春らしい柔らかな夕陽が窓からさしこむ3月9日。微かな桃色に褪せたオレンジとレモン色の光に教室は包まれている。まるで私の頬も胸の中までも夕陽に染まったみたいだ。顔は少し火照っている気がするし、胸は弾むように躍るようなリズムを打って息を熱くしている。でも、沸々とした気持ちの裏に、もうだいぶ前から寂しさと泣きたい気持ちをずっと隠し持っていたとも思う。
 調和しない気持ちのせいで私の心はざわざわとして落ち着かない。それに喉の奥は、夕陽色の甘酸っぱい果物でも食べたかのような刺激が今も残っている。
『椎名先輩! 卒業おめでとうございます!』
『ありがとう、和田さん』
『お世話になった御礼に花を用意したんですが、後で渡しに行ってもいいですか?』
『僕のために? そっか、わざわざありがとう。夕方まで生徒会室で打ち上げしてるから待ってるね』
『はい! 式の後片付けが終わったら行きます!』
 ―――さぁ!
 私は両手で包み思い深く見つめた花束を持って2―Aの教室から飛び出した。家から大事に抱え登校し自分の机にそっと置いておいた花束。椎名先輩がラッキーカラーだと言っていた青色の花とラッピングを頼んで買ったものだ。花屋の店員さんは忘れな草とカスミ草をアレンジして、片手で持てる小さめの花束を作ってくれた。水色の包みに青いリボンの仕上がり、そして自分で書いて花にさしこむピン付きのメッセージカードを添えて。
 忘れな草の花は中心が黄色で薄い青色の花弁が5枚開いた可憐な小花。真っ白なカスミ草と合わさると可愛らしく清楚で爽やかな雰囲気にまとまっていた。椎名先輩にきっと、似合うと思う。
 先輩と私は旧生徒会の会計役員で一年間の任期を共に遂げた。椎名先輩はいつも優しく接してくれるだけでなく頼もしい存在でもあった。同じ予備校に通っていたからよく声をかけてもらって、勉強を教えてくれたり相談にのってくれたり。いろいろとお世話になった、それに先輩の笑顔に何回励まされたか数え切れない……。
 椎名先輩との思い出を頭の隅でめくりながら、夕陽色の校舎の廊下を駆け抜けて、西校舎の4階にある生徒会室へ急ぐ。卒業式の賑やかで御祝一色だった校舎は、生徒がほとんど帰ってしまったために静寂さを取り戻していた。私の廊下を走る足音が、タッタッタと冷え始めた校舎に響き渡る。
「……はぁ、っ、はぁ、!」
 握りしめた花束の状態が気になって足を止めずに確認すると、青と白の小花たちはフワフワ揺れて[ 卒業おめでとうございます ]と書いたメッセージカードもしっかり花束の中におさまっていた。
 ドキッ、ドキッ、ドキッ。
 階段を一段上げる度に鼓動が強く打ちつけて、その大きな音に私の勇気は萎縮してしまいそうになる。3階の階段を上り始めた頃にはもう、自分の吐息と心臓の音しか聞こえないくらい緊張していた。
 あと3歩……2……1……着いた!
「はぁ、っ、ふぅ……」
 ついに4階へ到達して、廊下に出たら右に曲がれば一番奥に生徒会室が見え―――ドクンッ!!
 廊下に出る寸前のところで踏み入れた足を急いで戻した。そのまま、一点に視界が釘付けになって動けない。熱を帯びていた全身が一瞬にして冷め、頭の中は冷静に働いた。
 生徒会室の前の廊下に椎名先輩がいる。そして、その前には、元書記の青山先輩がいた。二人は向かい合って立ったまま、何か話をしているのだろうと思われた。たぶん……大事な話だ。 
 誰にも聞かれたくない、二人だけでしたい話。
 その雰囲気を私は一目で感じ取ったから、こうして廊下に自分の姿を出さないように、壁に隠れてひっそりと息も潜め微動だにしないでいる。なぜか、二人から目が離せなくて……見ていてはいけない気がするのに……見たくない気もするのに……どうしても視線を外せなかった。
 私が戸惑っている間、先輩達も同じようにギクシャクした様子をしていて、次第に、お互い顔がうつむいていく…………!
