●第4章 受け継いだ魂
子供が出来たことを口実に強引に陸と入籍した梨乃。陸は真実を知らない。
陸の連れてきた真理を受け入れる梨乃。陸は梨乃に感謝する。
平穏に10年が過ぎたかに思えたが、仕事三昧の陸に疑惑を持ち続ける梨乃。
ワンオペ育児に梨乃のストレスは蓄積され、不倫に走る。
・・・不倫の末出来た他人の子供を何も言わずに育ててあげたのに、私が浮気したら鬼の首でもとったよう・・・
もう人間として許せない。我慢できないから、あんなハラスメントのデパートみたいな人。
もう別れようかと思うんだけど、あなたたちはどっちに付いていく?
突然の母の悲痛な訴えに、思考停止した真理は、母の証言を鵜のみにして、母と一緒に家を出る決意をした。
光はいつもと違う母の様子に違和感を覚えつつも、強烈なトラウマを植えつけられた恐怖の対象である父と二人っきりの生活は無理という判断で、母についていくことに決めた。
そうして母子の家出作戦は決行されることとなる。
思えば、梨乃の一方的な言い分を聞いただけで、実のところ、真実かどうかは確証がない。むしろ普段と違う母の様子に疑念が残る。
梨乃と光は別居後すぐに、一度だけ陸に会いに行った。
というよりも、持ってきたかったが、車に乗りきらず、やむを得ず前の家に残してきた荷物を取りにいったのだ。
************************************************************
梨乃と光が運びきれなかった荷物を前の家に取りに行ってる間、真理は引っ越しの段ボールを開け、片付けをしていた。
バランスが悪かったのか、とりあえず積んでいた本や雑誌が崩れる。その中に紛れていた「母子健康手帳」を偶然見つけた真理は何げなく母子手帳を手に取った。
・・・あ!私のだ!?・・・
パラパラとページを捲り、目に飛び込んできた文字にショックを受ける。
子の保護者 母(妊婦)町田流美 S44年1月3日生(26歳) 自衛官・・・
・・・町田流美って誰!?私のお母さん!?
小6の少女には衝撃の事実。片付けが進まないまま夕方を迎える。
************************************************************
梨乃が荷物を積み込んでいる中、陸は「梨乃、ちょっと光を借りるぞ」と言って、光に向かって手振りで車に乗るように促した。
特に行く当てもなく、近所をドライブ。
「どうだ?」
「何が?」
「やんちゃしてるみたいだな?」
知ってるんだぞという顔で陸が尋ねると
「ちょっとは強くなったと思う。刑事の知り合いも出来たし、だいぶやられたから、多少の事では動じなくなったよ」と虚勢を張る。
「まあ、あんまり母さんを泣かせるなよ」
「父さんに言われたくないよ!散々浮気してたんでしょ?」
意を決して核心を突いたつもりの光だったが
「母さんからどんな話をされたかは知らんけど、最近は仕事三昧で全然遊ぶ暇なんてなかったよ!お前には申し訳ないけど、確かに真理が生まれる前は正直浮気してたよ。」
陸は少し空を見上げて、寂しそうな表情をした。
「でもあれは浮気じゃない。本気だ。家族を捨ててでもその人と一緒になりたいと思った人がいた。光がいなければそっちに行ってたかもな?でも、もう十年以上も前の話だ。」
「山梨の愛人の話?」リミッターの外れた光がカマをかける。
鼻で笑う陸。
「ちがうちがう。光の言ってるのは、もしかして桃の話か?あれはお金出して買ってるのに、送り主が女の名前だったから、母さんずーっと疑ってんだよ(笑)
モデルルームに来てた契約社員の女の子の実家が桃農家で、時々売り物にならない桃を持ってきて食べさせてくれてたんだけど、それが無茶苦茶美味くってさ。そんで、お金出すから来年も桃送ってくれる?って頼んで取り寄せただけなのに(笑)」
光は車の中であれこれと質問をして、母から聞いた話の真贋を確かめようとした。先に聞いていた母の話の影響が大きかったので、それは本当かと父にぶつけてみたものの、一部は認め、一部は否定されたということ。結局どちらの証言が本当なのか判らなかった。
今となっては確かめようがないが、もしかしたら母が自分を正当化しようとして、あることないこと、本当のことに作り話あるいは妄想を織り交ぜたことで、全体的に真実味を帯びて、「悪い父」という虚像が作り出されたのかもしれない。母の保身のための計算と洗脳によって。
