大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 翌朝。

 会社のエントランスで、瑠奈が平田さんと並んで歩いているのが見えた。

「おはようございます、先輩!」

 私に気づいた瑠奈が、いつもより少しだけ明るい声で言う。

「おはよう……」

 視線が自然と、平田さんへ向いてしまう。

「昨日はありがとうございました。映画の話、すごく楽しかったです」

「こちらこそ。あの作品、やっぱり好み分かれるよね」

 二人は自然に笑い合っている。

(……昨日、私は逃げたのに)

 胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 

 午前中の業務中。

 瑠奈は珍しく、やたらと平田さんのデスクに足を運んでいた。

「この資料、ちょっと見ていただいてもいいですか?」

「うん、今見るよ」

「ありがとうございます!」

 私はキーボードを叩きながら、何度もそのやり取りを横目で追ってしまう。

(いちいち気にするな、私……)

 そう自分に言い聞かせても、集中できない。

 ふと、デスクに小さな紙が滑り込んできた。

《昼、空いてたら一緒に行かない?》

 平田さんの文字だった。

 一瞬、指が止まる。

(……また、二人きり?)

 昨日断ったばかりなのに。

 私は迷った末、小さく返事を書いた。

《少しだけなら》

 すぐに届いた返事。

《ありがとう。じゃあ、いつもの時間に》

 胸が、勝手に高鳴る。



 昼休み。
 会社近くの小さな定食屋。

「最近、元気ないね」

 料理が運ばれてくるなり、平田さんがそう言った。

「そう、見えますか?」

「うん。どこか、考え事してる顔」

 図星すぎて、視線をそらした。

「別に……大したことじゃ」

「無理して笑わなくていいよ」

 その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。

(こんな優しさ、ずるい)

「……平田さんは、誰にでもそうなんですか?」

 思わず、そんな言葉が口から出てしまった。

「え?」

「後輩にも、私にも。誰にでも優しくて」

「そうかな。朱里には、特別甘いかも」

 さりげない一言に、呼吸が止まる。

「……」

「冗談」

 そう笑われても、心臓はもう落ち着いてくれなかった。



 午後、オフィスに戻ると、瑠奈がこちらを見ていた。

「先輩、お昼……平田さんとですよね?」

 やっぱり、見られていた。

「偶然……時間が」

「そうですか」

 瑠奈はにこっと笑ってから、少し前に踏み出す。

「私、今日も平田さんと少し話す約束してるんです」

 挑戦的でもあり、報告のようでもある声。

「……そう」

「先輩、平田さんのこと、上司としてしか見てないって言ってましたよね」

 胸が、ずきっとする。

「……今も、そうだよ」

 嘘だった。

 でも、正直には言えなかった。

「安心しました」

 そう言った瑠奈の笑顔が、やけに胸に刺さった。


 その日の帰り。

 私は一人で駅へ向かっていた。

 後ろから聞こえる二人分の足音。
 振り向かなくても、分かってしまう。

 並んで歩く瑠奈と平田さん。

 楽しそうな笑い声が、夜の空気に溶けていく。

(……私、何してるんだろう)

「大嫌い」

 小さくつぶやいたその言葉は、
 誰に向けたものなのか、自分でも分からなかった。

 嫉妬なのか、後悔なのか、自己嫌悪なのか。

 ただ一つだけ、はっきりしているのは──

 私はもう、「何とも思ってない」ふりができなくなっていた。