―――毎年小学校の夏休みは祖母の生まれ故郷である児南島の別荘で過ごしていた。島のリゾート開発で海岸近くに建設されたという別荘は10軒くらいあったと思う。広い芝生のお庭がある家、大きなヤシの木がある家、真っ白な外国風の家などあって、高台の一番てっぺんに建つ家が祖父母の所有する別荘だった。7月になって小学校の1学期が終了すると、荷造りをして祖母と弟と私と3人で先に別荘に出発する。祖父と母は診療所の夏季休業の間だけ島にやってきて、父は連休が取れたら遊びに来るというのが恒例だった。児南島へは羽田空港から直行便があり約1時間程のフライトで到着することができた。なんといっても海がとても綺麗な島で、観光客も多く飛行機の予約が大変だと母達はいつも言っていた。それでも児南島に行くのを毎年楽しみにしていたのは海で遊びたかったからで、何年も夢にしていた海遊びもあった。そして高学年になったので、これまで我慢していたシュノーケリングに挑戦できるようになった。それは小学5年生の夏休み……あの夏、の出来事だ―――。
「―――おばあちゃま、早く早くっ」
「あちゃまっ、はやくぅ」
「はいはい待ってね~」
別荘から道を下って緑の木の間を抜ける途中で後ろを振り返り声をかける。3歳の湊と手を繋いで先を歩きおばあちゃまを急かした。おばあちゃまはパラソルとクーラーボックスを持って大きな麦わら帽子を被っている。湊は水着にキャップを被り私と繋いだ反対の手にはお砂場セットを持っていて、私はウエットスーツに身を包みシュノーケルセットとフィンを大事に抱えていた。ここを抜けると海岸へ下りる階段があって、小さなビーチになっている。別荘に泊まっている人達が使える専用の海岸でプライベートビーチと言うらしい。おばあちゃまは昔から[ 夕陽の入り江 ]と島の人は呼んでいると教えてくれた。湊が転ばないように一段一段慎重に下りて最後は砂浜にぴょんっと着地した。
「わあ~」
念願の海を目の前にして思わず喜びの声がこぼれる。毎年ビーチに来る度、波打ち際に向かう最初の一歩の前に輝く青い海と明るい青空に感動してしまう。児南島の海は透明度が高く波も穏やかで海風も爽やかだ。耳を澄まして聞こえる波音にもう居ても立ってもいられない。
「湊、行こう! よ~い、ドンッ」
「きゃぁーっ」
ザクザクザクッと砂浜を蹴って海に向かってかけっこだ。少し走るといつもと違う地面の砂の感触に湊の足が止まった。ビーチを半分来たところで海を真正面にして立ち尽くす。
「あれ……? もう誰か泳いでる……」
眺めた海面にはぷかぷかと小さな人影が二つ浮いていた。私と同じシュノーケルを顔につけた姿を目にすると、私の胸はワクワクが膨らんで足がジタバタと落ち着きない。浅瀬を泳いでいたその人達がこちらに気づくと、私と湊に向かって泳ぎ始めて海を上がってきたのだ。
わぁ、男の子だ!
私と同じくらいかな……?
この海で小学生に会うのは初めてでワクワクを通り越してぴょんぴょんと縄跳びをするみたいに跳ねてしまっていた。隣で湊も私の真似をしている。その子達はマスクを外すと海底に立って太腿くらいの水深で足につけていたフィンを取りビーチに戻ってきた。待ちきれず私から声をかける。
「ねぇねぇ! シュノーケリングしてたの?」
「そうだよ、君もしにきたの?」
私と同じにウエットスーツを着た男の子達は濡れた髪をぶるぶるしながらこっちに来てくれた。身長が高い子と低い子、雰囲気が二人共似ていて兄弟のようだった。背の高い子が私に返事をしてくれて、どうやら私もシュノーケルセットを持っていることに気づいたみたいだ。
「そうなの! 上手に泳げるね! 何年生?」
「5年生、君は?」
「私も5年生! 和田帆香っていうの」
「僕の名前は小嶋優希。こっちは弟の蒼大、3年生だよ」
弟くんはお兄ちゃんと違ってあまりにこにこ話さないタイプなのか、私をギロッと見るのでにっこりして返した。
「この子は私の弟で湊っていうの。湊、何才?」
「しゃんしゃいっ」
元気な声で指を兄弟に向かって突き出したが、湊はお砂場セットを持っていて指を1本しか立てれてなかった。「かわいい~」「ちっさ」と自慢の弟にも仲良く接してもらえそうで安心する。
「ここの別荘に泊まってるの? 初めて小学生に会ったから嬉しくて」
「お父さんが別荘を夏休みだけ貸してもらったんだ。だから初めて。一昨日に来たんだよ。ほのかちゃんは?」
「私は毎年夏休みにおばあちゃまに連れてきてもらってるの」
「……おばあちゃま、か。すごいな」
「あちゃまっ、あちゃまっ」
湊がやっとビーチに下りてきたおばあちゃまを振り向いて指差しすると、優希くんはお辞儀をして挨拶した。私が優希くん達は誰と来たのか尋ねるとお母さんだと言い、砂浜の端の方の岩影にビーチチェアでくつろぐ女性を見つけて頭を下げた。おばあちゃまも着いたことだし、私は早速シュノーケリングを始めたいと、さっきから言いたくてうすうずしているお願いを口にしてみる。
「良かったら一緒にシュノーケルしない? 私、初めてで泳ぐのも上手くないから教えてほしいの!」
「……いいよ! 一緒に遊ぼう!」