ドライブを終え、前の家に戻ると、荷物を積み終わった梨乃がくつろいでいた。
「少しは話しできた?」
「うん、まあまあ」
「光、何か欲しいものあったら持って行っていいぞ。」
「何でもいいの?・・・そういえばギターやりたかったんだよね!」
独り暮らしになった父はリビングを音楽室にしていて、電子ピアノの置いてある横の壁に設置されたギターフックにはエレキギターが5本ぶら下がっていた。
「ギターでもいいの?」
「気に入ったやつがあったらやるから持ってけよ」
やや目移りしたオレは少し悩んでから、マットブラックのテレキャスターを指さして
「これいい?」と父に言った。
父は壁のフックからギターを外すと、ギグバッグに入れて手渡してくれた。
「やっぱりあっちのもかっこいいな・・・」
「お前、なかなか目が高いな!一番のお気に入りだ。」
父は、モンキーグリップの白いギター・・・指板に植物のインレイが入ったIbanezをハードケースに入れると
「もってけドロボー」と言ってその一本も渡してくれた。
父が言うには世界最高のギタリストのシグネチャーモデルなのだそうだ。
思いがけないお土産をもらったオレはテンションが上がっていた。
「じゃあ行くね、元気で・・」吹っ切れた感じの母
オレを乗せた母の車を見送る父。
この再開が父との永遠の別れになるとは、オレも母も知る由がなかった。
今年もセミの声がうるさい。
オレは夏が好きだ。
本能のままに、命を紡ごうとする懸命な魂の叫び。
セミの鳴き声が響く中、果たしたあの夏の仇討ち。
生まれ変わったオレは地面に潜った。
終わりの始まり。
オレが中2のころ、両親は離婚した。母が言うには、理不尽な父に我慢がならず、これ以上一緒に居られないから家を出ていくつもりだという。妹と一緒に母に呼ばれた時、滝のように溢れ出る父に対する愚痴をさんざん聞かされた挙げ句、オレと妹はどっちに付いていくのかを問われた。
休みの日も仕事に行ったり、朝早くから夜遅くまで働いていて、あまり家にいる印象のない父。普通に家族の為に汗水たらして働いてくれていると思っていたが、母の証言は違っていた。仕事は建前で、本当は遊び歩いていることもあるようだ・・・
母の談によると、オレが生まれる前から浮気をしていて、彼女を住んでいたアパートに連れてきたこともあるという。同じ男として女性にもてる父は誇らしくもあったが、人間的にはどうか?という葛藤もあった。
小6の妹はそんな父を軽蔑していて、母についていくことにためらいはなかった。
オレはというと、空手の好手である父の戦闘力に憧れもあり、母の言い分だけを鵜呑みにするのもどうかというジレンマに悩んだが、母方の祖父の説得もあり、結局母についていくことにした。
父のいない間に、父に知られず、母子3人そろって家を出るという計画を聞かされた時、何故そんなにコソコソと逃げ出すような事をしなければならないのか疑問だった。実行は昼間だったが、やっていることは夜逃げと変わらない。こんなやり方、やましいことがある人間のやり方じゃないのか?
父が会社に行ってる間に予めまとめてあった荷物を車に積み込み、新しく借りたアパートに運び込む。当日は祖父も軽トラックで引っ越しの手伝いにやってきた。
夕方までかかって荷物を運び終えると、祖父が回転寿司に連れて行ってくれた。
好物だったはずの寿司の味が分からなかった。
父と別居後間もなく、前の家から運びそびれていた荷物を取りに、母と二人で父を訪ねた時にもらった2本のギター。オレは暇さえあればそのギターをひたすら弾いていた。しかし、全くの我流、楽譜すら読めなかったオレは練習しても、なかなか思うように弾けるようにはならなかったが、
「継続は力なり」それなりに音楽になってきた。
父に聴いてもらいたい・・・父に教えてもらいたい・・・
そんな思いから、母に内緒でギターを背負って自転車に乗り、父の住む前の家の前に行ってみたことがあった。しかし、いざ家を前にすると、ピンポンを押す勇気が湧いてこず、そのまま引き返すことが数度。曜日や時間はまちまちだったが、家の中からはいつも、父が引いているであろうピアノの音が響いていた。今思えば、仕事三昧だった父が別居をしたとたん、急にピアノ三昧になっていた事にどうして違和感を持たなかったのか?
