午後三時。
嵩は人事部の会議室で、静かに背筋を伸ばしていた。
机の上には、紙一枚。
それだけなのに、やけに重い。
「平田さん、改めてですが──」
人事担当の声は淡々としている。
感情を挟まない、仕事の声。
「異動日程が確定しました。来月の第二月曜付で、関西支社への着任になります」
来月。
第二月曜。
頭の中で、カレンダーが自動的にめくられる。
(……あと、三週間)
「引き継ぎ期間は二週間。 送別会は部署判断になりますが、日程は調整してください」
“ほぼ確定”だった話が、
“変更不可の予定”に変わった瞬間だった。
「質問はありますか?」
嵩は一拍置いてから、口を開く。
「……異動の延期や再検討の余地は」
「ありません」
即答だった。
「今回の人選は、能力と今後の配置計画を含めたものです。 平田さんにとっても、キャリア上はプラスになります」
“正しい判断”。
それが一番、逃げ場のない言葉だと嵩は思った。
「分かりました」
そう答えた自分の声が、思ったより落ち着いていて驚く。
会議は五分で終わった。
廊下に出ると、いつものオフィスの音が戻ってくる。
キーボードの音、コピー機、誰かの笑い声。
(世界は、何も変わってない)
でも、自分だけが一段、違う場所に立ってしまった感覚があった。
デスクに戻る途中、窓際で立ち止まる。
外は快晴。
季節は、進む気満々だ。
(朱里に、どう伝える)
もう「いつか」じゃない。
「決まったら言う」でもない。
“日付が入った現実”を、
そのまま渡すしかない。
スマートフォンが、ポケットの中でわずかに重く感じる。
昨夜送ったメッセージ。
まだ、返事は来ていない。
(待つしかない)
でも、ただ待つだけの時間じゃない。
嵩は、メモ帳を開いた。
書く内容は、仕事の引き継ぎ……ではない。
伝える順番
言い訳をしない
決断を押しつけない
箇条書きは、ひどく不器用だった。
(朱里は、言わなかった)
だからこそ、自分は言う。
逃げないで。
軽くもしないで。
「……よし」
小さく呟いて、メモ帳を閉じる。
そのとき、視界の端に田中美鈴の姿が映った。
目が合う。
何も聞かない。
でも、分かっている目だった。
嵩は軽く会釈する。
美鈴は一瞬だけ頷き、
それ以上は踏み込まなかった。
(支えられてるな……)
気づくのが、少し遅かっただけで。
デスクに戻り、嵩はカレンダーに印をつけた。
赤ペンで、はっきりと。
「異動」
その文字は、消えない。
でも同時に、もう一つ、心の中で決めたことがあった。
(言う場所も、言い方も──選ぶ)
日付は決まった。
あとは、
どう向き合うかだけだ。
嵩は、静かに画面を閉じた。
嵩は人事部の会議室で、静かに背筋を伸ばしていた。
机の上には、紙一枚。
それだけなのに、やけに重い。
「平田さん、改めてですが──」
人事担当の声は淡々としている。
感情を挟まない、仕事の声。
「異動日程が確定しました。来月の第二月曜付で、関西支社への着任になります」
来月。
第二月曜。
頭の中で、カレンダーが自動的にめくられる。
(……あと、三週間)
「引き継ぎ期間は二週間。 送別会は部署判断になりますが、日程は調整してください」
“ほぼ確定”だった話が、
“変更不可の予定”に変わった瞬間だった。
「質問はありますか?」
嵩は一拍置いてから、口を開く。
「……異動の延期や再検討の余地は」
「ありません」
即答だった。
「今回の人選は、能力と今後の配置計画を含めたものです。 平田さんにとっても、キャリア上はプラスになります」
“正しい判断”。
それが一番、逃げ場のない言葉だと嵩は思った。
「分かりました」
そう答えた自分の声が、思ったより落ち着いていて驚く。
会議は五分で終わった。
廊下に出ると、いつものオフィスの音が戻ってくる。
キーボードの音、コピー機、誰かの笑い声。
(世界は、何も変わってない)
でも、自分だけが一段、違う場所に立ってしまった感覚があった。
デスクに戻る途中、窓際で立ち止まる。
外は快晴。
季節は、進む気満々だ。
(朱里に、どう伝える)
もう「いつか」じゃない。
「決まったら言う」でもない。
“日付が入った現実”を、
そのまま渡すしかない。
スマートフォンが、ポケットの中でわずかに重く感じる。
昨夜送ったメッセージ。
まだ、返事は来ていない。
(待つしかない)
でも、ただ待つだけの時間じゃない。
嵩は、メモ帳を開いた。
書く内容は、仕事の引き継ぎ……ではない。
伝える順番
言い訳をしない
決断を押しつけない
箇条書きは、ひどく不器用だった。
(朱里は、言わなかった)
だからこそ、自分は言う。
逃げないで。
軽くもしないで。
「……よし」
小さく呟いて、メモ帳を閉じる。
そのとき、視界の端に田中美鈴の姿が映った。
目が合う。
何も聞かない。
でも、分かっている目だった。
嵩は軽く会釈する。
美鈴は一瞬だけ頷き、
それ以上は踏み込まなかった。
(支えられてるな……)
気づくのが、少し遅かっただけで。
デスクに戻り、嵩はカレンダーに印をつけた。
赤ペンで、はっきりと。
「異動」
その文字は、消えない。
でも同時に、もう一つ、心の中で決めたことがあった。
(言う場所も、言い方も──選ぶ)
日付は決まった。
あとは、
どう向き合うかだけだ。
嵩は、静かに画面を閉じた。



