定時を少し過ぎた頃、
嵩はデスクの前で立ち尽くしていた。
帰る準備は整っている。
鞄も持った。
でも、足が動かない。
(……どこで話す)
朱里に伝えるべき言葉は、もう決まっている。
曖昧にしない。
軽くもしない。
希望も、不安も、日付も。
問題は、場所だった。
会社の近くの居酒屋。
気を紛らわせるにはいい。
でも、酔いに逃げる気はなかった。
駅前のカフェ。
人目が多すぎる。
彼女の表情を、誰かに切り取られたくない。
いつもの帰り道。
並んで歩きながら、自然に──
それも考えた。
けれど。
(……それは、逃げだ)
嵩は思う。
歩きながらなら、
感情が溢れたら、歩調を変えればいい。
信号が変われば、会話も切れる。
それは、
“最後まで向き合う場所”じゃない。
一度、スマートフォンを取り出し、
朱里とのトーク画面を開く。
《今日、少し話せる?》
その一文の裏に、
こんなに重いものが詰まっているとは思わなかった。
嵩は息を吐き、画面を閉じる。
そして、ふと思い出した。
──最初に朱里が、弱いところを見せた場所。
入社二年目。
仕事で失敗して、
誰にも見られないように、泣きそうになっていた場所。
あの、小さな公園。
駅から少し外れた、
ベンチが二つと、街灯が一つしかない場所。
騒がしくもない。
完全に二人きりにもならない。
逃げ道はある。
でも、逃げなくてもいられる距離。
(……ここだ)
嵩は、ようやく鞄を持ち直した。
会社を出て、夜風に当たる。
歩きながら、頭の中で確認する。
先に、事実を言う
気持ちを“理由”にしない
選択を、押しつけない
言葉は、整っている。
でも、最後だけは整えない。
“どう思う?”
“どうしたい?”
その答えを、
自分が先に決めてしまわないために。
公園に着くと、まだ誰もいなかった。
街灯の下のベンチに座り、
嵩は空を見上げる。
雲が、ゆっくり流れている。
(……怖いな)
今さら、そんな感情が浮かぶ。
転勤そのものよりも。
離れることよりも。
彼女の時間を、動かしてしまうことが。
でも。
(朱里は、逃げなかった)
だから、自分も逃げない。
スマートフォンが、震えた。
朱里からの返信だ。
嵩は一瞬だけ目を閉じてから、画面を開いた。
“ここで言う”。
そう決めた場所で。
言葉も、覚悟も、
もう戻さないために。
嵩はデスクの前で立ち尽くしていた。
帰る準備は整っている。
鞄も持った。
でも、足が動かない。
(……どこで話す)
朱里に伝えるべき言葉は、もう決まっている。
曖昧にしない。
軽くもしない。
希望も、不安も、日付も。
問題は、場所だった。
会社の近くの居酒屋。
気を紛らわせるにはいい。
でも、酔いに逃げる気はなかった。
駅前のカフェ。
人目が多すぎる。
彼女の表情を、誰かに切り取られたくない。
いつもの帰り道。
並んで歩きながら、自然に──
それも考えた。
けれど。
(……それは、逃げだ)
嵩は思う。
歩きながらなら、
感情が溢れたら、歩調を変えればいい。
信号が変われば、会話も切れる。
それは、
“最後まで向き合う場所”じゃない。
一度、スマートフォンを取り出し、
朱里とのトーク画面を開く。
《今日、少し話せる?》
その一文の裏に、
こんなに重いものが詰まっているとは思わなかった。
嵩は息を吐き、画面を閉じる。
そして、ふと思い出した。
──最初に朱里が、弱いところを見せた場所。
入社二年目。
仕事で失敗して、
誰にも見られないように、泣きそうになっていた場所。
あの、小さな公園。
駅から少し外れた、
ベンチが二つと、街灯が一つしかない場所。
騒がしくもない。
完全に二人きりにもならない。
逃げ道はある。
でも、逃げなくてもいられる距離。
(……ここだ)
嵩は、ようやく鞄を持ち直した。
会社を出て、夜風に当たる。
歩きながら、頭の中で確認する。
先に、事実を言う
気持ちを“理由”にしない
選択を、押しつけない
言葉は、整っている。
でも、最後だけは整えない。
“どう思う?”
“どうしたい?”
その答えを、
自分が先に決めてしまわないために。
公園に着くと、まだ誰もいなかった。
街灯の下のベンチに座り、
嵩は空を見上げる。
雲が、ゆっくり流れている。
(……怖いな)
今さら、そんな感情が浮かぶ。
転勤そのものよりも。
離れることよりも。
彼女の時間を、動かしてしまうことが。
でも。
(朱里は、逃げなかった)
だから、自分も逃げない。
スマートフォンが、震えた。
朱里からの返信だ。
嵩は一瞬だけ目を閉じてから、画面を開いた。
“ここで言う”。
そう決めた場所で。
言葉も、覚悟も、
もう戻さないために。



