放課後になると私は委員会に出席し、正副委員長の選出をただ静観して黙ったまま過ごした。終了後に教室へ戻ると誰もいなかったので、予備校の時間までボランティアの準備をする事にして自分の席に座ると、用紙とマーカーを机の上に置き募金協力のポスター作成に取りかかる。15分くらいで下書きが完成しマーカーで仕上げていると……!
ガタン。
前の席のイスに後向きに跨って座ってきた男子の制服が目に写り、私は突然の事にビクッとして驚いた。顔を上げて誰なのかと確かめてみる。
「びっくりしたぁ。小嶋くん、まだ残ってたの?」
「うん、和田さんが頑張ってると思って戻ってきた」
「わざわざ?」
「うん、僕は委員長補佐だから。和田さんを手伝うのが僕の仕事なんだよ」
そう言って目の前で笑顔の花を咲かせる。嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちになってしまって……小嶋くんのように心からニッコリとできなかった。
「でも、もうすぐ終わるから、帰っても大丈夫だよ?」
「そっか、じゃあ……終わるまでここに居てもいい?」
「い、いいけど……忙しくないの? 模試近いから皆は自習室で勉強したり予備校に行ったりしてると思うけど……」
「平気、僕の進む道はもう決まってるから。準備もできてるしあとは前進あるのみなんだ」
そう言ってスマイル王子はとびきりの笑顔になる。自信たっぷりで何の迷いもなく表現された喜びの顔だ。受験生なら当然悩んだり気疲れしたりして、表情が暗かったり笑顔にも影があったりするのが普通じゃないかと思うけれど。私にはその笑顔が眩しいくらい、小嶋くんの方こそ一番余裕があるように見えた。
「凄いね……」
思わず余裕綽々のスマイル王子に嫌味っぽく返してしまう。でもそんなのもお構い無しに小嶋くんはまだ親切に振る舞うのだ。
「募金のボランティアも遅れちゃうけど絶対行くからね」
「え? 用事があるなら無理に来なくても……」
「代表として引き受けるのは難しかったんだ。和田さん困ってたのに力になれなくてごめん。でも少しでも和田さんと一緒に頑張りたいなって。だから無理じゃないよ」
「でも……!」
あ、笑顔が……。
小嶋くんの笑顔がすうっと消えていった。そして次第に悲しそうな顔になり私を見つめる。初めて見るその顔に私は動揺した。
私のせい……かな。私が小嶋くんの親切を断ろうとしたから気を悪くしちゃった?
ずっとニコニコして話しかけてくれた小嶋くんの悲愴な表情は痛々しいくらいで、その原因が私だと思うとどう取り繕っていいのか焦った。
「あっ、えっと、ごめ―――っ!?」
小嶋くんが真顔で私に向けて手を伸ばしてきて不意を突かれ驚く。人差し指でどこかを指しそうに突き出してる、と見えた次の瞬間!!
「なっ!?」
「―――笑って?」
そう言って首を傾げる小嶋くんの人差し指は、私のほっぺをツンツンと優しく突いている。驚きのあまり呆然として自失気味の私へ、お願いするような視線を外してくれない。
なんだか、凄く……恥ずかしい!
「あ、あのっ……」
「昨日みたいに笑ってくれないの?」
「き、昨日?」
そんな唐突に笑ってなんて……わからないよ、小嶋くんの言ってる意味が。昨日の私も今の私も同じ、でしょう?
私は見つめられるほど戸惑いがどんどん大きくなって狼狽えるのに、小嶋くんは一切揺るぎなく真剣に私と向き合っている。私が違っているんだと訴えているようだけれど、本当に自分では昨日の笑い方なんて覚えてないから。困り果てた私を見兼ねて小嶋くんは人差し指を引っ込め、その違いについて明らかにしてくれる。
「和田さん、無理に笑顔作ってるでしょう?」
「えっ……」
「昨日は楽しそうに笑ってたのに、今は笑ってるけど引きつってるよ? 笑顔の裏が悲しそうに見える」
そう言われてみて考えるけれど、無理に笑う意識を自分ではしていなかった、と思う。でもさっき小嶋くんの親切に対して、心からの笑顔にはなれなかった自覚はあった。なんとなく私のせいで相手に迷惑をかける気持ちがあると、自然とそうゆう笑顔になってしまうのかもしれない。素直に感謝するだけでいいって事なんだろうけれど……。頭か心の中か、どこかで私の代わりに犠牲になってくれていると思う気持ちが拭えないというか……。どうしよう、答えがまとまらなくてうまく言葉では言い表せない。
私が考えれば考えるほど唇をぎゅっと閉じるしかできないでいると、小嶋くんが優しい声で話しかけた。
「和田さん、以前はもっと心から幸せそうに笑えてたのに……」
「え……?」
小嶋くん、前から私のこと知ってたの?
幸せそうに笑ってたって……私を、見てた?
