●第2章 歪んだ魂
少し時は遡る。小学校卒業を間近に控えたある日、
「光、真理、大事な話があるからちょっといい。」と母がめずらしく私たち兄妹をダイニングに呼んだ。
「お母さんとお父さん、色々あってね。別れることにしたんだけど」
少しの沈黙の後、目を潤ませた母は、今まで溜めていた愚痴を怒涛のように吐き出し、父のことをなじりだした。
普段はどちらかというと、あまり人のことを悪く言わず、我慢強く人を擁護するタイプの母だった。ただ、この時だけは人が変わったように、何か憑き物を払うかのように、必死になって父のことを悪く言っていた。そうすることで『自分は悪くない、悪いのはあの人』と言わんばかりに。父のことを悪く言えば悪く言うほど、相対的に自分の罪が軽くなると信じて疑わない母がいた。
兎に角は母必死で、半狂乱とまではいかないが、やや錯乱していた様子だった。独り言なのか、回想なのか、何を言っているのかわからないところもあり、正確に母の言ったことを認識できている自信はないが、要約するとこんなところだろう。
父は家族の為に身を粉にして働いているふりをしていただけ。
仕事三昧のように見えても実は女遊びを繰り返していたこと。
父は、兄が生まれる前から浮気をしていて、その彼女を家に連れて来たこと。
更に彼女との関係を認めなければ別れると切り出したこと。
困り果てた母は子育てを優先し、渋々父の提案を受け入れたこと。
父は仕事という建前で、家に帰ってこない日も度々あったらしい。半年ほど山梨に単身赴任をしていた時は虎に翼をつけて野に放ったようなもの。向こうではきっと、やりたい放題だったはず!と母は言う。山梨からモモが送られてきたことがあったが、あれは『あっちの女に違いない。』と母は今でも思っていて、山梨の彼女?から送られてきたそのモモには、一切手を付けなかった。
父が務めていた会社がリーマンショックの影響で支社を閉めることになり、転職を余儀なくされたが、転職した後も父の仕事っぷり?は変わることはなく、家に帰らない日も度々。どうせ女遊びをしているに違いない。
そんな父に対して嫌気が刺した母は、バイト先の同僚(男)と飲み会で意気投合し、色々なことを相談するようになったという。
相手も既婚者だったから『ただの相談相手』で「仕事終わりに時々会っては相談していただけなの・・・」と母は言う。何故かそのことに感付いた父が、自分のしてきたことは棚に上げて、母のことを罵倒し、相手の男を母に呼び出させたのだそうだ。ノコノコと出てきた相手の男は父に鬼詰めされ、慰謝料を払う羽目になったという。
きついお灸を据えられた母と浮気相手は『今後、職場以外では一切会わない。一切連絡は取らない。万一約束を破った際は追加で慰謝料100万円を支払う』という条文を加えた示談書にサインをしていた。
示談したのもつかの間。
父が3日間東京のホテルに缶詰めになる泊りがけの研修で家を留守にした際、母に魔が刺した。父の勘は異常に鋭く、わずかに不審だった母の挙動を見逃さなかった。父は研修から戻った翌日、蓮田市役所敷地内にある、ATMが並んでいる裏の駐車場に母を呼び出した。買い出しに付き合っていた私も車内で辛辣なやり取りを聞くことになる。
いつもとは違う母から漂う緊張感に、居ないふりをしろと私の中の神様が言う。
母の運転するステップワゴンが市役所の駐車場に着くと、助手席に乗り込んできた。
「最近どう?」と前置きする父。
後部座席で横になり息を潜める私に気付いた様子はない。
「携帯貸してもらっていい」と言って母の携帯電話を受け取った。
ポチポチと何度か母の携帯をいじった後、質問を始めた。
陸「あいつとはもう会ってないの?」
梨乃「うん」
陸「連絡は?」
梨乃「とってないよ」
陸「ホント?」
梨乃「うん」
陸「ホント??」
梨乃「うん」
陸「嘘ついてる?」
梨乃「うううん」
陸「知ってると思うけど、俺超能力者だから」
梨乃「そうだっけ?」
陸「『やばい』って何?『旦那』『から』『呼び出し』って何?
