあちゃんって呼んで?」
「わかった。でもポロッと声にしちゃうの、あの頃の記憶を思い出したばかりで……」
「うんうん、それでいいのよ」
祖母は私の手にそっと自分のを重ね包むようにしてなだめた。祖母の優しさは昔も今も変わらず……胸が温かくなる。悠希くんも……私の記憶の中で……こんなふうに手を取ったまま……私に伝えた言葉があった。
『―――僕を忘れないでね……』
いつも優希くんがくれた前向きで優しい言葉の中で、それだけが悲しげに耳に残った。似たような言葉を私は卒業式の前日にも聞いていたんだ―――。
その日―――私は花屋に立ち寄った。店頭に飾られた色とりどりの花をひと通り眺めて、迷っていると花屋の店員さんに声をかけられた。
「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?」
「あっ、えーと、プレゼント用の花を……」
「御祝いですか?」
「あー、卒業式があるので花を渡したいと思って……」
私の話に耳を傾けたあとに店員さんはキビキビ動き、飾られていた黄色いバラ1本の贈答用とピンク色の花でアレンジされたブーケを手に取って、私にこれとかこうゆうのと見せて尋ねる。少し返答に困っていると店員さんは気を利かせてくれたのだと思う。
「……プレゼントするのは男の子、かな?」
「そ、そうです。青い花束を作ることはできますか?」
私が可愛い花束ばかりで悩んでいた事に気づいてくれたようだ。店員さんはにっこりと笑って「もちろん!」と答えた。私の表情は明るい笑顔につられてほぐれる。男の子が持ちやすいようにラッピングも青系にして、大きさはブーケと同じ位で仕上げましょうと提案してもらい、私は是非それでお願いする事にした。
「この淡いブルーの小花は忘れな草っていう名前で、ブライダルでも使われるし御祝いの日によく合う花ですね。卒業式にもぴったりだと思います」
「忘れな草……聞いたことあります。爽やかな青色ですね」
店員さんは忘れな草をひとつふたつ掴んで反対の手に握り私に見せた。青色の小さな花が可憐でとても綺麗だと見惚れていると、続けて花について教えてくれる。
「忘れな草の花言葉がとても素敵で好まれているんですよね。昔の恋人達の物語が由来で、真実の愛、私を忘れないで、っていう花言葉なんだけど……プレゼントするのは、彼氏さん?」
「えっ?」
突拍子もない質問になぜか恥ずかしくなってしまい、うまく声が出せずにブンブンと首を横に振った。店員さんはふふっと笑ってまた花を探し始めると、さっと掴んで忘れな草の束に入れ整える。
「このブルーに少しピンクの可愛い花を合わせてもいいかなと思ったんだけど……控えめな方がぴったりだから……純白のカスミ草を添えてと。清らかなイメージで、こんな感じのあつらえでどうですか?」
私の目の前に現れたのは、青い忘れな草と白いカスミ草のふんわりした優しい色の花束。
「わぁ……とっても素敵です」
まさに椎名先輩の雰囲気そのもので、その仕立てに私は大満足だった。そのあとに水色のシートと青いリボンでラッピングをしてもらい、さらに綺麗な仕上がりとなって私のもとにやってきた。サービスでくれると言う、花束に添えるメッセージカードまでついて。
「最後は是非お客様の手で贈り物を完成させてください。自由に好きな言葉を書いたらピンを束にさし入れて、世界にひとつだけの花束になります。どうぞ想いが伝わりますように!」
私が店をあとにする時、店員さんは飛びきりの笑顔で見送ってくれた。素敵な花束を抱えウキウキした気分で帰宅したけれど、いざメッセージカードを書くとなると結構悩んで時間がかかった。卒業おめでとうございます、はありきたりな気もして。今までありがとうございました、だと素っ気ない。大学でも頑張ってください、なんて私が散々お世話になったのに生意気だ。たった一言にたくさん気持ちを詰めこもうとすると、なかなか言葉を選べなかった。『――彼氏さん?』花屋さんの一言が思い浮かんでしまうと、また急に照れくさくソワソワしてきた。たぶん花屋さんは……私が好きな人に花をプレゼントすると思ったのだろう。でも……椎名先輩に対する私の気持ちは……彼氏になって欲しい、想いとは違う気がする。好きか嫌いかで判断すれば好きだけれど……それは親しみやすい先輩だからだ。結局私はカードに[ 卒業おめでとうございます ]と書いた―――。
私が椎名先輩のことを尊敬も込めて慕っていたのは事実だが、それが恋心かというと別物だったと思う。記憶が戻ってはっきりした事だけれど、椎名先輩の雰囲気は優希くんにそっくりだった。10歳のとき優希くんと出会って、私の中にも初めて恋心が芽生えた……でも、恋愛どころか生死を彷徨うことになり……その気持ちは眠らせておくしかなかった。でも潜在意識では大切な人に似た人物を心の拠り所にしたかったのかもしれない。だから記憶の中に優希くんが現れて……また恋をした。私の初恋は優希くんだったのに……。
『―――帆香ちゃんに好きな人がいたとしても、それを伝えないで離ればなれになって、後悔したくなかったんだ』
どうやら天使の力でも人の心までは読み取れないらしい。優希くんは私が椎名先輩を好きだと勘違いしたようだ。
『帆香ちゃんと恋がしたいと思ったのは本当だよ』
優希くんの後悔したくない理由が恋をしたかった事だと言うなら、私だって同じだ……あのとき10歳の私は……優希くんと恋がしたかった。それは今も、変わっていない……優希くんのことが好きだから―――。
きっと私もこの想いを伝えなかったら後悔する。早く、優希くんに会いたい!