「え~、兄ちゃんおれと素もぐりの練習するって約束じゃん!」
「すごい! 泳ぐの得意なんだね!?」
「ったりめぇだよ、おれたちスイミング教室行ってるもん」
私が尊敬の眼差しで蒼大くんを見つめてしまうと、本人は照れたのかプイッとそっぽを向いた。すごいなぁ、いいなぁ、と心が繰り返して私はふたりが羨ましかった。小学生になって習い事を始める時にスイミングスクールかバレエスクールのどっちかで悩んだ。両方したかったけど、まず一つのことをやり遂げるのが大事、と言われママのすすめもあってバレエを選んだんだ。だからスイスイ泳げる人に憧れがある。
「夏休みはまだ始まったばかりだし時間はたっぷりある。いろんなことに挑戦できると思うし、3人で協力した方がきっと何倍も楽しくなるはずだよ! ね、蒼大?」
「……兄ちゃんがそう言うなら、教えてやるよ」
「あは、ありがとう! 頼りにしてるね」
優希くんはとてもお兄ちゃんらしく弟の扱いが上手みたい。それに学級委員のようにクラスをまとめるリーダーシップがありそう、と思っていたら嬉しい提案をしてくれる。
「僕達3人でバディを組むのはどお?」
「バディ?」
「バディは2人じゃね?」
「仲間だから何人でもいいんだ。助け合う仲間になろう!」
「はいっ!」
「やりぃっ! 夏休みの宿題も手伝ってもらお」
蒼大くんが悪知恵を働かせると優希くんはすぐに叱った。私はふたりのやりとりが面白くてケラケラ笑っていたんだ。本当は私から『友達になってくれる?』とふたりに言うつもりでいたけれど……大好きな海辺で出会った兄弟は、私の頼もしいバディになってくれたんだ―――。
「―――そうそう! その調子だよ、ほのかちゃん!」
優希くんの声がほわ~んと聞こえてくる。まだ一度もシュノーケルをつけて泳いだ事がないと伝えると、マスクをつけて呼吸の練習をしようと言われフィンは浜辺に置いて海に入った。足の付け根くらいの水深でいよいよ海水に顔をつける。シュノーケルのマウスを咥えて口で呼吸する練習はしてきたので、優希くんが私の両手を取って歩いてくれるあいだ蹴伸びをしながら実践してみる。優希くんが誉めてくれたとおり、なかなかいい感じに呼吸ができてると自分でも思った。海中は透き通って綺麗だし海底の海藻や貝殻もよく見えて観察できた。すると、一匹の小さい魚がスイスイ泳ぐのを発見して思わず……。
「ボァガァガッ……グフォッ……ぷはっ、ゴホッゴホゴホッ……うえぇ、飲んだぁ」
苦しくなって急いで立ち上がりマウスを外すと咳き込む。うっかり『魚だ!』と言おうとしたせいで呼吸が乱れ海水が入ってしまった。
「ぶぅわははっ、だっせー。あーはっはっ」
近くで背泳ぎしていた蒼大くんが私の惨状を見て大笑いする。海面をバシャバシャさせて大袈裟にウケていた。私はそれに構えないどころか自分の身なりさえ気遣えなかった。
「ほのかちゃん、ふっ。シュノーケルしてるのに声出そうとしたらそうなるよ、ぶっ……」
「うぅ、塩っぱい~。鼻も痛いよ~」
「あははは、ブサイク~」
「蒼大、誰にでも失敗はあるから、かっ、からかわない!」
「……兄ちゃんだって顔が笑ってるじゃん」
「ぐっ……ぷはっ、もうダメだ我慢できない。ほのかちゃん面白すぎるっ、あはは!」
3人で居ると楽しくて時間があっという間に過ぎていった。「また明日ね~バイバーイ!」別れの時でさえワクワクしていたんだ。
次の日も海でコーチングしてもらい、フィンをつけて泳げるまで上達した。本当にふたりは泳ぐのが上手で、私の手を片方ずつ繋いで泳いでもらうとグングン波を越えて進んでいってくれた。私一人だとフィンの使い方が下手なのか波に押し戻されてしまうのだ。優希くんと蒼大くんはハンドサインで方向を決めたり、私に魚のいる所を教えてくれたりして、ふたりに両手を任せていただけなのに私まで上手に泳げている気分になってとても気持ちが良かった。水深2メートルくらいの海面を3人でシュノーケリングしてビーチに戻ってくる……。
「あ~のどかわいた~アイス食べたい!」
蒼大くんがいち早く立ち上がってマウスを外すと我慢していたように声を出した。お喋りも呼吸もめいっぱいできるのがこんなに嬉しいなんておかしくなってくる。
「はぁ~空気が美味しい~。あはっ、好きなだけ吸える!」
「ははは、確かに吸いたい放題だ」
私と優希くんも立ち上がって清々しい気分で声をかけ合った。蒼大くんはさっさとフィンを取ってバシャバシャと陸を目指していて、私もそうしたかったけれど泳ぎすぎたのか思うように体が動かない。
「もう足がふらふらで力が入らないよ~」
「たぶんほのかちゃんはさ、フィンを足首で動かしてるのかもね。太ももをゆっくり上下させる感じにするといいよ」
「そっかぁ、さすがだねぇ。次はそうしてみる……うわっ、あっ、わぁ~!」
「えっ? ほの……ちょっ、あぁ~っ!」
「「 !?!? 」」
……ドバァッシャーン!!
私がふくらはぎに受けた波でよろけ、まだつけたままの片足のフィンと両腕で空中バタフライをしていると、優希くんが私の背中を支えて助けてくれようとしたが―――一緒に海面へ倒れてしまった。
なんか……倒れる途中で……コツンとマスクが当たって……?
