大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

水曜日の昼。

社内はいつも通りのはずなのに、

朱里は、嵩の背中がやけに遠く感じていた。

(……何か、あった)

理由は分からない。

でも、昨日までの“静かな安心”が、薄く剥がれ落ちた感覚。

嵩はいつも通り仕事をしている。

表情も、声も、態度も。

だからこそ──違和感だけが、残る。

「朱里」

昼休み、背後から声をかけられた。

振り向くと、美鈴が立っていた。

トレーにコーヒーだけを乗せた、いつもの無表情。

「……美鈴、どうしたの?」

「席、空いてる?」

朱里は頷き、二人で窓際の席に座る。

しばらく、何も言わない。

それが美鈴の“前置き”だと、朱里は知っている。

「ね」

「うん?」

「平田くん、昨日から少しおかしい」

朱里の指が、紙コップを握る。

「……やっぱり、そう見える?」

「見える。かなり」

断定。

迷いのない声。

「理由は?」

「分からない。でも……」  

美鈴は一拍置いて、続けた。

「“決断を一人で抱えてる顔”してる」

朱里は、息を詰めた。

(……転勤)

頭に浮かんだ言葉を、口に出せない。

美鈴は、朱里の沈黙を否定しなかった。

「朱里」

「……なに」

「聞くけど。
 あなた、知ってるの?」

朱里は、正直に首を振った。

「まだ、ちゃんとは……」

「そう」

美鈴はコーヒーを一口飲み、静かに言った。

「なら、これ以上一人で抱えさせるのは違う」

その言葉に、朱里は顔を上げる。

「え……?」

「仕事の話でも、将来の話でも」

「“恋人未満”とか、そういう立場は関係ない」

美鈴は、まっすぐ朱里を見る。

「あなたは、もう当事者」

胸に、ずしりと落ちた。

「でも……私が踏み込んでいいのか分からなくて」

「分からないまま、黙るのが一番残酷」

即答だった。

「聞く勇気も、待つ覚悟も、どっちも“踏み込む”ってことだよ」

「何もしないのは、優しさじゃない」

朱里は、唇を噛む。

「……美鈴」

「なに?」

「私、怖いの」

声が震えた。

「もし、転勤って言われて」

「それでも好きだって言われたら」

「……どうすればいいか分からない」

美鈴は、少しだけ表情を緩めた。

「それ、正しい反応」
「怖くない方が変」

そして、はっきりと言った。

「だから──一人で抱えさせない」

朱里だけじゃない。

嵩にも、だ。

「私が動く」

「え?」

「仕事の話として、状況を整理する」

「平田くんにも、朱里にも、ちゃんと“選択肢”が見える形にする」

朱里は驚いた。

「それって……」

「職場の人間として、親友として、両方の立場で」

美鈴は立ち上がり、トレーを持つ。

「朱里」

「……うん」

「逃げないって決めたなら、支えられることは受け取りな」

その背中は、迷いがなかった。

朱里は、胸に手を当てる。

(……一人じゃない)

そう思えた瞬間、
ほんの少しだけ、怖さが軽くなった。

そして同時に──
嵩に、ちゃんと向き合う覚悟が、静かに芽生え始めていた。