●第4章 秋の夜長
陸は営内班のベッドの上で、憧れの流美と過ごした夢のような一日を何度も思い返しては微笑み、暫くの間、幸せの余韻に浸っていた。次はいつ会えるかな?と期待に胸を膨らませていたところ、1か月振りに梨乃からの電話が鳴った。
「あ、この前ごめんね。何度も電話くれてたよね?携帯置き忘れちゃって・・・」
・・・嘘だ・・・
「りっくん・・やっぱりだめかも・・・」
電話の向こうで梨乃が鼻をすすって泣いていた。
「どういう事?」
「お父さん、どうしても許さないって・・・もう、疲れちゃった・・・」
「仕方ないか・・・」
「りっくん、ほかに好きな人できた?」
・・・ギクッとする陸
「あ、いいの、気にしないで。短い間だったけど楽しかった。結局はこんなになっちゃったけど・・・」
「そうだね・・・ごめんね・・・」
「こっちこそ、お父さんあんなんで・・・」
「梨乃、元気?」
「うん。りっくんは?」
「ああ・・・まあ普通・かな。」
「・・・じゃあ、切るね?」
「ああ・・・おやすみ・・」
「・・・・・・」
「切らないの?」
「・・・切るよ、元気・・でね・・・おや・すみ・・・」梨乃の声は涙に震えていた。
「プー・プー・プー・・・」
短い間だったが、梨乃と過ごした曙橋のアパートでの暮らしを思い出していた。
急に空しくなった。飯を食って、酒を飲んで、セックスをして、寝るだけの暮らし。酒を飲む以外は実に本能的。行きずりに近い始まり。今思えば惰性で付き合っていただけなのかもしれない。
そもそも「恋愛」って何なのだろう?梨乃のどこが好きだったのか?ルックスが特に好みと言うわけでもなかった。ガサツな性格は寧ろマイナス。臭いが嫌いだと言ったタバコを止めてくれたこと以外は梨乃の良さを見出せなかった。でも夜になればそんな梨乃に溺れた。
恋愛とは元来そういったものなのかもしれない。健全であれば男女問わず誰もに備わっている三大欲求。食欲・性欲・睡眠欲。食欲と睡眠欲は一人でも満たせるが、性欲だけはパートナーがいるといないとでは満足度が大きく違う。性欲を満たすためのパートナーの意義を取り繕うための「きれいごと」を総称して「恋愛」と呼ぶのかもしれない・・・。
恋愛もあっけない一本の電話で終わる。
そんなことを考えながら陸はまた、流美のことを考えていた。
どうしても比較してしまう。
ズボラで家事の出来ない梨乃、手際よく家事をこなす流美。
どちらがいい奥さんになるか、それ以外のことも比べれば比べるほど、申し訳ないくらい、圧倒的な違いで流美に軍配が上がる。
ただ、流美とはまだ肉体関係がない。
比べられない。本当は比べてはいけないのかも?
ああ、会いたい・・流美さん・・・
駐屯地に消灯ラッパが響く。
「電気消しまーす。」
序列が一番下の班員が照明のスイッチを切る。
カーテンの隙間から輝く三日月の光がまた流美を連想させる。
・・・彼女も同じ三日月を見ていてくれたら嬉しいな・・・。
同じころ、流美もマンションのバルコニーから三日月を眺めながら、陸のことを考えていた。
・・・時々線香あげに来て・・・じゃ、弱かったかな?・・・
「時々線香あげに来てね。お兄ちゃんに。」と冗談ともとれる流美の言葉に、あえて図々しく乗っかり、週末は流美の部屋に行き、義兄?偽兄?の写真に線香をあげに行くのが陸のルーティーンになっていた。
じゃんけんで負けた方が、ご飯を作るという「罰にならない罰ゲーム」も陸の楽しみになっていた。勝ち負けに関係なく一緒に食材の買い出しに行き、負けた方が調理をするというのは、ただの口実で、一緒にご飯を食べる理由が出来さえすれば、勝ち負けなんてどちらでもよかった。
ただ二人で過ごせる時間がいつまでも続けばいいと・・・。
週末だけの半同棲。
陸の存在が流美の寂しさを少しずつ埋めていった。
ただ夜の生活はなかった。