胸の中が少しザワザワして落ち着かなくなってしまう。でも私のこの些細な気も小嶋くんはきっと感じ取っているんだろう。まるで心を読まれているかのようだし、私より私の変化に気づいていると思う。それを……私が知りたい。
小嶋くんは心を開いて話をしてくれるから、私も難しく考えないで心の思うままに……してみたい、と考え方が変わった。
「僕ずっと前から和田さんのこと知ってるんだよ」
「えっと、何かクラス以外で一緒になった時あったっけ?」
「特Aの和田帆香っていったら知らない人いないんじゃない? 有名だよ」
「それって……どんなふうな理由で有名なのかな?」
それは私が一番知りたい事かもしれない。クラスの男子には反感を買ってるような気がするし。意地悪したことなんて誰にもないのに、嫌われてる気がしてならない。陰口のようなカタチで私がターゲットになったのではないか、と予想している男子グループでの内容も、小嶋くんなら知っているだろうと思って聞いてみた。
「それはね……」
「う、うん……」
「頭が良くて努力家だよねって」
「へ?」
身構えていたぶん気が抜けてしまった。ずいぶん間抜けな声を出してポカンと口を開けたまま傾げた首は元に戻らない。そんな私の傾いた顔に合わせて小嶋くんも同じようにすると、真面目な顔で話の続きをする。
「それに気立てが良くて朗らかでしょう、誰にでも優しい」
「っ、そっ、そう?」
私が悪い噂ではなく誉められた事に拍子抜けした、ねじ曲がっている考えはおかしいのだと、小嶋くんにつられてズレた首を元に戻す。
「自分ではわからないものかなぁ。だから無意識に作り笑いみたいになっちゃうのかぁ。うーん、僕はね、和田さんがいつも笑顔で頑張ってるの素敵だなって思ってたんだ」
「っ!」
……素敵、とか。簡単に言ってくれるけど、その好意的な発言をどんな意味あいで受け取っていいものか迷う。女子ではないし、小嶋くんは異性なわけで……。
「和田さんの笑顔見てると元気になれるからさ、僕も頑張る力が湧いてくるし。あ、皆も! 嬉しかったり可愛いなって思ってるはずだよ? へへっ」
「うっ……」
凄いことを言われた気がするけど、本人はヘラヘラしてるので軽い気持ちなのかと留めておく。でも、やっぱり気になってしまう。
可愛いって……小嶋くんも思ってくれてるの?
「和田さんの笑顔って幸福感が溢れてて、見た人もおんなじような気持ちにさせるんだよなぁと思ってね。だから僕、和田さんの真似していつも笑顔を心掛けるようにしてるんだ。ひとりでもその人の嫌な気持ちを癒してあげれたらいいよねぇ、前向きになる手助けができたみたいでさ。……あれ? 和田さん、顔赤いよ?」
「っ、そんな事ないよ!?」
次から次に歯の浮くような言葉をかけられて火照ってきてしまった。慌てて頬を押さえ誤魔化すもどうにもできないくらい、恥ずかしさが爆発しちゃったみたい。もう小嶋くんと目を合わせるのも恥ずかしい、けど、平常心を保って普通の素振りを試みる。でも余計に露呈させてしまう結果になったようだ。
小嶋くんが私を試すようにじっと見つめるから。目を合わせてみるけれど……すぐ視線を逸らして逃げる。それを何回か繰り返していたら、小嶋くんが「ふはっ」と堪えられずに笑い出しスマイル王子に戻った。
「和田さんて、照れ屋さんでもあるんだね」
私を覗き込むようにして伝え目元を垂れ下げる。そんな嬉しそうな顔見ちゃったら……私、もう、限界!
「もう見ないで、お願いだからっ」
私は顔を両手で隠して机に伏せた。我慢が切れると溜まっていた熱が噴火するみたいに頭まで上ってきて、体中から蒸気が出ているんじゃないかと思うくらい暑くなる。
「恥ずかしくなっちゃったの? ねぇねぇ?」
自分の感情と戦っているのに、小嶋くんが面白がって私を揶揄う。右から左から声が届いて、隠れた私を小嶋くんが覗こうとしているようだ。そう思うと恥ずかしい熱量とは別に、熱せられた渦巻く塊が込み上げてきた。幼稚な悪ふざけに怒りがボンッと沸いたのだ。勢いに任せて体を起こすと心に感じたままに反論した。
「小嶋くんのせいだよっ、私のこと過大評価するから。あんまり煽てないで!」
「僕は本当のことしか言ってないよ?」
「それじゃあ、まるでっ、こっこっこくはっ……」
「あはははっ、和田さんタコになってるよ」
照れと怒りと二つの熱源によって真っ赤にゆで上がった私の顔を見て、ケラケラ小嶋くんが笑うので、さらに私の導火線にも火が着いた。
「酷い! もう揶揄わないでっ、帰って!」
「嫌だよ、一緒に帰ろ? 和田さんでも怒ったりするんだね?」
「当然でしょ!」
「それでいいよ。怒りたい時は怒っていいし、泣きたい時は泣いていい。その方が人間らしくて魅力的だよ」
「っ…………」
そんなふうに言われたら自分でもおかしいくらい、沸々とした気持ちがぴたりと落ち着いた。小嶋くんと話していると調子が狂う。それによくよく考えてみると、怒るのは当然だと言っておきながら、声を荒げた事など今まで無かった気がする。しかも男子に向かって口論するような攻撃的な話し方をした経験は記憶にない。
冷静になって自分を省みる事ができて気づいた。初めて悪い口の利き方をした、謝罪して反省するべき。それで間違いないはずなのに……怒っていいって、それでいいよって……まるで私のどんな姿も厭わないと、全肯定されたような安心を今感じている。小嶋くんの優しい笑顔がそう伝えてくれているように見えるのだ。
