土曜の午後。
 カーテンの隙間から射し込む光が、テーブルの上のマグカップを照らしている。
 朱里はソファに腰を沈め、膝の上にノートパソコンを開いたまま、ページをスクロールしていた。
 ──中小企業診断士 二次試験 勉強法。

 嵩が合格した資格。その名を見ただけで、昨日の雨の夜のことを思い出す。
 「また映画行きたいです」
 自分の口から出た言葉が、まだ耳の奥で反響していた。
 そして嵩が少し驚いたように笑って、「いいね。また行こう」と答えた、あの声も。

 朱里はスマホを手に取った。
 LINEを開くと、最後のメッセージ履歴には嵩の名前が並んでいる。
 『無事に帰れました?』
 『はい。傘ありがとうございました』
 そこまで送って、その先に何も続けられなかった。

 “また映画、いつ行きますか?”
 そう打って、消す。
 打って、消す。
 何度も繰り返すうちに、心臓が痛くなった。
 あんなに自然に笑ってくれたのに、
 いざ自分から誘うとなると、どうしてこんなに勇気が出ないんだろう。

 テーブルの上のマグカップから、ミルクティーの香りがふわりと立ちのぼる。
 朱里は小さく息を吐き、つぶやいた。
 「……ほんと、私ってこじらせてる」

 その瞬間、スマホが震えた。
 画面を見ると、“平田嵩”の名前。
 ──まさか、今のタイミングで。

 『この前の映画、面白かったよな。チケット、もう一組もらってさ。来週どう?』

 目が止まった。
 息を呑む。心臓の鼓動が、さっきよりもはっきりと聞こえる。
 指先が震えて、すぐに返事が打てない。
 「……うそ、タイミング良すぎ」

 けれど、その“偶然”が嬉しくて仕方なかった。
 朱里は小さく笑い、指先で画面をなぞる。
 ──『行きたいです』
 そう送信したあと、スマホを胸に抱いた。

 ほんの少し前まで「嫌い」って言葉で隠していた気持ちが、
 いま、静かに形になり始めているのを感じていた。