「ぷはっ! はぁはぁ、ほのかちゃん大丈夫!?」
「はあっ! ふぅっ、うん大丈夫……」
優希くんはきっと私が頭を打たないように手で守ってくれたと思う。それで向き合ったまま私が背後から倒れて、海底にお尻をついたとこで優希くんが慌てて起こしてくれたんだ。私が海底に両手をついてぺたんと座り込んだ姿勢で、優希くんが膝をつき腰を折り曲げた状態で海に浸かっていたら……砂浜に上がっていた蒼大くんが突然大声で叫んだ。
「ぬあぁっ! 兄ちゃんチューしたぁっ! チューしたらおヨメにもらわないといけないんだぞ!!」
「「 えっ!?!? 」」
私と優希くんは顔を見合わせてポカンとしてしまった。私のマヌケな姿と優希くんの優しい振る舞いがそんなふうに見えていたなんて……。
「「 ぷっ!! 」」
ふたり同時に吹き出した。蒼大くんの言い方が全力でおかしかったのと発想が可愛いらしくてツボを突かれた。少し野蛮な印象もあったけれど純粋な男の子なんだなぁとしみじみ思う。
「あーはっはっ! 蒼大の顔っ、ひん曲がってたよ」
「んーふっふっ! すごい乙女チックなんだね~」
私と優希くんはお腹を抱えてゲラゲラ笑う。フラフラのところ大笑いをして余計に力が減り歩けなくなりそうだった。
もしかしたらね……。
本当に私達……チュウ……したかもしれない、一瞬だけ。
でも私の勘違いってこともあるから、誰にも秘密にしておこう―――。
それからの毎日がとびきり楽しかった。晴れたら海に行って3人でシュノーケリングをして、合間に湊と浅瀬で泳いだり砂浜で遊んだ。雨の日や波のある日はお互いの別荘を行ったり来たりする。宿題を一緒にしたりゲームをしたり。私は貝殻集めの方が楽しかったんだけど、男の子達は昆虫採集に夢中になる事も。夜に花火をした時は元気なねずみ花火から、みんなで逃げるのが面白くて笑い転げていた。いつも優希くんと蒼大くんと一緒にいて、湊も「おにいたん」と懐いて離れなかったし、私達は4人きょうだいのようにとても仲良くなっていたんだ。それからママとおじいちゃんが島に到着して、まもなくパパもやって来ると一日中家族で賑やかに過ごした。優希くん達の家族も東京からお父さんと親戚が来るので、島を観光したりして楽しむと言っていた。お盆休みが終わって仕事の為にママ達が帰ってしまうと、久しぶりに海でバディと再会する。家族でクルージングしてイルカを見たって興奮気味に教えてくれた。
「すごい! いいなぁ、私もイルカに会ってみたい~」
「沖に出れば会える確率が高いみたいだよ。ウミガメはいなかったな~」
「早く海入ろうぜ。おれもドルフィンキック練習したい」
残り少なくなってきた夏休みを存分に海で遊ぼうと私達は砂浜を駆け出した。3人手繋ぎでシュノーケリングスポットへ。初めは下手くそだった泳ぎ方もだいぶ慣れてきたと思う。立ち泳ぎも長くできるようになったし、シュノーケルを外して背泳ぎしたり、空を見ながら休憩してお喋りする事も。そうして海の上で過ごす時間が長くなって、気持ち良く夢を見ているような気分になった。
「ふたりとも、どうもありがとう……」
「……いきなりどした?」
「ほのかちゃん……どうしたの?」
「私のバディになってくれてありがとう。ずっと夢だった事が叶ったの。ふたりって最高の兄弟ね!」
「よくわかんねーけど、ったりめぇだよ!」
「ははは、そんなの初めて言われたな」
いつもだったら……浮き輪を使ってぷかぷかと海を泳いでるだけだった。たまたま波打ち際まで来た可愛い魚を見つけて、いつか海の中を思う存分覗いてみたいと思った。でも湊はまだ小さいし、おばあちゃまはもう泳げないって年齢だし。パパとママは島でのんびりする為に来てるから、疲れたりケガしたりしたら患者さんが困っちゃうと思ってお願いできなかった。やっとシュノーケリングに挑戦できるってなったけれど、私ひとりだったら浅瀬を行ったり来たりするだけで終わってたと思ったんだ。たくさんの魚を見つけて海の中を探検するなんて、きっとできなかった。だから、ふたりに出会えて……本当に良かったなぁと……本当に本当に優希くんと蒼大くんのこと……大好きだなぁって心から思った。
「よしっ、おれ素もぐりの練習するから」
「僕もやってみようかな、今日は波が穏やかだし。ほのかちゃんは?」
「私もやってみる!」
私達は海面に浮きながら会話をして皆で素潜りの練習をする事に決めた。出会った時にふたりが素潜りする約束をしてたと言っていたのを私は思い出す。私が力になれることはないかもしれないけれど、やりたかった事をふたりにも叶えてもらいたい。私が一緒に頑張って応援するつもりで心に火を灯した―――。
―――そして、ビーチパラソルの下で休憩中。おばあちゃまが用意してくれたアイスでクールダウン。湊に何して遊んでたのか聞いてみると、カニを見つけて追いかけていたそうだ。
「かぁに、かぁに、ちょこちょこ……かにさん!」
湊が頭にチョキの手を両方つけ横歩きしてカニの真似をして見せる。「かわいい~」と優希くんが喜んで、私とおばあちゃまは微笑ましく眺めていた。すると蒼大くんは立ち上がっていきなり両手を上げると、お尻を突き出して背中をしなやかにバタバタさせエビの真似を始めた。
「今日の、ほのか。エビみたいになってて、ぜんぜんもぐれないの」
「ぶはっ!」
「ちょっとぉ! 頑張ったんだよっ、すごく難しかったんだもん! ゆうきくんとおばあちゃま笑いすぎっ」
なんでか私って一生けん命になるとカッコ悪くなっちゃうみたい。ふたりは上手にもぐってたからまねしてみたのに……。
私が膨れっ面でアイスを頬張ると蒼大くんが隣に座って口を開けた。
「バニラひとくちくれ! あまいのもっとほしい」
「……仕方ないな、はいっ」
「あ~、ぼくもっ! あ~ん……」
「湊も? はい、どうぞ」
弟達にアイスの分けっこが始まって、ふたくち目の要求にも応えてあげると……別の視線も感じる。たどってみたら優希くんが羨ましそうな顔をしていた。
「ゆうきくんもバニラほしい?」
「えっ、ぼ、僕はいいよ。ほのかちゃんのアイスがなくなっちゃう……」
と優希くんが言うと、今度はおばあちゃまがクスッとして顔をニンマリさせた。おばあちゃまがなんで笑ってるのかわからず首を傾げて視線で尋ねてみると、誤魔化すように話題を変えられた。
「あのね、さっき天気予報を見たのだけれど、台風が勢力を強めたみたいなの。もしかしたら、ここを通過するかもしれない」
昨日もニュースで台風15号が発生し関東直撃の可能性と言っていた。進路によっては台風が来る前に帰らなければならなくなる。予定より早く島を離れる事もあるという状況をおばあちゃまは残念そうに伝える。
「僕達も台風の動き次第で帰りを早める予定なんだ……」
優希くんも肩を落としてそう言うと、急に寂しい気持ちが膨れ上がってしまった。あともう少し夏休みが終わる直前までは島で一緒に居られると思っていたから、まだお別れの事は考えていなかった。
せっかく仲良しになれたのに、台風のせいで早くふたりとさよならしなきゃいけないなんて……。
「台風来ないといいね……」
「うん、そうだね……」
私達はしょんぼりと元気をなくしてしまう。甘いアイスを食べていたはずが口の中が苦々しく前向きになれるような言葉も見つからなかった。
