少しの沈黙のあと、

「はっ!」

 憂夜が呆れたように鼻で笑った。

「なに言ってんだ、お前」

「はぁ?」

 秋葉は馬鹿にされたと思って、眉根を寄せて彼の顔を見る。すると彼は口の端を上げてニヤリと笑って、楽しそうに語り出した。

「いいか? 秋と言えば『実りの秋』なんだよ」

「実りの秋……?」

 秋葉はぱちぱちと目を(しばた)く。知っている言葉なのに、初めて聞く言葉に感じて、思わず復唱した。そんなこと、意識したことがなかった。

「あぁ。まず、新米だろ? 俺は毎年人間が供えてくれる米を楽しみにしてるんだ。それから柿に梨に葡萄。きのこ汁も好きだな。
 ――あぁ、そうだ。蕎麦もいい。酒と良く合う。酒の(さかな)と言えば、秋刀魚も供えてくれたら最高なんだが、まぁ生物(なまもの)だから、山里だとちょいと厳しいか」

「……」

 秋葉はまだ目をぱちくりさせたままだった。
 そう言われてみれば、秋は美味しい食べ物で満たされている気がする。霊力が消えて離れの納屋(なや)に追いやられてから、そんな日常の小さな楽しみもすっかり忘れていた。

「――で、秋葉は?」

 憂夜はずいと顔を近付けて問いかける。

「わ、私……?」

「そうだ。秋葉は何が好きなんだ? 秋の食い物。お前、なかなかの食いしん坊だろう?」

「なっ……! 私、別に食いしん坊なんかじゃないわ!」

「はっはっは。俺はいつも晩飯でお前が飯をおかわりしてることを知ってるぜ」

「っ……!」

 秋葉の顔が真っ赤になった。確かにここのご飯は凄く美味しくて、いつも少しだけおかわりをしているのだ。
 ……こっそりと。

「秋葉は米が好きなのか?」

「そ、そうね」

 彼女は気を取り直して、コホンと咳払いをしてから話し始めた。

「私はお米が好き。秋はさつまいもご飯に、栗ご飯に、松茸ご飯。炊き立てのご飯に秋刀魚なんて最高ね。四ツ折(よつおり)の里だと、魚は貴重でなかなかお目にかかれないけど。
 ――あっ! あとお米以外では、山菜の天ぷらも外せないわ」

「おっ、いいな。塩のきかせた銀杏の素揚げも酒に合うんだよなぁ」

「もうっ、さっきから憂夜はお酒ばっかりね」

「米ばかりの秋葉よりマシだ。太るぞ」

 二人はしばし睨み合ったが、

「うふふ」

「あははは」

 おかしそうに笑い合った。
 さっきまでの剣呑な雰囲気はどこかへ吹き飛び、幸福に満たされた空気が彼らを包み込む。

「秋は収穫の季節だ。生命の集大成。俺は死に向かっているなんて思わない。次に来る秋……未来への身支度をはじめるんだ」

「次の、秋……?」

「あぁ。秋は毎年巡って来る。その度に実って、世界に喜びを運んでくれる。だから――」

 憂夜は口を閉じて、まっすぐに秋葉を見た。黄昏色の瞳に金木犀の光の粒が反射して、とても幻想的で綺麗だった。

「だから……俺は秋が好きだ」

 そう言って、少し寂しげに笑った。

 本音ははっきりと「秋葉が好きだ」と言いたかった。

 だが、それを口にしたら、愛しい想いが、もう止まらなくなりそうで。
 神の世界の(ことわり)を破ることは決して許されない。しかし、それに背いてでも彼女を奪ってしまいそうで。

「憂夜……」

 秋葉の胸の奥がざわざわと波立っていく。
 刹那、世界に色がついた気がした。

 秋は、死の世界への入り口などではない。春に植えた小さな種子が芽吹き、大きくなって、実が熟れる。
 生命に幸せをもたらす、実りの秋。

 秋の葉は、ただ枯れ果てて消えるのではない。
 喜びの種を残して、次の季節へ巡るのだ。そうやって、何度も何度も繰り返して、未来へと連綿と繋いでいく。
 かけがえのない生命を。

 秋葉の瞳からじわじわと涙が溢れてきて、

「うっ、うう…………うわあぁぁぁぁああんっ!!」

 ついに大声で泣きはじめた。
 まるで純粋な子供みたいに、わんわんと声を上げて泣く。

「おいおい、大丈夫かよ」

 憂夜は優しく秋葉を抱きしめた。彼女もひしと彼に抱きつく。

「私……初めてなの。秋が好きだって言ってくれたひと……」

「あぁ」

「これからは、私も……秋を好きになれそう」

「あぁ」

 憂夜の力が強くなっていく。痛さが心地良かった。秋葉も負けじと強く強く抱きしめた。
 金木犀の香りがふわりと漂い、夕日に照らされた黄金の世界が二人を閉じ込めていく。