土曜日の朝。朱里は布団の中で、昨夜の出来事を思い返していた。



 ──雨上がりの夕方。

 嵩と並んで歩いているところを、突然、



「おっ、平田さんと中谷先輩だ!」



 と声をかけてきたのは、コンビニ袋をぶら下げた望月瑠奈だった。



 あまりにも自然に、あまりにもピンポイントに。

 隠れる間もなく、真正面から見られた。



(……あれ絶対、誤解されてる……)



 瑠奈の「え〜、なんか雰囲気よかったですねぇ♡」という軽い笑顔が脳裏にこびりついて離れない。

 その後の会話で、朱里は説明も否定も曖昧なまま逃げるように別れた。



 だからこそ、土日はずっと落ち着かなかった。



(平田さんは、どう思ったんだろ……瑠奈にあんなふうに声かけられて)



 そのもやもやを抱えたまま、週末が過ぎていった。



 ──そして、月曜の朝。



 気付けば朱里は、いつもより15分早く会社に着いていた。



(いや……別に、嵩さんに早く会いたかったわけじゃない。

 ただ、週明けってバタつくし、気持ちの準備が必要だっただけで……たぶん)



 自分に言い訳しつつエントランスを抜けようとした瞬間──



「……あ、中谷さん。おはよう」



 その声に、朱里の体はびくっと反応する。



「ひ、平田先輩……! おはようございます!」



 振り向けば、朝の光の中で少し眠たげに微笑む嵩の姿があった。



「早いね。珍しい」



「っ……まあ、色々あって……」



「色々?」

 嵩が、意味深に目を細める。



(あ……絶対、瑠奈と会ったこと、気にしてる……)



 朱里が固まると、嵩はふっと優しく言った。



「少し話せる? 応接室、今なら空いてる」



「え……あ、はい!」



 逃げられない、逃げる気もない。

 そんな不思議な感覚のまま、二人は応接室へ向かった。



 ドアを閉めると、朝の光が差し込む静かな部屋。

 嵩はコーヒーを置き、朱里のほうへ向き直る。



「土日……ゆっくりできた?」



「はい、一応……」



「ならよかった。俺はちょっと……気になってた」



「き、気に……?」



 嵩は、少し言いづらそうに頭を掻いた。



「金曜の帰り。瑠奈さんに会ったでしょ?」



「っ……!」



 やっぱり気にしてた。



「急に声かけられて、中谷さん、困ってたから……

 ちゃんと、続き話さなきゃと思って」



「つ、続き……?」



 嵩はゆっくりと朱里を見た。



「中谷さんが“また映画行きたいです”って言ったこと。

 ……あれ、俺にとっては結構大事な言葉だったんだ」



「……っ!」



 朱里の胸の奥で、金曜のあの瞬間が一気に熱を持つ。



 嵩は続ける。



「だから今日、早く来た。

 ……あの日の“帰り道の続き”を、ちゃんと話そうと思って」



 その声音はやわらかくて、少しだけ踏み込んでいて。



 朱里の息が、少しだけ震えた。



(……やだ。何これ。土日より、今日のほうがずっと落ち着かない)



「中谷さん。

 ──金曜の続き、ちゃんと聞いてくれる?」



 朱里は静かに、でも確かにうなずいた。