大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 その日の午後は、やけに長く感じた。

 数字の並んだ資料を眺めながら、私は何度も同じ行を目で追っていることに気づく。

(……集中しなきゃ)

 なのに、頭の片隅から離れないのは、瑠奈の言葉だった。

──昨日より、顔色いいです。

 自覚はなかった。
 でも、否定できなかった。

「中谷さん」

 会議室で、平田さんが私の名前を呼ぶ。

「ここ、どう思います?」

「……あ、はい」

 慌てて資料に視線を戻す。

 距離は、ちゃんとある。
 仕事の話だけ。
 余計な言葉も、視線もない。

(……なのに)

 胸の奥が、少しだけ落ち着かない。

 会議が終わり、解散の空気になったとき。

「中谷さん」

 また、平田さんの声。

 今度は、ほんの少しだけトーンが低い。

「さっきの提案、助かりました」

「いえ……こちらこそ」

 それだけの会話なのに、心拍数が上がる。

(“なんでもない”はずなのに)

 デスクに戻る途中、スマホが震えた。

 田中美鈴からだ。

『今日、夜空いてる?』

 私は、画面を見つめたまま立ち止まる。

(……美鈴に、話したい)

 でも同時に、言葉にした瞬間、何かが変わってしまいそうで怖い。

『ちょっとだけなら』

 送信して、胸をなで下ろす。

「朱里?」

 背後から名前を呼ばれて、肩が跳ねた。

「はいっ」

 振り返ると、平田さん。

「大丈夫ですか?顔、固まってましたけど」

「だ、大丈夫です」

 反射的に言い切る。

 平田さんは少しだけ眉を下げて笑った。

「無理してませんか」

 その言葉に、心が揺れる。

(……優しくしないで)

 私は、思わず口にしてしまった。

「平田さんって、そういうところ……」

 言いかけて、止まる。

「……?」

 続きを待つ視線。

「……いえ、なんでもないです」

 逃げるように視線を逸らす。

 平田さんは、少し困ったように笑った。

「最近、その“なんでもない”多いですね」

「……気のせいです」

 即答すると、ますます怪しい。

 平田さんは何も言わなかった。
 けれど、その沈黙が、やけに重い。

 仕事が終わり、帰り支度をしながら、私は思う。

(“なんでもない”が増えるたびに)

(本当は、隠してる気持ちが増えてる)

 美鈴に、どこまで話そう。
 瑠奈のこと。
 平田さんのこと。

 そして、あの帰り道の続きを。

 私はバッグを肩にかけ、深く息を吸った。

 今日こそは。

(少しだけ、本音を出そう)