梨乃「え!?そんな・・・」
とぼける梨乃
陸「『バレてない』『と思う』って何?バレてるのに・・」
青ざめる梨乃。
陸「『もうつく』『いったんおわり』って何?」
市役所に向かいながらやりとりしていた『消したはずのメッセージ』を読み上げる陸。
眉間にシワを寄せ、沈黙する梨乃
『どうして?・・・確実に消したはずなのに・・・』
・・・便利機能、予測変換というのは恐ろしい・・・
額から頬にかけて汗が伝う。動揺を隠しきれない母に
「もう嘘はやめようよ。すぐにバレるから。そんなに慰謝料払いたいんだったら払わせてあげるよ。
今からあいつに電話するね。」
父は自分の携帯の電話帳から「金内博」を探して、コールした。
3コールの後
男「はい、金内です・・」
陸「武村です。電話出るんだね?何の電話だかわかる?」
金内「いえ・・・」
陸「約束破ったらどうなるか覚えてる?」
金内「え!?破ってませんけど」
陸「約束破ったらどうなるか覚えてるか?って聞いてるんだよ。まあいい。
最近梨乃といつ連絡とった?」
金内「あの時以来・・・最近は・・連絡取ってません・・・」
陸「とぼけんなよ!梨乃がゲロったよ。ついさっきも連絡とってただろうが!」
キレて言葉遣いが悪くなる陸。さらに
「秒でバレる嘘ついてんじゃねーよ!正直に言わねーと心象わるくなんぞ!」と畳みかける。
観念した金内は「一昨日会いました・・・」と正直に話した。
「で、どこで?・・・目的は?・・・何した?・・・それで、どうなった?」
詳細な取り調べ尋問は続いた。
言い訳交じりではあったが、大筋正直に話した金内に
「分かった。示談書の約束は守ってもらうからな!また連絡する。」と言って電話を切った。
刑事顔負けの、狡猾ともいえる巧妙なやり取りで金内から事情聴取した父は
「もう言い訳できないぞ。お前から誘ったんだって?」
母の額からは汗が噴き出していて、前髪がぺちゃんこに張り付いていた。
しばらく沈黙が続き、母の顎から垂れた汗の雫がタイトスカートを濡らし、水染みを作っていた。
「俺が何でここに呼び出したか分かる?」
ギョッとした表情で陸を見る母。
「梨乃が悪いんだから、自分で離婚届けもらってきて。ここでサインしてあげるから。」
「ごめんなさい。慰謝料は払うから、離婚は・・・子供たちのこともあるし・・」
父はそれ以上無理強いはせず、自分の車に乗り換えると、仕事に戻った。
「ごめんね、真理。こんな事になって、、、」
後部座席で横になり存在感を消していた私に優しく言う母。
言葉に詰まり何も言えない私。
両親がこんな事になっていたショックもあり、不安の闇に侵された私は、普段とは違う父に恐怖した。
その時の母の言い訳しか聞いていない私は、以来父のことが嫌いになった。
父は普段から定休日が分からない程仕事三昧で、あまり家に居ることはなかった。お世辞にも家事育児に積極的に参加しているタイプではなかったが、家族のイベント事があるときは仕事を休んで私たちの為に時間を作ってくれた。父が家に居ないことに慣れていた母は「昔から、亭主元気で留守がいい」って言うでしょ!とよく言っていたが、私には意味が分からなかった。
ピアノ教室の発表会では、父が一緒にステージに立って演奏してくれたこともある。
教室の友達から「いいなぁ、真理ちゃんのお父さん」と言われるたびに、こっそり誇らしく思っていた。
そんな誇らしかった父の裏の顔を見たような気がした。
少し時は遡る。小学校卒業を間近に控えたある日、
「光、真理、大事な話があるからちょっといい。」と母がめずらしく私たち兄妹をダイニングに呼んだ。
「お母さんとお父さん、色々あってね。別れることにしたんだけど」