「素敵な仲間と出会えたのにお別れするのは寂しいわね……」
おばあちゃまが私達の心情を代弁してくれて、その通りだと私と優希くんは頷いた。蒼大くんと湊は兄姉の真似をしてみただけなのか、遅れて頭を上下にコクコクする。
「昔から親しい人とのお別れの時にはお手紙を書くの。また今度会える日まで大切にしたい気持ちを文章にして送るのよ。そうすると少し寂しい心に楽しみがプラスされるわ」
「そっか、文通ね! 会えなくても気持ちが通じ合えるわ」
「大切な気持ち……じゃあ僕が最初に手紙を書くよ! 島を出発するまでに渡すね」
「本当に? あ、おばあちゃまの言った通り……もう楽しみになってる!」
「ははは」「んふふ」と私達は想像した未来にまずは笑顔を送り合った。おばあちゃまの顔もとても嬉しそうだ。「ぼくも!」湊がぴょんぴょんしてやりたいアピールをするのでうんうんと頷いて見せた。すると蒼大くんが「しかたねぇから……」と言い出すので私は最後まで聞かず先に伝えておいた。
「絶対にそうだいくんも書いてよね! 住所も書いておいてよ? 東京に帰ったら次は私が返事を書いて送るからね!?」
お姉ちゃんみたいにぴしゃりと言いつけると「お、おう」渋々蒼大くんは答えたので私は満足してにっこりする。優希くんも楽しそうに笑っていた。これで夏休みが終わっても、大切なバディとずっと仲良くできそうだとほっと安心した。そうして休憩のあとも私達は海で思う存分泳いだのだった。
翌日になると、やはり台風が児南島付近を通過する予報となり、ふたりは明後日の飛行機で東京に帰ることが決定したそうだ。私達もふたりと同じ日の最終便で島を離れる事になっていた。残すところあと2日間しか児南島の海で泳ぐことができないので、思いっきり楽しもうとたくさん海の中で時間を過ごした。素潜りの練習もいっぱい。私達の着ているウエットスーツに浮力があるから、重りをつけないと潜るのは難しいそうだけれど、蒼大くんは上手に海底の岩に捕まって潜水していた。私はたぶん最初だけ勢いで潜って、キックしている間に海面に浮かんでいってしまう感じだ。優希くんも深くは潜れないけれど浅いところを長く遊泳していてまるで魚みたいだった。明日も最後に皆で海に出ようと約束したのだけれど……翌日ビーチを訪れたのは優希くん一人だけだった。
「そうだいくん中耳炎になっちゃったの!?」
「うん、ちょっと潜りすぎたみたいなんだ。飛行機にも乗るから病院で診てもらったら軽症の中耳炎だって。安静にしてれば治るそうだけど、海はさすがに禁止されちゃって」
耳の聞こえが悪くなった蒼大くんの診察を受ける為、島の病院に行って帰ってくると優希くんは急いでビーチにやって来てくれたようだ。
「そっかぁ……残念だね。そうだいくん一生けん命もぐってたもんね」
「約束したのに3人で泳げなくなっちゃったんだ。だけど、ほのかちゃんも今日で海に入るのは最後だから、僕とふたりでもよければシュノーケリングする?」
「えっ、いいの!?」
私はすっかりあきらめていたから優希くんの提案に驚いた。悠希くんは少し恥ずかしそうに目をキョロキョロさせながら私を見て言う。
「……僕はほのかちゃんと最後に海で一緒に泳ぎたい」
一瞬、ドキッと……心臓が跳ねた気がした。
いつもとは違う……初めて見る優希くんの姿に私も急に恥ずかしくなってきた。自分の気持ちを口にするのも、なぜかそわそわしてむずがゆい。
「嬉しい……ありがとう」
「うん、じゃあ着替えてまた戻ってくるね」
優希くんは手を振って別荘の方へ駆けてゆく。優希くんの後ろ姿を見送りながら、私の心臓も急いでいるみたいにトクトク早まっていった。
私……嬉しいんだ。
優希くんとふたりで泳げるから、喜んでいるんだ!
新しい気持ちを発見して、ふわふわした心に少し戸惑いながら。優希くんが来てくれるのをビーチで待っていたんだ。
いつも海に入る時は天気予報と波をチェックしてから遊ぶ事にしていた。その日は台風の接近にともない波が高くなる予報が出ていて、午後3時くらいまでにはビーチから帰る予定だった。お昼過ぎ頃に優希くんがウエットスーツを着て戻って来てくれて「お待たせ!」の声を聞いた途端、胸の中が躍るようにウキウキした。同時に少し緊張してきてどんな態度をとっていいか変に迷っていると、湊が「おにいたんっ、あしょぼ!」と先に優希くんにガシッと抱きついた。そんなあどけない様子を見たら私のうやむやな考えがおかしくなってきて、素直に最後の海を優希くんと一緒に楽しもうと気持ちを改めた。私達はまず波打ち際で浮き輪やビーチボールで湊と遊び、その後ふたりでシュノーケルの準備をしてフィンをつけると……手をしっかり繋いで浅瀬から沖に向かって出発した。この夏、探検して回った思い出巡りをするように、もう一度お気に入りの場所を目に焼き付けながら海原を泳いでいった。優希くんと片時も手をはなさずに……このまま、本当は、もっと一緒にいたかった―――。
「―――今日も魚いっぱいいたね?」
「うん、可愛かった。私ね、魚を見たくてシュノーケリングしたかったの。ずっと夢だったから、叶えてくれてありがとう」
「あ、それで最高の兄弟か。僕はね……この島に来て夢ができたよ」
「どんな?」
「それは……手紙に書いたから、今は内緒」
「もう手紙書いてくれたの!?」
私が驚いて空に声を飛ばすと「うん」優希くんの優しい声が海風にのって届いた。私も「楽しみだな」と心から伝えたけれど、すっと入れ替わるようにやっぱり寂しさで心が埋まってしまった。波の音だけがピチャピチャと聞こえている……。
シュノーケルとマスクを外して肩に通し仰向けで海面に浮かんで……私達ははぐれないよう手を繋いで休憩していた。いつも泳ぐのに疲れたらこうして、海に大の字で寝転んでいるみたいに……波に揺られぷかぷか浮いて。とっても気持ちがいいはずなのに、今は……。穏やかな波とは正反対に気持ちが行ったり来たり……我慢と我儘の間で揺れている。
帰らなきゃいけない、でも、はなれたくない―――。
「……東京でも会えるかな?」
「……会いたいね」
「じゃあ、約束しよう?」
「指切りするの?」
「……ほのかちゃん、立ち泳ぎになって」
「え? あ、はい……」
優希くんに言われた通り姿勢を変えて垂直になり足でフィンを動かすとお互い向き合った。すると優希くんは肩の前で両手を広げる。
「全部の指で指切りしよう! 絶対守らなきゃいけない約束ってことで」
「あはっ、全部の指! どうやってするの?」
私も同じように両手を海面から上げて面白がっていると、優希くんは私の手のひらに手のひらを合わせた。そして私の指の間に自分の指を挟み込んでぎゅっと握る……全部の指を絡めて両手繋ぎをしたんだ。強く、強く、ぎゅうっと……私達がはなれないように―――。
「また絶対に会おうね、約束だよ」
「うん、約束……」
「……これ、ウソついたら針五千本分だよ?」
「……すごい多すぎ! あはは」
優希くんがおかしい事を言うからつい笑っちゃって……口元を隠したいけど手をはなしてくれないから……こんなに近くで恥ずかしいのに……。
お互いのフィンが少しぶつかり合っているほど、だんだん私達の距離は縮まっていて……もう……おでこがくっついちゃいそうに……優希くんの体が私の方に傾いてきた!