 青山先輩が自分の手で目元を拭った仕草をした。泣いている……青山先輩が涙を流すほど悲しい事を堪らえようとしている。そんなふうに見えて……私まで悲しく胸がきゅうっと締めつけられていった。二人の会話は聞こえないけれど、私が勝手に覗き見しているこの先輩達のシーンは、たぶんきっと……。
「―――!」
 椎名先輩がそっと青山先輩に片手を伸ばす……そして、青山先輩の頬にゆっくりその手を添えて……見つめてる、ずうっと。
 自分が真正面からそれをされているわけでもないのに、遠くから二人の横顔しか見えないのに、私は確信してしまった。
 私が花を見つめたように、きっと、椎名先輩はいつもの優しい顔で……思いを込めて青山先輩を見つめているんだ。
 あぁ、ラッキーカラーが青だと教えてくれた時、照れていたように感じたのは……椎名先輩が青山先輩を好きだから。
 椎名先輩が一番欲しいものは……
 私から渡される青い花なんかじゃなく……
 青山先輩なんだ。
 そっか。先輩達は、きっと……両思いだ。
 椎名先輩に卒業の贈り物をする勇気は沈み、手にしていた花束の行方を失ってぎゅっと握りしめた、その時。
「はっ―――!?」
 突然、目に何かが覆い被さってきた!
 ビクンッ、と体が震え上がるくらい驚いたと同時に息をのんだ!
 私の視界を遮っているのは誰かの手で、背後に知らない誰かがそこに居る、その気配も私はしっかり感じ取っている。ゾクゾクと背筋が凍る恐怖に悲鳴をあげなきゃ、と大きく息を吸って―――
「しぃーっ。静かに、ね?」
「っ!?」
 男の子(・・・)が私の耳元で囁いた。私に危害は加えないと、感じた恐怖を掻き消すような穏やかな声でそう言った。私の目は覆ったまま、それで顔を私の肩の上に近づけたままだ。私の視界は手のひらしか見えないけれど、確かに耳の側でまだその子を感じている。
 ドキンッ、ドキンッ。
 さっきより心臓の音が大きく鳴りだして、視界を遮る手を振り払うことも、後ろに振り返る事さえできない。見えないのに下手に動いたら、きっとこの男子に触れてしまう……。
 どうして、こんな事するの?
 一体誰なの?
 私がここに来ること知ってたの?
 待ち伏せしてた?
 頭の中は混乱して心の声も心臓もうるさい。とても静かではない私の内側から外に漏れないよう、黙ってじっと我慢する。でも、このままどうすればいいのかわからなくて硬直していると、次の声がまた耳元で囁かれた。
「見ちゃダメだよ……」
 ―――はっ!!
 手を、私の手を、触って……っ。
 花束を握っていた私の手の甲にひやっとした人肌の感触がした。優しく包むように、ゆっくりぴったりとくっついてきて、まるで手を繋いでいるようだ。背後の男子は片方の手で私の目を覆い、もう片方の手で私と一緒に花束を握っている!
 私が隠された手の裏で、目を見開いたまま戸惑っていると、男子はさらにこう続けて言う。
「もし、先輩達と同じように……してみたいと思うなら……」
 先輩達と同じ……?
 見つめあって、手で触れあって?
 私も……両思いのカップルがするようなこと、してみたいかって……。それ、ほぼ似たようなこと、今されてる気がする!
 誰かわからない男子との近距離のこの状況を意識してしまうと急に恥ずかしくなって、カァーっと血が上るように顔が熱くなった。それで、さっきから男子が私をおかしくさせる言葉を吹き込んでくる耳元が……一番熱くてソワソワ擽ったくてしようがない。そんな過敏になった部分を、まだ男子はイタズラに刺激してくる―――
「ねぇ……帆香(ほのか)ちゃん、僕と恋をしよう?」
 え―――?
 なん……で、私の名前を……え?
 女子以外で私を帆香ちゃんと呼ぶ男子なんて……一人もいない。
 それに、恋をしよう……って。
 私に対して……告白、なの?
 それとも、揶揄われてる?