半分だけの新婚気分。
それでも二人にとっては至福の時間。
当直上番中以外は、毎週末決まって流美の部屋に来ていた陸。
陸は葛藤しながらも、この関係が壊れるのが怖くて、一歩踏み出せないでいた。
そんな生活が3か月ほど続いたある日、流美が少し酔って帰ってきた。
同期の結婚式に行き、二次会で結構飲んだらしい。
「たらいまー!」
「おかえり!酔っぱらい?」
リビングからドアを開けて玄関を見ると
「お!武村士長!出迎えご苦労!」
ふらふらの流美がご機嫌そうに陸に絡む。
「ちょっと流美さん、飲みすぎですよ!」
「なによ、悪い?私だってね、飲みたいときもあるのよ!」
「それにしても、酒くさっ!」
陸は肩を貸して、流美をリビングに誘導した。
流美をリビングのソファーに座らせると、キッチンに戻り、グラスに氷水を入れてソファーに戻る。
「流美さん、ほら、水飲んで。」
とグラスを流美に握らせて、流美の潤んだ唇にグラスを近づける。
ごくごくと冷水を飲み干す流美。
「おかわり!」と陸にグラスを突き出す。
「ハイ、ハイ、少々お待ちください!」
「ハイは一回!」
「はいはい」
ウオーターサーバーでグラスに水を継いでいると、
ふらふらッとキッチンに付いてきた流美は
突然、陸の背中に抱き着いた。
「流美・さん・・・?」
腹の前で交差する流美の細く白い腕、背中から感じる体温。
沸騰する血液。硬直する陸。
「流美さん・・酔っぱらい・・すぎです・・・」
「・・・」
陸はふと、目の前の精悍な男の目線が気になった。
陸の背中に顔を押しつけたまま
「私って魅力ない?」
「きゅ、急にどうしたんですか?素敵ですよ・・いつも・・」
「陸、私・・・」
二人の鼓動が激しいビートを刻む。
・・・1時間前・名古屋市内某所
「流美、最近どうなの?まだ、パイロットの彼の事、引きずってるの?」
「まだ若いんだからさー、早めに切り替えないと不幸になっちゃうよ!」
酔っぱらって好き放題言う仲のいい3人の同期たちに、
「いいの、私は喪に服してるの!」と強がる流美
「ほんとは寂しいんでしょ?無理してると老けるよ。ハハハ!」
「ほら、あのラッパの子とはどうなのよ?わりといい男じゃん?
ちょっと町田3尉に似てるしね?」
「彼は弟みたいなもんなの!大事な弟。」
「え?じゃあ、私狙っちゃおうかな?イケメンの弟!」
「とか何とか言って、実はもう付き合ってたりして?」
・・・半分は当たってる。
「欲しいと思ったら、突撃するのが流美じゃなかったの?」
「そんなヌルいこと言ってると、ほかの女にとられちゃうかもよー?」
「たまに部屋に来てるんでしょ?」
・・・たまにではない
「え!マジ!聞いてないよ流美ぃ~!ドコまでいったの~?」
絡む同期
「白状しなさいよ!ちょっと呑みが足りないんじゃないの~?」
そう言われ、いつもより飲まされた。
容赦なく質問攻めにされているうちに、流美は自分の本当の気持ちに気付かされていた。
今夜も陸が待っていることを白状させられ、強制退場。同期等から即帰宅命令を出された。
流美は同期の温かい愛を感じ、帰路を急いだ。
「ちゃんと気持ち伝えないと、男なんて簡単に手近な女のとこに行っちゃうよ!」
という同期の言葉が流美の胸を締め付ける。
・・・場面はキッチンに戻る
「陸、私・・・
陸がいないとダメ・・・もう、陸がいないとダメなの!」
突然の流美の告白に
「ずるいよ、流美さん。自分から告白したかったのに・・・」
流美の方を振り返ると
「流美さん魅力的過ぎて、憧れの流美さんと一緒に居られるだけで夢みたいでした。
触れたい。欲しい。繋がりたい。そんな感情が日に日に膨らんで、もう破裂寸前なのに・・・
今の関係が壊れるのが怖くて、言い出せませんでした。
今まで黙っててごめんなさい。
初めて見た瞬間から、ずっと大好きでした!