もしかしてここでハグを―――。
「「 !?!? 」」
「―――おばあちゃま、早く早くっ」
「あちゃまっ、はやくぅ」
「はいはい待ってね~」
別荘から道を下って緑の木の間を抜ける途中で後ろを振り返り声をかける。3歳の湊と手を繋いで先を歩きおばあちゃまを急かした。おばあちゃまはパラソルとクーラーボックスを持って大きな麦わら帽子を被っている。湊は水着にキャップを被り私と繋いだ反対の手にはお砂場セットを持っていて、私はウエットスーツに身を包みシュノーケルセットとフィンを大事に抱えていた。ここを抜けると海岸へ下りる階段があって、小さなビーチになっている。別荘に泊まっている人達が使える専用の海岸でプライベートビーチと言うらしい。おばあちゃまは昔から[ 夕陽の入り江 ]と島の人は呼んでいると教えてくれた。湊が転ばないように一段一段慎重に下りて最後は砂浜にぴょんっと着地した。
「わあ~」
念願の海を目の前にして思わず喜びの声がこぼれる。毎年ビーチに来る度、波打ち際に向かう最初の一歩の前に輝く青い海と明るい青空に感動してしまう。児南島の海は透明度が高く波も穏やかで海風も爽やかだ。耳を澄まして聞こえる波音にもう居ても立ってもいられない。
「湊、行こう! よ~い、ドンッ」
「きゃぁーっ」
ザクザクザクッと砂浜を蹴って海に向かってかけっこだ。少し走るといつもと違う地面の砂の感触に湊の足が止まった。ビーチを半分来たところで海を真正面にして立ち尽くす。
「あれ……? もう誰か泳いでる……」
眺めた海面にはぷかぷかと小さな人影が二つ浮いていた。私と同じシュノーケルを顔につけた姿を目にすると、私の胸はワクワクが膨らんで足がジタバタと落ち着きない。浅瀬を泳いでいたその人達がこちらに気づくと、私と湊に向かって泳ぎ始めて海を上がってきたのだ。
わぁ、男の子だ!
私と同じくらいかな……?
この海で小学生に会うのは初めてでワクワクを通り越してぴょんぴょんと縄跳びをするみたいに跳ねてしまっていた。隣で湊も私の真似をしている。その子達はマスクを外すと海底に立って太腿くらいの水深で足につけていたフィンを取りビーチに戻ってきた。待ちきれず私から声をかける。
「ねぇねぇ! シュノーケリングしてたの?」
「そうだよ、君もしにきたの?」
私と同じにウエットスーツを着た男の子達は濡れた髪をぶるぶるしながらこっちに来てくれた。身長が高い子と低い子、雰囲気が二人共似ていて兄弟のようだった。背の高い子が私に返事をしてくれて、どうやら私もシュノーケルセットを持っていることに気づいたみたいだ。
「そうなの! 上手に泳げるね! 何年生?」
「5年生、君は?」
「私も5年生! 和田帆香っていうの」
「僕の名前は小嶋優希。こっちは弟の蒼大、3年生だよ」
弟くんはお兄ちゃんと違ってあまりにこにこ話さないタイプなのか、私をギロッと見るのでにっこりして返した。
「この子は私の弟で湊っていうの。湊、何才?」
「しゃんしゃいっ」
元気な声で指を兄弟に向かって突き出したが、湊はお砂場セットを持っていて指を1本しか立てれてなかった。「かわいい~」「ちっさ」と自慢の弟にも仲良く接してもらえそうで安心する。
「ここの別荘に泊まってるの? 初めて小学生に会ったから嬉しくて」
「お父さんが別荘を夏休みだけ貸してもらったんだ。だから初めて。一昨日に来たんだよ。ほのかちゃんは?」
「私は毎年夏休みにおばあちゃまに連れてきてもらってるの」
「……おばあちゃま、か。すごいな」
「あちゃまっ、あちゃまっ」
湊がやっとビーチに下りてきたおばあちゃまを振り向いて指差しすると、優希くんはお辞儀をして挨拶した。私が優希くん達は誰と来たのか尋ねるとお母さんだと言い、砂浜の端の方の岩影にビーチチェアでくつろぐ女性を見つけて頭を下げた。おばあちゃまも着いたことだし、私は早速シュノーケリングを始めたいと、さっきから言いたくてうすうずしているお願いを口にしてみる。
「良かったら一緒にシュノーケルしない? 私、初めてで泳ぐのも上手くないから教えてほしいの!」
「……いいよ! 一緒に遊ぼう!」
「え~、兄ちゃんおれと素もぐりの練習するって約束じゃん!」
「すごい! 泳ぐの得意なんだね!?」
「ったりめぇだよ、おれたちスイミング教室行ってるもん」
私が尊敬の眼差しで蒼大くんを見つめてしまうと、本人は照れたのかプイッとそっぽを向いた。すごいなぁ、いいなぁ、と心が繰り返して私はふたりが羨ましかった。小学生になって習い事を始める時にスイミングスクールかバレエスクールのどっちかで悩んだ。両方したかったけど、まず一つのことをやり遂げるのが大事、と言われママのすすめもあってバレエを選んだんだ。だからスイスイ泳げる人に憧れがある。
「夏休みはまだ始まったばかりだし時間はたっぷりある。いろんなことに挑戦できると思うし、3人で協力した方がきっと何倍も楽しくなるはずだよ! ね、蒼大?」
「……兄ちゃんがそう言うなら、教えてやるよ」
「あは、ありがとう! 頼りにしてるね」
優希くんはとてもお兄ちゃんらしく弟の扱いが上手みたい。それに学級委員のようにクラスをまとめるリーダーシップがありそう、と思っていたら嬉しい提案をしてくれる。
「僕達3人でバディを組むのはどお?」
「バディ?」
「バディは2人じゃね?」
「仲間だから何人でもいいんだ。助け合う仲間になろう!」
「はいっ!」
「やりぃっ! 夏休みの宿題も手伝ってもらお」
蒼大くんが悪知恵を働かせると優希くんはすぐに叱った。私はふたりのやりとりが面白くてケラケラ笑っていたんだ。本当は私から『友達になってくれる?』とふたりに言うつもりでいたけれど……大好きな海辺で出会った兄弟は、私の頼もしいバディになってくれたんだ―――。
「―――そうそう! その調子だよ、ほのかちゃん!」