本当に不思議な人……明朗快活、天真爛漫、そんな様子が少年みたいに思える時もあれば、心が広く包容力があって歳上の大人びた印象を受ける時もある。こうして面と向かう容姿はごく普通の男子と変わりない、背格好も私に比べたら高くて大きいし華奢だけど肩幅もある。手も大きくゴツゴツと骨張って如何にも男の人らしい。それでいて屈託のない笑った顔は王子様のように輝いているのだから、余裕に見えるのは必然的だと思った。小嶋くんの性格や人柄など内面も加えれば非の打ち所がない。
私は……小嶋くんに調子を狂わされてるんじゃなくて、たぶん、救われているんだと素直に小嶋くんの存在を受け入れることにしたのだった。
それから2週間後の日曜日。午前10時からお昼休憩を挟んで午後まで募金活動が行われた。学校行事の一環として毎年4月の新年度最初の生徒活動になる。この国際協力部主導の募金は集めた寄付金が高額になるため、福祉団体から感謝状を毎回賜っている。私は生徒会会計を務めた経験から、社会貢献に重要な活動だと認識していた。当日は予備校の授業が朝からあったが、クラスの代表でもあるのでボランティアを優先。欠席して授業不足になるぶん前夜遅くまで学習していたら寝不足気味になってしまった。時に気合いが空回りして要領が悪いのだけれど、募金は大きな声を出して呼びかけに励んだ。高校の最寄駅で執り行われた活動は予定より早く終了となり、集まったボランティアは現地解散になった。私はその足で予備校へ向かう。この後は夕方から補習が入っているので気を抜けない。駅の外ロータリーを一人で歩いていると、急にクラッと軽い目眩がして頭がフワフワと平衡感覚を失うような状態になった。疲労を意識した途端に注意力が散漫になったのだろう、行き先に落ちていたゴミに気づかず踏んでからハッとした。
「あっ!」
グシャッとペットボトルを潰した音がして、グラついた足元は正常な歩幅を保てなかった。上半身までもが地面に向かって崩れていって―――転んじゃう!?
「わぁ、っ、えっ!?」
「……大丈夫?」
真横から私のウエストを伸ばした腕で支えてくれた男子がいた。男子の声だ。転びかけた私を起こしてちゃんと立たせてくれた男子が、驚いた私を覗き込んでまた声をかける。
「大丈夫? 和田さん?」
「小嶋くん!? あ、ありがとう、助けてくれて」
「ギリギリセーフだったね! あ、ボランティアは間に合わなかったからアウトだ。ごめんね、約束してたのに」
「い、いいよ、全然っ。予定より早く終わったの、今日は暑かったから」
私が両手を胸の前で横に素早く振り、なんともないというジェスチャーで小嶋くんに悪気を与えないようにする。でも太陽の光がジワジワと熱を浴びせてくるので、危ないと焦った事やドキッとした緊張の心拍も合わさり首筋を汗が流れていった。
「暑いのに頑張ったんだね……お疲れ様」
「っ!?」
小嶋くんの手が私に向かって伸びてきて、その手の甲を私の首元にそっとあてた。汗を……私の汗を自ら吸収して労ったのだ。ひやりと背筋までも伸びるくらい凍ったみたいに硬直する。
こんなこと……普通のクラスメイトはしないんじゃない……?
「このあとは和田さんどうするの?」
「えっ、あっ、夕方から予備校があって、早いけどもう向かってあっちで自習しようかと……」
私はまだ戸惑っている最中だったのに、小嶋くんはあっさりした様子で今後の予定を聞いてきた。そして私の返答にニッコリと笑って言う。
「じゃあその前に、アイス食べに行かない?」
「アイス!?」
「うん! 暑かったでしょう? 夕方までまだ時間あるから、アイスでも食べながら一息つこうよ!」
「い、一緒に?」
「もちろん! 僕、アイス好きなんだよね~。行こ?」
「あ、う、うん……」
小嶋くんが指をさした方向へ二人して歩き出してすぐに、動揺も相まって焦ったからか、今度はなんにもないのに躓いてよろけた。
「わっ……」
「……おっと」
またまた咄嗟に突き出した小嶋くんの腕のガードが、私の目の前に踏切みたいに現れて転倒を防ごうとしてくれた。今回は両手でバランスをとり足の踏ん張りが効いたのだけれど―――!?
「っ、小嶋くん!?」
「もう危なかっしくて心配だからさ、こうして歩こ、ね?」
……手を、繋いだまま!?
よろけた時に空中を泳がせた私の手を小嶋くんが捕まえてぎゅっとした。私がびっくりしていると小嶋くんは手を引いて歩き始めてしまって……。もたもたする足を置いてけぼりにしないよう慌ててくっついて行く。本当に私の手をはなさないで……まるでこれじゃ……あれ?
小嶋くんの手の感触に覚えがある、気がした。少しひやっとする体温、私の手を優しく包むように握る大きな手―――あの時だ!
「小嶋くん!? 卒業式の日、階段で私に目隠ししたの小嶋くんなの!?」
「………バレた? あははっ」
私が早足で小嶋くんの隣に並んで尋ねると、私の顔をじっと見たあと、いたずらっ子みたいに笑った。
「な、なんであんな事したの!?」
「ん~、見ない方がいい場面だと思ったから? それとも見たかった?」
「っ、それは……前者に同意する。でもなんであそこに小嶋くんは居たの!?」
「それはなんでかって……そうだね、運命ってやつだよ」
私が問い詰めると小嶋くんは澄ました横顔で哲学的な事を言った。いたずら少年から大人の男性に変身したようだ。
運命……偶然の産物、みたいな意味かな?
