昼休み、オフィスの片隅にある給湯室。
 お弁当を抱えた朱里は、気配をうかがうように辺りを見渡した。

 「こっち空いてるよ」
 声をかけてきたのは、田中美鈴。
 朱里の同期で、鋭い観察眼と面倒見の良さで知られる頼れる友人だ。

 「なにその挙動不審。まるで“彼に弁当見られたくない女子”みたいな顔してるけど?」
 いきなり核心を突かれて、朱里は思わずむせそうになる。
 「ち、違うってば……! ただ、ちょっと……ね?」

 「ちょっと、なに?」
 美鈴は肘をつき、にやりと笑う。
 朱里は視線をそらし、味噌汁のフタをいじった。

 「……朝、平田さんと一緒にエレベーター乗っちゃって」
 「へぇー。で?」
 「別に、何も。ほんのちょっと会話しただけ」
 「なにその“何もないけど顔が赤い”状態。完全に恋じゃん」

 朱里は顔を覆いながら、小声で抗議した。
 「だ、だからそういうのじゃ……」
 「じゃ、何? “好きじゃないけど、気になる”? それが一番厄介なのよ、中谷朱里」

 図星を刺されて、朱里は沈黙。
 スプーンを持ったまま固まっている彼女を見て、美鈴はため息をついた。

 「で? あの“望月ちゃん”とはどうなの? 最近よく話してるっぽいけど」
 その名前を聞いた瞬間、朱里の肩がピクリと動いた。
 「……普通に仲良くしてるだけじゃない?」
 「ふーん。で、どっちが?」
 「どっちがって?」
 「瑠奈ちゃんが平田さんを狙ってるのか、それとも──朱里が気にしてるのか」

 朱里はお箸を持つ手を止めた。
 心の奥をそっと覗かれたようで、何も言い返せない。

 「……気にしてる、のかも」
 ようやく出た声は、蚊の鳴くような小ささだった。

 美鈴は柔らかく笑う。
 「やっと認めた。いいじゃん。恋ってそういうもんでしょ。気にして、嫉妬して、焦って……でも、笑っちゃうくらい不器用」

 「……笑わないでよ」
 朱里は小さく唇を尖らせた。
 「笑ってないって。むしろ応援してる。だって朱里、ほんとわかりやすいもん。“大嫌い”って言いながら、全部“好き”って意味だし」

 「そ、そんなこと──」
 否定しようとした瞬間、スマホが震えた。
 画面には「平田嵩」の名前。
 朱里の心臓が跳ねる。

 「な、なにこれ……!」
 「出なさいよ。仕事かもよ?」
 「そ、そうだよね……!」
 震える手で通話ボタンを押す。

 『中谷さん? 今日、少し話せる時間ある?』
 「えっ……あ、はい! あります!」
 思わず声が裏返った。
 隣の美鈴が、にやにやと頬杖をつきながら見ている。

 『じゃあ、夕方、会議のあと少しだけ時間もらえる?』
 「は、はい! もちろん!」

 通話が切れた瞬間、朱里は机に突っ伏した。
 「……もう無理。心臓が持たない」
 美鈴は苦笑しながら、背中を軽く叩いた。

 「よかったじゃん。チャンス到来よ?」
 「チャンスって、何の……?」
 「もちろん、“好き”を100回言う練習のチャンス」

 朱里は真っ赤になりながら顔を上げた。
 「む、無理だからっ!」
 「じゃあ、“大嫌い”を50回に減らすとこから始めな」
 美鈴の言葉に、朱里は思わず吹き出してしまった。

 ──笑いながらも、心の奥で思う。
 今日こそ、少しだけでも素直になれたらいい。