「よし、完成」

 憂夜は封印の魔法陣を描き上げた。
 同時に、春菜だったものの楔が剥がれ落ちる。

「あああぁぁぁねええさまあああぁぁぁぁぁ……!」

 もう人間かも見分けがつかないそれは、断末魔の叫びのような咆哮を上げた。

「ねえぇええさままままあああぁぁぁぁ……ししししねねねねぇぇぇぇぇぇえええ!!」

「やれやれ。最後まで姉貴か。自分勝手な女だな。
 …………全く、虫唾が走る」

 それは、父に向かっての呪詛でもあった。

「俺が今、終わらせてやるよ。――開門!」

 魔法陣の線が、一気に光を放出した。すると、すさまじい神力が集まり、渦を巻いて舞い上がる。
 辺りは暴風に包まれ、襖は外れて、箪笥や花瓶が次々に破壊されていった。

 春菜の影も、竜巻に巻き込まれて、魔法陣の中に吸い込まれそうになる。

「ぐぐぐぐぐ……ぎぎぎぎぎああああぁぁぁぁぁ!!」

 だがすぐに抵抗をはじめた。影を目一杯広げて魔法陣もろとも呑み込もうと、軟体動物の如く大きく吸引をする。
 憂夜も引きずり込まれそうになるが、足元に神力の重心を落としてどうにか踏ん張った。
 だが、影は彼の十倍以上に広がって、どんどん勢力を増していく。

「くそっ……。どんだけ邪に支配されてるんだよ。自分大好き過ぎるだろ」

 と、軽口を叩いてみせるが、影の力は増大して気圧されつつあった。
 このままでは吸い込まれる。せめて秋葉たちは助けようと、己の力を鱗の障壁に送ろうとした。


「もうっ。なに一人でかっこつけてるのよ」

 そのとき。
 憂夜の手に、秋葉の手が重なった。すると、彼女の霊力が強制的に彼の神力と混じり合っていく。
 小さいけど頼もしいそれに、彼は息を呑んだ。

「秋葉……。お前、どうやって?」

「あんなもの、ぶっ壊したわよ! 私の鍛錬の力、馬鹿にしないでよね?」

 彼女はくすりといたずらっぽく笑う。だが彼は血相を変えて首を横に振った。

「白龍のところに帰れ! 死ぬぞ!」

「なんで白龍のもとに帰らないといけないのよ」

「だって、共鳴して、契約が……」

「あぁ、あれね。あれは、『春菜を止める』っていう意思が重なっただけ。ま、おかげで霊力を取り戻せたから良かったわ」

「駄目だ……」

 彼は弱々しい声音で言う。

「神の(ことわり)は絶対だ」

「そんなの、人間の私が知るもんですか。それに、今日ここに来た目的は最初から契約解除だし」

「……」

「ねぇ、知ってる?」

 秋葉の霊力が細部まで行き渡り、憂夜の神力と溶け合っていく。
 彼女は少しだけ顔を上気させて、にこりと優しく笑った。

「白い紙に墨汁を垂らすと、黒く染まるでしょ。それは、二度と白には戻らないわ」

「……」

 彼女は少しはにかみながら、しかしはっきりと強く言い聞かせるように言葉を続ける。

「私は、あなたがお嫁に貰ってくれた日から、もう黒に染まってるの。だから……あなたが最後まで責任取りなさいよね!」

「っ……!」

 秋葉の言葉が胸に染み渡る。
 嬉しくて、だが切なくて、全身が打ち震えた。

「秋葉……。俺は……」

「続きはあと。今は目の前のことに集中しましょう」

 次の瞬間、秋葉の額に白龍の印が浮かび上がる。
 それは、徐々に黒龍の印の形に変化して、真っ白から、真っ黒に染まっていった。

「契約は私の意思でおこなうわ。私は――」

 ――『黒の花嫁』だから。


 かつて春菜だった(もの)が、まっすぐに進んでくる。
 秋葉は、もう迷いがなかった。
 それは、憂夜も。

「行くぞ、秋葉!」

「ええ!」

 魔法陣に二人の力が充満した。
 憂夜は全身全霊で、千年に一度の霊力の内包された神力の嵐を巻き起こす。
 夫婦(めおと)は同時に叫んだ。

黒風天翔(こくふうてんしょう)!」

 闇風の嵐が一つにまとまっていく。
 それは龍の形になって、眼前の影を貫き、天を昇って、魔法陣の中へ翔けていった。