翌週の月曜の朝。
 朱里はオフィスの入り口で、深呼吸をひとつした。

 週末のモールでの出来事が、頭の中で何度も再生されている。
 あの、嵩の言葉。
 そして、差し出されたジャケットの温もり。
 思い出すたびに、心臓が勝手にうるさい。

「おはようございます、中谷さん」
 背後から声をかけられ、反射的に振り返る。
 そこには──当の本人、平田嵩がいた。

「お、おはようございます!」
 声が裏返った。最悪だ。
 自分でわかるくらい挙動不審な反応。
 なのに彼は、いつも通り穏やかに微笑んでいる。

「プレゼンの資料、今日確認しますね」
「は、はい!……お願いします」

 朱里は慌てて頭を下げ、逃げるようにデスクへ向かった。
 後ろ姿に向けて、嵩が小さく笑っていたことには、気づかないふりをした。



 昼休み。
 朱里は給湯室で、美鈴に捕まった。
「ちょっと、朱里。あんた週末、何かあったでしょ?」
「へ? な、なんでそう思うの?」
「顔が“恋してます”って書いてある。あと、ニヤけてる」

 ぐさり。
 図星を刺されて、慌てて冷水を飲む。

「……ちょっとショッピング行っただけだよ。平田さんと」
「やっぱり! 二人で?!」
「たまたま、ですよっ。……いや、ちょっとだけ誘ったけど」
「“ちょっとだけ”誘ったって何。かわいい言い訳やめて」

 美鈴は頬杖をつきながら、にやりと笑う。
「で? 進展は?」
「……ないよ。むしろ気まずい」
「気まずいの?どうして?」
「だって、変なこと言っちゃって……“嫉妬してるんですか?”とか」

 美鈴の目がキラリと光った。
「ふぅん。で、なんて答えたの?」
「“そんな子どもみたいなこと、しませんよ”って」
「うわ~、その返し! ズルい男のテンプレじゃん!」

 朱里はため息をついた。
「そうなの。ズルいの。優しいし、冷たいし、わけわかんない」
「それ、つまり“好き”ってことね」
「ちが……」
「ちがわない」

 美鈴はすかさず断言する。
 朱里は言葉を失って、マグカップをぎゅっと握りしめた。
 湯気の向こうで、自分の頬が赤く映る。


 午後、会議室。
 朱里が発表を終えると、部屋の空気がほっと緩んだ。
 資料の完成度も高く、上司からの評価も上々。

 そんな中、嵩が静かに言った。
「……いいプレゼンでしたね。内容も構成も、よく考えられてた」
「えっ、ありがとうございます」

 朱里の胸が温かくなる。
 その声はどこまでも優しくて、
 けれど、不意に心をくすぐる。

「嫉妬、してるのは……もしかして、私のほうなのかも」
 その言葉は、もちろん口には出せない。
 ただ、胸の奥でこっそり呟いた。