黒の花嫁/白の花嫁






 白龍は秋葉との契約の御印(みしるし)が再び現れたとき、すぐに彼女を迎えに行こうと立ち上がった。
 だが、丁度そのとき。

「どこへ行かれるのですか?」

 出し抜けに、春菜が彼の背後から声を掛けてきた。彼がぎこちなく振り返ると、無表情の彼女がじっと見つめていた。

「春菜……済まない……」

 彼は心苦しそうに顔を歪めて眉を下げる。

「私は、今も秋葉と契約状態にあるようだ。今から彼女を迎えに行く。君のことは申し訳なく思うが、霊力が著しく減少している今、このまま天界(ここ)に置くわけにはいかない。
 幸いにも、私たちはまだ夫婦(めおと)(ちぎ)りを――」

 春菜は光河の言葉を待たずに、ふわりと彼に近付いて、そっと夫の唇に指を置いた。控え目な彼女らしくない大胆な行動に、驚いた彼の動きが一瞬静止する。

「夫婦の契りなら……今、行えばいいじゃないですか」

「君のその霊力では耐え――……っつ……!?」

 突如、春菜から無数の黒い影が出る。それらは腕の形に変容して、瞬く間に光河の両手足を捕らえ体勢を崩して床に押し付けた。

「ぐっ……」

 瞬時に白龍の全ての動きが封じられ、残りの影の手が彼の首に伸びていく。しっかりと両手で掴むと、じわじわと締め上げていった。

 光河はもがき苦しむ。抵抗したいが、手足を押さえられているので頭を左右に振ることしかできなかった。神力(しんりょく)で振り払おうとしても、全て肌に触れた影の中に吸い込まれてしまう。

「浮気者には、お仕置きしなきゃね?」

 春菜の冷ややかな笑顔が、彼の上に落ちた。綺麗な顔なのに腐った肉の塊のように見えてしまい、おぞましくて身の毛がよだった。

 光河の呼吸が限界を迎える前に、春菜は黒い影の手を離した。
 彼は多くの空気を取り込もうと、何度も大きく呼吸した。だが、胸に何かがつっかえていて上手く息ができない。

「あぁ、良かった。効いているみたいね」

 春菜はニタリと口の端を歪ませた。

「私に、何をした……?」

 体内の細胞が、異物を追い出そうと暴れているのが分かる。
 それは――(じゃ)だ。

 春菜は掌から黒い煙を燻らせて、

「あなたの身体にこれ(・・)を潜り込ませただけですわ。食物や飲水(のみみず)と一緒に混ぜて、少しずつね。
 いくら神様とはいえ、肉体の中は無防備ですものね」

 心底気持ち悪いと、光河は粟立った。
 眼前の花嫁は、もう気色の悪い肉の塊にしか見えない。

 この女は、もはや心を持った人間ではなかった。邪に支配された別のなにかだ。

「じゃあ、仕上げに……夫婦の契りをしないと……。
 ――ねぇ、旦那様(・・・)?」