私は恋しい気持ちを募らせて……窓の外の景色を眺める。青い空に青い海……飛行機はもうすぐ児南島に到着する―――。
「―――じゃあ帆香、またここに戻ってきてね」
「連れてきてくれてありがとう、おばあちゃん。真っ暗になる前に戻ってくる……」
「ええ、砂浜に足を取られないように気をつけて」
「うん、行ってきます」
祖母が別荘のあった夕陽の入り江までレンタカーで送ってくれた。私は祖母に手を振って目的地のビーチに向かう。島全体がもう濃い夕焼け色に染まり始めていた。
この道も懐かしい……あの頃の景色と変わらない……。緑の木のトンネルを抜けて……そう、海が見渡せるんだ!
キラキラと夕陽を反射して輝く児南島の海。深い青色の海面に黄金色の波が揺らめき、昔と同じ心を奪われる美しさだ。正直なところ海を見たら気が動転してしまわないか懸念していたが、穏やかな風景に安心してほっと胸を撫でおろす。
大丈夫……怖くない……。
悪い事だけじゃない、素敵な思い出もたくさんくれた海だから……。
ツルツル滑る階段を慎重に下りて海岸へ。祖母の言った通り、ローファーで砂浜を歩くのは少し足元がおぼつかなかった。それでも真っすぐ海に向かって……ゆっくり砂を踏みしめビーチに足跡を残していく。海の中には入らない、ママと祖母との約束だから……波打ち際まであと数歩残して止まりカバンを砂浜に置いた。目の前には思い出の海が広がっている。波の音と海風、微かな潮の香り、豊かな自然を全身に感じた。
……この海の何処かに、優希くんが眠っている。
黄色の夕陽が海面にくっついて入り江には影が落ち始めてきた。遠くの海に浮かんでいる灯は徐々に……小さく、小さく。夕映えの空はついに宵色を纏い始めた。……移りゆく景色を私はじっと砂浜に立ったまま動かずに見守る。そして、太陽が完全に水平線に……沈んだ。
「……すぅぅ__、優希くーん!」
私は海に向かって大声で呼ぶ。耳を澄ましたけれど……波の音しか聞こえない。宵のときは……きっと短い時間。チャンスは少しだけ……。
「優希くーん! すぅっ、優希くーんっ!! 優希っ!? はっ」
―――!?
突然、背中を押され前に重心が傾いたが、力強く引き寄せられた。そして、ぎゅうっと―――背後から抱きしめられている。
……あぁ。
よかった……。
本当に……よかった。
はなしたくない―――私の胸で交差して巻きつく両腕は小さく震え、そのように感じたから……私も恋しさがあふれて……自分の両手で大事に包みこんだ。
私もこの腕をはなしたくない―――。
「―――帆香ちゃん……会いに来て、っ、くれたの?」
そっと私の耳元で囁く……それは脅えた子供のように不安そうな声だった。泣いちゃうんじゃないかと心配になるくらい……か弱い声だった。
「……うん、優希くんに会いたかったの……優希くんを、見つけたかったの……私をあの波から守ってくれて、ありがとう……本当にありがとう。なのに私はっ、ずっと優希くんのこと、忘れてしまって……」
あのとき私はこうして優希くんを繋ぎ止めておきたかったのだと……両手に力を込めて優希くんの腕を抱きしめた。
「ごめん……僕が君の手をはなしたせいで……」
私は素早く首を横に振った。優希くんが謝る必要はひとつもない。違うと左右に振り続けた頭を止めるように私の後頭部にぴたりと……優希くんの横顔がそっとくっついて……私から、はなれようとしない。私も、はなしたくない。今度こそ、はなしたくない。
やっと会えたのに……さよならしなくちゃいけないなんて……。
どうして私達……あのとき恋ができなかったんだろう―――。
神様……お願い、今この時間を止めて―――。
「……ふぇっ__ 」
ザプン……ザプン……。
波が寄せては返すたびに、刻一刻と空は薄暗くなっていってしまう。
「……僕が次に天国へ送る人が、帆香ちゃんだと知らされてっ、しかも蒼大がっ……。折角海から救助されたのに、僕を探して彷徨う帆香ちゃんも……、蒼大のした事で苦しんでいた姿も……ぜんぶ天使の力でわかって……ごめん、僕のせいだ……ごめんね、ごめん……」
優希くんがごめんを繰り返しながら本当に泣いてしまって……。
私は堪らず、そっと腕をほどき後ろに振り返る。
優希くんの顔をちゃんと見て……じっと愛しく見つめたら……優希くんの真っ直ぐな眼差しを送る瞳から大きな涙が一粒こぼれた。
「……優希くんのせいだなんてちっとも思ってないよ。ありがとうって気持ちだけだよっ。皆、そうなんだよ。皆、優希くんのこと、大好きなんだよっ! うぅっ」
私は涙を堪えきれずボロボロになりながらも気持ちを伝える。
「蒼大くんもお父さんもお母さんも、それから私もっ! 優希くんが大好きだから、大好きだから、お別れするのは悲しいの! 大好き、なの……大好きっ」