自分の事ばかり考えていて、父の心境を全く理解しようとしなかった自分を悔いた。
オレがピンポンを押す勇気が湧かなかった理由は、父からギターをもらう前の車中の些細な会話の中にあった。
「この先、何か困ったことがあれば相談に乗れるように、連絡先くらい教えておけよ」
といった父に対して
「何で教えなきゃいけないの?」
という、今思えば、父の思いを踏みにじる、とても失礼な対応をしてしまったことに謝罪する勇気を持てなかったことに他ならない。
そんなオレに対して、父は怒るわけでもなく、
「そうか」といって家の方にに車を向かわせた。
その時の父の何とも言えない、それ以上何も言わず、無表情という表現では言い表せない顔がかえってオレを不安にさせた。沈黙のまま前の家に帰りつき、荷物の積み込みが終わって母とアパートに帰ろうとする直前に、
「光、何か欲しいものあったら持って行っていいぞ。」
と言われ、その時、父のギターコレクションからもらったエレキギター。
マットブラックのテレキャスターとモンキーグリップの白いIbanezが父の形見となる。
寒さが厳しくなると、自転車で外に出かけるのもおっくうになり、前の家に行くことはなくなった。
少し暖かくなった4月頃、久しぶりに前の家の近くに行った際、ふと前の家の前にいってみると、「武村陸」という表札は外されており、郵便ポストには「売り家」と書かれた不動産やのパネルが黄緑色の養生テープで留められていた。
いつも響いていたピアノの音は聞こえない。
家、売りに出してんだ・・・
別居しだして半年くらいで・・・
そうか!?
そういえば、いつ来てもピアノが鳴っていたということは、仕事を辞めて収入がなくなり、お金がきつくなって売りに出したのか?俺たちとの想い出の家なんてもう必要なくなったんだな!という寂しさの混じった怒りが湧いて、すぐに消えた。
吹っ切れたというのはこういう感覚なのか?
光の頭の中で何か糸のようなものが切れ、軽くなった感覚があった。
いくらくらいで売りに出してるんだろう?下世話な好奇心が芽を出した。
光は売り家と書かれたパネルに記載してあった電話番号に電話を掛けた。
「お電話ありがとうございます。凸凹不動産でございます。」
2コール目が鳴る前に、やや甲高い声で営業マンらしい男が出た。
「蓮田市黒浜の物件の件でお伺いしたいんですが・・・」
「少々お待ちください」
営業マンは甲高い声で答えると、
「あー、そちらの物件はとても格安でご案内できるので、是非一度内見されてみてはいかがでしょうか?」まくしたてるように言う。
「あ、いや、いくらくらいかな?と思って」
営業マンの声は少し低いトーンになって、
「実は少し訳ありでして・・・お電話ではご案内しておりません。」
「じゃあいいです」光は電話を切った。
別に買うわけじゃないし・・・。めんどくさいやつ。
売りに出されている金額が気になって不動産屋に電話した光だったが、営業マンの「訳あり」というセリフが気になったいた。離婚くらいで訳ありになるか?
以前テレビで、訳あり物件を検索するサイトがあるのってのを見たことがあるのを思い出し、家のパソコンで「訳あり物件 サイト」と検索すると、
いくつか不動産屋っぽいサイトが並んでいた。少しスクロールしてみると、
「事故物件を調べるサイト6選」というサイトがあり、クリックして、さらにスクロールしてみると
「1・大島へる」という文字が目に飛び込んできた。
これだ!テレビでやってたやつだ。間違いない!
リンクの貼られた「大島へる」という青い文字をクリックすると、炎の上に筆文字で「大島へる」と書かれたサイトにとんだ。
ホーム画面には日本地図が載っており、地域ごとに家事のような炎のアイコンの上に数字が示されていた。マウスのローラーを上にスクロールすると、日本地図が拡大されていき、炎のアイコンがばらけていく。さらに拡大していくと、地図に合わせて炎が散らばっていき、個別の物件を識別できるところまで拡大ができる。
長年住んでいるエリアから、前の家を見つけるのにさほど時間はかからなかった。
前の家が燃えている!
