翌朝、朱里は出勤途中の電車でずっと後悔していた。
──あんな言い方、絶対におかしかった。
「大嫌いって、ほんとは逆かもしれない」だなんて。思わず口から出てしまった言葉が、頭の中で何度もリフレインする。

オフィスに入ると、嵩はすでにデスクに座っていて、真剣に資料をめくっていた。
いつもと変わらない様子……のはずなのに、視線が合った瞬間、朱里は心臓が跳ね上がる。昨日の会話を思い出し、顔が熱くなるのを止められない。

「おはようございます、中谷さん」
「お、おはようございます、先輩!」

声が裏返ってしまい、周囲の同僚がちらりとこちらを見る。瑠奈がすぐに近寄ってきた。

「朱里先輩、今日も朝から元気ですね♪ ……あれ、顔赤いですよ? まさか熱とかじゃないですよね?」
「ち、違うから! ただの……暑いだけ!」

朱里が慌てて否定すると、瑠奈はにやりと笑い、視線を嵩に向けた。
「ふふん、なんだか昨日から雰囲気が違いますね。……ねえ、平田先輩?」

嵩はきょとんとした顔をしたまま、「そうか?」と首を傾げただけだった。けれど、その一言が朱里の胸をざわつかせる。

(やっぱり気付いてる? いや、まさか……!)

そこへ美鈴がタイミングよく登場した。腕を組んで朱里を見つめると、低い声で囁く。
「朱里、昨日なにかあったでしょ。……顔に出てる。図星?」
「ち、違うってば! 私が平田先輩のことなんて、そんな……」

言いかけて、朱里は慌てて言葉を飲み込む。周囲の視線が怖くて、咄嗟に逃げ道を探した。
「だ、大嫌い! 平田先輩のことなんて、大っ嫌いだから!」

一瞬、オフィスが静まり返った。
嵩が驚いたように目を瞬かせる。瑠奈が小さく吹き出し、美鈴はため息をついた。

「……はいはい、こじらせ発動ね」

朱里は椅子に座り込み、心の中で叫ぶ。
(なんで私、また言っちゃうの!? 本当は“好き”なのに!)

机に突っ伏す朱里の耳に、瑠奈の楽しそうな声が届く。
「朱里先輩って、わかりやすくてかわいいですね」

朱里は机に額を押し付けながら、小さく呟いた。
「……ほんとに、最悪……」

──昨日の勇気は、もうどこかへ消えてしまっていた。