優希くんの声がほわ~んと聞こえてくる。まだ一度もシュノーケルをつけて泳いだ事がないと伝えると、マスクをつけて呼吸の練習をしようと言われフィンは浜辺に置いて海に入った。足の付け根くらいの水深でいよいよ海水に顔をつける。シュノーケルのマウスを咥えて口で呼吸する練習はしてきたので、優希くんが私の両手を取って歩いてくれるあいだ蹴伸びをしながら実践してみる。優希くんが誉めてくれたとおり、なかなかいい感じに呼吸ができてると自分でも思った。海中は透き通って綺麗だし海底の海藻や貝殻もよく見えて観察できた。すると、一匹の小さい魚がスイスイ泳ぐのを発見して思わず……。
「ボァガァガッ……グフォッ……ぷはっ、ゴホッゴホゴホッ……うえぇ、飲んだぁ」
苦しくなって急いで立ち上がりマウスを外すと咳き込む。うっかり『魚だ!』と言おうとしたせいで呼吸が乱れ海水が入ってしまった。
「ぶぅわははっ、だっせー。あーはっはっ」
近くで背泳ぎしていた蒼大くんが私の惨状を見て大笑いする。海面をバシャバシャさせて大袈裟にウケていた。私はそれに構えないどころか自分の身なりさえ気遣えなかった。
「ほのかちゃん、ふっ。シュノーケルしてるのに声出そうとしたらそうなるよ、ぶっ……」
「うぅ、塩っぱい~。鼻も痛いよ~」
「あははは、ブサイク~」
「蒼大、誰にでも失敗はあるから、かっ、からかわない!」
「……兄ちゃんだって顔が笑ってるじゃん」
「ぐっ……ぷはっ、もうダメだ我慢できない。ほのかちゃん面白すぎるっ、あはは!」
3人で居ると楽しくて時間があっという間に過ぎていった。「また明日ね~バイバーイ!」別れの時でさえワクワクしていたんだ。
次の日も海でコーチングしてもらい、フィンをつけて泳げるまで上達した。本当にふたりは泳ぐのが上手で、私の手を片方ずつ繋いで泳いでもらうとグングン波を越えて進んでいってくれた。私一人だとフィンの使い方が下手なのか波に押し戻されてしまうのだ。優希くんと蒼大くんはハンドサインで方向を決めたり、私に魚のいる所を教えてくれたりして、ふたりに両手を任せていただけなのに私まで上手に泳げている気分になってとても気持ちが良かった。水深2メートルくらいの海面を3人でシュノーケリングしてビーチに戻ってくる……。
「あ~のどかわいた~アイス食べたい!」
蒼大くんがいち早く立ち上がってマウスを外すと我慢していたように声を出した。お喋りも呼吸もめいっぱいできるのがこんなに嬉しいなんておかしくなってくる。
「はぁ~空気が美味しい~。あはっ、好きなだけ吸える!」
「ははは、確かに吸いたい放題だ」
私と優希くんも立ち上がって清々しい気分で声をかけ合った。蒼大くんはさっさとフィンを取ってバシャバシャと陸を目指していて、私もそうしたかったけれど泳ぎすぎたのか思うように体が動かない。
「もう足がふらふらで力が入らないよ~」
「たぶんほのかちゃんはさ、フィンを足首で動かしてるのかもね。太ももをゆっくり上下させる感じにするといいよ」
「そっかぁ、さすがだねぇ。次はそうしてみる……うわっ、あっ、わぁ~!」
「えっ? ほの……ちょっ、あぁ~っ!」
「「 !?!? 」」
……ドバァッシャーン!!
私がふくらはぎに受けた波でよろけ、まだつけたままの片足のフィンと両腕で空中バタフライをしていると、優希くんが私の背中を支えて助けてくれようとしたが―――一緒に海面へ倒れてしまった。
なんか……倒れる途中で……コツンとマスクが当たって……?
「ぷはっ! はぁはぁ、ほのかちゃん大丈夫!?」
「はあっ! ふぅっ、うん大丈夫……」
優希くんはきっと私が頭を打たないように手で守ってくれたと思う。それで向き合ったまま私が背後から倒れて、海底にお尻をついたとこで優希くんが慌てて起こしてくれたんだ。私が海底に両手をついてぺたんと座り込んだ姿勢で、優希くんが膝をつき腰を折り曲げた状態で海に浸かっていたら……砂浜に上がっていた蒼大くんが突然大声で叫んだ。
「ぬあぁっ! 兄ちゃんチューしたぁっ! チューしたらおヨメにもらわないといけないんだぞ!!」
「「 えっ!?!? 」」
私と優希くんは顔を見合わせてポカンとしてしまった。私のマヌケな姿と優希くんの優しい振る舞いがそんなふうに見えていたなんて……。
「「 ぷっ!! 」」
ふたり同時に吹き出した。蒼大くんの言い方が全力でおかしかったのと発想が可愛いらしくてツボを突かれた。少し野蛮な印象もあったけれど純粋な男の子なんだなぁとしみじみ思う。
「あーはっはっ! 蒼大の顔っ、ひん曲がってたよ」
「んーふっふっ! すごい乙女チックなんだね~」
私と優希くんはお腹を抱えてゲラゲラ笑う。フラフラのところ大笑いをして余計に力が減り歩けなくなりそうだった。
もしかしたらね……。
本当に私達……チュウ……したかもしれない、一瞬だけ。
でも私の勘違いってこともあるから、誰にも秘密にしておこう―――。
それからの毎日がとびきり楽しかった。晴れたら海に行って3人でシュノーケリングをして、合間に湊と浅瀬で泳いだり砂浜で遊んだ。雨の日や波のある日はお互いの別荘を行ったり来たりする。宿題を一緒にしたりゲームをしたり。私は貝殻集めの方が楽しかったんだけど、男の子達は昆虫採集に夢中になる事も。夜に花火をした時は元気なねずみ花火から、みんなで逃げるのが面白くて笑い転げていた。いつも優希くんと蒼大くんと一緒にいて、湊も「おにいたん」と懐いて離れなかったし、私達は4人きょうだいのようにとても仲良くなっていたんだ。それからママとおじいちゃんが島に到着して、まもなくパパもやって来ると一日中家族で賑やかに過ごした。優希くん達の家族も東京からお父さんと親戚が来るので、島を観光したりして楽しむと言っていた。お盆休みが終わって仕事の為にママ達が帰ってしまうと、久しぶりに海でバディと再会する。家族でクルージングしてイルカを見たって興奮気味に教えてくれた。
「すごい! いいなぁ、私もイルカに会ってみたい~」
「沖に出れば会える確率が高いみたいだよ。ウミガメはいなかったな~」
「早く海入ろうぜ。おれもドルフィンキック練習したい」