心の底から、大好きです!」
と言って強く流美を抱きしめた。
・・・これでいいんだよね、あなた・・・
位牌の奥の写真が微笑んだ気がした。
「あ、今、あの人が笑ったよ!」
「え!!?」
出会ってから5か月、二人は初めて一緒にシャワーを浴びた。
同じベッド、二つの影が一つに重なった。
「・・・流美」
自分でも驚くほど自然に、彼女のことを呼び捨てにしていた。
流美は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑って
「やっと呼んでくれた」と呟いた。
その夜は名前で何度も呼びながら眠りに落ちた。
「陸ぅ、朝ごはん出来たよー」
流美の凛とした声で目を覚ます。
「おはようございます、流美さん」
寝ぼけ眼をこすりながら、LDKに入る陸を見て流美がニヤリと笑う。
「あれ、もう戻っちゃったの?」
「呼び捨ては慣れてなくて、まだ照れくさいです。」
そう答えたものの、胸の奥で何かが静かに変わっていく気がしていた。
陸は営内班のベッドの上で、憧れの流美と過ごした夢のような一日を何度も思い返しては微笑み、暫くの間、幸せの余韻に浸っていた。次はいつ会えるかな?と期待に胸を膨らませていたところ、1か月振りに梨乃からの電話が鳴った。
「あ、この前ごめんね。何度も電話くれてたよね?携帯置き忘れちゃって・・・」
・・・嘘だ・・・
「りっくん・・やっぱりだめかも・・・」
電話の向こうで梨乃が鼻をすすって泣いていた。
「どういう事?」
「お父さん、どうしても許さないって・・・もう、疲れちゃった・・・」
「仕方ないか・・・」
「りっくん、ほかに好きな人できた?」
・・・ギクッとする陸
「あ、いいの、気にしないで。短い間だったけど楽しかった。結局はこんなになっちゃったけど・・・」
「そうだね・・・ごめんね・・・」
「こっちこそ、お父さんあんなんで・・・」
「梨乃、元気?」
「うん。りっくんは?」
「ああ・・・まあ普通・かな。」
「・・・じゃあ、切るね?」
「ああ・・・おやすみ・・」
「・・・・・・」
「切らないの?」
「・・・切るよ、元気・・でね・・・おや・すみ・・・」梨乃の声は涙に震えていた。
「プー・プー・プー・・・」
短い間だったが、梨乃と過ごした曙橋のアパートでの暮らしを思い出していた。
急に空しくなった。飯を食って、酒を飲んで、セックスをして、寝るだけの暮らし。酒を飲む以外は実に本能的。行きずりに近い始まり。今思えば惰性で付き合っていただけなのかもしれない。
そもそも「恋愛」って何なのだろう?梨乃のどこが好きだったのか?ルックスが特に好みと言うわけでもなかった。ガサツな性格は寧ろマイナス。臭いが嫌いだと言ったタバコを止めてくれたこと以外は梨乃の良さを見出せなかった。でも夜になればそんな梨乃に溺れた。
恋愛とは元来そういったものなのかもしれない。健全であれば男女問わず誰もに備わっている三大欲求。食欲・性欲・睡眠欲。食欲と睡眠欲は一人でも満たせるが、性欲だけはパートナーがいるといないとでは満足度が大きく違う。性欲を満たすためのパートナーの意義を取り繕うための「きれいごと」を総称して「恋愛」と呼ぶのかもしれない・・・。
恋愛もあっけない一本の電話で終わる。
そんなことを考えながら陸はまた、流美のことを考えていた。
どうしても比較してしまう。
ズボラで家事の出来ない梨乃、手際よく家事をこなす流美。
どちらがいい奥さんになるか、それ以外のことも比べれば比べるほど、申し訳ないくらい、圧倒的な違いで流美に軍配が上がる。
ただ、流美とはまだ肉体関係がない。
比べられない。本当は比べてはいけないのかも?
ああ、会いたい・・流美さん・・・
駐屯地に消灯ラッパが響く。
「電気消しまーす。」
序列が一番下の班員が照明のスイッチを切る。
カーテンの隙間から輝く三日月の光がまた流美を連想させる。
・・・彼女も同じ三日月を見ていてくれたら嬉しいな・・・。
同じころ、流美もマンションのバルコニーから三日月を眺めながら、陸のことを考えていた。
・・・時々線香あげに来て・・・じゃ、弱かったかな?・・・
「時々線香あげに来てね。お兄ちゃんに。」と冗談ともとれる流美の言葉に、あえて図々しく乗っかり、週末は流美の部屋に行き、義兄?偽兄?の写真に線香をあげに行くのが陸のルーティーンになっていた。
じゃんけんで負けた方が、ご飯を作るという「罰にならない罰ゲーム」も陸の楽しみになっていた。勝ち負けに関係なく一緒に食材の買い出しに行き、負けた方が調理をするというのは、ただの口実で、一緒にご飯を食べる理由が出来さえすれば、勝ち負けなんてどちらでもよかった。
ただ二人で過ごせる時間がいつまでも続けばいいと・・・。
週末だけの半同棲。
陸の存在が流美の寂しさを少しずつ埋めていった。
ただ夜の生活はなかった。