地図上の炎をクリックすると
「平成21年3月頃 埼玉県蓮田市黒浜●● 孤高死」と記載されていた。
光は後頭部を鈍器で殴られた様なショックを受け、暫く呆然としていた。
・・・父は死んだのか?
暫くして我に返った光は「孤高死」って何?という疑問が浮かび、検索してみた。
「孤高死」という言葉は、一般的に「孤独死」と同義で使われることが多いが、より厳密には、社会とのつながりが希薄で、誰にも看取られずに亡くなることを指す。孤独死は、一人暮らしの人が自宅で亡くなり、死後しばらく経ってから発見される状況を指すことが多いが「孤立死」は、社会との接触がほとんどなく、亡くなっても周囲に気づかれにくい状況を指す
父の場合はどちらかというと「孤立死」だったのだろうか。
オレが連絡先を教えなかったことで、家族からも孤立し、仕事を辞めて社会からも孤立し、好きなピアノを弾くことで孤独感を紛らわせていたのだろうか?
オレのせいか?
後悔に押しつぶされそうになる。
気になっていた売り出し価格は、もうどうでもよくなっていた。
父の死が信じられなかった光は、携帯の電話帳から「鷹山刑事」を探した。
久しぶりにコールする。
プルルル・・プルルル・・プルルル・・プルルル・・プルルル・・
出ない。忙しいのだろう。
自責の念に駆られておかしくなりそうになる自分を擁護するために、怒りの矛先が母の不倫相手に向くようになっていた。母に内緒で母の手帳を盗み見て、スケジュールに何度も出てくる
「金内さん」という名前が気になっていた。
母をそそのかし、うちの家庭を壊し、父を孤立させたのは「金内」に違いない。
まだ見ぬ金内に対する「殺意」が湧いていることを否定することはできなかった。
父のいなくなったことを知った年の夏、オレは図らずも「金内」と対面することになった。
子供が出来たことを口実に強引に陸と入籍した梨乃。陸は真実を知らない。
陸の連れてきた真理を受け入れる梨乃。陸は梨乃に感謝する。
平穏に10年が過ぎたかに思えたが、仕事三昧の陸に疑惑を持ち続ける梨乃。
ワンオペ育児に梨乃のストレスは蓄積され、不倫に走る。
・・・不倫の末出来た他人の子供を何も言わずに育ててあげたのに、私が浮気したら鬼の首でもとったよう・・・
もう人間として許せない。我慢できないから、あんなハラスメントのデパートみたいな人。
もう別れようかと思うんだけど、あなたたちはどっちに付いていく?
突然の母の悲痛な訴えに、思考停止した真理は、母の証言を鵜のみにして、母と一緒に家を出る決意をした。
光はいつもと違う母の様子に違和感を覚えつつも、強烈なトラウマを植えつけられた恐怖の対象である父と二人っきりの生活は無理という判断で、母についていくことに決めた。
そうして母子の家出作戦は決行されることとなる。
思えば、梨乃の一方的な言い分を聞いただけで、実のところ、真実かどうかは確証がない。むしろ普段と違う母の様子に疑念が残る。
梨乃と光は別居後すぐに、一度だけ陸に会いに行った。
というよりも、持ってきたかったが、車に乗りきらず、やむを得ず前の家に残してきた荷物を取りにいったのだ。
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梨乃と光が運びきれなかった荷物を前の家に取りに行ってる間、真理は引っ越しの段ボールを開け、片付けをしていた。
バランスが悪かったのか、とりあえず積んでいた本や雑誌が崩れる。その中に紛れていた「母子健康手帳」を偶然見つけた真理は何げなく母子手帳を手に取った。
・・・あ!私のだ!?・・・
パラパラとページを捲り、目に飛び込んできた文字にショックを受ける。
子の保護者 母(妊婦)町田流美 S44年1月3日生(26歳) 自衛官・・・
・・・町田流美って誰!?私のお母さん!?
