大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 夜風が、少しだけ冷たい。
 並んで歩く帰り道は、いつもより長く感じるはずなのに、気づけば半分ほど過ぎていた。
(“ゆっくり行こう”なんて言われたのに)
 嵩は、朱里の歩幅に自然に合わせてくれている。意識しているのか、無意識なのか──それがわからないのが、また厄介だった。
「……」
 沈黙が続く。
 でも、不思議と居心地は悪くない。
 ただ、静かすぎて、自分の心音ばかりがうるさい。
「中谷さん」
 不意に呼ばれて、肩が跳ねる。
「はい?」
「さっきの話なんですけど」
 さっき──「大嫌い」の話。
(まだ続くの……?)
「最近、言わなくなった理由、聞いてもいいですか」
 嵩の声は穏やかだった。詰めるようでも、探るようでもない。
 ただ、知りたい、という響き。
(ここで誤魔化すのは、ずるい気がする)
 朱里は一度、唇を噛んでから答えた。
「……言うと、面倒くさい人だって思われそうなので」
「思いませんよ」
 即答だった。
 それがまた、胸に刺さる。
「“大嫌い”って言うときって」
 朱里は視線を落としたまま、続ける。
「本当は、嫌いじゃないとき、だったので」
 空気が、ほんの少し張り詰める。
 嵩は足を止めた。
「それって……」
「深い意味はないです!」
 慌てて言葉を被せる。
「ただの、口癖というか、自己防衛というか……」
(何言ってるんだろ、私)
 でも、嵩は否定しなかった。
「自己防衛、ですか」
「……はい」
「近づきすぎると、怖くなるタイプ?」
 図星すぎて、言葉を失う。
「……っ」
「ごめんなさい、変なこと聞きました」
 嵩はすぐに一歩引いた。
 その距離の取り方が、優しすぎて、胸が苦しくなる。
「でも」
 嵩は、少しだけ照れたように笑った。
「そういうの、嫌いじゃないです」
 今度は、朱里が立ち止まる番だった。
「……今、なんて」
「強がりなところ」
 嵩は、まっすぐ朱里を見た。
「中谷さんの、そういうところ」
 頭が、真っ白になる。
(ちょっと待って。これ、どういう意味?)
「……平田さん」
「はい」
「それ、勘違いさせる言い方です」
「勘違い、してほしい場合は?」
 冗談めかした口調なのに、視線は真剣だった。
 朱里は、何も言えなくなる。
(ずるい。ほんとに)
 そのとき。
「──あれ?」
 聞き覚えのある声が、背後からした。
 二人同時に振り向く。
 街灯の下、コンビニの袋を提げた望月瑠奈が、少し驚いた顔で立っていた。
「あ、やっぱり。平田さんと……朱里先輩」
 タイミングが、悪すぎる。
(また……このパターン)
「こんばんは」
 嵩が先に挨拶する。
「こんばんは!」
 瑠奈は明るく返してから、二人の距離をちらりと見た。
「一緒に帰ってたんですね」
「……少しだけ」
 朱里が答えると、瑠奈は意味ありげに笑った。
「へえ。仲いいんですね」
(違う。けど、否定もできない)
「じゃあ、私はこっちなので!」
 瑠奈は軽く手を振り、去っていった。
 残された二人の間に、また沈黙が落ちる。
「……気まずいですね」
 朱里が言うと、嵩は苦笑した。
「ですね。でも」
「?」
「見られて、嫌でした?」
 その質問に、朱里は一瞬迷ってから、正直に答えた。
「……嫌、じゃないです」
 嵩の目が、少しだけ見開かれる。
 でも、すぐに柔らかく細められた。
「それなら、よかった」
(……本当に、心臓に悪い)
 家の前に着く。
「今日は、ここまでですね」
「はい……」
 名残惜しさが、声に滲む。
「中谷さん」
「はい」
「また、ちょっとだけでいいので」
 嵩は、少し照れたように言った。
「一緒に帰りませんか」
 朱里は、小さく息を吸ってから答えた。
「……考えておきます」
 それでも、口元は隠せなかった。
 嵩は、それを見逃さなかった。