こんなに近くにいるのに、もう顔も見れなくなるのに……優希くんがぼやけてよく見えない。本物の気持ちを伝えるのは、胸が絞られるみたいに痛くて、息切れするほど苦しかった。
私の頬をそっと撫でる優しい手に、名残惜しく頬擦りをして、瞼を懸命に開いたまま……愛しい人を記憶に焼きつけた。その慈しみあふれる、天使の微笑みを―――。
「……僕も大好きだよ、皆のこと。帆香ちゃんも大好き、あの頃からずっとね……。僕と恋をしよう、って……結果、困ったな、最後の最後で。恋をしたら……好きな人とはなれがたい、すごく」
「っ、優希く……さよなら、しないで?」
私の最後のお願いに……優希くんはゆっくり首を左右に振った。
好きな人と、はなれたくない―――私も同じ、恋をしてわかった結果。いつも側に居て欲しい、すぐにでも会いたくなるから……。
「初恋も、記憶の中でも、今も。きっと夢でも優希くんに恋をする、何度でも……。大好きだから、っ、行かないで?」
「……僕も、大好きだから。失うものがあっても守りたかったんだ。聖なる天使だったら人間界でも守護の力を発揮できたろうけれど、僕は見習いだったから。でもね僕も……何度でも守るよ、天国に行っても……」
夜の薄い影が私達を包み、灯陽は消えかけていた。夜が訪れるのを止めることは……できない。天使の旅立ちの時だ―――。
「帆香ちゃん、最後に約束しよう?」
「また会える!? 約束したらっ?」
「帆香ちゃんが今を大事に生きて、まずは夢を叶えてね。お医者さんになっていっぱい病気の人を救って、苦しむ人を笑顔にしてあげて。それから……天国で会おう。僕の分もちゃんと生きて?」
私の天使が言う。私を救って、身代わりに天国へ旅立つ、魂を譲ってくれた天使の言葉を……私はしっかり胸に刻み込んだ。
「……わかった、約束する」
優希くんが両手を広げて私に向けた……その指の間に私のもそっと通して……ぎゅっと全部の指を絡ませ合う。絶対守らなきゃいけない指切り、私達の……約束の仕方。
「……ウソついたら針五千本分だよ?」
「……嘘にしない。私は、優希くんの代わりに、医者になってたくさんの人を助ける! 約束する!」
「……うん、約束。じゃあ、指切った―――」
「っ!!」
優希くんと繋ぎ合っていた手の感触がすうっと消え、実体化のリミットが来たのだと悟った。指切ったの合図で透過が始まり、歩道橋で起きた現象と同じに姿が消えてゆくのだろう。優希くんの手をはなしたくなくても、力を加えれば自分の握り拳ができるだけ……瞬きもしないで愛しい人を見つめてみても……夜の薄影が邪魔をした。
「っ、優希く……」
「……帆香ちゃん―――」
にっこり笑った顔が近づいて……姿も声も消えかけていたけれど……優希くんは最後に―――私にキスをした。
たぶん、きっと……ファーストキスをもう一度……。
瞼をそっと開いて、写した視界に、優希くんの姿はなかった。ただの砂浜だけが、そこにあった。
行って……しまったんだね―――。
優希くん……。
自然と空に視線を向けて……深く濃い色の宵模様を眺める。何処までも遠く、遠く、空の彼方へ。天に向かって旅立った愛しき魂が、無事たどり着きますように……祈りを捧げて―――。
ありがとう、優希くん―――
―――さようなら。
『―――僕を忘れないでね……』
今朝羽田空港に行く前、私は花屋に立ち寄った。卒業式の前日にも花束を買いに行ったあの店だ。まだ開店前だったらしく店先にはCLOSEDの看板が立てかけられていた。残念に思って私が肩を落としていると、店のガラス戸から中に人影が見えた。忙しそうに働いていたその人は私に気づくと近づいて来て扉を開けてくれたのだ。
「いらっしゃいませ。まだ準備中ですけど、どんな花を……あら?」
「あのっ、忘れな草はありますか?」
声をかけてもらうと謝罪もせず私は真っ先に要求を口にした。失礼な態度にもかかわらず花屋の店員さんは笑顔で応じてくれる。
「ええ、ありますよ。どうぞ?」
「すみません、ありがとうございます……」
優しい笑顔の花屋さんは椎名先輩の花束を作ってくれた店員さんで、私のことを覚えていてくれたようだ。前と同じようなブーケにするか尋ねられたので「いえ……」と私はまず断りを入れた。
「忘れな草だけを包んでもらえますか? 海に……献花したいんです」
「献花? ……そっか、なら、葉を落として茎を短めにしておきましょう」
店員さんはハサミで葉を落としながら、茎の処理と献花する時に水分を保つ為に付けた水綿とゴムの外し方を教えてくれた。そして包装紙でくるっと忘れな草を包んで仕上げる。
「メッセージカードはどうしましょう?」
「……カードだけをいただけますか?」
