●第5章 北風の便り
回り道をして、同棲するようになった陸と流美だったが、蜜月は長く続かなかった。
朔風払葉(さくふうはをはらう)。北風が波乱を告げる。
流美とスーパーで買い出しをしている陸の携帯が鳴る。
梨乃からだ。
「もしもし?」
「もしもし、りっくん?・・ちょっと、話しできる?」
「あ、ごめん。ちょっと出先だから後で掛け直す。」と言って電話を切る。
「ん・誰?」
パスタの袋を買い物かごに入れながら流美が尋ねる。
「ああ、元カノ。」
「ふーん。正直だね陸は。そういうトコ好きだよ。」
気になるそぶりを見せない流美。女の勘は鋭い。
流美の部屋に戻り、
「ちょっと電話してくるね・・・」
と言ってバルコニーに出る陸。
数分後、顔色を曇らせて戻って来た。
「流美さん・・・俺、どうしたらいいんだろう?」
ソファーに腰かけ頭を抱える。
横に座り陸の肩に手を置く流美。
「良くない話?」
「・・・」
流美の胸に顔をうずめて黙り込む陸。
陸の頭を撫でながら
「よしよし、お姉さんに話してみなさい!」
「・・・」
なかなか口を割らない陸。
「無理に話さなくていいよ・・・」
優しく包み込む流美。
しばしの沈黙。
「今更・・・子供ができたから、一度群馬に来いって・・・」
絶句する流美。
嫌な展開が頭をよぎり、陸を包む腕に力が籠る。
今更引き返せない・・・もう、独りは嫌!
「俺、流美と離れたくない。」
「大丈夫、私もだよ。」
抱きしめ合う二人。
いつしか日が沈み、夜の帳が二人を包む。
梨乃の電話から3週間後、東京行き上り新幹線のぞみの車中に陸と流美の姿があった。
年末年始休暇を利用して再び上京する陸。祖父の墓参りに行くという口実の流美。
帰省ラッシュのさなかだったが、上りの新幹線は意外と空いていた。
ひじ掛けを上げて、黙ったまま座席で手をつなぐ二人。
運命の糸が縺れ出す。
東京駅で新幹線を降りると山手線に乗り換え、上野まで。上野から宇都宮線に乗り久喜駅で二人は下車した。
陸は構内のJRと東武線の乗り換え口を通って東武伊勢崎線に乗り換え、梨乃の実家の最寄り駅・茂林寺前に向かった。流美はそのままJR久喜駅の改札を出て、祖父の眠る天王院霊苑へ向かった。天王院はJR久喜駅西口から徒歩8分の閑静な住宅街の中にある。16世紀の初め頃創建された由緒ある曹洞宗の寺院だ。境内にある八雲神社は毎年7月に開かれる「久喜の提灯祭り・天王様」で大変な賑わいをみせる。戦国時代の歴史に詳しい陸ならば、ちょっとしたウンチクを語ってくれそうなところだ。
流美は駅前通りをまっすぐ進み、通り沿いの小さな花屋で切り花を買うと、市役所通りと交わる交差点脇から斜めに入り、大銀杏の横の歴史のありそうな立派な門を抜ける。左の方に進むと墓地が広がっていた。年末と言うこともあり、墓参する人はまばらだ。
母に書いてもらったメモを頼りに墓石を探す流美。
「母さんの記憶もあてにならないなあ・・・」
母のメモとは1本ずれた通りの同じ位置に「〇藤田家先祖代々の墓」という墓石を見付けた。
誰かが参ってくれた後だったのだろう、新しい花が供えられており、香炉からまだ線香の匂いがしていた。流美も花を足す様に供え、ろうそくから線香に火を移した。手で仰いで火を消すと、香炉に線香を刺し、手を合わせ目を閉じた。
