昼休み。
 いつものようにデスクで資料をチェックしていた嵩は、ふと斜め前に視線を向けた。

 中谷朱里。
 いつもならキーボードを小気味よく叩いているはずなのに、今日はまるでフリーズしたパソコンみたいに固まっている。

 (また……止まってるな)

 嵩は少し迷ってから、そっと席を立った。
 給湯室でコーヒーを飲みながらも、なんとなく考えていたことがあった。

──なんだか最近、中谷さん、俺を避けてないか?

 朝の豆乳ラテ事件(?)もそうだ。
 声をかけるたびに、やけに反応が過剰で、妙にそっけなかったり、逆にテンパっていたり。

 (俺、なんかやらかしたかな……)

 思い当たる節はない。
 怒らせたなら、はっきり言うタイプだし。
 仕事の指示も普通にしているはずだ。

 (……むしろ、最近は仲良かったと思ってたんだけどな)

 映画のことを思い出すと、胸がじんわり熱くなる。
 素直に嬉しかった。
 彼女の隣にいるあの時間が。

 だから──余計に、気になる。

 嵩はそっと朱里の席に近づいた。

「中谷さん、午前の資料……」
 声をかけようとした瞬間。

「ひゃっっ……!!?」

 椅子ごと跳ね上がる勢いで朱里が振り返った。
 ほぼ無音で椅子が後退していく。

「な、なにしてるんですか!?心臓止まりますよ!?」
「いや、普通に話しかけただけなんだけど……」
「す、すみません……」

 朱里は胸に手を当て、必死に落ち着こうとしている。
 その姿が、どう見ても“何かを意識しまくっている人”だった。

 ……もしかしなくても、俺のせい?

 嵩の胸の奥が、きゅっと縮む。

 嫌われた?
 距離を置きたい?
 迷惑だった?

 そんな考えがよぎった瞬間──

「ち、違うんです!平田先輩が悪いとかじゃなくて!!」
 朱里が唐突に、泣きそうな声で手を振った。

「え、うん……?」
「むしろその、あの……! なんでもないですっ!」

 羞恥で爆発しそうな勢いで、朱里は立ち上がり、
 手に持った資料を抱えて逃げるように会議室へ向かってしまう。

 ぽつんと残された嵩。

 (……なんでもない、って……)

 さっきの表情は、“なんでもない”どころか、
 むしろ──なにかある人の顔だ。

 嵩は小さく息をついた。

 どうしようもなく、気になってしまう。

 朱里が、自分のことをどう思っているのか。
 そして……どうして、こんなに避けようとするのか。

 (聞いたほうがいいのかな。
  ……いや、でも、それで余計に避けられたら……)

 仕事の資料の文字が、ふっとぼやけた。

 嵩は気づき始めていた。

 これはもう、ただの“部下の様子がおかしい”ではなく、
 ──自分の気持ちが揺れ始めているからだ、と。