 嫌悪感が生まれてこの男子を怪訝に思うと、催眠術で縛られていたように固かった体が、すうっと解き放たれ自由になる。暗かった目元に明かりがさして、拘束されていた手がゆるりとほどかれると……最後、耳元には悲しげな声でこう言い残された。
「―――僕を忘れないでね……」
「!?」
 明るさを取り戻した目はかすんでいて私は急いで瞬きを何回もして直す。それから、耳元に置きざりにされた言葉の意味を追いかけて、勢いよく後ろを振り返った―――。
 ……いない。
 階段を見渡しても誰もいない。そろりと覗き込むようにして、階段の上も下もよく確認してみたけれど……男子は見当たらないし人の気配もない。どこへ行ったのだろうと不思議に思いつつも、探す術がひとつも浮かばず……。夢うつつのようで何もできずに、ただぼーっと立ち尽くしてしまった。
 彼は一体……誰……だったのだろう?
 男子の正体は不明のまま、時間だけが過ぎてゆき私の居た場所は影に包まれていった。そして持っていた花束にもその影がかかっていて、きらめきを失ってしまったように見えた。先輩達の仲睦まじい姿を目撃したからだと思う。椎名先輩に花を贈る意義は、すでに私の中で薄れていたんだ。
 花束を後ろ手で背後に隠し、そっと廊下に少しだけ顔を出して生徒会室の前を確認した。そこにもう先輩達の姿はなくて、その瞬間、ほっと胸を撫で下ろしている自分がいた。そしてその後は……花束を……椎名先輩に渡さず持ち帰ることにした。そのまま教室に戻りカバンも手にして学校を出る。
 歩いて駅に向かいながら、椎名先輩に送るメッセージを考えた。スマホに打ち込んでは消してを繰り返し……。花束は潰れて渡せない事にして急用で帰宅する嘘を連ね、御祝いの言葉と謝罪文を完成させると、ちょうど駅に着く手前で椎名先輩へ送った。するとすぐに返信があり、そこには『ありがとう』の文字と感謝の言葉が綴られていて、最後まで優しい椎名先輩に変わりなかったと心がしんみりした。私はというと……ちゃんと御礼も祝福もできなくて、ちっとも誠実じゃなかったと嫌気が差し溜息が出た。そうして胸にチクリと痛みを刻み、卒業式は終わったのだ―――。

 3年生が卒業して別れの3月が過ぎ去ると、次は私達が進級し高校最後の1年をスタートさせた。4月、新しい教室、3ーA。青空が左側に広がる明るい窓際の席から黒板を見据え、白いチョークで書かれた自分の名前と正の数に緊張が走った。
 あー、決まっちゃった……。
「では、推薦投票の結果、クラス委員は和田帆香。よろしく頼むな」
 担任が黒板を背にして教壇で発表し私の方を見た。同時に教室からまばらな拍手がわき、私は座ったまま姿勢を正すと机に向かってお辞儀をする。グラスに注いだ弱炭酸のような、初めだけパチパチパチっと爽快な音を立てた拍手だった。とても清々しい気持ちとは言い難い……冷たくもなく生ぬるい喉越しの祝福を何も言わずにゴクンと飲み込んだ。
 クラス発表の始業式の後、学年集会にコース別集会があって進路指導主任から耳が痛い話をこれでもかと聞かされた。大学受験について、志望校提出、計画表作成、三者面談のお知らせ。3年生初日からやる事が山積みで少しも気が抜けない。もう皆の表情には疲労感がにじみ出ていて、新学年の喜びなど微塵もないように思う。私もおんなじだ。クラス委員にもなってしまって余計に重責が肩にのしかかった感じ―――!?
 ちょんちょん、と軽いタッチで背後から肩をたたかれた。はっとして呼ばれてる事に気づき後ろに振り向くと、男子が前のめりで私に近づいていた。少し驚いて肩をすくめ顔を確認すると知らない男子だったが、その表情から警戒心はすぐに解かれた。楽しそうにニコニコしていたからだ。そして明るい声で私に言った。
「よろしくね、和田さん。僕、小嶋優希(こじまゆうき)。委員長補佐になったんだ」
「えっ……?」
 補佐役なんてあったかなと元に向き直って黒板を見てみると、一番左端にちゃんと記されていた。[ 委員長補佐 小嶋優希 ]
 うっかりしていたみたいで私は急いで小嶋くんに振り返り挨拶をする。
「こちらこそ、よろしくね小嶋くん」
「うん」
 とても朗らかな人だ。初めて同じクラスになったけど、私が抱く男子の印象とは少し違う雰囲気。男子なのに愛想が良いというか、頬を上げたまま目元を垂らして、私に笑顔をずっと送り続ける。
 ……スマイル王子?