『おじいちゃん、お父さん、ご無沙汰しちゃってごめんね。この間、私の旦那さんがそっちに行ったばかりだと思うから、もう彼から色々聞いてるかな?ちょっと似た人をまた好きになっちゃったんだけど、私がんばるね。遠くから見守ってて!応援よろしく!』
心の中でつぶやくと、目を開けた。天王院を後にし、祖母の家へ向かった。
その頃陸は、茂林寺前駅に着いたところだった。
無人駅の改札を出ると、志津から借りた赤いPassoの窓から手を振る梨乃。
「りっくん!」
陸も手を挙げ、助手席に乗り込む。
「体調・・どう?」
「うん、まあまあ。」
駅から車で10分ほど走った田園を抜けると梨乃の実家が見えてきた。
古びたフェンスの内側に畑があり、畑の間の通路を抜けると正面に横長の母屋があり、手前にある納屋の前に車を停めた。
「着いたよ。」
「ありがとう。広いね。」
「田舎だからね・・・」
昔ながらの農家の作りに何度も増築しているのだろう。外壁の柄が何種類か分かれている。
正面にある引き違いの玄関から入ると、すぐ左の和室に通された。
奥の方から物憂げなオルゴールの調べが聞こえた。
「遠いところすみませんね・・・」母の志津が顔を見せた。
「あ、これお口に合うか分かりませんが・・・」と名古屋土産の栗まんじゅうを手渡す。
「あ、そんなのいいのに。本当にすみません。」と恐縮しながら受け取ると、
「仏さまに上げてきますね」と言って、襖を開け、一番西側の奥にある続き間の和室に移動する。
なんとなく志津についていく二人。
床の間と押入れの間にある仏壇にはいくつも位牌が並んでいた。
志津はマッチでろうそくに火を灯すと、線香に火を移し、手で仰いで火を消す。
線香から一筋の煙が立ち昇る。線香を香炉にさし、おりんを「チーン」と鳴らす。
志津に習い、仏壇に手を合わす2人。
長押の上には和装の遺影の横に軍服姿の男が2人。
一人は梨乃の祖父。もう一人は梨乃の祖母である梅の弟だという。
二人の戦死者を出した松田家の血筋は梅の必死の努力で何とかつながっていた。
梨乃が廊下を挟んで北側の奥の部屋に梅を呼びに行く。
「おばあちゃん、りっくんが来てくれたよ」
高齢で腰は曲がっていたが、しっかりとした足取りの老婆は、和室に入ると正座をして
「遠いところ、よう来てくださいました・・・」と陸に頭を下げた。
「初めまして。武村陸です。」陸も梅に頭を下げる。
「ここじゃあなんですから、あちらでお茶にしましょう。」
志津は玄関横の和室に行くよう促した。
年季は入っているがしっかりした造りのテーブルを囲む3人。
「陸さ、足を崩してください」と梅に言われ
「すみません、じゃあ」と胡坐をかく陸。
台所から戻って来た志津は、せんべいの入った菓子器をテーブルの真ん中に置き
「良かったらつまんでください。」と言うと、静かにお茶を注ぎ始めた。
4つの湯呑を陸、梅、梨乃の順に差し出すと、最後の一つを自分の前に置いた。
不自然に重い空気。
「志津さん、巌はどうした?」と梅。
「それが、朝から何も言わずに出掛けちゃって・・・さっきも電話したんですがつながらないんです。せっかく遠くから陸さんが来てくれたのに、あの人・・・」と申し訳なさそうな志津。