それであんな事を……?
「だからっ、あの時、僕と恋をしようって言ったの?」
「ドキドキしたでしょう? だって帆香ちゃん、肩がビクンビクンしてたもんね」
「っ、またそうやって揶揄う!」
大人っぽいと感じたのにまた幼稚な態度を取られて、恥ずかしかった記憶を思い出した。一歩二歩速度が緩み小嶋くんとの距離が開くと、グイッと繋いだ手を引っ張り上げて戻される。小嶋くんは腕をしめて肩のところで握った手を留めると、私をはなさないで近くに寄越したまま話し始めた。
「ごめん、揶揄ってるつもりはないんだ。前から素敵だなと思ってて、帆香ちゃんと恋がしたいと思ったのは本当だよ。帆香ちゃんに好きな人がいたとしても、それを伝えないで離ればなれになって、後悔したくなかったんだ。でも、絶対に僕と恋をしてほしいってわけじゃないからね?」
「私の好きな人? ん? 好きにならなくても、恋しなくてもいい、ってこと?」
小嶋くんの言っている事が私の的を射ていなかったので聞き返してしまった。
「だってさ、人の気持ちや感情は強要できるものじゃないでしょ? ましてや恋愛感情は誰かが勝手に操作できない。自覚するものでしょう? だから無理になんてお願いできないし、嫌だったら嫌って言って?」
恋をしたくない、わけではない。それに、小嶋くんが嫌いなわけではない。でもこれから大学受験に本腰を入れないといけない。これらを上手に調合することは要領の悪い私にとって難しい事だろう、と小嶋くんはわかってて私に押しつけようとしない提案をしているみたいだ。
「嫌じゃないよ、小嶋くんにはいつも優しくしてもらって助かってる。でもね……私ね……恋する気持ちはなんとなくわかるんだけど、どうしたら恋の自覚ができるのか、過程がよくわからない、わかる?」
小嶋くんの好意に真摯に答えようとした結果、逆に疑問を投げかけてしまった。
「あー、わかる、違った、わかんない」
「……あは、どっち?」
小嶋くんが上目遣いで考えて教えてくれた答えも曖昧なものだった。思わずおかしくなって目を細めたが、次に見た小嶋くんの顔はとても満足気な表情をしていた。
「さっき帆香ちゃんが助かってるって言ってくれたけど、僕は頑張ってる帆香ちゃんの手助けがしたいんだ。困ってたら頼ってほしい。僕を帆香ちゃんが必要としてくれたら嬉しいよ。そんな関係を続けてみたあとで、恋をした結果がわかるんじゃないかな?」
「そっか、想定の考えじゃ今はまだわからないね。それに恋の仕方は一概には言えないものだし」
「うん、先のことはわからないから……今を大事にしようね?」
「そうだね、じゃあ今は……仲良しの友達って間柄かな?」
感じたままにこの関係性を表現してみたが返事はなく、不思議に思って小嶋くんの顔を見上げてみると、凄く不貞腐れた顔をして私を見ていた。そして口を尖らせたままボソボソと言う。
「……帆香ちゃんは仲良しなら男子とも手を繋ぐの?」
「えっ? あれ? 小学生まではしてたような……? よく覚えてなくて」
「っ……もう僕達、小学生じゃないよ?」
「う、うん。でも何か昔に……あれ? やっぱりわかんないや」
私が意図的ではないにしろトボケていたら、繋いだ手をぎゅうっと強く握られた。
「じゃあ、もうずうっとはなさない。今日の事は忘れないようにね」
「っ、忘れないから、あのっ、あんまりくっついて歩いてると勘違いされないかな?」
制服でしかも高校の最寄駅で私達が手を繋いで歩いていたら、日曜だとしても誰かに目撃されたりする可能性があると心配したのだけれど。
「大丈夫。みんな僕達のことは目に入らないよ」
「なん……あー、スマホしか見てないね。でも小嶋くん、あの」
「優希、優希って下の名前で呼んで? 僕も帆香ちゃんって呼んでるから」
「ゆ、優希くん! ちょっとくっつきすぎだと……? なんで喜んでるの?」
手だけではなくて腕も挟まれているから、密着している部分がだんだん汗ばんできて気になる。もう転んだりしないと思うから、そんなにガッチリ支えてくれなくても……と私は言いたかったけれど、小嶋くんがあまりにニコニコするので断れない。
本当にずっとはなしてくれなかったら困っちゃうな、と苦笑いを返してふと肝心な事を思い出した。
そうだ!
まるでこれじゃ……恋人同士みたい、って思いかけて後回しにしてた!
この状況にどんどん汗が出てきそうだ。目がキョロキョロと落ち着きなく、小嶋くんを見たり外したりと忙しい。
「アイス何味にしようかな~? 大きいのを半分こして食べてもいいし、別々のを半分こしてもいいよね~」
「……どっちにしても、半分こする前提なんだね」
「その方が美味しいよ、きっと。だって僕達仲良しだからね~? 帆香ちゃん、顔赤いけどまだ暑いの?」
小嶋くんが顔を近づけて聞いてくるので左右に強く首を振って、それで心の中でめいっぱい叫んだ。
違うよ……凄く恥ずかしいんだよ!?