店員さんはにっこりと微笑んでカードを私に渡してくれた。そうして手に入れた忘れな草とカードを大事にカバンにしまい、児南島の海までやって来たのだ。カードには飛行機の中でメッセージを書いて……瓶の中に入れ蓋をした。その瓶は児南島で集めた貝殻を入れていつも部屋に飾ってあった物だ。どうしても、最後に忘れな草と優希くんへのメッセージを海に届けたいと思った。優希くんが忘れないでと言った記憶が頭から離れなかったから、せめて私にできる限りの事をしたいと考えたのだけれど……もう一つ別の理由もあった。それは卒業式の前日に遡る―――忘れな草の花言葉を花屋さんに教えてもらったあと、私は気になってその物語を調べてみることにした……。忘れな草の花言葉、私を忘れないで、の由来とは……?
それは、中世ドイツの悲しい恋物語に登場する主人公の最後の言葉だったという。昔話によると、騎士ルドルフと恋人のベルタがドナウ川の岸辺を歩いていた時、ベルタが可愛いらしい小さな花が岸に咲いているのを見つけた。恋人のために花を摘もうと岸に降りたルドルフは、足を滑らせて川の急流にのまれてしまう。そのときルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ『僕のことを忘れないで!』という言葉を残して溺死した。恋人ベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にしたとされている。この悲恋の物語は各国に伝わり、英名はforget-me-not。日本では 勿(してはいけない)忘(忘れる)草 の意として「忘れな草」と名付けられた。――――物語から読み解くと主人公は男性だったので、花言葉も正確には『僕を忘れないで』なのだと……花言葉との由縁を優希くんの最後と重ねていたからだ。
私は砂浜に置いたカバンから忘れな草と瓶を取り出し……波打ち際にそっと置いた。それから献花とラストメッセージを見つめたまま後ろ歩きで何歩か下がり……立ち止まる。そして波がそれをさらってゆくのを静かに見守った。
ザブン……ザブン……ザバァーッ!
「はっ―――」
波が寄せて……私の贈り物を引いていった。ゆらり、ゆらり、と―――また一波……次の波にも……岸から遠くへ運ばれてゆく。暗くなった海上で献花は散り散りになり、見えては消えながら沖へと流れ……瓶は小さな物だからキラリと光ったのを最後に見えなくなってしまった。
私がカードに書いたメッセージは……。
[ 優希くんへ。絶対に忘れないから。]
優希くんがたくさん優しくしてくれたこと、笑顔をくれたこと、私を守ってくれたこと―――。もう二度と忘れたりしないからね……。
―――どうか、優希くんに届きますように。
私は優希くんとの約束を大切にして、これからをしっかり生きてゆく。優希くんが守ってくれた命を大事にして、頑張って頑張って人助けをする。そうしていつか、また、天国で会おう―――。
祈りを込めて夜に包まれた海にさよならをする。そして、私は祖母の待つ場所へと戻ったのだった。
「おばあ、ちゃま……無理言ってごめんなさい」
「うふふ。おばあちゃま、って懐かしくて嬉しいけれど、ちょっと恥ずかしいわね?」
祖母は私に肩を寄せて口元を隠し耳打ちする感じに言った。内緒話みたいにコソコソと思い出を楽しく回顧するように。私はクスッとして本心を告げる。
「私も実はちょっと恥ずかしい、あは」
「確か……最初に湊がおばあちゃまって呼んだのよね?」
「そうそう。ママのママがおばあちゃんだよって教えてあげたら、おばあちゃまって言ったの。可愛かったな……」
「本当に、懐かしいわね……月日が経つのは早いものね……」
私と祖母は窮屈な座席で遠くを見るように昔を思い出す。思わずしんみりとして、また私は祖母に謝りたくなった。何回そうしても気が済むことはないのだけれど……。
「おばあ、ちゃま……ごめんね」
「いいのよ、いつも通り、おばあちゃんって呼んで?」
「わかった。でもポロッと声にしちゃうの、あの頃の記憶を思い出したばかりで……」
「うんうん、それでいいのよ」
祖母は私の手にそっと自分のを重ね包むようにしてなだめた。祖母の優しさは昔も今も変わらず……胸が温かくなる。悠希くんも……私の記憶の中で……こんなふうに手を取ったまま……私に伝えた言葉があった。
『―――僕を忘れないでね……』
いつも優希くんがくれた前向きで優しい言葉の中で、それだけが悲しげに耳に残った。似たような言葉を私は卒業式の前日にも聞いていたんだ―――。
その日―――私は花屋に立ち寄った。店頭に飾られた色とりどりの花をひと通り眺めて、迷っていると花屋の店員さんに声をかけられた。
「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?」