「お父さん何考えてるの?」やきもきする梨乃。
「梨乃、陸さんに子供のことは言ったの?」
「うん、一応」
「昨日もお父さんには、陸さんが来ること言ってあったのに・・・」
「巌の馬鹿垂れが・・・相変わらずどうしょうもねえ」
再び空気が重くなる。
「陸さ、梨乃から聞いとるかもしれんが、わしは弟と主人を戦争で亡くしとる。女手一つで何とか家を守りながら、巌を育ててきたんじゃが、育て方を間違ったよおじゃの。」
と言って再び陸に頭を下げ
「陸さ、ほんに申し訳ねえ。巌のことはわしが何とかするから、梨乃のことを頼みます」と懇願した。
「おばあちゃん、頭を上げてください」
梅は頭を上げなかった。
「後生ですから・・・梨乃を・・・」
「分かりましたから、頭を上げてください!」
お昼になっても連絡がつかない巌。戻ってくる可能性を諦めた陸は、お昼をご馳走になった後、再び梨乃と茂林寺前駅に戻った。無人駅のホームで電車を待つ陸を赤城おろしが容赦なく吹き付け、心まで深く突き刺す。
老い先短いであろう梅から、頭を下げられ、半ば済し崩し的に梨乃のことをお願いされた陸の心は沈むように重く、電車の中から流美にメールで緊急事態を知らせる遭難信号を送った。
《メーデー!メーデー!メーデー!》
そのメールを亡き父の実家で受信した流美は、祖母に挨拶をして藤田の家を後にした。
・・・陸・・・嫌な予感・・・
久喜駅で合流した二人は大宮まで行き、予約してあったホテルにチェックインを済ませた。荷物を置いた後、再び外出をして一緒に夕食をとると、ホテルに戻り2人でベッドに寝転んだ。
陸の脇に猫の様に潜り込む流美。
「リク・オツカレ・リク・オツカレ・
リク・ゲンキナイ・リク・ダイジョウブ?」
とロボットアニメのマスコットキャラの声真似でおどける。
ぼおっとして考え込む陸。
「さっきから黙ってないでさあ・・何があったのか話して!」
「ごめん。」
包み隠さず、流美に一部始終を話したものの、これから具体的にどうしたらいいのか、まったくイメージがわかない。
「頼みます」ってずるい。包括的に頼むのと、限定的に頼むのではまるで話が違う。
ただ、逆に言えば、元の話が曖昧である以上、包括的に頼んだつもりでも、こちらは限定的に頼まれたと解釈したということで筋は通るのでは?
3世代の女性だけの話で、主の巌がまだ登場していない。もともと一筋縄でいかない相手、考えたところで、どうこうなるもんでもないか・・・
「流美さん、普通に考えたら、『責任取れ』って話なんだろうけど、どう思う?」
「まあ、責任の取り方も色々だから・・・
これからの陸の方針として、いくつかのパターンが考えられるけど、
① 結婚して子供を産ませる
② 結婚はせずに、子供を認知だけする
③ 結婚も、認知もしない
④ 子供を諦めてもらう。
こんなもんかな?」
論理的に考えた流美は落ち着いた口調で続ける。
「そもそも、
③ の『結婚も認知もしない』は無責任だから、陸には向いてないし責任を取ったことにはならないからボツ。
④ はある意味責任ある選択だと思うけど、陸の性格だと無理なんじゃないの?
私が思うに、結局のところ陸は①か②で迷うことになる。
梨乃さんの事をお願いされてるわけだから、普通に考えると①を求めてるよね?
