「……私だけど」
右手を挙げながら、秋葉が立ち上がる。春菜は少しだけ顎を上げて、姉を自らの前に呼び出した。
「なにか、文句あ――……っ!?」
秋葉が妹の前に立った折も折、春菜は汁物の入った御椀を姉の顔に投げ付けた。
「あっ、つっ……!」
まだ湯気が上がる液体が、顔面を熱する。それはすぐに零れ落ちたが、熱気の残像が彼女の皮膚を焼いて、刺すような痛みを覚えた。
「なにするの!?」
秋葉の怒鳴り声が響いた。緊迫した空気が、姉妹のあいだに落ちる。秋葉は妹を睨み付け、春菜は涼しい顔で姉を見ていた。
「塩辛すぎて食べられないわ。いくらわたしが恨めしいからって、意地悪は止めてくれない?」
「はぁ?」
呆れて物が言えなかった。意地悪をしているのは、どちらだろうか。
だが、周囲の視線は違っていた。四方八方から怒りや軽蔑の眼差しが、秋葉を突き刺していく。
「……」
こんな仕打ちも、冷たい視線も、彼女にはもう慣れっこだった。
あの日から、幾度となく傷付いて、傷付いて、心は何度もはち切れそうになった。
でも、負けたくないと思った。たしかに自分はもう無能かもしれないけど、無能なりにやれることはあるはずだ。
それに、負けを認めたら、もう胸を張って生きることができない気がしたから。無能でも、前を向いて堂々としていたい。
秋葉は歯を食いしばって、立ち上がる。
「もし春菜が塩辛いと感じたなら、それは謝るわ。でも口に合わないからって、食べ物を粗末にするのは間違っていると思う」
「は……」
うっすらと笑みを浮かべていた春菜の顔が、微かに曇った。
「食べ物は神様からの恵み。そして食卓に並ぶまでに、多くの時間と人々の手間や心がこもっているわ。
それにここ数年は飢饉も多い。こうやって毎日十分な食事にありつけるだけでも、とても幸せなことよ」
「……だから?」
春菜の声が低くなる。彼女の表情にはもう可憐さなど残ってなく、全身から冷え込んだ霊力が溢れ出て、周囲の空気を揺らしていた。
下座にいる使用人たちは恐ろしさで震えたが、秋葉は負けん気から怯むことなどしなかった。
「だから、御椀を投げるなって言ってるの。貴重な食べ物を粗末にするのは止めなさいよ。
あと、少しでも気に食わないことがあれば、人に当たるのもおかしいと思う。いくら霊力が高くても、最低限の礼儀は重んじるべきだわ」

