夜。
キッチンの照明だけが点いた部屋で、朱里と美鈴は向かい合って座っていた。
テーブルの上には、温くなりかけたマグカップが二つ。
「……で」
美鈴が先に口を開いた。
「結局、どうなったの?」
朱里はスプーンでカップの縁をなぞりながら、少し考えてから答えた。
「何も、決まってません」
「うん」
「でも……何も言わずに終わった、って感じでもないです」
美鈴はそれを聞いて、ふっと息を吐いた。
「朱里らしい答えですね」
「そうですか?」
「ええ。全部言って全部決めて全部背負う、ってやり方。 昔の朱里なら、無理してやってた」
朱里は苦笑した。
「……今回も、やろうとしました」
「でしょうね」
間髪入れずに返されて、朱里は肩をすくめる。
「でも、途中で分からなくなって。 “今の私が言えること”と、“まだ言えないこと”があるって」
美鈴は黙って聞いていた。
評価もしない。結論も出さない。
ただ、親友としてそこにいる。
「嵩さんは?」
「……前に進もうとしてる顔でした」
「それで?」
「それを見て、ちょっと安心して、ちょっと怖くなりました」
正直すぎる言葉が、ぽろりと落ちる。
「置いていかれるのは怖い。でも、足を止めさせたいわけじゃない」
朱里は顔を上げ、美鈴を見る。
「私、ちゃんと好きになったんだなって思いました」
美鈴は、ゆっくりと微笑んだ。
「遅い自覚ですね」
「うるさいです」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
居心地のいい、逃げ場のある沈黙。
「朱里」
美鈴が、少しだけ声を落とした。
「転勤は、現実です。誰かが傷つかずに済む選択は、たぶんない」
朱里は頷く。
「分かってます」
「でもね」
美鈴は続ける。
「“今すぐ答えを出さない”って選択は、逃げじゃない」
朱里の指が、ぴくりと止まる。
「向き合ってるからこそ、保留にできる。 それ、弱さじゃないですよ」
朱里はゆっくり息を吸って、吐いた。
「……美鈴さんが親友でよかった」
「今さら」
美鈴は肩をすくめ、立ち上がる。
「第10章は、ここまでですね」
「え?」
「次からは——“選ぶ話”です」
そう言って、キッチンの照明を消した。
暗くなった部屋で、朱里は一人、思う。
まだ何も決まっていない。
でも、もう「何も感じていないふり」はできない。
答えを急がない、という選択。
それは、今の自分にできる、精一杯の前進だった。
キッチンの照明だけが点いた部屋で、朱里と美鈴は向かい合って座っていた。
テーブルの上には、温くなりかけたマグカップが二つ。
「……で」
美鈴が先に口を開いた。
「結局、どうなったの?」
朱里はスプーンでカップの縁をなぞりながら、少し考えてから答えた。
「何も、決まってません」
「うん」
「でも……何も言わずに終わった、って感じでもないです」
美鈴はそれを聞いて、ふっと息を吐いた。
「朱里らしい答えですね」
「そうですか?」
「ええ。全部言って全部決めて全部背負う、ってやり方。 昔の朱里なら、無理してやってた」
朱里は苦笑した。
「……今回も、やろうとしました」
「でしょうね」
間髪入れずに返されて、朱里は肩をすくめる。
「でも、途中で分からなくなって。 “今の私が言えること”と、“まだ言えないこと”があるって」
美鈴は黙って聞いていた。
評価もしない。結論も出さない。
ただ、親友としてそこにいる。
「嵩さんは?」
「……前に進もうとしてる顔でした」
「それで?」
「それを見て、ちょっと安心して、ちょっと怖くなりました」
正直すぎる言葉が、ぽろりと落ちる。
「置いていかれるのは怖い。でも、足を止めさせたいわけじゃない」
朱里は顔を上げ、美鈴を見る。
「私、ちゃんと好きになったんだなって思いました」
美鈴は、ゆっくりと微笑んだ。
「遅い自覚ですね」
「うるさいです」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
居心地のいい、逃げ場のある沈黙。
「朱里」
美鈴が、少しだけ声を落とした。
「転勤は、現実です。誰かが傷つかずに済む選択は、たぶんない」
朱里は頷く。
「分かってます」
「でもね」
美鈴は続ける。
「“今すぐ答えを出さない”って選択は、逃げじゃない」
朱里の指が、ぴくりと止まる。
「向き合ってるからこそ、保留にできる。 それ、弱さじゃないですよ」
朱里はゆっくり息を吸って、吐いた。
「……美鈴さんが親友でよかった」
「今さら」
美鈴は肩をすくめ、立ち上がる。
「第10章は、ここまでですね」
「え?」
「次からは——“選ぶ話”です」
そう言って、キッチンの照明を消した。
暗くなった部屋で、朱里は一人、思う。
まだ何も決まっていない。
でも、もう「何も感じていないふり」はできない。
答えを急がない、という選択。
それは、今の自分にできる、精一杯の前進だった。