・・・でも、私は、陸がどっちを選んでも陸の選択を尊重するよ!」
と言ってみたものの、本当は②を選んで欲しい流美だった。でもここで悩んでいる陸に追い打ちをかけて苦しめるのは嫌だった。
・・・大切な陸、、、私の陸、、、他の人のところに行っても、そばにいてあげる・・・
こんな状況でも、静かに包み込むように導いてくれる流美に陸は胸が苦しくなった。
「手術代だけ出してあげてスッパリ縁を切れば?」と言う女性もきっといる事だろう。
そもそも、本当に自分の子供だという確証もない。
流美の本音では恐らく②を選んで欲しいはず。
確かにドライにお金で片付ける方が合理的だ。
しかし、男として、人としてどうなのかと言う問いには疑問符が残る。
陸は散々迷った挙げ句、心の中である覚悟を固めた。
『どっちを選んでも私は陸を尊重する』という流美の言葉を信じて・・・。
回り道をして、同棲するようになった陸と流美だったが、蜜月は長く続かなかった。
朔風払葉(さくふうはをはらう)。北風が波乱を告げる。
流美とスーパーで買い出しをしている陸の携帯が鳴る。
梨乃からだ。
「もしもし?」
「もしもし、りっくん?・・ちょっと、話しできる?」
「あ、ごめん。ちょっと出先だから後で掛け直す。」と言って電話を切る。
「ん・誰?」
パスタの袋を買い物かごに入れながら流美が尋ねる。
「ああ、元カノ。」
「ふーん。正直だね陸は。そういうトコ好きだよ。」
気になるそぶりを見せない流美。女の勘は鋭い。
流美の部屋に戻り、
「ちょっと電話してくるね・・・」
と言ってバルコニーに出る陸。
数分後、顔色を曇らせて戻って来た。
「流美さん・・・俺、どうしたらいいんだろう?」
ソファーに腰かけ頭を抱える。
横に座り陸の肩に手を置く流美。
「良くない話?」
「・・・」
流美の胸に顔をうずめて黙り込む陸。
陸の頭を撫でながら
「よしよし、お姉さんに話してみなさい!」
「・・・」
なかなか口を割らない陸。
「無理に話さなくていいよ・・・」
優しく包み込む流美。
しばしの沈黙。
「今更・・・子供ができたから、一度群馬に来いって・・・」
絶句する流美。
嫌な展開が頭をよぎり、陸を包む腕に力が籠る。
今更引き返せない・・・もう、独りは嫌!
「俺、流美と離れたくない。」
「大丈夫、私もだよ。」
抱きしめ合う二人。
いつしか日が沈み、夜の帳が二人を包む。
梨乃の電話から3週間後、東京行き上り新幹線のぞみの車中に陸と流美の姿があった。
年末年始休暇を利用して再び上京する陸。祖父の墓参りに行くという口実の流美。
帰省ラッシュのさなかだったが、上りの新幹線は意外と空いていた。
ひじ掛けを上げて、黙ったまま座席で手をつなぐ二人。
運命の糸が縺れ出す。
東京駅で新幹線を降りると山手線に乗り換え、上野まで。上野から宇都宮線に乗り久喜駅で二人は下車した。
陸は構内のJRと東武線の乗り換え口を通って東武伊勢崎線に乗り換え、梨乃の実家の最寄り駅・茂林寺前に向かった。流美はそのままJR久喜駅の改札を出て、祖父の眠る天王院霊苑へ向かった。天王院はJR久喜駅西口から徒歩8分の閑静な住宅街の中にある。16世紀の初め頃創建された由緒ある曹洞宗の寺院だ。境内にある八雲神社は毎年7月に開かれる「久喜の提灯祭り・天王様」で大変な賑わいをみせる。戦国時代の歴史に詳しい陸ならば、ちょっとしたウンチクを語ってくれそうなところだ。
流美は駅前通りをまっすぐ進み、通り沿いの小さな花屋で切り花を買うと、市役所通りと交わる交差点脇から斜めに入り、大銀杏の横の歴史のありそうな立派な門を抜ける。左の方に進むと墓地が広がっていた。年末と言うこともあり、墓参する人はまばらだ。
母に書いてもらったメモを頼りに墓石を探す流美。
「母さんの記憶もあてにならないなあ・・・」
