大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 金曜の夜。

 駅へ向かう道の途中。

 少しだけ人通りが途切れた場所で、二人は足を止めた。

 街灯の光が、朱里と嵩の距離をそっと照らしている。

「中谷さん」

 嵩の声は、もう震えていなかった。

 逃げる気配も、誤魔化す気配もなかった。

「俺は──あなたが好きだ」

 その言葉は静かで、でも真っ直ぐで。

 夜風よりも先に胸へ届いてきた。

 朱里は呼吸を忘れる。

「ずっと前から、気づいてたのに言えなかった。

 同じ職場で、立場があって、迷惑になるかもしれないって思って……

 でも、それを言い訳にしてただけだと思う」

 一語一語、丁寧に紡ぐように。

「金曜、一緒に歩けた時……
 もう逃げるのはやめようって思った。
 ちゃんと向き合いたいって思った。
 “好きです、中谷さん”」

 世界が止まったみたいだった。

 いや、止まったのは世界じゃなくて朱里の方だった。

(……聞いちゃった。ほんとに、言われちゃった)

 嬉しさ、怖さ、戸惑い、全部が胸いっぱいに押し寄せる。

 返事しなきゃ。

 言葉にしなきゃ。

 でも、声が出ない。

 息ばかりが先に溢れてくる。

「……わ、わた……」

 喉にひっかかって、うまく言えない。

「わ、私……その……あの……っ」

 まとまらない感情が先に顔に出る。

 涙が出そうなのに笑いそうで、笑いそうなのに泣きそうで。

 嵩は一歩だけ近づいた。

 触れない距離で止まってくれる、気遣いの距離。

「ゆっくりでいい。言葉になるまで待つ」

 その言葉が優しすぎて、胸があふれる。

 涙が一粒、零れた。

「っ……待って、ください」

 自分でも驚くほど弱い声だった。

「嬉しいのに、怖くて。
 怖いのに、逃げたくなくて。
 逃げたくないのに、ちゃんと返せる自信がなくて」

 自分の気持ちを掘り起こすように、少しずつ言葉を探す。

「平田さんといると、落ち着かないのに落ち着くし……
 嫌いなところ、探そうとすると全部好きになっていくし……
 こんなの……勝てないじゃないですか……」

 最後の言葉で、ぽとりと涙が落ちる。

 嵩は息を吸って、静かに言った。

「それで充分だよ」

 その優しさに、朱里はやっと笑った。

 泣きながら、笑ってしまった。

「……私も、好きです。
 まだ自信はないけど、逃げません。
 ちゃんと向き合いたいって……思ってます」

 言えた。

 やっと、言葉にできた。

 嵩はふっと息を吐き、少し照れたように笑う。

「……ありがとう。聞けてよかった」

 でも。

 その瞬間、世界は急に容赦なく動き出した。

「な、なかたにせんぱーーーいっ!!」

 背後から全力疾走の足音。

 振り返ると、瑠奈が息を切らして走ってきた。

「やっぱりダメです!!!今の聞きました!?
聞こえました!今の絶対聞こえましたけど私だってまだ勝負しますから!!」

(タイミング!?タイミングどうした!?)

「ちょ、望月、今はその……!」

「わかってます!わかってますけど……!」

 瑠奈の声が震える。

「諦めたくないんです……!」

 静かな夜が、また揺れた。

 けれどもう、以前の金曜日とは違う。

 朱里は涙を拭き、瑠奈に向き合う。

「……ありがとう、瑠奈ちゃん。
 でも、私は逃げないって決めたから」

 宣言。

 ちゃんと前を向くための言葉。

 瑠奈は唇を噛み、それでも笑った。

「……っ。はい。負けませんから。先輩も、覚悟してくださいね」

 背を向ける瑠奈の目元は震えていたけれど、その背筋はまっすぐだった。

 夜風が通り抜ける。

 朱里は嵩の方を向き直り、小さく息を整えた。

「……じゃあ、帰りましょう」

「うん。これから、ゆっくりでいいから」

 二人の歩幅が再びそろう。

 逃げたいのに逃げられなかった帰り道は──
 逃げたくない場所になっていた。