「あっ、えーと、プレゼント用の花を……」
「御祝いですか?」
「あー、卒業式があるので花を渡したいと思って……」
私の話に耳を傾けたあとに店員さんはキビキビ動き、飾られていた黄色いバラ1本の贈答用とピンク色の花でアレンジされたブーケを手に取って、私にこれとかこうゆうのと見せて尋ねる。少し返答に困っていると店員さんは気を利かせてくれたのだと思う。
「……プレゼントするのは男の子、かな?」
「そ、そうです。青い花束を作ることはできますか?」
私が可愛い花束ばかりで悩んでいた事に気づいてくれたようだ。店員さんはにっこりと笑って「もちろん!」と答えた。私の表情は明るい笑顔につられてほぐれる。男の子が持ちやすいようにラッピングも青系にして、大きさはブーケと同じ位で仕上げましょうと提案してもらい、私は是非それでお願いする事にした。
「この淡いブルーの小花は忘れな草っていう名前で、ブライダルでも使われるし御祝いの日によく合う花ですね。卒業式にもぴったりだと思います」
「忘れな草……聞いたことあります。爽やかな青色ですね」
店員さんは忘れな草をひとつふたつ掴んで反対の手に握り私に見せた。青色の小さな花が可憐でとても綺麗だと見惚れていると、続けて花について教えてくれる。
「忘れな草の花言葉がとても素敵で好まれているんですよね。昔の恋人達の物語が由来で、真実の愛、私を忘れないで、っていう花言葉なんだけど……プレゼントするのは、彼氏さん?」
「えっ?」
突拍子もない質問になぜか恥ずかしくなってしまい、うまく声が出せずにブンブンと首を横に振った。店員さんはふふっと笑ってまた花を探し始めると、さっと掴んで忘れな草の束に入れ整える。
「このブルーに少しピンクの可愛い花を合わせてもいいかなと思ったんだけど……控えめな方がぴったりだから……純白のカスミ草を添えてと。清らかなイメージで、こんな感じのあつらえでどうですか?」
私の目の前に現れたのは、青い忘れな草と白いカスミ草のふんわりした優しい色の花束。
「わぁ……とっても素敵です」
まさに椎名先輩の雰囲気そのもので、その仕立てに私は大満足だった。そのあとに水色のシートと青いリボンでラッピングをしてもらい、さらに綺麗な仕上がりとなって私のもとにやってきた。サービスでくれると言う、花束に添えるメッセージカードまでついて。
「最後は是非お客様の手で贈り物を完成させてください。自由に好きな言葉を書いたらピンを束にさし入れて、世界にひとつだけの花束になります。どうぞ想いが伝わりますように!」
私が店をあとにする時、店員さんは飛びきりの笑顔で見送ってくれた。素敵な花束を抱えウキウキした気分で帰宅したけれど、いざメッセージカードを書くとなると結構悩んで時間がかかった。卒業おめでとうございます、はありきたりな気もして。今までありがとうございました、だと素っ気ない。大学でも頑張ってください、なんて私が散々お世話になったのに生意気だ。たった一言にたくさん気持ちを詰めこもうとすると、なかなか言葉を選べなかった。『――彼氏さん?』花屋さんの一言が思い浮かんでしまうと、また急に照れくさくソワソワしてきた。たぶん花屋さんは……私が好きな人に花をプレゼントすると思ったのだろう。でも……椎名先輩に対する私の気持ちは……彼氏になって欲しい、想いとは違う気がする。好きか嫌いかで判断すれば好きだけれど……それは親しみやすい先輩だからだ。結局私はカードに[ 卒業おめでとうございます ]と書いた―――。
私が椎名先輩のことを尊敬も込めて慕っていたのは事実だが、それが恋心かというと別物だったと思う。記憶が戻ってはっきりした事だけれど、椎名先輩の雰囲気は優希くんにそっくりだった。10歳のとき優希くんと出会って、私の中にも初めて恋心が芽生えた……でも、恋愛どころか生死を彷徨うことになり……その気持ちは眠らせておくしかなかった。でも潜在意識では大切な人に似た人物を心の拠り所にしたかったのかもしれない。だから記憶の中に優希くんが現れて……また恋をした。私の初恋は優希くんだったのに……。
『―――帆香ちゃんに好きな人がいたとしても、それを伝えないで離ればなれになって、後悔したくなかったんだ』
どうやら天使の力でも人の心までは読み取れないらしい。優希くんは私が椎名先輩を好きだと勘違いしたようだ。
『帆香ちゃんと恋がしたいと思ったのは本当だよ』
優希くんの後悔したくない理由が恋をしたかった事だと言うなら、私だって同じだ……あのとき10歳の私は……優希くんと恋がしたかった。それは今も、変わっていない……優希くんのことが好きだから―――。
きっと私もこの想いを伝えなかったら後悔する。早く、優希くんに会いたい!