母のメモとは1本ずれた通りの同じ位置に「〇藤田家先祖代々の墓」という墓石を見付けた。
誰かが参ってくれた後だったのだろう、新しい花が供えられており、香炉からまだ線香の匂いがしていた。流美も花を足す様に供え、ろうそくから線香に火を移した。手で仰いで火を消すと、香炉に線香を刺し、手を合わせ目を閉じた。
『おじいちゃん、お父さん、ご無沙汰しちゃってごめんね。この間、私の旦那さんがそっちに行ったばかりだと思うから、もう彼から色々聞いてるかな?ちょっと似た人をまた好きになっちゃったんだけど、私がんばるね。遠くから見守ってて!応援よろしく!』
心の中でつぶやくと、目を開けた。天王院を後にし、祖母の家へ向かった。
その頃陸は、茂林寺前駅に着いたところだった。
無人駅の改札を出ると、志津から借りた赤いPassoの窓から手を振る梨乃。
「りっくん!」
陸も手を挙げ、助手席に乗り込む。
「体調・・どう?」
「うん、まあまあ。」
駅から車で10分ほど走った田園を抜けると梨乃の実家が見えてきた。
古びたフェンスの内側に畑があり、畑の間の通路を抜けると正面に横長の母屋があり、手前にある納屋の前に車を停めた。
「着いたよ。」
「ありがとう。広いね。」
「田舎だからね・・・」
昔ながらの農家の作りに何度も増築しているのだろう。外壁の柄が何種類か分かれている。
正面にある引き違いの玄関から入ると、すぐ左の和室に通された。
奥の方から物憂げなオルゴールの調べが聞こえた。
「遠いところすみませんね・・・」母の志津が顔を見せた。
「あ、これお口に合うか分かりませんが・・・」と名古屋土産の栗まんじゅうを手渡す。
「あ、そんなのいいのに。本当にすみません。」と恐縮しながら受け取ると、
「仏さまに上げてきますね」と言って、襖を開け、一番西側の奥にある続き間の和室に移動する。
なんとなく志津についていく二人。
床の間と押入れの間にある仏壇にはいくつも位牌が並んでいた。
志津はマッチでろうそくに火を灯すと、線香に火を移し、手で仰いで火を消す。
線香から一筋の煙が立ち昇る。線香を香炉にさし、おりんを「チーン」と鳴らす。
志津に習い、仏壇に手を合わす2人。
長押の上には和装の遺影の横に軍服姿の男が2人。
一人は梨乃の祖父。もう一人は梨乃の祖母である梅の弟だという。
二人の戦死者を出した松田家の血筋は梅の必死の努力で何とかつながっていた。
梨乃が廊下を挟んで北側の奥の部屋に梅を呼びに行く。
「おばあちゃん、りっくんが来てくれたよ」
高齢で腰は曲がっていたが、しっかりとした足取りの老婆は、和室に入ると正座をして
「遠いところ、よう来てくださいました・・・」と陸に頭を下げた。
「初めまして。武村陸です。」陸も梅に頭を下げる。
「ここじゃあなんですから、あちらでお茶にしましょう。」
志津は玄関横の和室に行くよう促した。
年季は入っているがしっかりした造りのテーブルを囲む3人。
「陸さ、足を崩してください」と梅に言われ
「すみません、じゃあ」と胡坐をかく陸。
台所から戻って来た志津は、せんべいの入った菓子器をテーブルの真ん中に置き
「良かったらつまんでください。」と言うと、静かにお茶を注ぎ始めた。
4つの湯呑を陸、梅、梨乃の順に差し出すと、最後の一つを自分の前に置いた。
不自然に重い空気。
「志津さん、巌はどうした?」と梅。
「それが、朝から何も言わずに出掛けちゃって・・・さっきも電話したんですがつながらないんです。せっかく遠くから陸さんが来てくれたのに、あの人・・・」と申し訳なさそうな志津。
「お父さん何考えてるの?」やきもきする梨乃。
「梨乃、陸さんに子供のことは言ったの?」
「うん、一応」
「昨日もお父さんには、陸さんが来ること言ってあったのに・・・」
「巌の馬鹿垂れが・・・相変わらずどうしょうもねえ」
再び空気が重くなる。