残り少なくなってきた夏休みを存分に海で遊ぼうと私達は砂浜を駆け出した。3人手繋ぎでシュノーケリングスポットへ。初めは下手くそだった泳ぎ方もだいぶ慣れてきたと思う。立ち泳ぎも長くできるようになったし、シュノーケルを外して背泳ぎしたり、空を見ながら休憩してお喋りする事も。そうして海の上で過ごす時間が長くなって、気持ち良く夢を見ているような気分になった。
「ふたりとも、どうもありがとう……」
「……いきなりどした?」
「ほのかちゃん……どうしたの?」
「私のバディになってくれてありがとう。ずっと夢だった事が叶ったの。ふたりって最高の兄弟ね!」
「よくわかんねーけど、ったりめぇだよ!」
「ははは、そんなの初めて言われたな」
いつもだったら……浮き輪を使ってぷかぷかと海を泳いでるだけだった。たまたま波打ち際まで来た可愛い魚を見つけて、いつか海の中を思う存分覗いてみたいと思った。でも湊はまだ小さいし、おばあちゃまはもう泳げないって年齢だし。パパとママは島でのんびりする為に来てるから、疲れたりケガしたりしたら患者さんが困っちゃうと思ってお願いできなかった。やっとシュノーケリングに挑戦できるってなったけれど、私ひとりだったら浅瀬を行ったり来たりするだけで終わってたと思ったんだ。たくさんの魚を見つけて海の中を探検するなんて、きっとできなかった。だから、ふたりに出会えて……本当に良かったなぁと……本当に本当に優希くんと蒼大くんのこと……大好きだなぁって心から思った。
「よしっ、おれ素もぐりの練習するから」
「僕もやってみようかな、今日は波が穏やかだし。ほのかちゃんは?」
「私もやってみる!」
私達は海面に浮きながら会話をして皆で素潜りの練習をする事に決めた。出会った時にふたりが素潜りする約束をしてたと言っていたのを私は思い出す。私が力になれることはないかもしれないけれど、やりたかった事をふたりにも叶えてもらいたい。私が一緒に頑張って応援するつもりで心に火を灯した―――。
―――そして、ビーチパラソルの下で休憩中。おばあちゃまが用意してくれたアイスでクールダウン。湊に何して遊んでたのか聞いてみると、カニを見つけて追いかけていたそうだ。
「かぁに、かぁに、ちょこちょこ……かにさん!」
湊が頭にチョキの手を両方つけ横歩きしてカニの真似をして見せる。「かわいい~」と優希くんが喜んで、私とおばあちゃまは微笑ましく眺めていた。すると蒼大くんは立ち上がっていきなり両手を上げると、お尻を突き出して背中をしなやかにバタバタさせエビの真似を始めた。
「今日の、ほのか。エビみたいになってて、ぜんぜんもぐれないの」
「ぶはっ!」
「ちょっとぉ! 頑張ったんだよっ、すごく難しかったんだもん! ゆうきくんとおばあちゃま笑いすぎっ」
なんでか私って一生けん命になるとカッコ悪くなっちゃうみたい。ふたりは上手にもぐってたからまねしてみたのに……。
私が膨れっ面でアイスを頬張ると蒼大くんが隣に座って口を開けた。
「バニラひとくちくれ! あまいのもっとほしい」
「……仕方ないな、はいっ」
「あ~、ぼくもっ! あ~ん……」
「湊も? はい、どうぞ」
弟達にアイスの分けっこが始まって、ふたくち目の要求にも応えてあげると……別の視線も感じる。たどってみたら優希くんが羨ましそうな顔をしていた。
「ゆうきくんもバニラほしい?」
「えっ、ぼ、僕はいいよ。ほのかちゃんのアイスがなくなっちゃう……」
と優希くんが言うと、今度はおばあちゃまがクスッとして顔をニンマリさせた。おばあちゃまがなんで笑ってるのかわからず首を傾げて視線で尋ねてみると、誤魔化すように話題を変えられた。
「あのね、さっき天気予報を見たのだけれど、台風が勢力を強めたみたいなの。もしかしたら、ここを通過するかもしれない」
昨日もニュースで台風15号が発生し関東直撃の可能性と言っていた。進路によっては台風が来る前に帰らなければならなくなる。予定より早く島を離れる事もあるという状況をおばあちゃまは残念そうに伝える。
「僕達も台風の動き次第で帰りを早める予定なんだ……」
優希くんも肩を落としてそう言うと、急に寂しい気持ちが膨れ上がってしまった。あともう少し夏休みが終わる直前までは島で一緒に居られると思っていたから、まだお別れの事は考えていなかった。
せっかく仲良しになれたのに、台風のせいで早くふたりとさよならしなきゃいけないなんて……。
「台風来ないといいね……」
「うん、そうだね……」
私達はしょんぼりと元気をなくしてしまう。甘いアイスを食べていたはずが口の中が苦々しく前向きになれるような言葉も見つからなかった。
「素敵な仲間と出会えたのにお別れするのは寂しいわね……」
おばあちゃまが私達の心情を代弁してくれて、その通りだと私と優希くんは頷いた。蒼大くんと湊は兄姉の真似をしてみただけなのか、遅れて頭を上下にコクコクする。
「昔から親しい人とのお別れの時にはお手紙を書くの。また今度会える日まで大切にしたい気持ちを文章にして送るのよ。そうすると少し寂しい心に楽しみがプラスされるわ」
「そっか、文通ね! 会えなくても気持ちが通じ合えるわ」
「大切な気持ち……じゃあ僕が最初に手紙を書くよ! 島を出発するまでに渡すね」
「本当に? あ、おばあちゃまの言った通り……もう楽しみになってる!」
「ははは」「んふふ」と私達は想像した未来にまずは笑顔を送り合った。おばあちゃまの顔もとても嬉しそうだ。「ぼくも!」湊がぴょんぴょんしてやりたいアピールをするのでうんうんと頷いて見せた。すると蒼大くんが「しかたねぇから……」と言い出すので私は最後まで聞かず先に伝えておいた。
「絶対にそうだいくんも書いてよね! 住所も書いておいてよ? 東京に帰ったら次は私が返事を書いて送るからね!?」
お姉ちゃんみたいにぴしゃりと言いつけると「お、おう」渋々蒼大くんは答えたので私は満足してにっこりする。優希くんも楽しそうに笑っていた。これで夏休みが終わっても、大切なバディとずっと仲良くできそうだとほっと安心した。そうして休憩のあとも私達は海で思う存分泳いだのだった。
