映画館の暗闇に、朱里の心臓の音だけがやけに大きく響いていた。
 スクリーンでは派手なカーチェイス。爆音が鳴るたびに、彼女の肩がびくっと揺れる。

「……大丈夫か?」
 隣の嵩が、小さく囁いた。
 その声に、朱里は反射的に首を横に振る。

「だ、だいじょぶ……!」

 ほんとは全然大丈夫じゃない。
 なのに「怖い」と言えないのは、あの一言が頭の中で繰り返されるから。
 ──なんで、私なの?
 自分で言ったくせに、答えを聞くのが怖くてたまらなかった。

 嵩は映画のチケットをもらったから、と気軽な感じで誘ってくれた。
 でも、あの時の「なんで私なの?」という言葉を、彼がどう受け取ったのか──そのことがずっと、心の奥でひっかかっていた。

 スクリーンの光に照らされた嵩の横顔を、朱里はこっそり盗み見る。
 静かに組まれた腕、落ち着いた視線。
 同じ空間にいるだけで、息が詰まりそうになる。

(……また、同じこと聞いちゃいそう)

 そのとき、ポップコーンを取ろうとした嵩の手が、朱里の指先にかすかに触れた。
 電気でも走ったみたいに、体が固まる。
「……悪い」
 嵩が小声で言い、指先を引っ込めた。
 朱里は慌てて首を振る。

「い、いえっ!」

 小さな声がスクリーンに吸い込まれていく。
 鼓動の音だけが、やけに響いていた。

 ──映画が終わり、館内に明かりが戻る。
 朱里はほっと息をついた。

「……アクション映画って、思ったより体力使うね」

「苦手なの、わかってて来たんじゃないのか」

「べ、別にっ。誘われたから来ただけだし」

「……なんで俺が誘ったかわかってて?」

「え?」

 朱里が顔を上げると、嵩は少しだけ口元をゆるめた。
 困ったような、でもどこか優しい笑み。

「“なんで私なの”って、前に言ってただろ。
 ……理由、言ったら来なかったかもしれないから。」

「え、ちょ、なにそれ……!」

 朱里の顔が一瞬で真っ赤になる。
 嵩は「行くぞ」とだけ言って先に歩き出した。

 彼の背中を追いながら、朱里は自分の胸に手を当てた。
(もう……ずるい。そういう言い方するの、ほんとずるい)

 外に出ると、夕暮れの風が頬をなでた。
 スクリーンの光よりもずっとまぶしい、嵩の横顔が隣にあった。