「な、なにっ?」

 春菜――だった(もの)が、秋葉に拳を振り上げる。避けようとするが足からも別の影が忍び寄り、つんのめった。

「危ねぇっ!」

 憂夜が後ろから秋葉を抱きしめて、強く引いた。しかし少しだけ遅れてしまって、彼の着流しが軽く影に触れてしまう。

「くっ……!」

 下を見やると、影に触れた袖下の部分が跡形もなく消えてしまった。
 それは火で炙られたり引き裂かれた風でもなく、存在ごとが。

「うそっ……。どういうこと!?」

 己の眼前でなにが起きたのか理解が追い付かず、秋葉は目を白黒させる。
 憂夜は冷静に、まずは彼女を影の攻撃範囲外まで避難させた。

(じゃ)の正体は『無』だ。あれにあるのは悪意のみ。ただ全てを呑み込むだけだ」

「それで、呑み込まれたら!?」

「さぁな。存在自体がこの世から抹消されるって聞くが」

「そんなっ……! じゃあ、春菜は? 春菜はもう呑み込まれたってことなの!?」

春菜(あの女)は既に悪意に呑み込まれている。……もう、ずっと前(・・・・)からな」

 再び、影の攻撃が来る。
 瞬時に光河が秋葉たちの周囲に結界を張って、なんとか防いだ。
 そして、憂夜が神力を春菜から出た影の四隅に打ち込んで、足止めをする。

「それって、どういう……?」

 秋葉の瞳が不安げに揺れる。
 憂夜はばつが悪そうな顔で口ごもる。代わりに光河が静かに口を開いた。

「春菜は、君から霊力を奪ったとき(・・・・・)から、邪になってしまっていたんだ」

「えっ…………」

 刹那、秋葉の身体が硬直した。暗い穴の中に落とされた気分だった。たちまち体内の時間が止まって、己の脈の音だけが耳に刻まれる。
 じわりと冷や汗が出た。喉を押し潰されたように息ができなかった。

 今、白龍は『奪った』と言った。
 あれは、事故じゃなかったの?

 双子は陰と陽。些細なきっかけで、それが反転することもあると聞いたことがある。
 霊力が妹に流れたのも、そういうことじゃないの?