たぶん、これからアイスを食べ終わるまで私達、とても仲良しに見える高校生なんだろうと気が気でなかった。
ガタン。
前の席のイスに後向きに跨って座ってきた男子の制服が目に写り、私は突然の事にビクッとして驚いた。顔を上げて誰なのかと確かめてみる。
「びっくりしたぁ。小嶋くん、まだ残ってたの?」
「うん、和田さんが頑張ってると思って戻ってきた」
「わざわざ?」
「うん、僕は委員長補佐だから。和田さんを手伝うのが僕の仕事なんだよ」
そう言って目の前で笑顔の花を咲かせる。嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちになってしまって……小嶋くんのように心からニッコリとできなかった。
「でも、もうすぐ終わるから、帰っても大丈夫だよ?」
「そっか、じゃあ……終わるまでここに居てもいい?」
「い、いいけど……忙しくないの? 模試近いから皆は自習室で勉強したり予備校に行ったりしてると思うけど……」
「平気、僕の進む道はもう決まってるから。準備もできてるしあとは前進あるのみなんだ」
そう言ってスマイル王子はとびきりの笑顔になる。自信たっぷりで何の迷いもなく表現された喜びの顔だ。受験生なら当然悩んだり気疲れしたりして、表情が暗かったり笑顔にも影があったりするのが普通じゃないかと思うけれど。私にはその笑顔が眩しいくらい、小嶋くんの方こそ一番余裕があるように見えた。
「凄いね……」
思わず余裕綽々のスマイル王子に嫌味っぽく返してしまう。でもそんなのもお構い無しに小嶋くんはまだ親切に振る舞うのだ。
「募金のボランティアも遅れちゃうけど絶対行くからね」
「え? 用事があるなら無理に来なくても……」
「代表として引き受けるのは難しかったんだ。和田さん困ってたのに力になれなくてごめん。でも少しでも和田さんと一緒に頑張りたいなって。だから無理じゃないよ」
「でも……!」
あ、笑顔が……。
小嶋くんの笑顔がすうっと消えていった。そして次第に悲しそうな顔になり私を見つめる。初めて見るその顔に私は動揺した。
私のせい……かな。私が小嶋くんの親切を断ろうとしたから気を悪くしちゃった?
ずっとニコニコして話しかけてくれた小嶋くんの悲愴な表情は痛々しいくらいで、その原因が私だと思うとどう取り繕っていいのか焦った。
「あっ、えっと、ごめ―――っ!?」
小嶋くんが真顔で私に向けて手を伸ばしてきて不意を突かれ驚く。人差し指でどこかを指しそうに突き出してる、と見えた次の瞬間!!
「なっ!?」
「―――笑って?」
そう言って首を傾げる小嶋くんの人差し指は、私のほっぺをツンツンと優しく突いている。驚きのあまり呆然として自失気味の私へ、お願いするような視線を外してくれない。
なんだか、凄く……恥ずかしい!
「あ、あのっ……」
「昨日みたいに笑ってくれないの?」
「き、昨日?」
そんな唐突に笑ってなんて……わからないよ、小嶋くんの言ってる意味が。昨日の私も今の私も同じ、でしょう?
私は見つめられるほど戸惑いがどんどん大きくなって狼狽えるのに、小嶋くんは一切揺るぎなく真剣に私と向き合っている。私が違っているんだと訴えているようだけれど、本当に自分では昨日の笑い方なんて覚えてないから。困り果てた私を見兼ねて小嶋くんは人差し指を引っ込め、その違いについて明らかにしてくれる。
「和田さん、無理に笑顔作ってるでしょう?」
「えっ……」
「昨日は楽しそうに笑ってたのに、今は笑ってるけど引きつってるよ? 笑顔の裏が悲しそうに見える」
そう言われてみて考えるけれど、無理に笑う意識を自分ではしていなかった、と思う。でもさっき小嶋くんの親切に対して、心からの笑顔にはなれなかった自覚はあった。なんとなく私のせいで相手に迷惑をかける気持ちがあると、自然とそうゆう笑顔になってしまうのかもしれない。素直に感謝するだけでいいって事なんだろうけれど……。頭か心の中か、どこかで私の代わりに犠牲になってくれていると思う気持ちが拭えないというか……。どうしよう、答えがまとまらなくてうまく言葉では言い表せない。
私が考えれば考えるほど唇をぎゅっと閉じるしかできないでいると、小嶋くんが優しい声で話しかけた。
「和田さん、以前はもっと心から幸せそうに笑えてたのに……」
「え……?」
小嶋くん、前から私のこと知ってたの?
幸せそうに笑ってたって……私を、見てた?