小6の少女には衝撃の事実。片付けが進まないまま夕方を迎える。
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梨乃が荷物を積み込んでいる中、陸は「梨乃、ちょっと光を借りるぞ」と言って、光に向かって手振りで車に乗るように促した。
特に行く当てもなく、近所をドライブ。
「どうだ?」
「何が?」
「やんちゃしてるみたいだな?」
知ってるんだぞという顔で陸が尋ねると
「ちょっとは強くなったと思う。刑事の知り合いも出来たし、だいぶやられたから、多少の事では動じなくなったよ」と虚勢を張る。
「まあ、あんまり母さんを泣かせるなよ」
「父さんに言われたくないよ!散々浮気してたんでしょ?」
意を決して核心を突いたつもりの光だったが
「母さんからどんな話をされたかは知らんけど、最近は仕事三昧で全然遊ぶ暇なんてなかったよ!お前には申し訳ないけど、確かに真理が生まれる前は正直浮気してたよ。」
陸は少し空を見上げて、寂しそうな表情をした。
「でもあれは浮気じゃない。本気だ。家族を捨ててでもその人と一緒になりたいと思った人がいた。光がいなければそっちに行ってたかもな?でも、もう十年以上も前の話だ。」
「山梨の愛人の話?」リミッターの外れた光がカマをかける。
鼻で笑う陸。
「ちがうちがう。光の言ってるのは、もしかして桃の話か?あれはお金出して買ってるのに、送り主が女の名前だったから、母さんずーっと疑ってんだよ(笑)
モデルルームに来てた契約社員の女の子の実家が桃農家で、時々売り物にならない桃を持ってきて食べさせてくれてたんだけど、それが無茶苦茶美味くってさ。そんで、お金出すから来年も桃送ってくれる?って頼んで取り寄せただけなのに(笑)」
光は車の中であれこれと質問をして、母から聞いた話の真贋を確かめようとした。先に聞いていた母の話の影響が大きかったので、それは本当かと父にぶつけてみたものの、一部は認め、一部は否定されたということ。結局どちらの証言が本当なのか判らなかった。
今となっては確かめようがないが、もしかしたら母が自分を正当化しようとして、あることないこと、本当のことに作り話あるいは妄想を織り交ぜたことで、全体的に真実味を帯びて、「悪い父」という虚像が作り出されたのかもしれない。母の保身のための計算と洗脳によって。
ドライブを終え、前の家に戻ると、荷物を積み終わった梨乃がくつろいでいた。
「少しは話しできた?」
「うん、まあまあ」
「光、何か欲しいものあったら持って行っていいぞ。」
「何でもいいの?・・・そういえばギターやりたかったんだよね!」
独り暮らしになった父はリビングを音楽室にしていて、電子ピアノの置いてある横の壁に設置されたギターフックにはエレキギターが5本ぶら下がっていた。
「ギターでもいいの?」
「気に入ったやつがあったらやるから持ってけよ」
やや目移りしたオレは少し悩んでから、マットブラックのテレキャスターを指さして
「これいい?」と父に言った。
父は壁のフックからギターを外すと、ギグバッグに入れて手渡してくれた。
「やっぱりあっちのもかっこいいな・・・」
「お前、なかなか目が高いな!一番のお気に入りだ。」
父は、モンキーグリップの白いギター・・・指板に植物のインレイが入ったIbanezをハードケースに入れると
「もってけドロボー」と言ってその一本も渡してくれた。
父が言うには世界最高のギタリストのシグネチャーモデルなのだそうだ。
思いがけないお土産をもらったオレはテンションが上がっていた。
「じゃあ行くね、元気で・・」吹っ切れた感じの母
オレを乗せた母の車を見送る父。
この再開が父との永遠の別れになるとは、オレも母も知る由がなかった。
今年もセミの声がうるさい。
オレは夏が好きだ。
本能のままに、命を紡ごうとする懸命な魂の叫び。
セミの鳴き声が響く中、果たしたあの夏の仇討ち。
生まれ変わったオレは地面に潜った。
終わりの始まり。
オレが中2のころ、両親は離婚した。母が言うには、理不尽な父に我慢がならず、これ以上一緒に居られないから家を出ていくつもりだという。妹と一緒に母に呼ばれた時、滝のように溢れ出る父に対する愚痴をさんざん聞かされた挙げ句、オレと妹はどっちに付いていくのかを問われた。
休みの日も仕事に行ったり、朝早くから夜遅くまで働いていて、あまり家にいる印象のない父。普通に家族の為に汗水たらして働いてくれていると思っていたが、母の証言は違っていた。仕事は建前で、本当は遊び歩いていることもあるようだ・・・
母の談によると、オレが生まれる前から浮気をしていて、彼女を住んでいたアパートに連れてきたこともあるという。同じ男として女性にもてる父は誇らしくもあったが、人間的にはどうか?という葛藤もあった。
小6の妹はそんな父を軽蔑していて、母についていくことにためらいはなかった。
オレはというと、空手の好手である父の戦闘力に憧れもあり、母の言い分だけを鵜呑みにするのもどうかというジレンマに悩んだが、母方の祖父の説得もあり、結局母についていくことにした。
父のいない間に、父に知られず、母子3人そろって家を出るという計画を聞かされた時、何故そんなにコソコソと逃げ出すような事をしなければならないのか疑問だった。実行は昼間だったが、やっていることは夜逃げと変わらない。こんなやり方、やましいことがある人間のやり方じゃないのか?