少しの沈黙の後、目を潤ませた母は、今まで溜めていた愚痴を怒涛のように吐き出し、父のことをなじりだした。
普段はどちらかというと、あまり人のことを悪く言わず、我慢強く人を擁護するタイプの母だった。ただ、この時だけは人が変わったように、何か憑き物を払うかのように、必死になって父のことを悪く言っていた。そうすることで『自分は悪くない、悪いのはあの人』と言わんばかりに。父のことを悪く言えば悪く言うほど、相対的に自分の罪が軽くなると信じて疑わない母がいた。
兎に角は母必死で、半狂乱とまではいかないが、やや錯乱していた様子だった。独り言なのか、回想なのか、何を言っているのかわからないところもあり、正確に母の言ったことを認識できている自信はないが、要約するとこんなところだろう。
父は家族の為に身を粉にして働いているふりをしていただけ。
仕事三昧のように見えても実は女遊びを繰り返していたこと。
父は、兄が生まれる前から浮気をしていて、その彼女を家に連れて来たこと。
更に彼女との関係を認めなければ別れると切り出したこと。
困り果てた母は子育てを優先し、渋々父の提案を受け入れたこと。
父は仕事という建前で、家に帰ってこない日も度々あったらしい。半年ほど山梨に単身赴任をしていた時は虎に翼をつけて野に放ったようなもの。向こうではきっと、やりたい放題だったはず!と母は言う。山梨からモモが送られてきたことがあったが、あれは『あっちの女に違いない。』と母は今でも思っていて、山梨の彼女?から送られてきたそのモモには、一切手を付けなかった。
父が務めていた会社がリーマンショックの影響で支社を閉めることになり、転職を余儀なくされたが、転職した後も父の仕事っぷり?は変わることはなく、家に帰らない日も度々。どうせ女遊びをしているに違いない。
そんな父に対して嫌気が刺した母は、バイト先の同僚(男)と飲み会で意気投合し、色々なことを相談するようになったという。
相手も既婚者だったから『ただの相談相手』で「仕事終わりに時々会っては相談していただけなの・・・」と母は言う。何故かそのことに感付いた父が、自分のしてきたことは棚に上げて、母のことを罵倒し、相手の男を母に呼び出させたのだそうだ。ノコノコと出てきた相手の男は父に鬼詰めされ、慰謝料を払う羽目になったという。
きついお灸を据えられた母と浮気相手は『今後、職場以外では一切会わない。一切連絡は取らない。万一約束を破った際は追加で慰謝料100万円を支払う』という条文を加えた示談書にサインをしていた。
示談したのもつかの間。
父が3日間東京のホテルに缶詰めになる泊りがけの研修で家を留守にした際、母に魔が刺した。父の勘は異常に鋭く、わずかに不審だった母の挙動を見逃さなかった。父は研修から戻った翌日、蓮田市役所敷地内にある、ATMが並んでいる裏の駐車場に母を呼び出した。買い出しに付き合っていた私も車内で辛辣なやり取りを聞くことになる。
いつもとは違う母から漂う緊張感に、居ないふりをしろと私の中の神様が言う。
母の運転するステップワゴンが市役所の駐車場に着くと、助手席に乗り込んできた。
「最近どう?」と前置きする父。
後部座席で横になり息を潜める私に気付いた様子はない。
「携帯貸してもらっていい」と言って母の携帯電話を受け取った。
ポチポチと何度か母の携帯をいじった後、質問を始めた。
陸「あいつとはもう会ってないの?」
梨乃「うん」
陸「連絡は?」
梨乃「とってないよ」
陸「ホント?」
梨乃「うん」
陸「ホント??」
梨乃「うん」
陸「嘘ついてる?」
梨乃「うううん」
陸「知ってると思うけど、俺超能力者だから」
梨乃「そうだっけ?」
陸「『やばい』って何?『旦那』『から』『呼び出し』って何?