半分だけの新婚気分。
それでも二人にとっては至福の時間。
当直上番中以外は、毎週末決まって流美の部屋に来ていた陸。
陸は葛藤しながらも、この関係が壊れるのが怖くて、一歩踏み出せないでいた。
そんな生活が3か月ほど続いたある日、流美が少し酔って帰ってきた。
同期の結婚式に行き、二次会で結構飲んだらしい。
「たらいまー!」
「おかえり!酔っぱらい?」
リビングからドアを開けて玄関を見ると
「お!武村士長!出迎えご苦労!」
ふらふらの流美がご機嫌そうに陸に絡む。
「ちょっと流美さん、飲みすぎですよ!」
「なによ、悪い?私だってね、飲みたいときもあるのよ!」
「それにしても、酒くさっ!」
陸は肩を貸して、流美をリビングに誘導した。
流美をリビングのソファーに座らせると、キッチンに戻り、グラスに氷水を入れてソファーに戻る。
「流美さん、ほら、水飲んで。」
とグラスを流美に握らせて、流美の潤んだ唇にグラスを近づける。
ごくごくと冷水を飲み干す流美。
「おかわり!」と陸にグラスを突き出す。
「ハイ、ハイ、少々お待ちください!」
「ハイは一回!」
「はいはい」
ウオーターサーバーでグラスに水を継いでいると、
ふらふらッとキッチンに付いてきた流美は
突然、陸の背中に抱き着いた。
「流美・さん・・・?」
腹の前で交差する流美の細く白い腕、背中から感じる体温。
沸騰する血液。硬直する陸。
「流美さん・・酔っぱらい・・すぎです・・・」
「・・・」
陸はふと、目の前の精悍な男の目線が気になった。
陸の背中に顔を押しつけたまま
「私って魅力ない?」
「きゅ、急にどうしたんですか?素敵ですよ・・いつも・・」
「陸、私・・・」
二人の鼓動が激しいビートを刻む。
・・・1時間前・名古屋市内某所
「流美、最近どうなの?まだ、パイロットの彼の事、引きずってるの?」
「まだ若いんだからさー、早めに切り替えないと不幸になっちゃうよ!」
酔っぱらって好き放題言う仲のいい3人の同期たちに、
「いいの、私は喪に服してるの!」と強がる流美
「ほんとは寂しいんでしょ?無理してると老けるよ。ハハハ!」
「ほら、あのラッパの子とはどうなのよ?わりといい男じゃん?
ちょっと町田3尉に似てるしね?」
「彼は弟みたいなもんなの!大事な弟。」
「え?じゃあ、私狙っちゃおうかな?イケメンの弟!」
「とか何とか言って、実はもう付き合ってたりして?」
・・・半分は当たってる。
「欲しいと思ったら、突撃するのが流美じゃなかったの?」
「そんなヌルいこと言ってると、ほかの女にとられちゃうかもよー?」
「たまに部屋に来てるんでしょ?」
・・・たまにではない
「え!マジ!聞いてないよ流美ぃ~!ドコまでいったの~?」
絡む同期
「白状しなさいよ!ちょっと呑みが足りないんじゃないの~?」
そう言われ、いつもより飲まされた。
容赦なく質問攻めにされているうちに、流美は自分の本当の気持ちに気付かされていた。
今夜も陸が待っていることを白状させられ、強制退場。同期等から即帰宅命令を出された。
流美は同期の温かい愛を感じ、帰路を急いだ。
「ちゃんと気持ち伝えないと、男なんて簡単に手近な女のとこに行っちゃうよ!」
という同期の言葉が流美の胸を締め付ける。
・・・場面はキッチンに戻る
「陸、私・・・
陸がいないとダメ・・・もう、陸がいないとダメなの!」
突然の流美の告白に
「ずるいよ、流美さん。自分から告白したかったのに・・・」
流美の方を振り返ると
「流美さん魅力的過ぎて、憧れの流美さんと一緒に居られるだけで夢みたいでした。
触れたい。欲しい。繋がりたい。そんな感情が日に日に膨らんで、もう破裂寸前なのに・・・
今の関係が壊れるのが怖くて、言い出せませんでした。
今まで黙っててごめんなさい。
初めて見た瞬間から、ずっと大好きでした!
心の底から、大好きです!」
と言って強く流美を抱きしめた。
・・・これでいいんだよね、あなた・・・
位牌の奥の写真が微笑んだ気がした。
「あ、今、あの人が笑ったよ!」
「え!!?」
出会ってから5か月、二人は初めて一緒にシャワーを浴びた。
同じベッド、二つの影が一つに重なった。
「・・・流美」
自分でも驚くほど自然に、彼女のことを呼び捨てにしていた。
流美は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑って
「やっと呼んでくれた」と呟いた。
その夜は名前で何度も呼びながら眠りに落ちた。
「陸ぅ、朝ごはん出来たよー」
流美の凛とした声で目を覚ます。
「おはようございます、流美さん」
寝ぼけ眼をこすりながら、LDKに入る陸を見て流美がニヤリと笑う。
「あれ、もう戻っちゃったの?」
「呼び捨ては慣れてなくて、まだ照れくさいです。」
そう答えたものの、胸の奥で何かが静かに変わっていく気がしていた。