胸の中が少しザワザワして落ち着かなくなってしまう。でも私のこの些細な気も小嶋くんはきっと感じ取っているんだろう。まるで心を読まれているかのようだし、私より私の変化に気づいていると思う。それを……私が知りたい。
小嶋くんは心を開いて話をしてくれるから、私も難しく考えないで心の思うままに……してみたい、と考え方が変わった。
「僕ずっと前から和田さんのこと知ってるんだよ」
「えっと、何かクラス以外で一緒になった時あったっけ?」
「特Aの和田帆香っていったら知らない人いないんじゃない? 有名だよ」
「それって……どんなふうな理由で有名なのかな?」
それは私が一番知りたい事かもしれない。クラスの男子には反感を買ってるような気がするし。意地悪したことなんて誰にもないのに、嫌われてる気がしてならない。陰口のようなカタチで私がターゲットになったのではないか、と予想している男子グループでの内容も、小嶋くんなら知っているだろうと思って聞いてみた。
「それはね……」
「う、うん……」
「頭が良くて努力家だよねって」
「へ?」
身構えていたぶん気が抜けてしまった。ずいぶん間抜けな声を出してポカンと口を開けたまま傾げた首は元に戻らない。そんな私の傾いた顔に合わせて小嶋くんも同じようにすると、真面目な顔で話の続きをする。
「それに気立てが良くて朗らかでしょう、誰にでも優しい」
「っ、そっ、そう?」
私が悪い噂ではなく誉められた事に拍子抜けした、ねじ曲がっている考えはおかしいのだと、小嶋くんにつられてズレた首を元に戻す。
「自分ではわからないものかなぁ。だから無意識に作り笑いみたいになっちゃうのかぁ。うーん、僕はね、和田さんがいつも笑顔で頑張ってるの素敵だなって思ってたんだ」
「っ!」
……素敵、とか。簡単に言ってくれるけど、その好意的な発言をどんな意味あいで受け取っていいものか迷う。女子ではないし、小嶋くんは異性なわけで……。
「和田さんの笑顔見てると元気になれるからさ、僕も頑張る力が湧いてくるし。あ、皆も! 嬉しかったり可愛いなって思ってるはずだよ? へへっ」
「うっ……」
凄いことを言われた気がするけど、本人はヘラヘラしてるので軽い気持ちなのかと留めておく。でも、やっぱり気になってしまう。
可愛いって……小嶋くんも思ってくれてるの?
「和田さんの笑顔って幸福感が溢れてて、見た人もおんなじような気持ちにさせるんだよなぁと思ってね。だから僕、和田さんの真似していつも笑顔を心掛けるようにしてるんだ。ひとりでもその人の嫌な気持ちを癒してあげれたらいいよねぇ、前向きになる手助けができたみたいでさ。……あれ? 和田さん、顔赤いよ?」
「っ、そんな事ないよ!?」
次から次に歯の浮くような言葉をかけられて火照ってきてしまった。慌てて頬を押さえ誤魔化すもどうにもできないくらい、恥ずかしさが爆発しちゃったみたい。もう小嶋くんと目を合わせるのも恥ずかしい、けど、平常心を保って普通の素振りを試みる。でも余計に露呈させてしまう結果になったようだ。
小嶋くんが私を試すようにじっと見つめるから。目を合わせてみるけれど……すぐ視線を逸らして逃げる。それを何回か繰り返していたら、小嶋くんが「ふはっ」と堪えられずに笑い出しスマイル王子に戻った。
「和田さんて、照れ屋さんでもあるんだね」
私を覗き込むようにして伝え目元を垂れ下げる。そんな嬉しそうな顔見ちゃったら……私、もう、限界!
「もう見ないで、お願いだからっ」
私は顔を両手で隠して机に伏せた。我慢が切れると溜まっていた熱が噴火するみたいに頭まで上ってきて、体中から蒸気が出ているんじゃないかと思うくらい暑くなる。
「恥ずかしくなっちゃったの? ねぇねぇ?」
自分の感情と戦っているのに、小嶋くんが面白がって私を揶揄う。右から左から声が届いて、隠れた私を小嶋くんが覗こうとしているようだ。そう思うと恥ずかしい熱量とは別に、熱せられた渦巻く塊が込み上げてきた。幼稚な悪ふざけに怒りがボンッと沸いたのだ。勢いに任せて体を起こすと心に感じたままに反論した。
「小嶋くんのせいだよっ、私のこと過大評価するから。あんまり煽てないで!」
「僕は本当のことしか言ってないよ?」
「それじゃあ、まるでっ、こっこっこくはっ……」
「あはははっ、和田さんタコになってるよ」
照れと怒りと二つの熱源によって真っ赤にゆで上がった私の顔を見て、ケラケラ小嶋くんが笑うので、さらに私の導火線にも火が着いた。
「酷い! もう揶揄わないでっ、帰って!」
「嫌だよ、一緒に帰ろ? 和田さんでも怒ったりするんだね?」
「当然でしょ!」
「それでいいよ。怒りたい時は怒っていいし、泣きたい時は泣いていい。その方が人間らしくて魅力的だよ」
「っ…………」
そんなふうに言われたら自分でもおかしいくらい、沸々とした気持ちがぴたりと落ち着いた。小嶋くんと話していると調子が狂う。それによくよく考えてみると、怒るのは当然だと言っておきながら、声を荒げた事など今まで無かった気がする。しかも男子に向かって口論するような攻撃的な話し方をした経験は記憶にない。
冷静になって自分を省みる事ができて気づいた。初めて悪い口の利き方をした、謝罪して反省するべき。それで間違いないはずなのに……怒っていいって、それでいいよって……まるで私のどんな姿も厭わないと、全肯定されたような安心を今感じている。小嶋くんの優しい笑顔がそう伝えてくれているように見えるのだ。
