大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

午後三時過ぎ。

朱里は画面に向かったまま、マウスを握りしめていた。

資料の文字はちゃんと目に入っている。

入力も、確認も、できている。

――なのに。

スマートフォンが、机の上で震えた。

それだけで、思考が一瞬止まる。

(……違う、仕事中)

そう思いながらも、
視線はもう、スマートフォンのほうへ落ちていた。

画面に表示された名前。

平田嵩

胸の奥が、きゅっと縮む。

通知を開くまでに、三秒。

その三秒が、やけに長い。

《今日、帰りに少し話せる?
 重い話だけど、ちゃんと向き合いたい》

短い文章。

言い訳も、逃げ道もない。

朱里は、すぐに既読をつけなかった。

(……来た)

昨日の夜、
「全部言わない」と決めたはずなのに。
いざ“話す”が現実になると、

心臓が一気に騒ぎ出す。

重い話。

分かっている。

きっと、転勤のことだ。

避けて通れない。

でも、聞いたら何かが変わる。

変わってしまう。

(怖い……)

喉の奥が、きゅっと締まる。

ここで「今日は無理です」と返せば、
少しだけ、時間は稼げる。

でも――
朱里は、ふと昨夜の自分を思い出した。

「逃げなかったってことだから」

あれは、嵩に向けた言葉だったけれど、
同時に、自分への約束でもあった。

逃げない。

全部は言えなくても、
立ち止まらない。

朱里は、深く息を吸い、

スマートフォンを握り直す。

既読をつける。

画面が変わるだけなのに、

胸が大きく脈打った。

返事の欄に、文字を打つ。

《……大丈夫です》

一度、消す。

《話、聞きます》

それも消す。

どれも、少し違う。

「聞く」だけじゃ、足りない。

でも「平気」と言うほど、強くもない。
指が止まる。

(……全部、言わないんでしょ)
(だったら、背負える分だけでいい)

朱里は、もう一度打ち直した。

《はい。
 ちゃんと向き合いたいです》

送信。

その瞬間、
肩から力が抜けた。

逃げなかった。

完璧じゃないけど、誤魔化してもいない。

それでいい。

スマートフォンを伏せ、
朱里は画面に戻る。

心臓はまだうるさい。

でも、不思議と手は震えていなかった。

(言われなかった言葉の、その先)

そこに待っているのが、
答えでも、別れでも、保留でも。

少なくとも今日は、
自分で選んで、そこへ行く。

朱里は小さく息を吐き、
キーボードに指を置いた。

仕事は、まだ続いている。

でも――
もう、昨日の自分とは同じ場所にいなかった。