昼休みの社内カフェスペース。
私はコーヒーを片手に、ノートパソコンの画面を見つめていた。
……見つめてはいるけれど、まったく頭に入ってこない。

というのも、向かいのテーブルで、瑠奈と嵩が“例の話”をしているからだ。
仕事の相談──らしい。
でも、話しているトーンはどう考えても、業務報告じゃない。

「昨日の“勉強会”、すごくわかりやすかったです!
 平田先輩って、本当に説明上手ですよね」
「いや、瑠奈ちゃんが飲み込み早いだけだよ」

……“瑠奈ちゃん”て言ったよね、今。

コーヒーを飲む手が止まる。
思わず口の端が引きつった。
さりげなく聞き流すふりをしたけど、心の中では鐘が鳴っていた。
ドォォォン!って。

(ねぇ平田先輩、私のとき“中谷さん”って呼んでましたけど?)

私の脳内に、赤ペン先生が登場して訂正してくれそうだ。
──呼び方の差、減点100点。

「そういえば、今度の週末、また図書館で集まるんですよね?」
「うん。ちょっと応用問題を中心にやるつもり」
「じゃあ私、またカフェで勉強ノート作ってきますね!」

……カフェ。
……またカフェ。
(ねぇ、あなたたち、“図書館”より“カフェ”のほうがメインじゃない?)

もう心のツッコミが止まらない。
だけど、それを顔に出したら負けだ。
私は、涼しい顔でキーボードを叩くふりをしながら、美鈴にチャットを送った。

> 朱里:「ねぇ、美鈴。恋の勉強会って、何ページから始まるの?」
美鈴:「あー、そろそろ実践編入ってもいい頃じゃない?笑」



(実践編て……私まだ“入門書”すら読めてないのに!)

そのとき、嵩の声がふと聞こえた。
「中谷、今度のプレゼン資料、今日中に確認できる?」
「は、はいっ! もちろんです!」

慌てて振り向いた私の声は、少し裏返っていた。
瑠奈が小さく笑う。
嵩は気づいていない様子で、淡々と資料のフォルダを共有してくる。

──その自然体が、また腹立たしい。
どうしてそんなに“何も気づかない顔”が上手なんだろう。

「ありがとうございます。すぐ確認します」
私は平静を装いながら、ファイルを開く。
でも視界の端で、瑠奈が嵩に向けてふんわりと笑うのが見えた。

(……あの笑顔、反則すぎる)

胸の奥が、じんわりと熱くなる。
嫉妬とか不安とか、そんな言葉で片付けられない何か。
それでも私は、心の中でだけ、いつもの言葉をつぶやいた。

「大嫌い」──。

本当は、誰よりも好きなくせに。