●第2章 青空の落とし物
陸は待ちに待った2度目の駐屯地当直伝令に上番していた。
『町田3曹・・・また会えるかもしれない・・・』
当直の任務より、3週間前に突然現れたあの人のことが頭を占める。用もなく給湯室を覗きに行く自分が、少し滑稽に思えた。
ピピピ!ピピピ!Gショックのアラームが鳴る。
「やばい!」国旗掲揚の時間だ。
慌てて当直指令室に駆け戻る陸。
「おい!武村士長、どこに行ってたんだ!ラッパの時間だぞ!」
当直陸曹の江川1曹に注意され
「すみません、ちょっと緊張しちゃって、トイレに・・・」
と言い訳をしながら、黒いハードケースからラッパを取り出す陸。
駐屯地当直指令室の時計が08:29:30になり、駐屯地放送が流れる。
「本日のラッパ手は第35普通科連隊 武村士長です。」
アナウンスから15秒ほど間がある。
緊張の瞬間。少し鼻息が荒い。
唇を少し湿らせて、マウスピースになじませる。
直立不動でラッパを構え、少し暖かい息を入れて管を温め、カウントダウンを待つ
いつもより脈拍が早い。
いつもより呼吸が粗い。
08:29:57・58・59・
08:30:00 パッパッパッパラパー!
信号ラッパによる「気を付け」が鳴ると、駐屯地中の自衛隊員が『気を付け』をして師団司令部の国旗掲揚塔の方角に正対をする。
続けて信号ラッパの「君が代」が厳かに流れ、ゆっくりと日の丸の旗が国旗掲揚塔に昇っていく。
てっぺんまで登りつき、はためく日の丸。
信号ラッパで「休め」「課業開始」を吹き終わり、ほっとした陸は、急に便意を催した。
「すみません。トイレ行ってきます」
「さっき言ってたんじゃないのか?」
「今度は大です!」
廊下へ飛び出し、トイレへ急ぐ陸。

「指令、彼、緊張してるって言ってたわりに、見事なラッパでしたね・・」
「ああ、私が守山で聴いたラッパの中で一番上手い。」
駐屯地当直の二人は陸のラッパに感心していた。

陸がトイレから戻ってくると、当直指令は原隊でやることがあるからと席を外していた。
「武村士長のラッパは見事だねえ。学生時代なにか楽器でもやってたのか?」
と江川が声をかける。
「はい。高校の吹奏楽部でトランペットを・・・」
話が進むうちに、江川の名札の『10Z』という部隊名が気になり尋ねる。
「あの、、、つかぬことなんですが、江川1層の所属・・『10Z』って、どこなんですか?」
「付隊」
「ずきたい?」
「10師団司令部付隊・・・まあ、何でも屋だよ(笑)」
「へえー。『づきたい』なのに『D』じゃなくて『Z』なんですね?」と意外と鋭い指摘に
「なんでだろう?マジ〇ガーZみたいでかっこいいからじゃないか?」
と冗談話をしているところに、
トントントン!というノック音。
「町田3曹入ります!」
という聞き覚えのある凛とした声。
振り返った瞬間、胸が痺れる。
「あ!」
町田も陸に気付く。
「あ!この前はありがとうございました!」
「どういたしまして。」ふわりとシトラスの香りが陸の横を通り過ぎる。
「江川1曹、当直中にすみません。師団長の観閲式の段取りまとめておきましたので、目を通しておいていただいてもいいですか?」
「おお、ありがとう。ちょうどここ(駐屯地当直)はあんまりやることないから助かるよ」
と言って町田3曹の持ってきた書類を受け取った。
「ところで町田3曹と武村士長は知り合いなんか?」
「前回、伝令就いた時に、自分がドジしてちょっと怪我した時にお世話になりました。」
「そんなお世話って程でもないでしょ。絆創膏巻いただけなんだから・・・」
「いいねー若いってのは!結構結構!」何故かうれしそうな江川。
「江川1曹、からかわないで下さい。まだ、何もありませんから。」
「おお『まだ』ってことは、これから何かあるってことかな?」
部隊の後輩女子をいじる江川
今ならセクハラで訴えられかねない。
「もう!江川1曹!」少しむくれる町田の目は笑っている。