梨乃「え!?そんな・・・」
とぼける梨乃
陸「『バレてない』『と思う』って何?バレてるのに・・」
青ざめる梨乃。
陸「『もうつく』『いったんおわり』って何?」
市役所に向かいながらやりとりしていた『消したはずのメッセージ』を読み上げる陸。
眉間にシワを寄せ、沈黙する梨乃
『どうして?・・・確実に消したはずなのに・・・』
・・・便利機能、予測変換というのは恐ろしい・・・
額から頬にかけて汗が伝う。動揺を隠しきれない母に
「もう嘘はやめようよ。すぐにバレるから。そんなに慰謝料払いたいんだったら払わせてあげるよ。
今からあいつに電話するね。」
父は自分の携帯の電話帳から「金内博」を探して、コールした。
3コールの後
男「はい、金内です・・」
陸「武村です。電話出るんだね?何の電話だかわかる?」
金内「いえ・・・」
陸「約束破ったらどうなるか覚えてる?」
金内「え!?破ってませんけど」
陸「約束破ったらどうなるか覚えてるか?って聞いてるんだよ。まあいい。
最近梨乃といつ連絡とった?」
金内「あの時以来・・・最近は・・連絡取ってません・・・」
陸「とぼけんなよ!梨乃がゲロったよ。ついさっきも連絡とってただろうが!」
キレて言葉遣いが悪くなる陸。さらに
「秒でバレる嘘ついてんじゃねーよ!正直に言わねーと心象わるくなんぞ!」と畳みかける。
観念した金内は「一昨日会いました・・・」と正直に話した。
「で、どこで?・・・目的は?・・・何した?・・・それで、どうなった?」
詳細な取り調べ尋問は続いた。
言い訳交じりではあったが、大筋正直に話した金内に
「分かった。示談書の約束は守ってもらうからな!また連絡する。」と言って電話を切った。
刑事顔負けの、狡猾ともいえる巧妙なやり取りで金内から事情聴取した父は
「もう言い訳できないぞ。お前から誘ったんだって?」
母の額からは汗が噴き出していて、前髪がぺちゃんこに張り付いていた。
しばらく沈黙が続き、母の顎から垂れた汗の雫がタイトスカートを濡らし、水染みを作っていた。
「俺が何でここに呼び出したか分かる?」
ギョッとした表情で陸を見る母。
「梨乃が悪いんだから、自分で離婚届けもらってきて。ここでサインしてあげるから。」
「ごめんなさい。慰謝料は払うから、離婚は・・・子供たちのこともあるし・・」
父はそれ以上無理強いはせず、自分の車に乗り換えると、仕事に戻った。
「ごめんね、真理。こんな事になって、、、」
後部座席で横になり存在感を消していた私に優しく言う母。
言葉に詰まり何も言えない私。
両親がこんな事になっていたショックもあり、不安の闇に侵された私は、普段とは違う父に恐怖した。
その時の母の言い訳しか聞いていない私は、以来父のことが嫌いになった。
父は普段から定休日が分からない程仕事三昧で、あまり家に居ることはなかった。お世辞にも家事育児に積極的に参加しているタイプではなかったが、家族のイベント事があるときは仕事を休んで私たちの為に時間を作ってくれた。父が家に居ないことに慣れていた母は「昔から、亭主元気で留守がいい」って言うでしょ!とよく言っていたが、私には意味が分からなかった。
ピアノ教室の発表会では、父が一緒にステージに立って演奏してくれたこともある。
教室の友達から「いいなぁ、真理ちゃんのお父さん」と言われるたびに、こっそり誇らしく思っていた。
そんな誇らしかった父の裏の顔を見たような気がした。



