午後の会議が終わると、朱里はそのまま資料を抱えて会議室を出た。
心ここにあらずのまま歩いていると、後ろから田中美鈴が小走りで追いかけてくる。

「ねぇ朱里、さっきの会議中ずっとぼーっとしてたけど、大丈夫?」
「……え、あ、そう?そんなことないよ」

美鈴はじっと朱里の横顔を覗き込み、ニヤリと笑う。
「嘘つけ。あんた、顔に“恋の悩み中”って書いてある」

「そ、そんなこと書いてない!」
「うん、フォント大きめでね。しかも太字」

美鈴の軽口に、朱里は思わず笑ってしまう。
彼女だけは、朱里の強がりを見抜く数少ない友人だった。

「……あのさ」
朱里は、少し声を落として呟く。
「もし、好きな人が……他の子と仲良くしてるの見たら、どうする?」

美鈴は腕を組み、うん、と一拍置いてから答えた。
「んー、私なら……とりあえず、負けたくないって思うかもね」

「負けたくない……」

「そう。だって、それって恋愛ってより“戦い”みたいなとこあるじゃん。
 素直に言えないなら、行動で見せればいい」

朱里は黙って頷いた。
行動──それが一番苦手なのに、今の彼女に必要なのも、それだった。

帰り道、ふとスマホを開くと、嵩からメッセージが入っていた。

> 【今夜、少し残業するけど、コーヒー飲みに行かない?】



一瞬、画面が光って見えた気がした。
(え、え、まって……デ、デート……?いや、違う。仕事の延長、仕事の……)

動揺しながらも、朱里は小さく息を吸って、返信を打つ。

> 【行きます。お疲れさまです。】



送信ボタンを押した瞬間、心臓がバクンと跳ねた。
顔が熱くなるのを誤魔化すように、朱里はスカーフを首元にぎゅっと巻く。

(よし……“大嫌い”なんて、今日は言わない)

夜、会社の近くの小さなカフェ。
窓際の席で、嵩は湯気の立つカップを両手で包みながら微笑んだ。

「なんか、久しぶりだな。こうやって二人で話すの」
「そ、そうですか? そんなに久しぶりじゃ……」

「朱里」
名前を呼ばれただけで、ドキリとする。

「最近、少し柔らかくなったな。前はもっと、トゲトゲしてたのに」

「ト、トゲトゲ!? ひ、ひどいですっ」

思わず声が上ずる朱里に、嵩は優しく笑う。
「でも、そういうとこも好きだったけどな」

「っ……! す、好きって、そういう意味じゃないですよね!?」
「どう思う?」

茶化すように言う嵩の笑み。
朱里はもう、顔を上げられなかった。

──その夜、彼女は眠れなかった。