「ふふっ」
「あ、笑った」
「ちょっと、おかしな称号が、ふふっ」
 目立たないように声を抑えようとするけれど、我慢できずにこぼれ笑いを肩でする。小嶋くんのおかげでガチガチだった体は柔らかく、気持ちが軽くなった気がした。
 チラッと小嶋くんを見るとまだニッコリとしていて、私がまたクスクス笑いをこぼすと、目をキラキラさせ嬉しそうに満面の笑顔になった。なかなか止まらないおかしさに笑いが隠しきれず、憂鬱だった始業式はどこかへ吹き飛んでいった―――。

 次の日、早速、私には委員長の仕事が待っていた。クラスの各委員と係決めの進行まとめ役。教室の前で先生のように立って話をする、一番苦手な事でこういうのをやりたくなかったというのが本音だ。3ーAは特進コースの理系クラス。元2ーAの生徒がほとんどで何人か顔と名前が一致しない子がいる。改めて教壇から教室を見渡してみると、グッと威圧される雰囲気にお腹に力が入るくらい緊張した。理系クラスだから男子が圧倒的に多くて女子は8人しかいない。残りの25人が男子だ。男子達の意見をまとめたり男女不均衡の調整をするのはとても難しい気がする。クラス委員も2年の時のように浅野くんがなるとばかり予測していたから、なぜ私が選ばれたのか腑に落ちない点もあるけれど。たぶん、毎年恒例の始業式後に速攻で作成される新クラスのグループチャット、そこから男女別のグループもできるので、男子用のチャットで裏工作でも流していたんだろう。私は疑心まみれに皆の前に立って顔を強張らせながら、なんとか進行を務めていた。
 各選出は立候補で決定し連立した場合はジャンケンの勝者が権利を得る、候補者なしの時は最終的に当確者以外でジャンケンをして敗者が担う、ルールの元でスムーズに決まっていった。ところが、最後に共同募金のボランティアを選ぶところでもたついてしまう。
「ボランティアなんだからさ、善意で行うもので無理に決めることないんじゃないの?」
 とある男子の声に「あー」や「ねー」の賛同する意味あいのざわざわ音が教室に広がっていった。
「えーと、でもクラスから最低1人は選出って決まりで……」
 私は教壇の上の担任から渡された取り決め書を確認して伝えたが、不満が次々発生して連鎖されてゆく。
「それって休みの日にわざわざ集まるんでしょ? なんで受験生なのにボランティアに借り出されるんよ?」
「大学受験の大事な時期って散々煽ってくんの学校側じゃん。2年と1年にやらせればいーんじゃねーの?」
「そ、それだと不公平になるから、学校全体での慈善活動だし。ボランティアは委員と係は関係ないので、誰か、やってくれる人いませんか?」
 私が補足して呼びかけたが皆の表情は渋い感じで「俺は予備校あるから無理~」「俺も」「その日TOEICの試験日だぜ」となかなか承諾してくれる人がいない。男子は否定的な態度を取ってる人が多数だし、女子はどうかと協力を求める視線で見つめてみたけれど……。ごめんと手を合わせて返す子に、顔の前で手を左右に振ってできないと合図する子。理由と断りをハッキリ言う子もいて「私は推薦受けるから準備始めなきゃいけなくて引き受けられない」と私に伝えるので「うん、わかった」と返事をした。女子も駄目かという展開になると溜息が聞こえてきたりして、不穏な空気が教室内を漂い始める。すると、悪ふざけみたいに後ろの席の男子が発言した。
「募金お願いしまぁす! ってするんなら、やっぱ女子の方が効果あるんじゃないの? 制服でやるんでしょ?」
「ちょっとそれ失言じゃない!? その言い方はアウトでしょ!」
 気の強い女子がすぐさま反応して争いになるかとヒヤヒヤする。私が危惧していた事態がもう起きてしまったかもしれない。
「募金がたくさん集まれば支援も広がるんだから、効率上げるのは悪い事じゃないよ」
「客寄せパンダみたいに?」