「陸さ、梨乃から聞いとるかもしれんが、わしは弟と主人を戦争で亡くしとる。女手一つで何とか家を守りながら、巌を育ててきたんじゃが、育て方を間違ったよおじゃの。」
と言って再び陸に頭を下げ
「陸さ、ほんに申し訳ねえ。巌のことはわしが何とかするから、梨乃のことを頼みます」と懇願した。
「おばあちゃん、頭を上げてください」
梅は頭を上げなかった。
「後生ですから・・・梨乃を・・・」
「分かりましたから、頭を上げてください!」
お昼になっても連絡がつかない巌。戻ってくる可能性を諦めた陸は、お昼をご馳走になった後、再び梨乃と茂林寺前駅に戻った。無人駅のホームで電車を待つ陸を赤城おろしが容赦なく吹き付け、心まで深く突き刺す。
老い先短いであろう梅から、頭を下げられ、半ば済し崩し的に梨乃のことをお願いされた陸の心は沈むように重く、電車の中から流美にメールで緊急事態を知らせる遭難信号を送った。
《メーデー!メーデー!メーデー!》
そのメールを亡き父の実家で受信した流美は、祖母に挨拶をして藤田の家を後にした。
・・・陸・・・嫌な予感・・・
久喜駅で合流した二人は大宮まで行き、予約してあったホテルにチェックインを済ませた。荷物を置いた後、再び外出をして一緒に夕食をとると、ホテルに戻り2人でベッドに寝転んだ。
陸の脇に猫の様に潜り込む流美。
「リク・オツカレ・リク・オツカレ・
リク・ゲンキナイ・リク・ダイジョウブ?」
とロボットアニメのマスコットキャラの声真似でおどける。
ぼおっとして考え込む陸。
「さっきから黙ってないでさあ・・何があったのか話して!」
「ごめん。」
包み隠さず、流美に一部始終を話したものの、これから具体的にどうしたらいいのか、まったくイメージがわかない。
「頼みます」ってずるい。包括的に頼むのと、限定的に頼むのではまるで話が違う。
ただ、逆に言えば、元の話が曖昧である以上、包括的に頼んだつもりでも、こちらは限定的に頼まれたと解釈したということで筋は通るのでは?
3世代の女性だけの話で、主の巌がまだ登場していない。もともと一筋縄でいかない相手、考えたところで、どうこうなるもんでもないか・・・
「流美さん、普通に考えたら、『責任取れ』って話なんだろうけど、どう思う?」
「まあ、責任の取り方も色々だから・・・
これからの陸の方針として、いくつかのパターンが考えられるけど、
① 結婚して子供を産ませる
② 結婚はせずに、子供を認知だけする
③ 結婚も、認知もしない
④ 子供を諦めてもらう。
こんなもんかな?」
論理的に考えた流美は落ち着いた口調で続ける。
「そもそも、
③ の『結婚も認知もしない』は無責任だから、陸には向いてないし責任を取ったことにはならないからボツ。
④ はある意味責任ある選択だと思うけど、陸の性格だと無理なんじゃないの?
私が思うに、結局のところ陸は①か②で迷うことになる。
梨乃さんの事をお願いされてるわけだから、普通に考えると①を求めてるよね?
・・・でも、私は、陸がどっちを選んでも陸の選択を尊重するよ!」
と言ってみたものの、本当は②を選んで欲しい流美だった。でもここで悩んでいる陸に追い打ちをかけて苦しめるのは嫌だった。
・・・大切な陸、、、私の陸、、、他の人のところに行っても、そばにいてあげる・・・
こんな状況でも、静かに包み込むように導いてくれる流美に陸は胸が苦しくなった。
「手術代だけ出してあげてスッパリ縁を切れば?」と言う女性もきっといる事だろう。
そもそも、本当に自分の子供だという確証もない。
流美の本音では恐らく②を選んで欲しいはず。
確かにドライにお金で片付ける方が合理的だ。
しかし、男として、人としてどうなのかと言う問いには疑問符が残る。
陸は散々迷った挙げ句、心の中である覚悟を固めた。
『どっちを選んでも私は陸を尊重する』という流美の言葉を信じて・・・。