翌日になると、やはり台風が児南島付近を通過する予報となり、ふたりは明後日の飛行機で東京に帰ることが決定したそうだ。私達もふたりと同じ日の最終便で島を離れる事になっていた。残すところあと2日間しか児南島の海で泳ぐことができないので、思いっきり楽しもうとたくさん海の中で時間を過ごした。素潜りの練習もいっぱい。私達の着ているウエットスーツに浮力があるから、重りをつけないと潜るのは難しいそうだけれど、蒼大くんは上手に海底の岩に捕まって潜水していた。私はたぶん最初だけ勢いで潜って、キックしている間に海面に浮かんでいってしまう感じだ。優希くんも深くは潜れないけれど浅いところを長く遊泳していてまるで魚みたいだった。明日も最後に皆で海に出ようと約束したのだけれど……翌日ビーチを訪れたのは優希くん一人だけだった。
「そうだいくん中耳炎になっちゃったの!?」
「うん、ちょっと潜りすぎたみたいなんだ。飛行機にも乗るから病院で診てもらったら軽症の中耳炎だって。安静にしてれば治るそうだけど、海はさすがに禁止されちゃって」
耳の聞こえが悪くなった蒼大くんの診察を受ける為、島の病院に行って帰ってくると優希くんは急いでビーチにやって来てくれたようだ。
「そっかぁ……残念だね。そうだいくん一生けん命もぐってたもんね」
「約束したのに3人で泳げなくなっちゃったんだ。だけど、ほのかちゃんも今日で海に入るのは最後だから、僕とふたりでもよければシュノーケリングする?」
「えっ、いいの!?」
私はすっかりあきらめていたから優希くんの提案に驚いた。悠希くんは少し恥ずかしそうに目をキョロキョロさせながら私を見て言う。
「……僕はほのかちゃんと最後に海で一緒に泳ぎたい」
一瞬、ドキッと……心臓が跳ねた気がした。
いつもとは違う……初めて見る優希くんの姿に私も急に恥ずかしくなってきた。自分の気持ちを口にするのも、なぜかそわそわしてむずがゆい。
「嬉しい……ありがとう」
「うん、じゃあ着替えてまた戻ってくるね」
優希くんは手を振って別荘の方へ駆けてゆく。優希くんの後ろ姿を見送りながら、私の心臓も急いでいるみたいにトクトク早まっていった。
私……嬉しいんだ。
優希くんとふたりで泳げるから、喜んでいるんだ!
新しい気持ちを発見して、ふわふわした心に少し戸惑いながら。優希くんが来てくれるのをビーチで待っていたんだ。
いつも海に入る時は天気予報と波をチェックしてから遊ぶ事にしていた。その日は台風の接近にともない波が高くなる予報が出ていて、午後3時くらいまでにはビーチから帰る予定だった。お昼過ぎ頃に優希くんがウエットスーツを着て戻って来てくれて「お待たせ!」の声を聞いた途端、胸の中が躍るようにウキウキした。同時に少し緊張してきてどんな態度をとっていいか変に迷っていると、湊が「おにいたんっ、あしょぼ!」と先に優希くんにガシッと抱きついた。そんなあどけない様子を見たら私のうやむやな考えがおかしくなってきて、素直に最後の海を優希くんと一緒に楽しもうと気持ちを改めた。私達はまず波打ち際で浮き輪やビーチボールで湊と遊び、その後ふたりでシュノーケルの準備をしてフィンをつけると……手をしっかり繋いで浅瀬から沖に向かって出発した。この夏、探検して回った思い出巡りをするように、もう一度お気に入りの場所を目に焼き付けながら海原を泳いでいった。優希くんと片時も手をはなさずに……このまま、本当は、もっと一緒にいたかった―――。
「―――今日も魚いっぱいいたね?」
「うん、可愛かった。私ね、魚を見たくてシュノーケリングしたかったの。ずっと夢だったから、叶えてくれてありがとう」
「あ、それで最高の兄弟か。僕はね……この島に来て夢ができたよ」
「どんな?」
「それは……手紙に書いたから、今は内緒」
「もう手紙書いてくれたの!?」
私が驚いて空に声を飛ばすと「うん」優希くんの優しい声が海風にのって届いた。私も「楽しみだな」と心から伝えたけれど、すっと入れ替わるようにやっぱり寂しさで心が埋まってしまった。波の音だけがピチャピチャと聞こえている……。
シュノーケルとマスクを外して肩に通し仰向けで海面に浮かんで……私達ははぐれないよう手を繋いで休憩していた。いつも泳ぐのに疲れたらこうして、海に大の字で寝転んでいるみたいに……波に揺られぷかぷか浮いて。とっても気持ちがいいはずなのに、今は……。穏やかな波とは正反対に気持ちが行ったり来たり……我慢と我儘の間で揺れている。
帰らなきゃいけない、でも、はなれたくない―――。
「……東京でも会えるかな?」
「……会いたいね」
「じゃあ、約束しよう?」
「指切りするの?」
「……ほのかちゃん、立ち泳ぎになって」
「え? あ、はい……」
優希くんに言われた通り姿勢を変えて垂直になり足でフィンを動かすとお互い向き合った。すると優希くんは肩の前で両手を広げる。
「全部の指で指切りしよう! 絶対守らなきゃいけない約束ってことで」
「あはっ、全部の指! どうやってするの?」
私も同じように両手を海面から上げて面白がっていると、優希くんは私の手のひらに手のひらを合わせた。そして私の指の間に自分の指を挟み込んでぎゅっと握る……全部の指を絡めて両手繋ぎをしたんだ。強く、強く、ぎゅうっと……私達がはなれないように―――。
「また絶対に会おうね、約束だよ」
「うん、約束……」
「……これ、ウソついたら針五千本分だよ?」
「……すごい多すぎ! あはは」
優希くんがおかしい事を言うからつい笑っちゃって……口元を隠したいけど手をはなしてくれないから……こんなに近くで恥ずかしいのに……。
お互いのフィンが少しぶつかり合っているほど、だんだん私達の距離は縮まっていて……もう……おでこがくっついちゃいそうに……優希くんの体が私の方に傾いてきた!
もしかしてここでハグを―――。
「「 !?!? 」」