「女子の制服が人気あるのは有名なんだから、学校のアピールにも繋がるんじゃないの?」
「面倒だからって女子に押しつけようとすんのヤメてっ」
 皆の意見を汲み取ってうまくおさめたい所だけれど、女子の誰かにお願いするにも難しそうだし。男女比からも負担を平等にするなら男子にお願いするべきなんだろうけど……。
 私の考えが定まらないでいるとそっぽを向き始める人が増え、机に伏せてしまった人もでてきて。「居残りとかヤダよ~」「もうジャンケンでよくね?」との声も聞こえてきた。そのうちしびれを切らしたように大きな低い声が飛んだ。
「浅野氏! 浅野氏の意見でまとめてあげたら?」
「なんで俺?」
 一番前の廊下側の席に座っている浅野くんがチラッと後ろに顔を向けて言った。助け舟になってくれたら嬉しいな、と私も期待を込めて浅野くんに視線を送ると目が合った。少しむっとされてすぐ視線をそらされる。そして机に肘をついて組んだ両手を見ながら、誰もいない正面に向けて意見を話した。
「まぁ、全員が受験生で判定模試も近いし、休日だって暇はないと思う。男女関係なく将来かかってるのは同じだし。その中から代表出すしかないっていうなら、負担とか割合を考えるより、一番余裕があるヤツにやってもらったらいいんじゃないの?」
 あ、そっか。
 私の考えてた事を見透かされた気がした。浅野くんの意見の方が最も平等で納得がいく方法だ。やっぱりリーダーシップが抜群にある人だなと思った。男子からも頼りにされているしさすがだ。感嘆していると誰かがそのまま声にして続いた。
「さっすが元クラス委員に学年トップ」
「納得~。いーじゃんそれで」
「ならクラスの中だと、浅野が一番余裕そうだけど?」
 そう指摘する声に浅野くんに再び視線が集まる。が、動揺ひとつしない態度で正反対の事を言う。
「俺は余裕なんて無いよ。毎日いっぱいいっぱい」
「まあね、浅野は医学部受験だし。そういえば和田さんも医学部受けるんだよね?」
「え? う、うん」
 教壇の前の席で榊くんが私に問いかけた。隣の男子が「すげぇ」と言いながら私を見る。初めて同じクラスになった男子だ。榊くんは1年から私と同じなので個人情報を得意気に教えてしまう。
「和田さん家は医者一族なんだよ。病院経営してるんだよね?」
「わー、マジ?」
「あの、祖父が診療所を開いてて……父と母も医者だけど……」
 私がこの身の上話をすると皆がみんな、羨ましい、という表情をする。なぜか医者と病院というフレーズから、大病院とスーパードクターを想像しているようなのだ。実際は町医者と言われる小さな内科クリニックで、入院も手術もできないのだけれど。
「和田さんて実家太いんだね、いいなぁ」
「そ、そう、かな……」
「それを経済的余裕がある、っていうんじゃないの?」
 少し棘っぽい言い方が教室の後方から投げつけられて返答に困ってしまう。口籠っているとすぐ追い討ちをかけられた。
「和田さん生徒会もやってたし、内申も余裕だよね?」
 余裕かどうかは別として、否定すると文句を言われそうなのでグッと堪えて。この場をまとめる唯一の方法は、私がボランティアをする事だと理解した。
「……募金活動には私が代表で参加します。これで全て決定ということで異議はありませんか?」
 私がなんとか平常心を保って問いかけると「ありませーん」「異議なーし」と男子の声が返ってくる。
「それでは専門委員は放課後の各委員会に参加してください、以上です。……先生、終わりました」
「ありがとう、お疲れ」
 労いの言葉に私はお辞儀をして自分の席に戻った。安堵と疲労感の両方が私の中をぐるぐる回っている。口の中は乾き切っていて、シュワシュワと甘い炭酸飲料でも飲みたい気分だ。何か後味の悪いまとわりつくような苦みが喉に残っているからだ。先生の話にも集中できないくらい、この苦さを早く消してしまいたいと嫌な気持ちでいっぱいだった。