父が会社に行ってる間に予めまとめてあった荷物を車に積み込み、新しく借りたアパートに運び込む。当日は祖父も軽トラックで引っ越しの手伝いにやってきた。
夕方までかかって荷物を運び終えると、祖父が回転寿司に連れて行ってくれた。
好物だったはずの寿司の味が分からなかった。
父と別居後間もなく、前の家から運びそびれていた荷物を取りに、母と二人で父を訪ねた時にもらった2本のギター。オレは暇さえあればそのギターをひたすら弾いていた。しかし、全くの我流、楽譜すら読めなかったオレは練習しても、なかなか思うように弾けるようにはならなかったが、
「継続は力なり」それなりに音楽になってきた。
父に聴いてもらいたい・・・父に教えてもらいたい・・・
そんな思いから、母に内緒でギターを背負って自転車に乗り、父の住む前の家の前に行ってみたことがあった。しかし、いざ家を前にすると、ピンポンを押す勇気が湧いてこず、そのまま引き返すことが数度。曜日や時間はまちまちだったが、家の中からはいつも、父が引いているであろうピアノの音が響いていた。今思えば、仕事三昧だった父が別居をしたとたん、急にピアノ三昧になっていた事にどうして違和感を持たなかったのか?
自分の事ばかり考えていて、父の心境を全く理解しようとしなかった自分を悔いた。
オレがピンポンを押す勇気が湧かなかった理由は、父からギターをもらう前の車中の些細な会話の中にあった。
「この先、何か困ったことがあれば相談に乗れるように、連絡先くらい教えておけよ」
といった父に対して
「何で教えなきゃいけないの?」
という、今思えば、父の思いを踏みにじる、とても失礼な対応をしてしまったことに謝罪する勇気を持てなかったことに他ならない。
そんなオレに対して、父は怒るわけでもなく、
「そうか」といって家の方にに車を向かわせた。
その時の父の何とも言えない、それ以上何も言わず、無表情という表現では言い表せない顔がかえってオレを不安にさせた。沈黙のまま前の家に帰りつき、荷物の積み込みが終わって母とアパートに帰ろうとする直前に、
「光、何か欲しいものあったら持って行っていいぞ。」
と言われ、その時、父のギターコレクションからもらったエレキギター。
マットブラックのテレキャスターとモンキーグリップの白いIbanezが父の形見となる。
寒さが厳しくなると、自転車で外に出かけるのもおっくうになり、前の家に行くことはなくなった。
少し暖かくなった4月頃、久しぶりに前の家の近くに行った際、ふと前の家の前にいってみると、「武村陸」という表札は外されており、郵便ポストには「売り家」と書かれた不動産やのパネルが黄緑色の養生テープで留められていた。
いつも響いていたピアノの音は聞こえない。
家、売りに出してんだ・・・
別居しだして半年くらいで・・・
そうか!?
そういえば、いつ来てもピアノが鳴っていたということは、仕事を辞めて収入がなくなり、お金がきつくなって売りに出したのか?俺たちとの想い出の家なんてもう必要なくなったんだな!という寂しさの混じった怒りが湧いて、すぐに消えた。
吹っ切れたというのはこういう感覚なのか?
