カフェを出たあと、朱里と嵩はショッピングモールの屋上庭園に出た。夕暮れのオレンジ色がガラス壁に反射して、街をゆっくり包み込んでいく。風がやわらかく、春の匂いを運んでいた。



「ねえ。最近、なんかちょっと冷たくない?」

 朱里は柵にもたれ、わざと軽い調子で言った。

「冷たく?」

 嵩はポケットに手を入れたまま、少しだけ首を傾げた。

「だって前みたいに、LINEもすぐ返してくれないし、仕事忙しいのはわかるけど……」

「忙しいのもあるけど、朱里にちゃんと向き合いたくて、考えてたんだ」



「考える?」

「この先のこととかさ」

 嵩の声は穏やかだったが、朱里の胸の奥にひやりとした風が通り抜ける。

「……それって、“距離を置こう”ってやつ?」

「違う。逆だよ」



 嵩は柵から一歩前に出て、朱里の髪をそっと指で払った。

「俺、たぶん朱里のことが好きすぎるんだと思う。だから、ちょっと慎重になりたくて」



 その言葉に、朱里の頬が一気に熱を持った。

「え、ちょ、そんなストレートに言うの反則じゃない?」

「いつも“こじらせてる”って言われるけど、今日は素直でいいかなって思って」

「……もう、ずるいよ」



 二人の間に、照れくさくも心地いい沈黙が流れる。

 風が、朱里のスカートの裾をふわりと揺らした。

 嵩がそれに気づいて、一瞬視線をそらす。その反応がまた、朱里にはおかしくてたまらない。



「ねえ。さっきの言葉、録音しとけばよかった」

「やめろ、それは拷問(ごうもん)だ」

「だって、私、たぶん今日一日それでご飯三杯いける」

「……朱里、ほんと単純で助かる」

「はいはい、どうせ私は“わかりやすい女”ですよーだ」



 二人の笑い声が重なった。

 遠くで観覧車がゆっくりと回り始め、空の色は藍色に変わっていく。

 朱里はふと、手を伸ばした。嵩の手に触れようとして、途中で止める。

 けれど、嵩の方からそっと指先を絡めてきた。



 ぬくもりが伝わる。

 それだけで、胸の奥がじんわりと溶けていくようだった。



「ねえ」

「ん?」

「“好きすぎる”って、今、もう一回言って?」

「言わない」

「けち」

「一回しか言わない方が、記憶に残るだろ?」

 そう言って、嵩は笑った。



 朱里は小さく唇を噛んで、心の中で叫ぶ。

(もう、ほんとに大嫌い……でも、たぶん死ぬほど好き)



──その言葉は、夜の風に溶けていった。