本当に不思議な人……明朗快活、天真爛漫、そんな様子が少年みたいに思える時もあれば、心が広く包容力があって歳上の大人びた印象を受ける時もある。こうして面と向かう容姿はごく普通の男子と変わりない、背格好も私に比べたら高くて大きいし華奢だけど肩幅もある。手も大きくゴツゴツと骨張って如何にも男の人らしい。それでいて屈託のない笑った顔は王子様のように輝いているのだから、余裕に見えるのは必然的だと思った。小嶋くんの性格や人柄など内面も加えれば非の打ち所がない。
私は……小嶋くんに調子を狂わされてるんじゃなくて、たぶん、救われているんだと素直に小嶋くんの存在を受け入れることにしたのだった。
それから2週間後の日曜日。午前10時からお昼休憩を挟んで午後まで募金活動が行われた。学校行事の一環として毎年4月の新年度最初の生徒活動になる。この国際協力部主導の募金は集めた寄付金が高額になるため、福祉団体から感謝状を毎回賜っている。私は生徒会会計を務めた経験から、社会貢献に重要な活動だと認識していた。当日は予備校の授業が朝からあったが、クラスの代表でもあるのでボランティアを優先。欠席して授業不足になるぶん前夜遅くまで学習していたら寝不足気味になってしまった。時に気合いが空回りして要領が悪いのだけれど、募金は大きな声を出して呼びかけに励んだ。高校の最寄駅で執り行われた活動は予定より早く終了となり、集まったボランティアは現地解散になった。私はその足で予備校へ向かう。この後は夕方から補習が入っているので気を抜けない。駅の外ロータリーを一人で歩いていると、急にクラッと軽い目眩がして頭がフワフワと平衡感覚を失うような状態になった。疲労を意識した途端に注意力が散漫になったのだろう、行き先に落ちていたゴミに気づかず踏んでからハッとした。
「あっ!」
グシャッとペットボトルを潰した音がして、グラついた足元は正常な歩幅を保てなかった。上半身までもが地面に向かって崩れていって―――転んじゃう!?
「わぁ、っ、えっ!?」
「……大丈夫?」
真横から私のウエストを伸ばした腕で支えてくれた男子がいた。男子の声だ。転びかけた私を起こしてちゃんと立たせてくれた男子が、驚いた私を覗き込んでまた声をかける。
「大丈夫? 和田さん?」
「小嶋くん!? あ、ありがとう、助けてくれて」
「ギリギリセーフだったね! あ、ボランティアは間に合わなかったからアウトだ。ごめんね、約束してたのに」
「い、いいよ、全然っ。予定より早く終わったの、今日は暑かったから」
私が両手を胸の前で横に素早く振り、なんともないというジェスチャーで小嶋くんに悪気を与えないようにする。でも太陽の光がジワジワと熱を浴びせてくるので、危ないと焦った事やドキッとした緊張の心拍も合わさり首筋を汗が流れていった。
「暑いのに頑張ったんだね……お疲れ様」
「っ!?」
小嶋くんの手が私に向かって伸びてきて、その手の甲を私の首元にそっとあてた。汗を……私の汗を自ら吸収して労ったのだ。ひやりと背筋までも伸びるくらい凍ったみたいに硬直する。
こんなこと……普通のクラスメイトはしないんじゃない……?
「このあとは和田さんどうするの?」
「えっ、あっ、夕方から予備校があって、早いけどもう向かってあっちで自習しようかと……」
私はまだ戸惑っている最中だったのに、小嶋くんはあっさりした様子で今後の予定を聞いてきた。そして私の返答にニッコリと笑って言う。
「じゃあその前に、アイス食べに行かない?」
「アイス!?」
「うん! 暑かったでしょう? 夕方までまだ時間あるから、アイスでも食べながら一息つこうよ!」
「い、一緒に?」
「もちろん! 僕、アイス好きなんだよね~。行こ?」
「あ、う、うん……」
小嶋くんが指をさした方向へ二人して歩き出してすぐに、動揺も相まって焦ったからか、今度はなんにもないのに躓いてよろけた。
「わっ……」
「……おっと」
またまた咄嗟に突き出した小嶋くんの腕のガードが、私の目の前に踏切みたいに現れて転倒を防ごうとしてくれた。今回は両手でバランスをとり足の踏ん張りが効いたのだけれど―――!?
「っ、小嶋くん!?」
「もう危なかっしくて心配だからさ、こうして歩こ、ね?」
……手を、繋いだまま!?
よろけた時に空中を泳がせた私の手を小嶋くんが捕まえてぎゅっとした。私がびっくりしていると小嶋くんは手を引いて歩き始めてしまって……。もたもたする足を置いてけぼりにしないよう慌ててくっついて行く。本当に私の手をはなさないで……まるでこれじゃ……あれ?
小嶋くんの手の感触に覚えがある、気がした。少しひやっとする体温、私の手を優しく包むように握る大きな手―――あの時だ!
「小嶋くん!? 卒業式の日、階段で私に目隠ししたの小嶋くんなの!?」
「………バレた? あははっ」
私が早足で小嶋くんの隣に並んで尋ねると、私の顔をじっと見たあと、いたずらっ子みたいに笑った。
「な、なんであんな事したの!?」
「ん~、見ない方がいい場面だと思ったから? それとも見たかった?」
「っ、それは……前者に同意する。でもなんであそこに小嶋くんは居たの!?」
「それはなんでかって……そうだね、運命ってやつだよ」
私が問い詰めると小嶋くんは澄ました横顔で哲学的な事を言った。いたずら少年から大人の男性に変身したようだ。
運命……偶然の産物、みたいな意味かな?