私は恋しい気持ちを募らせて……窓の外の景色を眺める。青い空に青い海……飛行機はもうすぐ児南島に到着する―――。
「―――じゃあ帆香、またここに戻ってきてね」
「連れてきてくれてありがとう、おばあちゃん。真っ暗になる前に戻ってくる……」
「ええ、砂浜に足を取られないように気をつけて」
「うん、行ってきます」
祖母が別荘のあった夕陽の入り江までレンタカーで送ってくれた。私は祖母に手を振って目的地のビーチに向かう。島全体がもう濃い夕焼け色に染まり始めていた。
この道も懐かしい……あの頃の景色と変わらない……。緑の木のトンネルを抜けて……そう、海が見渡せるんだ!
キラキラと夕陽を反射して輝く児南島の海。深い青色の海面に黄金色の波が揺らめき、昔と同じ心を奪われる美しさだ。正直なところ海を見たら気が動転してしまわないか懸念していたが、穏やかな風景に安心してほっと胸を撫でおろす。
大丈夫……怖くない……。
悪い事だけじゃない、素敵な思い出もたくさんくれた海だから……。
ツルツル滑る階段を慎重に下りて海岸へ。祖母の言った通り、ローファーで砂浜を歩くのは少し足元がおぼつかなかった。それでも真っすぐ海に向かって……ゆっくり砂を踏みしめビーチに足跡を残していく。海の中には入らない、ママと祖母との約束だから……波打ち際まであと数歩残して止まりカバンを砂浜に置いた。目の前には思い出の海が広がっている。波の音と海風、微かな潮の香り、豊かな自然を全身に感じた。
……この海の何処かに、優希くんが眠っている。
黄色の夕陽が海面にくっついて入り江には影が落ち始めてきた。遠くの海に浮かんでいる灯は徐々に……小さく、小さく。夕映えの空はついに宵色を纏い始めた。……移りゆく景色を私はじっと砂浜に立ったまま動かずに見守る。そして、太陽が完全に水平線に……沈んだ。
「……すぅぅ__、優希くーん!」
私は海に向かって大声で呼ぶ。耳を澄ましたけれど……波の音しか聞こえない。宵のときは……きっと短い時間。チャンスは少しだけ……。
「優希くーん! すぅっ、優希くーんっ!! 優希っ!? はっ」
―――!?
