「憂夜様」

 狐宵の声に顔を上げると、彼と瑞雪が薬箱を持ってやって来ていた。二人ともほっとしたように微笑み、温かい眼差しを向けていた。

「二人とも無事で良かったですー!」

「傷が残らないうちに治療を」

「あぁ、そうだな。頼む」

 式神は単なる物理攻撃だけではなく呪いも埋め込む。瑞雪たちは、秋葉と白銀の傷口を入念に確認しながら傷薬を塗った。

「秋葉様、申し訳ございませんでした」

 治療が終わった途端、狐宵が秋葉に深々と頭を下げた。

「な、なんで狐宵が謝るのよ。むしろ助けてくれたんだから感謝しているわ」

 狐宵は少しのあいだ思案するように黙り込んでから、

「……私は、あなたが憂夜様の花嫁になることを反対していました」

 恥じるように声を出した。

「そりゃそうだわ。だって、霊力のない人間が龍神様の花嫁になるなんて前代未聞だもの」と、秋葉は苦笑しながら肩を竦める。

「いえ……。それでも私は憂夜様の臣下として、きちんと物事の本質を見極めなければなりませんでした。
 秋葉様は確かに霊力がありませんでしたが、でも、美しい心を持っている。それは、憂夜様の花嫁になる方の最重要な条件です」

「そ、そんな……。美しい心だなんて……」

 秋葉の顔がみるみる赤くなる。こんなことを言われたのは初めてなので、気持ちが落ち着かなくて胸がどぎまぎした。

「秋葉様は美しく、強いです。微力ながら、私も霊力回復のお手伝いをさせてください」

「そんな、照れるわ……」

 秋葉が両手を頬にあてて「えへへ」と身体を左右に揺らせながらもじもじしていると、

「おい、狐宵」

 突如、どすの効いた低音が響いた。
 そして、憂夜が秋葉の腰を抱いてぐいと自身に引き寄せて言った。

「お前、人の嫁を口説いてんじゃねぇよ」

 きっと従者を()め付ける。黄昏色の瞳が、怒りに満ちていた。

「別に口説いておりません」

 対して狐宵は、真顔で冷静に反論する。

「嘘こけ。『秋葉様は、美しい』とか言ってたじゃねぇか」

「それは心です。憂夜様も『結婚は魂だ』って、以前おっしゃっていたじゃありませんか」

「てめぇっ! 秋葉の顔は美しくねぇってかー!?」

 憂夜は狐宵の襟元を掴んで、がっくんがっくんと首を揺らした。狐宵は死んだような目で主にされるがままだ。それでも、どこか楽しそうな雰囲気だった。

「狐宵さんは、本当は奥様のことが心配だったんですよねー。素直じゃないんだからぁ〜。このこの〜〜」

 瑞雪が肘で彼を(つつ)くと、白銀も面白がって「このこの〜」と言いながら頭突きをした。
 秋葉はくすくす笑いながら眺めていたが、狐宵の思い遣りを嬉しく思った。こんなに素敵な仲間ができて、ここに来て良かったと心から思った。

 ちなみに憂夜だけは本気になって怒っていた。



「そうだっ!」

 にわかに秋葉の大音声が響いて、憂夜の動きをぴたりと止める。
 どうやら、頭に血が上っていても花嫁の声はちゃんと耳に届くようだ。

「どうした?」

「私、憂夜にお願いがあるのっ!」

 秋葉は真剣な表情で彼を見た。