それであんな事を……?
「だからっ、あの時、僕と恋をしようって言ったの?」
「ドキドキしたでしょう? だって帆香ちゃん、肩がビクンビクンしてたもんね」
「っ、またそうやって揶揄う!」
大人っぽいと感じたのにまた幼稚な態度を取られて、恥ずかしかった記憶を思い出した。一歩二歩速度が緩み小嶋くんとの距離が開くと、グイッと繋いだ手を引っ張り上げて戻される。小嶋くんは腕をしめて肩のところで握った手を留めると、私をはなさないで近くに寄越したまま話し始めた。
「ごめん、揶揄ってるつもりはないんだ。前から素敵だなと思ってて、帆香ちゃんと恋がしたいと思ったのは本当だよ。帆香ちゃんに好きな人がいたとしても、それを伝えないで離ればなれになって、後悔したくなかったんだ。でも、絶対に僕と恋をしてほしいってわけじゃないからね?」
「私の好きな人? ん? 好きにならなくても、恋しなくてもいい、ってこと?」
小嶋くんの言っている事が私の的を射ていなかったので聞き返してしまった。
「だってさ、人の気持ちや感情は強要できるものじゃないでしょ? ましてや恋愛感情は誰かが勝手に操作できない。自覚するものでしょう? だから無理になんてお願いできないし、嫌だったら嫌って言って?」
恋をしたくない、わけではない。それに、小嶋くんが嫌いなわけではない。でもこれから大学受験に本腰を入れないといけない。これらを上手に調合することは要領の悪い私にとって難しい事だろう、と小嶋くんはわかってて私に押しつけようとしない提案をしているみたいだ。
「嫌じゃないよ、小嶋くんにはいつも優しくしてもらって助かってる。でもね……私ね……恋する気持ちはなんとなくわかるんだけど、どうしたら恋の自覚ができるのか、過程がよくわからない、わかる?」
小嶋くんの好意に真摯に答えようとした結果、逆に疑問を投げかけてしまった。
「あー、わかる、違った、わかんない」
「……あは、どっち?」
小嶋くんが上目遣いで考えて教えてくれた答えも曖昧なものだった。思わずおかしくなって目を細めたが、次に見た小嶋くんの顔はとても満足気な表情をしていた。
「さっき帆香ちゃんが助かってるって言ってくれたけど、僕は頑張ってる帆香ちゃんの手助けがしたいんだ。困ってたら頼ってほしい。僕を帆香ちゃんが必要としてくれたら嬉しいよ。そんな関係を続けてみたあとで、恋をした結果がわかるんじゃないかな?」
「そっか、想定の考えじゃ今はまだわからないね。それに恋の仕方は一概には言えないものだし」
「うん、先のことはわからないから……今を大事にしようね?」
「そうだね、じゃあ今は……仲良しの友達って間柄かな?」
感じたままにこの関係性を表現してみたが返事はなく、不思議に思って小嶋くんの顔を見上げてみると、凄く不貞腐れた顔をして私を見ていた。そして口を尖らせたままボソボソと言う。
「……帆香ちゃんは仲良しなら男子とも手を繋ぐの?」
「えっ? あれ? 小学生まではしてたような……? よく覚えてなくて」
「っ……もう僕達、小学生じゃないよ?」
「う、うん。でも何か昔に……あれ? やっぱりわかんないや」
私が意図的ではないにしろトボケていたら、繋いだ手をぎゅうっと強く握られた。
「じゃあ、もうずうっとはなさない。今日の事は忘れないようにね」
「っ、忘れないから、あのっ、あんまりくっついて歩いてると勘違いされないかな?」
制服でしかも高校の最寄駅で私達が手を繋いで歩いていたら、日曜だとしても誰かに目撃されたりする可能性があると心配したのだけれど。
「大丈夫。みんな僕達のことは目に入らないよ」
「なん……あー、スマホしか見てないね。でも小嶋くん、あの」
「優希、優希って下の名前で呼んで? 僕も帆香ちゃんって呼んでるから」
「ゆ、優希くん! ちょっとくっつきすぎだと……? なんで喜んでるの?」
手だけではなくて腕も挟まれているから、密着している部分がだんだん汗ばんできて気になる。もう転んだりしないと思うから、そんなにガッチリ支えてくれなくても……と私は言いたかったけれど、小嶋くんがあまりにニコニコするので断れない。
本当にずっとはなしてくれなかったら困っちゃうな、と苦笑いを返してふと肝心な事を思い出した。
そうだ!
まるでこれじゃ……恋人同士みたい、って思いかけて後回しにしてた!
この状況にどんどん汗が出てきそうだ。目がキョロキョロと落ち着きなく、小嶋くんを見たり外したりと忙しい。
「アイス何味にしようかな~? 大きいのを半分こして食べてもいいし、別々のを半分こしてもいいよね~」
「……どっちにしても、半分こする前提なんだね」
「その方が美味しいよ、きっと。だって僕達仲良しだからね~? 帆香ちゃん、顔赤いけどまだ暑いの?」
小嶋くんが顔を近づけて聞いてくるので左右に強く首を振って、それで心の中でめいっぱい叫んだ。
違うよ……凄く恥ずかしいんだよ!?
たぶん、これからアイスを食べ終わるまで私達、とても仲良しに見える高校生なんだろうと気が気でなかった。