光の頭の中で何か糸のようなものが切れ、軽くなった感覚があった。
いくらくらいで売りに出してるんだろう?下世話な好奇心が芽を出した。
光は売り家と書かれたパネルに記載してあった電話番号に電話を掛けた。
「お電話ありがとうございます。凸凹不動産でございます。」
2コール目が鳴る前に、やや甲高い声で営業マンらしい男が出た。
「蓮田市黒浜の物件の件でお伺いしたいんですが・・・」
「少々お待ちください」
営業マンは甲高い声で答えると、
「あー、そちらの物件はとても格安でご案内できるので、是非一度内見されてみてはいかがでしょうか?」まくしたてるように言う。
「あ、いや、いくらくらいかな?と思って」
営業マンの声は少し低いトーンになって、
「実は少し訳ありでして・・・お電話ではご案内しておりません。」
「じゃあいいです」光は電話を切った。
別に買うわけじゃないし・・・。めんどくさいやつ。
売りに出されている金額が気になって不動産屋に電話した光だったが、営業マンの「訳あり」というセリフが気になったいた。離婚くらいで訳ありになるか?
以前テレビで、訳あり物件を検索するサイトがあるのってのを見たことがあるのを思い出し、家のパソコンで「訳あり物件 サイト」と検索すると、
いくつか不動産屋っぽいサイトが並んでいた。少しスクロールしてみると、
「事故物件を調べるサイト6選」というサイトがあり、クリックして、さらにスクロールしてみると
「1・大島へる」という文字が目に飛び込んできた。
これだ!テレビでやってたやつだ。間違いない!
リンクの貼られた「大島へる」という青い文字をクリックすると、炎の上に筆文字で「大島へる」と書かれたサイトにとんだ。
ホーム画面には日本地図が載っており、地域ごとに家事のような炎のアイコンの上に数字が示されていた。マウスのローラーを上にスクロールすると、日本地図が拡大されていき、炎のアイコンがばらけていく。さらに拡大していくと、地図に合わせて炎が散らばっていき、個別の物件を識別できるところまで拡大ができる。
長年住んでいるエリアから、前の家を見つけるのにさほど時間はかからなかった。
前の家が燃えている!
地図上の炎をクリックすると
「平成21年3月頃 埼玉県蓮田市黒浜●● 孤高死」と記載されていた。
光は後頭部を鈍器で殴られた様なショックを受け、暫く呆然としていた。
・・・父は死んだのか?
暫くして我に返った光は「孤高死」って何?という疑問が浮かび、検索してみた。
「孤高死」という言葉は、一般的に「孤独死」と同義で使われることが多いが、より厳密には、社会とのつながりが希薄で、誰にも看取られずに亡くなることを指す。孤独死は、一人暮らしの人が自宅で亡くなり、死後しばらく経ってから発見される状況を指すことが多いが「孤立死」は、社会との接触がほとんどなく、亡くなっても周囲に気づかれにくい状況を指す
父の場合はどちらかというと「孤立死」だったのだろうか。
オレが連絡先を教えなかったことで、家族からも孤立し、仕事を辞めて社会からも孤立し、好きなピアノを弾くことで孤独感を紛らわせていたのだろうか?
オレのせいか?
後悔に押しつぶされそうになる。
気になっていた売り出し価格は、もうどうでもよくなっていた。
父の死が信じられなかった光は、携帯の電話帳から「鷹山刑事」を探した。
久しぶりにコールする。
プルルル・・プルルル・・プルルル・・プルルル・・プルルル・・
出ない。忙しいのだろう。
自責の念に駆られておかしくなりそうになる自分を擁護するために、怒りの矛先が母の不倫相手に向くようになっていた。母に内緒で母の手帳を盗み見て、スケジュールに何度も出てくる
「金内さん」という名前が気になっていた。
母をそそのかし、うちの家庭を壊し、父を孤立させたのは「金内」に違いない。
まだ見ぬ金内に対する「殺意」が湧いていることを否定することはできなかった。
父のいなくなったことを知った年の夏、オレは図らずも「金内」と対面することになった。



