駅前の噴水広場。
 休日の午前ということもあって、人通りは多く、家族連れやカップルが行き交っていた。
 朱里は早めに着いたつもりだったが、すでに平田嵩はベンチに座っていた。

「……早っ」

 思わず口の中でつぶやく。
 彼はいつも通りの落ち着いた雰囲気で、白シャツにジャケットを軽く羽織り、膝の上でスマホをいじっている。
 その姿はどこか大人びていて、朱里の胸の鼓動が早まった。

「おはようございます」
「お、来たね。……あれ、なんかいつもと違う?」

「え、ちょ、な、なにがですか?」
 動揺して声が裏返る。

「いや、髪かな。少し巻いてる?」
「そ、そんなのいつも通りですよ!」

 早口で否定したが、鏡の前で三十分格闘したことを思い出し、顔が熱くなる。
 嵩はそんな朱里の反応を面白そうに見つめ、柔らかく笑った。

「……ふふ、なんかいいね。今日、楽しみにしてた?」

「た、楽しみにしてたとかじゃなくて!」
「“じゃなくて”?」
「気分転換です! ここんとこ忙しかったですし!」

 完全に動揺している朱里を見て、嵩は軽く肩をすくめる。
「はいはい。じゃあ、今日は気分転換のために、俺が付き合うってことで」

 そう言って歩き出した彼の横顔が、いつもより少し優しく見えて、朱里は思わず見惚れてしまう。
 そして自分でも気づかぬうちに、小さくつぶやいていた。

「……ほんと、ずるい」

「ん? 何か言った?」
「な、なんでもないですっ!」

 顔をそむけて歩き出す朱里。その背中を見ながら、嵩は少しだけ笑った。

 ──それは、まだ始まったばかりの“恋の一日”だった。