突然、背中を押され前に重心が傾いたが、力強く引き寄せられた。そして、ぎゅうっと―――背後から抱きしめられている。
……あぁ。
よかった……。
本当に……よかった。
はなしたくない―――私の胸で交差して巻きつく両腕は小さく震え、そのように感じたから……私も恋しさがあふれて……自分の両手で大事に包みこんだ。
私もこの腕をはなしたくない―――。
「―――帆香ちゃん……会いに来て、っ、くれたの?」
そっと私の耳元で囁く……それは脅えた子供のように不安そうな声だった。泣いちゃうんじゃないかと心配になるくらい……か弱い声だった。
「……うん、優希くんに会いたかったの……優希くんを、見つけたかったの……私をあの波から守ってくれて、ありがとう……本当にありがとう。なのに私はっ、ずっと優希くんのこと、忘れてしまって……」
あのとき私はこうして優希くんを繋ぎ止めておきたかったのだと……両手に力を込めて優希くんの腕を抱きしめた。
「ごめん……僕が君の手をはなしたせいで……」
私は素早く首を横に振った。優希くんが謝る必要はひとつもない。違うと左右に振り続けた頭を止めるように私の後頭部にぴたりと……優希くんの横顔がそっとくっついて……私から、はなれようとしない。私も、はなしたくない。今度こそ、はなしたくない。
やっと会えたのに……さよならしなくちゃいけないなんて……。
どうして私達……あのとき恋ができなかったんだろう―――。
神様……お願い、今この時間を止めて―――。
「……ふぇっ__ 」
ザプン……ザプン……。
波が寄せては返すたびに、刻一刻と空は薄暗くなっていってしまう。
「……僕が次に天国へ送る人が、帆香ちゃんだと知らされてっ、しかも蒼大がっ……。折角海から救助されたのに、僕を探して彷徨う帆香ちゃんも……、蒼大のした事で苦しんでいた姿も……ぜんぶ天使の力でわかって……ごめん、僕のせいだ……ごめんね、ごめん……」
優希くんがごめんを繰り返しながら本当に泣いてしまって……。
私は堪らず、そっと腕をほどき後ろに振り返る。
優希くんの顔をちゃんと見て……じっと愛しく見つめたら……優希くんの真っ直ぐな眼差しを送る瞳から大きな涙が一粒こぼれた。
「……優希くんのせいだなんてちっとも思ってないよ。ありがとうって気持ちだけだよっ。皆、そうなんだよ。皆、優希くんのこと、大好きなんだよっ! うぅっ」
私は涙を堪えきれずボロボロになりながらも気持ちを伝える。
「蒼大くんもお父さんもお母さんも、それから私もっ! 優希くんが大好きだから、大好きだから、お別れするのは悲しいの! 大好き、なの……大好きっ」
こんなに近くにいるのに、もう顔も見れなくなるのに……優希くんがぼやけてよく見えない。本物の気持ちを伝えるのは、胸が絞られるみたいに痛くて、息切れするほど苦しかった。
私の頬をそっと撫でる優しい手に、名残惜しく頬擦りをして、瞼を懸命に開いたまま……愛しい人を記憶に焼きつけた。その慈しみあふれる、天使の微笑みを―――。
「……僕も大好きだよ、皆のこと。帆香ちゃんも大好き、あの頃からずっとね……。僕と恋をしよう、って……結果、困ったな、最後の最後で。恋をしたら……好きな人とはなれがたい、すごく」
「っ、優希く……さよなら、しないで?」
私の最後のお願いに……優希くんはゆっくり首を左右に振った。
好きな人と、はなれたくない―――私も同じ、恋をしてわかった結果。いつも側に居て欲しい、すぐにでも会いたくなるから……。
「初恋も、記憶の中でも、今も。きっと夢でも優希くんに恋をする、何度でも……。大好きだから、っ、行かないで?」
「……僕も、大好きだから。失うものがあっても守りたかったんだ。聖なる天使だったら人間界でも守護の力を発揮できたろうけれど、僕は見習いだったから。でもね僕も……何度でも守るよ、天国に行っても……」
夜の薄い影が私達を包み、灯陽は消えかけていた。夜が訪れるのを止めることは……できない。天使の旅立ちの時だ―――。
「帆香ちゃん、最後に約束しよう?」
「また会える!? 約束したらっ?」
「帆香ちゃんが今を大事に生きて、まずは夢を叶えてね。お医者さんになっていっぱい病気の人を救って、苦しむ人を笑顔にしてあげて。それから……天国で会おう。僕の分もちゃんと生きて?」
私の天使が言う。私を救って、身代わりに天国へ旅立つ、魂を譲ってくれた天使の言葉を……私はしっかり胸に刻み込んだ。
「……わかった、約束する」
優希くんが両手を広げて私に向けた……その指の間に私のもそっと通して……ぎゅっと全部の指を絡ませ合う。絶対守らなきゃいけない指切り、私達の……約束の仕方。
「……ウソついたら針五千本分だよ?」
「……嘘にしない。私は、優希くんの代わりに、医者になってたくさんの人を助ける! 約束する!」
「……うん、約束。じゃあ、指切った―――」
「っ!!」
優希くんと繋ぎ合っていた手の感触がすうっと消え、実体化のリミットが来たのだと悟った。指切ったの合図で透過が始まり、歩道橋で起きた現象と同じに姿が消えてゆくのだろう。優希くんの手をはなしたくなくても、力を加えれば自分の握り拳ができるだけ……瞬きもしないで愛しい人を見つめてみても……夜の薄影が邪魔をした。