「武村士長はうちのルミなんてどうかな?」と突拍子もない質問をぶん投げた。
「ルミ・・ですか?」
「流れるように美しいと書いて流美。うちの箱入り娘だ!」
「ちょっと、変なこと言わないで下さい!私江川1曹の娘じゃありません!」
と町田が遮る。
「流美さんっていうんですね?素敵です。」
本音だった。
少し照れたように目線を反らす町田。
「だろ!いい女なんだけどなあ・・・」
意味深な言い方をする江川に
「江川1曹、いい加減にしないと怒りますよ!私は部隊に戻りますんで、書類頼みますね。」
「武村士長、またね。」
そう言い残すと、町田は師団司令部の方に戻っていった。
陸の脳は痺れていた。
町田の左腕に白地に赤線2本の部隊当直の腕章がぶら下げっているのを見落とすほどに。

『町田・・・流美・・流美っていうんだ、、、素敵な名前・・・
 でも、江川1曹の意味深な言い方が気になる・・・』

「仲がいいんですね?」
「まあ、あいつの親父とは空挺レンジャーの同期でなあ。同じ釜の飯を食った兄弟みたいなもんだから、藤田・・いや、町田は姪っ子みたいなもんなんだよ。」
「へー、そうなんですね。自分は新教(新隊員教育隊)習志野で、区隊長が元空挺だったんで、空挺の人は尊敬してます。本物の精鋭ですよね!」
「そうか、武村士長も習志野におったんか。懐かしいな。」
「藤田んとこは代々軍人の家系らしくて、あ、『藤田』ってのは旧姓な『町田』の。藤田の親父さん・・つまり、町田のじいちゃんは太平洋戦争で亡くなったんだとよ。御国の為に死んだ親父の意思を継ぐために自衛隊に入ったって言ってたよ、藤田は・・・。」
少し寂しそうな表情で虚空を見つめ、一度目を閉じると、江川は話を続けた。
「意識も高くて優秀な奴だったんだけど、運がなかったよな。降下訓練中に一緒に降りた俺の落下傘とあいつの落下傘が絡まってな、あいつは俺を助ける為に主傘を切り離して、予備傘を開こうとしたんけどな・・・開かなくて・・・」
目を真っ赤にした江川はつづける
「先に降下してそれを見てた仲間たちの『予備傘!予備傘!』て大声で叫ぶこえが聞こえるくらい地面が迫ってた。」
「ドスン!っていう鈍い音がいんまだに忘れらんねえんだよな。あの事故の後、俺は転属希望を出して、空挺を辞めたんだ。もう10年になるか。」
思わずもらい泣きをしてしまった陸は、言葉をなくした。
「すまんな、辛気臭い話をしちまって・・・」
「いえ、そんな過去があったなんて・・・新教の区隊長が話してくれた話がまさか町田3曹のお父さんの話だったなんて・・・」
新教の時に一度聞いた痛ましい事故の話を、リアルな当事者の体験談としてもう一度聞くことになろうとは思いもよらなかった。

「町田の母ちゃんとも藤田と結婚する前からの知り合いでな。流美のことも生まれたころから知ってるから、姪っ子みたいなもんなんだよ。あの事故の後、流美を連れて実家の名古屋に帰るって言うから、俺も守山に転属希望出したんだ。なんか責任感じてな。せめて流美が大きくなるまで近くで見守っててあげたくて・・・」
「完全に『見守る父の愛』ですね。」
「まあ、そんなもんだな。そうこうしているうちに流美まで自衛隊に入っちまって、何の縁か今じゃ同じ部隊で勤務しとるとはな・・・。何とか幸せになってほしいんだけど、彼女も男運がなくてな。『いい人が出来たから江川さんに紹介するね』って言って会わせてくれるんだけど、どうにもこうにもうまくいかないんだよな・・・母親に似て美人なのに・・・『運』がない・・・」
「運がないんですか?」
「そうだな、なぜか流美が紹介してくれた男は・・・」
・・・どこかで見た顔な気がしていた・・江川は言いかけて言葉を飲み込んだ。
「武村士長も流美の事狙ってんなら、俺に紹介してもらえるようにがんばれよ!ガハハハッ。」
と湿っぽい空気を吹き払う様に笑った。
日曜日の夜、陸が給湯室に使い終わった急須と湯呑を洗いに行くと、流美が先にきていて洗い物をしていた。
「あ、町田3曹、お疲れ様です。」
「お疲れ様。明日で下番だね。」
「そうですね・・・。あの・・・もしよかったら、お昼でもご馳走させてくれませんか!?
 この間のお礼に・・・」
「いいよ、お礼なんか。冗談だから。」と軽く流した流美を
「自分が行きたいんです。町田3曹と!」とまっすぐに見つめる陸。
「・・・」
少し考えた流美は笑顔で命令下達をした。
「では、明日のヒトヒトサンマル、ナナちゃん下集合!」
「ヒトヒトサンマル、ナナちゃん下集合、了解!」
復唱した陸は流美に敬礼で応えた。