木曜の夕方。
朱里はオフィスのコピー機の前で、資料を整理していた。
ふと視線を上げると、廊下の向こうで嵩と瑠奈が話しているのが見えた。

「平田先輩、この間のセミナーの件、本当にありがとうございました!」
「いえいえ。望月さんの頑張りのおかげですよ」

笑顔を交わす二人。
(……なんか、距離近くない?)
朱里の胸に、ざわりとした感情が広がった。

そんなとき──瑠奈がふと振り返り、目が合った。
「あっ、中谷先輩!」
勢いよく駆け寄ってくる瑠奈に、朱里は一瞬身構える。

「実は……ご相談があって」
「な、何?」
「私、平田先輩のこと、すごく尊敬してるんです。だから、もっと近づきたいっていうか……」

瑠奈は小声で照れ笑いした。
「先輩って、いつも平田先輩と一緒にいるじゃないですか? だから、中谷先輩にアドバイスもらえたらって」

(ちょ、ちょっと待って……なにそれ!)
朱里の脳内は大混乱。
自分の“恋のライバル”が、堂々と協力を仰いでいるのだ。

「ア、アドバイスなんて……別にないわよ」
「えぇ〜!そこをなんとか!」

瑠奈は人懐っこい笑顔を浮かべ、朱里の腕に軽く触れてくる。
その仕草が余計に苛立ちを煽った。

「……とにかく、私は関係ないから!」
思わず強い口調になってしまう。

「そっか。じゃあ、ライバルですね!」
瑠奈がキラキラした目で、まるでゲームを宣言するみたいに言った。

「はあ!?」
「だって、中谷先輩って平田先輩のこと、好きなんですよね?」

図星を突かれて、朱里の顔が一気に赤くなる。
「ち、ちがっ……大嫌いよ!」

反射的に飛び出した言葉。
瑠奈は一瞬驚いた後、ふっと笑った。

「そっか。じゃあ私、全力でいきますね」

その笑顔は挑戦状そのものだった。
朱里の胸は不安と怒りと、そしてどうしようもない焦りでいっぱいになる。

(……本当に“ライバル”が現れちゃった)

帰宅途中、駅のホームで朱里はスマホを握りしめた。
美鈴の診断を思い出す。

──“放っておくと、相手は別の人に行っちゃうわよ?”

まさにその通りになりかけている。
でも、素直になれない。
「大嫌い」と言いながら、心の奥では嵩のことを誰よりも大切に思っている。

朱里はため息をついた。
(どうすればいいのよ……)

その背中に、知らず知らずのうちに「こじらせ」の影が濃く落ちていた。