「っ、優希く……」
「……帆香ちゃん―――」
にっこり笑った顔が近づいて……姿も声も消えかけていたけれど……優希くんは最後に―――私にキスをした。
たぶん、きっと……ファーストキスをもう一度……。
瞼をそっと開いて、写した視界に、優希くんの姿はなかった。ただの砂浜だけが、そこにあった。
行って……しまったんだね―――。
優希くん……。
自然と空に視線を向けて……深く濃い色の宵模様を眺める。何処までも遠く、遠く、空の彼方へ。天に向かって旅立った愛しき魂が、無事たどり着きますように……祈りを捧げて―――。
ありがとう、優希くん―――
―――さようなら。
『―――僕を忘れないでね……』
今朝羽田空港に行く前、私は花屋に立ち寄った。卒業式の前日にも花束を買いに行ったあの店だ。まだ開店前だったらしく店先にはCLOSEDの看板が立てかけられていた。残念に思って私が肩を落としていると、店のガラス戸から中に人影が見えた。忙しそうに働いていたその人は私に気づくと近づいて来て扉を開けてくれたのだ。
「いらっしゃいませ。まだ準備中ですけど、どんな花を……あら?」
「あのっ、忘れな草はありますか?」
声をかけてもらうと謝罪もせず私は真っ先に要求を口にした。失礼な態度にもかかわらず花屋の店員さんは笑顔で応じてくれる。
「ええ、ありますよ。どうぞ?」
「すみません、ありがとうございます……」
優しい笑顔の花屋さんは椎名先輩の花束を作ってくれた店員さんで、私のことを覚えていてくれたようだ。前と同じようなブーケにするか尋ねられたので「いえ……」と私はまず断りを入れた。
「忘れな草だけを包んでもらえますか? 海に……献花したいんです」
「献花? ……そっか、なら、葉を落として茎を短めにしておきましょう」
店員さんはハサミで葉を落としながら、茎の処理と献花する時に水分を保つ為に付けた水綿とゴムの外し方を教えてくれた。そして包装紙でくるっと忘れな草を包んで仕上げる。
「メッセージカードはどうしましょう?」
「……カードだけをいただけますか?」
店員さんはにっこりと微笑んでカードを私に渡してくれた。そうして手に入れた忘れな草とカードを大事にカバンにしまい、児南島の海までやって来たのだ。カードには飛行機の中でメッセージを書いて……瓶の中に入れ蓋をした。その瓶は児南島で集めた貝殻を入れていつも部屋に飾ってあった物だ。どうしても、最後に忘れな草と優希くんへのメッセージを海に届けたいと思った。優希くんが忘れないでと言った記憶が頭から離れなかったから、せめて私にできる限りの事をしたいと考えたのだけれど……もう一つ別の理由もあった。それは卒業式の前日に遡る―――忘れな草の花言葉を花屋さんに教えてもらったあと、私は気になってその物語を調べてみることにした……。忘れな草の花言葉、私を忘れないで、の由来とは……?
それは、中世ドイツの悲しい恋物語に登場する主人公の最後の言葉だったという。昔話によると、騎士ルドルフと恋人のベルタがドナウ川の岸辺を歩いていた時、ベルタが可愛いらしい小さな花が岸に咲いているのを見つけた。恋人のために花を摘もうと岸に降りたルドルフは、足を滑らせて川の急流にのまれてしまう。そのときルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ『僕のことを忘れないで!』という言葉を残して溺死した。恋人ベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にしたとされている。この悲恋の物語は各国に伝わり、英名はforget-me-not。日本では 勿(してはいけない)忘(忘れる)草 の意として「忘れな草」と名付けられた。――――物語から読み解くと主人公は男性だったので、花言葉も正確には『僕を忘れないで』なのだと……花言葉との由縁を優希くんの最後と重ねていたからだ。
私は砂浜に置いたカバンから忘れな草と瓶を取り出し……波打ち際にそっと置いた。それから献花とラストメッセージを見つめたまま後ろ歩きで何歩か下がり……立ち止まる。そして波がそれをさらってゆくのを静かに見守った。
ザブン……ザブン……ザバァーッ!
「はっ―――」
波が寄せて……私の贈り物を引いていった。ゆらり、ゆらり、と―――また一波……次の波にも……岸から遠くへ運ばれてゆく。暗くなった海上で献花は散り散りになり、見えては消えながら沖へと流れ……瓶は小さな物だからキラリと光ったのを最後に見えなくなってしまった。
私がカードに書いたメッセージは……。
[ 優希くんへ。絶対に忘れないから。]
優希くんがたくさん優しくしてくれたこと、笑顔をくれたこと、私を守ってくれたこと―――。もう二度と忘れたりしないからね……。
―――どうか、優希くんに届きますように。
私は優希くんとの約束を大切にして、これからをしっかり生きてゆく。優希くんが守ってくれた命を大事にして、頑張って頑張って人助けをする。そうしていつか、また、天国で会おう―――。
祈りを込めて夜に包まれた海にさよならをする。そして、私は祖母の待つ場所へと戻ったのだった。



