火曜日。
朱里は朝から緊張していた。
昨日の“居酒屋お誘い練習”の成果を発揮する時が、ついにやってきたのだ。

(今日は絶対に言う!「先輩、飲みに行きませんか?」って!)

しかし、昼休み。
嵩が後輩たちと談笑している姿を見た瞬間、朱里の頭は真っ白になった。

(む、無理だ……!あんな爽やかに笑ってるところで、私が横から「飲みに行きましょう」なんて……!)

結局また何も言えず、午後の仕事に突入する。
ため息ばかりが増えていく朱里。

そんなとき──。

「中谷さん」
「……へっ!?」
背後から嵩の声。思わず変な声を出してしまい、周囲の同僚が振り返る。

「お疲れのところ悪いんですけど、今週、ちょっと相談に乗ってもらえませんか?」
「そ、相談?」

「実はね、次のプレゼン資料の方向性で迷ってて……。もしよかったら、週末あたり、一緒に飲みながら話しません?」

──世界が止まった。

(……い、今、なんて言った!?)

脳内でリプレイ。
“週末、一緒に飲みながら”
……確かに言った。間違いない。

「え、あ、の、あの……」
頭がフリーズして、練習したセリフは一文字も出てこない。
(違う!私が誘うはずだったのに!逆に誘われるとか、何この展開!?)

「ご迷惑なら、無理しなくても大丈夫ですけど」
嵩が少し不安そうに付け加える。

「い、いえ!迷惑じゃないです!全然!!」
食い気味に否定してしまい、デスクの上のペン立てをひっくり返す。

「だっ……!」
慌てて拾う朱里。そんな彼女を見て、嵩は少し驚いたように笑った。

「じゃあ、決まりですね。今週末、居酒屋で」

朱里の心臓は、もはや心拍計に乗せたら危険数値を叩き出しそうだった。

(……こ、これは夢?いや、現実?でもって……どうしよう、服とか、化粧とか、準備……いやその前に会話の練習!?)

帰宅後。
案の定、即座に美鈴へ報告。
「アンタ、やるじゃん!」
「違うの、逆に誘われたの!」
「……こじらせヒロイン、幸運だけは強いわね」

週末の居酒屋デート──。
それは朱里の「大嫌い」ラブコメを、大きく動かす夜になる予感しかしなかった。