大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 触れているだけの手が、こんなにも落ち着かないなんて。

 私は、自分の鼓動が伝わってしまいそうで、指先に余計な力を入れないよう必死だった。

「……このまま、ずっと立ち話も変ですよね」

 先に視線を外したのは、平田さんだった。

「ちょっとだけ、歩きませんか」

「……はい」

 “ちょっとだけ”。

 その言葉が、どこかお守りみたいで、胸が少し軽くなる。

 二人並んで歩き出すと、さっきまで張り詰めていた空気が、ほんの少し緩んだ。

「中谷さん」

「はい」

「さっきの……“私も”の続き」

 心臓が跳ねる。

「無理に聞かないって言いましたけど」

 困ったように笑う。

「やっぱり、気になります」

「……ずるい」

 小さく呟くと、平田さんは肩を揺らして笑った。

「ですよね」

 少し間を置いて、私は深呼吸する。

 逃げない、と決めた。

「……私」

 声が、思ったより落ち着いていた。

「“大嫌い”って、何度も言ってきましたけど」

 彼が、足を止める。

 私も、立ち止まった。

「本当は」

 ぎゅっと拳を握る。

「好きって言葉が、怖かっただけです」

 街灯の下で、平田さんが真剣な顔で私を見ている。

「期待して、もし違ったらって思うのが、嫌で」

 胸が、じくりと痛む。

「だから、誤魔化してました」

 沈黙。

 でも、不思議と怖くなかった。

「……ありがとうございます」

 平田さんが、静かに言った。

「ちゃんと話してくれて」

「……いえ」

 照れ隠しに視線を逸らす。

「で、ですね」

 少しだけ、強がって言う。

「だからって、すぐどうこうって話じゃないですから」

「分かってます」

 即答だった。

「俺も、同じ気持ちです」

 意外で、思わず顔を上げる。

「急に距離を変えたら、逆に壊れそうですし」

 優しい声。

「だから」

 少し考えてから、続ける。

「ひとつ、約束しませんか」

「約束……?」

「はい」

 平田さんは、ゆっくり言葉を選ぶ。

「仕事中は、今まで通り」

 うなずく。

「でも」

 少しだけ、声が柔らぐ。

「仕事が終わったあとだけは」

 目が合う。

「“上司と部下”じゃなくて、ちゃんと向き合う」

 胸の奥が、じんわり温かくなる。

「……それって」

「焦らず、でも誤魔化さない、って約束です」

 私は、少しだけ考えてから、口角を上げた。

「……ずるい提案ですね」

「よく言われます」

「嘘です」

 思わず笑ってしまう。

 その笑顔につられて、平田さんも笑った。

「……分かりました」

 私は、小さくうなずく。

「その約束、守ってくださいね」

「もちろんです」

 そして、少し照れたように付け足す。

「破ったら……怒ります?」

「怒ります」

 即答すると、彼は目を丸くした。

「本気で」

「……それは、気をつけます」

 二人の間に、くすっと笑いが落ちる。

 まだ恋人じゃない。

 でも、もうただの上司と部下でもない。

 その曖昧な境界線が、今は心地よかった。

 私は心の中で、そっと呟く。

(“大嫌い”って100回言わなくても)

(もう、とっくに気づいてる)

 この気持ちは、間違いなく──。