美鈴たちが角を曲がって消えていくのを見送った瞬間、
 雨上がりの道が、やっと静けさを取り戻した。

 朱里は胸の奥で、ほわっと何かが溶けるような感覚がした。

(……二人きり。ほんとに、二人きり……)

 さっきまでのドタバタが嘘みたいに、足音だけが並んで響く。

「さっき……すみませんでした」
 朱里は思わず切り出してしまう。
「なんか……巻き込んじゃって」

 嵩は、歩くスピードを朱里に合わせるようにゆるめた。

「巻き込んだのは僕のほうですよ。誘ったのは僕なので」

「でも、その……瑠奈ちゃんもいて……」
「賑やかで良かったですけどね」

「いや、賑やかすぎましたよ……!」

 言った瞬間、朱里の声が思ったより大きくて、
 自分で驚く。

 嵩がふっと笑った。

「中谷さんって、意外と感情出ますよね」
「で、出ませんよ……!?」
「いえ、出てます」

 朱里は耳まで赤くなる。

(や、やめて……そんなやさしい顔で言われたら……!)

 なんで“やさしい顔”って自覚してるんですか、この人は。

 嵩はふと立ち止まり、ポケットからハンカチを取り出した。

「……ここ、濡れてますよ」
 そう言って、朱里の肩にそっと触れ──
 雨のしずくを拭ってくれた。

「っ……!」
(近……っ!!)

 一瞬で心臓が跳ねる。

 さっきまでの喧騒なんて吹き飛んで、
 朱里は一歩後ろに下がりそうになる……けど、
 動けなかった。

 嵩は何事もなかったように歩き出す。

「雨、あがってよかったですね」
「は、はい……」

 朱里は内心、

(ぜんぜんよくない……!心臓が落ち着かない……!)

 と思いながら、慌てて後をついていく。

 会社の前まで来ると、嵩が小さく息をついた。

「今日は……ありがとうございます」
「え……私のほうが……」

 朱里が言いかけた瞬間。

 ぽつ、ぽつ──

「……え?また?」

 まさかの二回目の雨。

「なんで今日に限って……!」

 朱里が顔を上げたとき、嵩はもう自分の傘を朱里に差し出していた。

「貸します」
「えっ、でも……平田さん濡れちゃいます」
「大丈夫です。家近いので」

「でも……」

「中谷さんが風邪ひくほうが困りますから」

 その“困ります”が妙にやさしくて、朱里は胸を押さえた。

「……借ります。ありがとうございます」

 嵩は軽く笑って、ひらひらと手を振る。

「じゃ、また月曜に」

 朱里は傘の下から嵩を見つめる。

「……はい。月曜に」

 ほんの数十メートル離れるだけなのに、
 嵩の背中が遠くなる。

(どうしてだろ……。別れ際のほうが、会いたくなる……)

 ふっと、朱里は小さく笑った。

「また……歩けるといいな」

 誰にも聞こえない声でつぶやいて、
 傘を握りしめた。